学位論文要旨



No 214206
著者(漢字) 仲田,邦穂
著者(英字)
著者(カナ) ナカタ,クニホ
標題(和) 微生物における各種ストレスによる有用物質生産
標題(洋)
報告番号 214206
報告番号 乙14206
学位授与日 1999.03.12
学位種別 論文博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 第14206号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 堀之内,末治
 東京大学 教授 北本,勝ひこ
 東京大学 教授 依田,幸司
 東京大学 助教授 吉田,稔
 東京大学 助教授 西山,真
内容要旨

 当研究は、微生物によるエタノールの効率的な発酵生産と、エタノールを原料とした培養に代表される、微生物のストレス培養による有用物質生産を主なテーマとする。

 1)自然界からエタノール発酵酵母を探索し、エタノールの効率的な発酵生産システムを構築した。

 耐塩性とエタノール発酵力に優れた酵母Torulaspora delbrueckii No.3110株を自然界から分離し、そのエタノール発酵における耐塩性メカニズムを様々な手段により解析した。まず、No.3110株はトレハロースの代謝力と細胞内蓄積が顕著だったので、両者の低下した変異株T1を取得したところ、耐塩性が顕著に減少していた。この結果は、トレハロースの細胞内蓄積そのものが耐塩性に寄与しているのではなく、トレハロースの高い代謝回転率がストレス下での必要な炭素源とエネルギーを与えることが、No.3110株に耐塩性をもたらしていることを示した。このことは、透過型菌体を用いた実験でも支持された。すなわち、アセトン処理により得られた透過型菌体エタノール発酵系にトレハロースを添加したところ、エタノール生成速度がストレス耐性となった。この際、トレハロース分解酵素の阻害剤を同時に添加するとストレス耐性の発揮が消失した。

 No.3110株のクリプティックなプラスミドを利用し、ホストベクター系を構築した。T1変異株の形質を相補する領域を単離しT1株で発現したところ、トレハロースの代謝、細胞内蓄積、耐塩性のすべての形質が回復し、遺伝学にもトレハロースの役割が明確化された。

 エタノール発酵の効率化のためにフラッシュ発酵の手段が採用されるが、このためにはNo.3110株が温度感受性であることが問題であった。そこで、膜脂質組成の観点から感受性メカニズムを解析した。通常の嫌気的なエタノール発酵系では脂肪酸の不飽和度が高く、エルゴステロールが少ない特徴があり、全体的に見て膜流動性が高かった。流動性は通常より好気的に発酵させることにより低下し、No.3110株のエタノール発酵力とともに、温度耐性も顕著に向上した。変異改良も試みた。すなわち不飽和脂肪酸部分や、エルゴステロール合成酵素に作用標的を有する、イミダゾール系の抗生物質に対する耐性を用いた膜組成の育種を行なった。

 2)エタノールを原料とすることによる、有用物質ラムノリピッドの生産システムを構築した。

 ラムノリピッドは優れた界面活性力と生分解性を有し、環境修復の面で今後の大きな役割が期待されている。Pseudomonas aeruginosa IFO 3924株をエタノールフェッドバッチ培養することにより、ラムノリピッドが高生産された。57g/lのエタノールから、32g/lのラムノリピッド(R1とR2の混合物)が菌体外生産された。この数字はこれまでの報告例の約2倍である。エタノールの使用は精製面での容易さをももたらし、培養上清のpH4.0における酸沈殿によりラムノリピッドが精製された。R1とR2の分離には、イオンクロマトグラフィーや吸着クロマトグラフィーが適用される。

 エタノールによる高生産メカニズムを解析した。ラムノリピッドはホモセリンラクトン型のオートインデューサー物質により生産制御されていることがわかった。すなわち、エタノールフィードが細胞にとりストレスとして機能し、オートインデューサー物質濃度の数十倍の上昇を促し、ラムノリピッド生産を誘導していることを見出した。ラムノリピッドは通常、増殖終了後に生産されるが、オートインデューサー高濃度下では、増殖に伴い生産され、その結果生産量は増加する。

 調製したラムノリピッドの、廃重油処理への適用を検討した。廃重油は自然界での水との接触攪拌によりW/O型の難乳化ミセルを形成してしまい、処理を困難にする。これまで、その乳化のためには多量の化学合成界面活性剤と溶剤の混用がなされていた。ラムノリピッドでは単独の、油あたり1g/lの使用(Tween 20の場合の1/19)でO/W型への乳化ができた。乳化液に鉄塩を添加するか、pHを4.0に調整することにより容易に脱乳化されるので、乳化液からの油分の回収が可能であった。自然界への分散、自然分解型ではなく、リサイクル型の環境修復が可能になる。

