学位論文要旨



No 214216
著者(漢字) 富樫,幸一
著者(英字)
著者(カナ) トガシ,コウイチ
標題(和) 基礎素材産業の立地変動に関する地理学的研究
標題(洋)
報告番号 214216
報告番号 乙14216
学位授与日 1999.03.15
学位種別 論文博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 第14216号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 松原,宏
 東京大学 教授 米倉,伸之
 東京大学 教授 谷内,達
 東京大学 教授 荒井,良雄
 東京大学 助教授 永田,淳嗣
内容要旨

 本論文においては,大きな変動を経験している現代経済のなかにおいて,地域的な不均等や地域問題を引き起こしている産業のリストラクチャリングを地理学の中において扱うための理論的な枠組みを提起するとともに,日本の石油化学産業とアルミニウム製錬工業を対象とした実証研究によって現状分析の結果を示し,かつこの理論的な枠組みの有効性を検証することを目的としている.

 第1章では,リストラクチャリングの過程が,国民経済及び世界経済のマクロ経済変化と,産業諸部門間での変化,さらに国家的・地域的な政策介入によって構成されるというフレームワークを提示する.特に日本産業の良好なパフォーマンスや独特な産業調整のプロセスを解明するために,企業行動と産業組織,産業政策との密接な関係において,立地変動と地域問題を分析することの必要性を既存研究の方法との対比で説明する.

 日本工業においては,第一次石油危機以来,いくつかの産業,特に労働集約型産業や基礎素材産業においては産業的な危機が発生し,生産と企業構造の再編成がしばしば産業調整政策に導かれて行われた.同時に,不況地域に対する地域政策が,失業者や関連下請業者,地域経済のために計画された.しかし,大企業の合理化計画を変更させることや地域経済を活性化することは非常に困難であった.

 日本の多国籍企業は,円高や貿易摩擦に直面して,海外直接投資を増加させてきており,国際的な生産と市場のネットワークを構築している.国内の事業所を研究開発や高付加価値製品の国際的な拠点にするとともに,標準製品においては雇用と工場数を減少させているように,両極分化が起こっている.グローバルなダイナミズムに適応する柔軟性と地域社会のサステナビリティを保持するためには,地域的な産業政策が必要となっている.

 第2章においては,前章で概括した1960年代以降の産業地理学の諸潮流について,それぞれの成果と課題を詳細に検討する.

 まず,行動論的な立地論とその問題点,企業論的な研究と地域問題との関係を取り上げる.新古典派経済学は最適行動,完全情報などを前提とし,新古典派立地論も同様の立場に立っているが,現実の企業行動,立地行動は多様な目標,戦略,不完全情報,不確実な環境のなかで行われていることを明らかにする必要がある.しかし,企業の立地行動を一般的なミクロの経営論的な視角からみる方法では,構造的・特殊的な分析を欠いている.企業論的視角をもった欧米の研究は,行動論的な方法自体よりも現実の地域問題の実証分析に焦点を当てている.地域経済の構成要素を区分して雇用変化を把握した分析や,地域経済の外部支配をめぐる諸問題の指摘は,地域政策的な関心と結びついている.この意味では現代資本主義の構造的な再編とともに進んだ産業立地と地域問題へのアプローチとして評価される.

 イギリスにおいてMasseyらによって主張された「構造アプローチ」は,イギリス資本主義の危機と再編成という構造との関連において,地域的分業体系が地域的部門特化から階層的な立地体系へと再編されたことを明らかにしている.これと日本の地域構造論の方法論を比較すると,歴史的・構造的な分析を重視する点では共通するが,構造アプローチは原論的な方法に対しては抽象的であるとして消極的なのに対して,日本の経済地理学は資本主義論と立地論,現状分析を結び付ける点で異なっている.

 第3章では,先進資本主義国の間での比較分析の必要性を引き継いで,特に基礎素材産業の立地と産業調整にともなう変動に関する内外の諸研究の展望を行い,第4〜6章における実証分析の諸前提を明らかにする.まず第一に,地域構造論が解明した日本の高度成長期の産業立地は,国際的な比較からはどのような特徴を持っているといえるのか,第二に高度成長から低成長への転換にともなって,産業立地はどのように変化したのかという問題をとりあげ,これらを本研究を含めた諸研究によって展望を行う.

