学位論文要旨



No 214211
著者(漢字) 藤原,良章
著者(英字)
著者(カナ) フジワラ,ヨシアキ
標題(和) 中世的思惟とその社会
標題(洋)
報告番号 214211
報告番号 乙14211
学位授与日 1999.03.15
学位種別 論文博士
学位種類 博士(文学)
学位記番号 第14211号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 五味,文彦
 東京大学 教授 村井,章介
 東京大学 助教授 新田,一郎
 東京大学 助教授 寺島,孝一
 東京大学 助教授 佐藤,康宏
内容要旨

 本研究の問題関心は、中世という時代にあり、その中で生きていた人々の心性、あるいは慣習といった、現代では忘れ去られたものを発掘する中から、その社会の時代としての特徴を探ろうとしたものである。

 序章「中世の樹の上で」は、本研究の問題提起であり、現代人にとっても身近な存在である樹木について取り上げた。現代人にはおよそ考えつかない、樹上葬という民俗に着目し、これまでの民俗学で、死体処理の観点からのみとらえられていたこの民俗が、中世・古代にまでさかのぼれば、朝鮮半島の事例などと同様に、再生の観念に支えられた民俗であり、樹上が彼岸と此岸の接点であったことを明らかにした。そして往生思想が展開する中で、生きている人間が往生を願ってみずから樹上にのぼるようになった点などもふまえ、中世人にとって、樹木をはじめとした他界との接点がたしかに存在し、他界の存在そのものもアプリオリのものだったことを指摘した。

 第一部「訴訟・身分と中世的社会」は、訴訟制、特に庭中と、身分の側面から中世的社会の特質を探ろうとした。

 従来、鎌倉幕府の庭中は、通常の法廷を意味する公家の庭中の模倣であり、その機能としては、手続過誤救済のための再審制と理解されてきた。しかし、第一章「鎌倉幕府の庭中」では、これが、幕府の側で形成されたものであること、再審制として機能はしたものの、それは本質ではなく、むしろ、庭からの口頭での訴訟(奉行を越えた直訴)であることを明らかにした。そしてそれが、主従制といったいわば人間関係を規定するものであり、訴訟制度の整備にも関わらず、主人には、従者の庭中言上を直接聴断する義務がある、といった双務的関係を訴訟制度のかなから指摘したものである。そして、織田信長の立法に、いっさいの直訴の廃止が盛り込まれたことからも、中世という時代と近世という時代の重要な相違点として、この庭中を位置づけた。

 第二章「公家庭中の成立と奉行-中世公家訴訟制に関する基礎的考察-」では、公家の庭中に注目した。これについては、通常の法廷・文殿対決・雑訴沙汰の下級審などと、論者によって異なる見解が示されてきた。それは、一つには庭中が幕府で形成された制度であるにも拘わらず、幕府庭中の検討を経ずになされたことにも起因するが、基本的には、現存史料を必ずしも十分に理解していないが故の誤解による方が大きかったともいえる。本章では前章をふまえ、それが幕府と同様に、奉行を越えた直訴であったこと、庭中言上状なる文書も使われたが、本来的には、口頭による訴訟であることを指摘した。そして、むしろ公家政権においては、庭中が公家訴訟制の中で異様なほどの発展を見せ、〈治天の君〉と訴人との間が異様なまでに接近してくるという現象に注目し、鎌倉後期の公家政権における雑訴の興行が、この庭中によって支えられていたことを明らかにした。

 また、第三章「訴状与訴状者背武家之法候」は、一・二章であつかった庭中について補足を施したもの。以上のような庭中の規定については、庭中は直訴であったとしても、その提起が容認される要件として、手続上の過誤の存在が考えられていたと理解する余地もあるのでは、というような批判があった。これに対して、もちろんそう考えることはできるが、それでは庭中の本質を見誤ってしまうこと、ひいては、庭中という訴訟制度を通じて中世という時代を考える道をふさいでしまうことを指摘した。具体的には、六波羅関係、及び公家関係の庭中言上状を子細に検討し、その結果、庭中の提起は、なにを提起するのか(手続上の過誤なども含め)によって庭中という方法が採られるのではなく、あくまでも、どう訴えるのか、という訴え方によって通常の訴訟提起と異なっていたことを確認し、ひいては、庭中がきわめてきな臭い政治的な所産としてもあり得たことなどにも言及した。

 第四章「中世前期の病者と救済-非人に関する一試論-」は、中世に独特の身分である〈非人〉に着目した。先行研究には、相対立するいくつかの見解があり、まとまってはいない。そこで、再度、中世の〈非人〉の実態を検討してみたものである。〈非人〉の中に多くの病者が含まれていたことは周知のことであるが、まずは、その再検討を行った。その際、医学史の成果、仏教的病観などもふまえ、これまで葬送に従事していたとされてきた〈非人〉集団の中に、むしろ葬送の対象となった病者が相当数含まれていたこと、それ故〈非人〉集団全体を職能を持つ集団としてとらえることが難しいことを指摘した。その上で、なぜ中世という時代に〈非人〉が特徴的に存在したのか、という問を発し、やはり、中世に独特な文書様式である起請文に注目した。これは、近世にも大量に作成されたが、むしろその生命は戦国期に「死」を迎えていたことが指摘されている。そして、病が前世あるいは現世における〈罪〉に対する宗教的な罰であったこと、この世の獄である検非違使が、まさに地獄の閻魔の庁と同様に認識され、検非違使の獄周辺で、〈非人〉がまず呼称として現れ、それが拡大されて病者なども〈非人〉視されるようになること、などをふまえ、起請文の思想こそが、中世独特の身分である〈非人〉を出現させたものであり、一種の蔑視と裏腹に、宗教者による慈善救済としても機能していたことを指摘した。

