学位論文要旨



No 214218
著者(漢字) 谷本,雅之
著者(英字)
著者(カナ) タニモト,マサユキ
標題(和) 日本における在来的経済発展と織物業 : 市場経済と家族経済
標題(洋)
報告番号 214218
報告番号 乙14218
学位授与日 1999.03.17
学位種別 論文博士
学位種類 博士(経済学)
学位記番号 第14218号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 武田,晴人
 東京大学 教授 原,朗
 東京大学 教授 馬場,哲
 東京大学 教授 橘川,武郎
 東京大学 教授 岡崎,哲二
内容要旨

 本書は、農村に広範に存在した織物業の展開過程の分析を通じて、19世紀に入る頃から第一次大戦期を経た1920年頃までの間、日本経済は「在来的経済発展」と称されるべき経済発展のパターンを、その発展過程の内に含んでいたことを明らかにすることを課題としている。第I部では、発展型(埼玉県入間地方)、衰退型(富山県新川地方)および再編型(大阪府和泉地方)のタイプの異なる三つの個別生産地域の比較検討を中心に、幕末・明治前期の綿織物業の再編過程の論理が明らかにされる。第II部では、第I部の検討を受けて、入間地方をフィールドに、明治中期〜大正期における「問屋制家内工業」経営の固有の構造と展開の論理が検討されている。

 その作業によって明らかとなった織物業の展開過程は、以下のようにまとめられる。早くは近世前期から商品生産として展開を始めた綿織物業は、18世紀後半から19世紀初頭にかけて、各地に多様な生産地域の展開をみるようになった。しかし、幕末開港とそれにつづく明治維新の制度改革のもと、綿織物業をとりまく経済環境は大きく変化し、綿織物業は変動を経験することとなる。それは、なによりも各生産地域の動向の差異として現れた。生産を発展させる地域や、新興生産地域の勃興の一方で、開港前には有力な地位にあった生産地域が衰退する事例が少なくない。生産地域の軌跡を分けた直接の要因は、外部環境の変化-市場の拡大と新たな織物原料(輸入綿糸)の登場-への対応力の有無である。それは開港前の流通・生産構造の差異を反映するものでもあった。在地商人の活動力に主導され、輸入綿糸の導入と販路開拓を実現した生産地域は、輸入圧力を吸収する綿布市場の拡大を背景に、在地商人層を基軸とする流通過程に「家内工業」による生産が結びつく形態を維持したまま、1870年代後半のインフレ期にはおしなべて生産拡大の方向を示すこととなるのである。

 それに続く松方デフレとそこからの景気回復期に、在来織物業は新たな展開を示した。在村の織物仲買商の営業転換の形で問屋制家内工業形態の一般化が始まるのが、この1880年代であった。織物市場の急速な縮小とその後のすばやい拡大の中で、問屋制家内工業形態による「家内工業」の組織化は、生産地域間の市場競争に耐え抜くための不可欠の生産組織の位置を占めることとなる。これに地域内集散地の確立、織物集荷圏の整序、金融機関の設立など、地域内の流通構造の緊密化が伴い、また同業者団体も結成されることで、織物生産地域は「縦」「横」両面において組織化された「産地」として、織物国内市場での「産地間競争」に対処することとなった。この「問屋制家内工業」形態を基盤とした「産地間競争」の展開が、日露戦後期における変容-一部産地における力織機化の進展とそれに伴う「集中作業場」形態の一般化-を含みつつ、基本的には1890年代から1920年代に至る時期、紡績会社による兼営織布を除く日本の綿織物・絹綿交織物業の発展の構造をなしていたのである。