 3)エタノールを原料とした有用物質の生産として、Pseudomonas fluorescensによる抗生物質生産を検討した。

 同菌はピオルテオリンやアセチルグルシノールなどの、抗菌スペクトラムの異なる各種の抗生物質を生産するが、自然界では植物根圏にて植物体に共生し、植物を微生物感染から防御していると考えられている。土壌より分離されたS272株をエタノール培地で培養することにより、これまでの文献値の数十倍の生産量が得られ、微生物農薬への展望が開けた。

 S272株は食塩や高温パルスによっても抗生物質生産を誘導するので、ストレス誘導であるらしい。ストレスによりホモセリンラクトン型のオートインデューサー物質濃度が数十倍になり、複数の抗生物質の生産がオンになるというメカニズムを考えた。

 この原理を応用し、正常では抗生物質が低レベルなので微生物フローラの撹乱がなく、植物体の生育にとり危機的な条件で抗生物質生産が誘導されるという、農薬が創出される。実際、カイワレ大根の水栽培の系で、成長促進効果と雑菌防除効果が確認され、マーガレットの葉を用いて、腐敗防止効果も確認できた。

 自然界で植物体に付着して生育する細菌、Klebsiella pneumoniae H12株を分離し、植物体と細菌の付着を担う凝集性多糖類がエタノール特異的に生産されることを見出した。この凝集剤を併用することにより、P.fluorescensの農薬効果も増強される。

審査要旨

 当研究は、1)微生物によるエタノールの効率的な発酵生産と、2)エタノールを原料とした培養に代表される微生物のストレス培養による有用物質生産を主なテーマとしている。

1)エタノール発酵生産システムの構築

 耐塩性とエタノール発酵力に優れた酵母Torulaspora delbrueckii No.3110株を自然界から取得し、エタノールの効率的な発酵生産システムを構築した。特に糖蜜などの高塩濃度原料の利用に適している。当株の解析を通して種々の新技術が得られた。特に、a)No.3110株のプラスミド複製単位、シクロヘキシミド耐性遺伝子を用いた選択マーカー、ポリリジンによる形質転換促進を特色とする酵母の汎用的遺伝子操作系の確立、b)イミダゾール系抗生物質ミコナゾール耐性変異を利用した酵母の膜変異株、特に耐温度性変異株育種方法の整備、c)アセトン処理した透過型細胞を用いた薬剤作用メカニズムの研究や物質菌体外生産、さらに食料品の鮮度保持と、幅広い応用をはかった。

2)エタノールを原料とした有用物質発酵生産

 T.delbrueckii No.3110株による二糖類トレハロースの生産、Pseudomonas aeruginosa IFO 3924株による糖脂質系界面活性剤ラムノリピッドの生産、自然界より分離したPseudomonas fluorescens S272株によるピオルテオリン等抗生物質の生産、自然界より分離したKlebsiella pneumoniae H12株による多糖類系凝集剤の生産など、エタノールを原料とした発酵生産システム、およびエタノールを用いた精製システムを構築した。これらのシステムは既存の方法に比較し、生産力価や精製操作性の面で格段の進歩性が示される。良質、安価で、操作性の良い材料としてのエタノールを再認識すべきであろう。

3)エタノールを原料とした生産メカニズム

 各物質のエタノール培地における高生産メカニズムを明らかにした。a)トレハロースの細胞内蓄積そのものではなく、高い代謝回転率がストレス下に必要な炭素源とエネルギーを与え、ストレス耐性を酵母にもたらしていることが示された。b)ラムノリピッドと抗生物質の場合では、エタノールストレス下での高濃度のホモセリン型オートインデューサー物質蓄積が、これらの生産を誘導していることがわかった。c)多糖類では、エタノールストレスが細胞表層から多糖類を細胞外に遊離させ、菌の凝集や宿主への接着による優位な生育をもたらしていることが推測された。各物質の生産量はエタノールフィード培養によりさらに促進され、高濃度の塩添加や、高温パルスによっても誘導された。

4)生産物用途開発

 各生産物の優れた特性および自然界で果たしている機能を活かした用途開発を試みた。a)トレハロースはエタノールとの共用により食品組織が透過型になり、組織内への浸透が容易になり、各種の食品の鮮度維持に著効を示した。b)ラムノリピッドは強力な乳化作用と、乳化-脱乳化間のコントロールの容易さ、および生分解性から、リサイクル型廃油処理や環境修復剤としての応用が期待できる。c)抗生物質生産菌と多糖類を利用して強制的に植物-微生物共生システムを構築することにより、ストレス応答性の新型抗菌微生物農薬を創製できた。現在各専門機関の協力のもとで、実地試験が進行している。

 微生物はストレス環境下で優位に生存するために、生理活性物質の新たな生産や生産量の調節を行う。本研究における各物質の生産は、生存圏への侵入者に対する合理的な対抗手段となり、生産菌にとり有利に働く。微生物をストレス環境にさらすことで新規な物質の生産を期待するスクリーニングが可能であろう。

 以上、本研究は新しい視点からの有用物質生産を行なったものであり、学術上、応用上貢献するところが少なくない。よって審査委員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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