 以上第一部では、中世社会の特質について、訴訟・身分といった制度の点、あるいは政治的な動向といった点においてさえ、中世人独特の心性に着目することで、より具体的な展望がえられることを指摘した。

 以上は、主に歴史学としてはオーソドックスな文献史料をもとにして組み上げた議論であるが、第二部「遺物・遺品と中世的社会」では、むしろ文献そのものではなく、たとえば古文書でさえ、モノ史料として扱っていく可能性を探ったものである。

 第一章「花押が語る足利直冬」は、古文書に書かれた文字よりも、むしろそこに直冬本人が書き込んだ花押の変遷から、その心意、また、彼をめぐる政治的動向を読み解こうとした。具体的には直冬の花押を編年で整理し、かつ、彼が発給した文書様式の変化も視野に入れて検討した。直冬の花押については、先行研究があり、彼の花押の変化は、南朝か北朝かといった点で変化した、と指摘するものの、子細に検討すると、これが成立しないことは明らかである。結論を示せば、彼の花押の変化は、まずは、義理の父である足利直義の花押の変化と対応し、直義の死去のあとは、実の父でありながら「宿敵」の関係にあった足利尊氏(直義の兄)との対立関係から花押が変わったことが明らかになる。それに、発給文書様式を加味すると、彼を取り巻く政治的状況・ひいては彼の心意がはっきりと見えてくる。これまで『太平記』などの限られた文献によってしかわからなかった断片的な直冬像が、花押の精査によってはっきりと浮かび上がることを指摘した。

 第二章「中世の食器-〈かわらけ〉ノート-」は、考古学的成果をふまえて、文献・民俗学的データでそれを補強していこうとする試みである。中世の都市遺跡を発掘して大量に出土するのが〈かわらけ〉である。考古学的成果によれば、平安時代、土器生産に関しては、様々な技術革新があったにもかかわらず、もう一方で、制作技術の簡略化の流れがあった。革新的な土器がいわゆる地方で使用されていたのに対し、簡略化された安価な土器が使用されたのが都市的空間であり、それこそが〈かわらけ〉であった。こうしたことから、考古学研究者の中には、〈かわらけ〉が使い捨ての食器であったことを指摘する場合があった。本章はそうした指摘を受けたもので、〈かわらけ〉の大量消費が、安価であるだけではなく、より積極的な意味をもって使用されていたのではないかと考えた。まず、近世の民俗から、〈かわらけ〉は、男性の性病をいやしてくれる貴重な供物でもあり、女性の性器の象徴でもあったことがわかる。この点で中世にさかのぼると、妊婦の出産に際して、多くの〈かわらけ〉が割られるかわらけ破りの民俗がり、古代においても、土器は母胎そのものとしての意識され、それが中世では〈かわらけ〉にもその意味が含まれたと考えられる。その意味で、中世の〈かわらけ〉には、神秘的・呪術的側面が付随していた。それ故神事などでも、〈かわらけ〉があくまでも用いられるのだが、では、一般都市民ではどうかというと、絵画史料や文学史料によると、酒席において用いられるのが〈かわらけ〉であった。そして、一度だけの使用で廃棄されるものだったことになる。そこには、やはり、酒席には神仏が関わるという中世人の心意が反映されていたとも考えられる。そして近世になると、その消費は大きく減少する。こうしたことから、饗宴などには未使用の〈かわらけ〉を用いなければならないとした、中世人独特の心意の一端を明らかにした。

 ついで第三章「絵画史料と〈職人〉-絵巻物に描かれた土器造り-」は、前章で取り上げた〈かわらけ〉製造販売〈職人〉たる土器造りに焦点を当て、それを絵画史料から分析しようとしたものであり、また、絵巻物をはじめとした絵画の史料としての特質を考察したものである。特に、絵画に描かれた姿が、時世粧を表すといえるのか、という根本的な問いかけに対する可能性を示そうとした。まずは、土器造りが描かれた絵巻物四点について検討した結果、三点について、それらがいずれも絵画の主要なモチーフとは関係なく、また騒々しさ、賑わいを演出ために描き込まれていること、それらが全くの切り張り的な描かれ方ではないことから、当時、街を歩いていた土器造りのイメージを活写したものと考えた。残る一点については、他の三点とは全く逆に、主要なモチーフに参加し、暗く沈んだ雰囲気で表現されていることから、これは、むしろ通常の土器造り描写を逆手にとって、モチーフである処刑という場面をより効果的に表現しようとしたものと評価した。そうであれば、絵師がこうした表現効果を期待できた背景として、やはり街を歩いていた騒々しい土器造りが実在しなくてはならない。これらのことから、絵巻物に描かれた土器造り図像は、後の切り張り的な土器造り図像とは異なり、時世粧を反映しているものと考えた。中世の絵画史料の特質として、こうした〈職人〉が、小道具として登場すること、そして、小道具としてどのような表現効果が期待されたのかを探ることにより、中世の〈職人〉群像がより鮮明に浮き上がってくる可能性を示唆した。