 高度成長期の基礎素材産業の立地の論理は地域構造論によって基本的にはあたえられている.しかし,市場分割型立地の体系は,それ自体日本の産業組織と産業政策の特徴の結果でもあることに対する認識が不十分である.西欧の鉄鋼,化学工業に関する研究と比較すると,組織・政策の違いから必ずしも日本のような立地体系は形成されていない.

 第二点については,鉄鋼,造船,繊維などの構造不況産業の立地動向に関する諸研究がある.鉄鋼,石油化学では,企業内の地域市場分割的な立地体系が,設備処理による生産の集約化にともなって再編され,企業内製品分担的な立地体系へと変化してきている.また,構造改善政策自体も,企業の個別対応を基調とした欧米とは異なり,不況カルテルと企業間でのグループ化を通じて進められていることがわかる.

 第4章と第5章では,日本の石油化学産業を事例として,構造不況と構造改善計画の下における立地変動の機構と,高付加価値製品への転換等の地域的な結果を扱っている.

 第4章では,石油化学産業では高度成長期における積極的な設備投資行動の結果,太平洋岸ベルト地帯へのコンビナートの集中と市場分割的な立地体系が形成されたことを確認する.この立地体系は,構造不況後の構造改善計画を通じた設備処理にともなって,古い小規模なコンビナートから,関東のより新しい大規模なコンビナートへの集中が進められたことによって再編された.企業内の地域市場分割型の立地体系は後退し,また縮小コンビナートへの高付加価値製品の導入が進められたため,企業内での工場間製品間の分業関係へと変化している.一方,寡占間競争がカルテル,共販会社の設立によって協調的なものへと再編されるとともに,企業間で輸送体系を効率化するために地域市場を交換し,一部では企業間の地域市場分割が行われるようになっている.

 第5章では,構造不況からの回復のプロセスと新規部門への転換などの全国的な展開と,個別地域を例にとった不況地域問題の実証,および関連した自治体政策の問題をとりあげる.全国的な加工型化学工業の成長は首都圏を中心とした傾向をみせた.高付加価値部門への転換等の状況を新居浜コンビナートについて紹介し,その理由を雇用の確保,資産の有効活用,関連製品の展開,高付加価値製品であることから地方工場でも特に輸送が問題とならない点等にもとめる.しかし,新規採用の抑制から配転・出向,退職者募集などによって従業者数は減少し,新規部門の投入もその小規模性や既存人員の職域拡大によったため,増加に転じるのは容易ではなかった.

 コンビナートをめぐる地域政策も,拠点開発政策から公害対策,そして不況地域対策へと転換してきた.雇用・中小企業対策が推進されているが,雇用のミスマッチや大企業依存からの脱却などの問題がみられる.自治体は高付加価値部門への転換に期待をかけているが,大企業の行動と地域の側からの働きかけの間の調整は困難であった.また,自治体によるインフラストラクチャーの整備計画の見直しが遅れ,未利用の工業用水道が発生していることを,四日市コンビナートを事例として明らかにする.

 第6章では,高度経済成長期におけるアルミニウム製錬工業の新工場立地の展開と地域開発政策との諸関係,および構造不況期における工場の縮小・閉鎖の動向とそれにともなう地域問題を明らかにする.1960年以降,需要の急成長と新規参入企業の登場のなかでアルミニウム製錬工業は急成長をとげた.新工場の立地は,60年代前半は「エネルギー革命」下で石油火力発電を利用して大都市圏臨海部に向かった.しかし,60年代後半以降の立地は公害問題による立地困難と地方の中規模臨海工業開発拠点からの誘致とにより,北海道,東北,北陸,北四国等に外縁化した.これらの地域では地域格差の拡大のなかで太平洋岸ベルト地帯にならって重化学工業化による地域開発をめざして,新産業都市指定や道・県の総合開発計画等により,新港湾の建設,臨海工業地帯の造成を進め,アルミニウム製錬工業の誘致がはかられた.これらの地方開発拠点では,公害問題による反対を押し切って立地を実現させたものの,装置型産業の製練工業のみでは雇用規模は小さく,開発効果をあげるためには関連加工業の立地が必要であった.