 終章「法螺をふく-若干の展望にかえて-」は、現代ではおよそ芳しからぬ表現である〈ほらを吹く〉ということばのルーツを探ることから、中世における〈法螺吹き〉の実態、ひいては、この言葉がマイナスイメージ持つようになった時代との相違を明らかにし、結論的には、中世という時代の終焉を探ろうとした。中世における〈法螺吹き〉の機能として、次の三つのものを抽出した。第一に、諸天善神歓喜せん、というもので、法螺を吹くことにより、祭礼などの場に護法善神を呼び集める機能を持っていた。より日常的にも、寺院などは、法螺の音が絶えないことがその繁栄のあかしとみられていた。第二に、罪障消滅の機能である。これも、第一の機能の延長上にあり、犯罪が発生した場合などに法螺を吹くことによって、犯罪によって発生した穢などを浄化させ、秩序の復活を行ったものと考えられる。第三には、仏敵降伏の機能であり、それをもつものにとってきわめて強力な武器となる機能であった。たとえば、山臥の修行に際して、霧や猛獣を撃退する〈武器〉としての法螺は、あるいは大衆蜂起に際しても吹き鳴らされ、きわめて攻撃的な意味も含んでいた。そしてこうした呪術的な〈武器〉をもった山臥は、その呪術力を背景に棟別銭や初穂料などの金品を集めていた。つまり、中世社会においては、現実的に社会の中で機能する形で〈法螺吹き〉が行われていたのである。いわばまじめな〈法螺吹き〉の時代でもあった。ところが戦国期になると、虚実のことをほらとした事例もみられるようになるのであり、明らかにこのころに価値観の大きな変動があったとみなければならない。呪術的威力はそれが大きければ大きいほど、呪術を受け入れない人々にとっては虚構にすぎなくなるからである。

 本研究の中でもみた、庭中を生み出した口頭の世界の前提にある言霊の存在、起請文の思想を支えた神罰・仏罰、〈かわらけ〉のもつ神秘的側面、いずれにしても、こうした呪術的な力がたしかに中世には実在していた。それが、戦国期に音を立てて崩れていったことを、この〈法螺吹き〉の歴史が明確に語っていると考えた。

審査要旨

 日本の中世を探る歴史研究の方法は、近年になって幅を広げてきており、その素材も絵画史料や文学史料、考古学の遺物や遺跡にまで拡大されてきている。そうした研究を積極的に推し進めてきた論者の成果が本論文である。

 全体は二部からなる。序章では「中世の樹の上で」と題して、樹木の上に人を葬る葬送の在り方から、中世の人々の他界と再生への思惟を探っている。

 第一部は「訴訟・身分と中世的社会」と題して、直訴という訴訟の在り方や病人の在り方から、中世の社会の存在形態を探っている。まず鎌倉幕府の訴訟の一つである庭中に注目し、それは奉行人が訴訟を取り次がない過誤を救済する手段であったとする説を批判して、直訴にこそ本質があることを指摘する。続いて、公家においても庭中訴訟が幕府に倣って置かれたことに注目し、公家の訴訟制度の展開のなかで、いかに直訴を本質とする庭中が整備されてきたのかを明らかにし、中世の裁判の特質を指摘している。

 この二つの論考が発表されて以後、中世の訴訟制度の研究はこれの影響を受けて、多くの研究が生まれるところとなった。

 第二部の「遺物・遺品と中世的社会」は、足利直冬の文書に捺された花押、発掘された食器、描かれた土器造り、歌に詠まれた法螺貝などの、遺物や遺品の在り方から中世社会の特質を探ったものである。それぞれに見落とされていたモノ史料に新たな光を当てて、中世の社会に生きてゆく人々の生活を探り当てている。

 これらの論考は遺物・遺品から社会を考えようという研究に大きな手掛かりをあたえることになり、歴史学と周辺の学問との橋渡しを行う役割も果たす所となっている。

 こうして本論文は、訴訟制度における法の整備の意味を鋭く問うた点、中世社会の微細な部分にこだわりつつ、そこからうかがえる人々の考えや生活の様相を明らかにした点、モノ史料の分析方法に一石を投じた点などにおいて、従来にはない研究を展開しており、高く評価されるものである。

 ただ全体の構成がややもすれば体系性を欠き、個々の論点でも詰めきれていない部分が散見するが、日本の中世社会を探ってゆく重要な視点を提示し、新たな方向への基礎を築いた点において、審査委員会は博士(文学)論文に相応しいものと判断した。

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