 1973年,79年の「石油危機」による原油価格の上昇と円高の進行は国内製錬業の国際競争力を喪失させ,国内の生産設備の凍結・廃棄による縮小と海外立地の推進とをもたらした.この設備削減による工場の縮小・閉鎖は,自家水力発電,石炭火力発電を利用する電力費用の低い工場の残存と,石油火力,購入電力による場合はより生産性の高い新しい電解設備を持つ工場への集中というかたちで進んだが,最終的には水力自家発電を持った1つの小規模工場のみを国内に残す結果となった.

審査要旨

 産業の立地と地域経済の課題については、これまで地理学では立地論がさまざまな研究成果を蓄積してきた。しかしながら、それらの多くは、成長産業の新規工場立地を中心にとりあげたもので、産業の衰退局面でいかなる再編がなされ、それがどのような空間的特質をもって現れるかといった研究は、十分にはなされてこなかった。近年の日本では、産業のリストラクチャリングによって、海外への生産拠点の展開と国内工場群の再編が進み、地域に深刻な影響が現れてきている。本研究は、石油危機を境に構造的な再編成を経験した日本の石油化学工業とアルミニウム製錬工業をとりあげ、その立地変動と地域への影響を詳細に分析したものである。

 本論文は、第1章から第3章にかけての既往研究の批判的検討の部分と、第4章から第6章にかけての実証研究の部分とに大きく分けることができる。

 第1章では、国際環境の変化の下での産業のリストラクチャリングに対する地理学的研究の枠組みを提示し、第2章では、既存の産業立地研究を批判的に検討している。続く第3章では、基礎素材産業に関する内外の研究成果が検討されており、4章以降の実証研究への橋渡し的な役割をなしている。

 第4章以下の実証研究においては、日本の石油化学工業とアルミニウム製錬工業を対象として、高度経済成長期に形成された工場群が、石油危機以降の構造不況の中でどのように縮小再編されてきたか、そうした再編が地域経済にいかなる影響を及ぼしたかが問題にされている。

 第4章ではまず、石油危機後の構造不況期における石油化学工業の立地選択的な設備処理プロセスが、詳細に検討されている。生産面では、瀬戸内沿岸の比較的古く小規模なコンビナートが設備削減の対象とされ、東京湾岸のより新しい大規模なコンビナートへの集中が進められたことが示されている。また流通面では、カルテルや共販会社の設立によって、従来の系列ごとに錯綜していた輸送体系が効率化されるなど、協調的な再編の実態が明らかにされている。

 続く第5章では、愛媛県の新居浜市を対象地域にとりあげ、石油化学工業の設備処理が地域経済にいかなる影響を与えたかが分析されている。エチレンプラントの廃止といった大幅な設備処理がなされた新居浜では、従業員の減少、関連中小企業の受注量の削減、地方税収の減少など、地域経済への深刻な影響がもたらされたこと、ファインケミカルなどの高付加価値製品への転換がなされてきたものの、新規事業の規模が小さいこともあって、効果が十分には現れていないことが明らかにされている。コンビナートの設備処理はまた、地域の土地利用や水利用の面にも影響を与えたが、ここでは三重県四日市のコンビナートをめぐる工業用水の過剰問題が論じられている。

 また第6章では、アルミニウム製錬工業の高度成長期における地方への立地展開と構造不況期における工場閉鎖、地域経済への影響が明らかにされている。

 以上、本論文は、基礎素材産業のリストラクチャリングの空間的特徴および地域経済への影響を、綿密なフィールドワークに基づいて詳細に分析しており、産業の衰退局面における産業立地に関して多くの新しい知見をもたらしている。また本論文は、コンビナートにおける用水の需給不均衡の問題や非計画的な土地利用形態など、自然的・地理的条件を重視した国土利用や国土政策のあり方に対しても重要な示唆を与えている。これにより、本論文は、地理学とくに立地論の発展に対する貢献が大である。

 なお、本論文第2章および第3章の一部の記述において、西岡久雄氏および松橋公治氏との共著論文として書かれたものがそれぞれ使われているが、いずれも論文提出者が主として執筆したもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

 したがって、本論文の提出者富樫幸一は、博士(理学)の学位を授与される資格があるものと認める。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/51111