 以上の過程は商人、小農家族、そして問屋制をキー・ワードとして把握することができる。幕末・明治前期における織物生産地の盛衰-「再編成」-には、商人活動-特に19世紀に入って活発化した、いわゆる「幕藩制的市場構造」の枠外におけるそれ-がポイントとなっていた。その中では新興集散地問屋の活動の重要性もあげられるが、それにもまして、織物生産地域の内部に存在する在地商人層の活動の意義が注目される。その意義は製品(織物)流通、原料(綿糸)流通双方の局面で指摘することができる。農村内において農家副業として生産された織物は、その発展を促す広範な需要との出会いを、直接にはこれらの商人層の積極的な販路開拓活動を条件として確保していた。他方、「再編期」において生産地域の盛衰に決定的な影響をあたえる輸入綿糸の導入過程でも、在地商人層が主導的な役割を担っていた。開港前の綿糸流通においては、全国的な流通機構は存在しておらず、開港場から織物生産地域への流通は、新たな流通ルートの形成を意味している。そのようなルートが形成されるには、輸入綿糸に関する情報を手にすることができ、かつ織物生産の輸入綿糸導入の意義を認識しうる主体が必要であり、そのような条件を備えているのは在地商人の他には想定しがたい。織物生産の現場である農村から生まれ、そこでの織物生産の展開に直接の利害関係をもつこれら在地商人層こそが、原料・製品市場の形成を担う直接的な主体であった。その活動が、綿織物生産地域をして、輸入綿製品の流入を含む幕末・明治前期の外部環境の大きな変化へ対応することを可能とした。さらに1880年代に本格化する問屋制家内工業形態の出現も、その経営主体の給源は、在村の仲買商を中心としたこれら在地商人層にあったのである。

 他方、織物の生産活動の主たる担い手は、この間、一貫して小農家族であった。小農家族の営む織物生産は、「家内工業」として農家世帯内での労働需要と労働供給の構造的連関の裡に組み込まれている。必要農業労働量と世帯構成員との不整合は、世帯内に燃焼度の低い労働力を発生させるが、その度合いは、必ずしも放出可能な一人分の労働力に一致するとは限らない。季節的な労働需要の変動も、恒常的な過剰労働力の発生には制約となるものであろう。また、家事労働にみられるような、非定型の世帯内労働需要の存在は、過剰労働力が世帯内に存在したとしても、それを定型的、定量的な労働需要に振り向けることを、ロスの大きいものにしていると考えられる。このような制約下にあって、世帯内での労働需要を調整しているのが、特に女子による世帯内での"多就業"であった。「家内工業」は、その就業形態の特色-労働力支出の空間的、時間的な拘束の弱さからくる可変性-から、この"多就業"が必然化せざるをえない労働力に適合的なものであったと考えられる。農家世帯は「家内工業」を、その固有の就業形態故にその就業構造の中に組込んでいたのであり、そのことによって、農家世帯は、より効率的な世帯内労働力の配分と動員を計っていたと考えることができる。「家内工業」への就業は、農家世帯自身の再生産「戦略」の一環と捉えられる。

 1880年代以降、織物生産の発展を担うこととなる「問屋制家内工業」経営は、この在地商人と小農家族の結合によって成立した形態であった。準備工程を問屋制経営が自らの裁量のもとで行い、原料糸供給と織物集荷を組み合わせたこの形態は、製品の品質管理や品揃の面で、深化・激化する市場競争へ対応する有力な手段であった。しかし、一方で、問屋制経営は、それまでの買い集めによる集荷形態を基本とする経営のあり方にくらべ、原料在庫をかかえ、かつより大きな販売リスクを背負うこととなった。労働力の調達も労働供給側の事情に規定されており、そのことが在庫負担をさらに膨らませることとなる。原料糸の着服や、製品納期の遅延も、経営にとっては大きな問題であった。問屋制経営はこれらの経営問題の克服の上に展開されていた。財務的な問題については、本書で対象とした滝沢熊吉家の場合は自己資金によっていたが、地方銀行の設立に帰結する地域内での金融機構の形成と整備も、問屋制経営を支える条件となった。また問屋制経営の深化-織物の重量管理や納期管理-が、問屋制経営に固有の賃織「管理」問題の克服に寄与していたことも滝沢家の事例から確かめられる。さらに、そのような「管理」を支えた条件として地域性の問題が論点として浮かび上がってくる。滝沢熊吉家の場合、賃織の分布は、自らの居住する村を中心に広がり、発注量の拡大のなかで、それは地理的な凝集性を強めていた。取引年数からみても、比較的長期の取引関係を形成している。賃織農家が地域に固着する存在であり、それを組織化する滝沢家自身も、そのような地域社会に密着する存在であったことが、問屋制経営の持続的な展開を可能とした条件であったと考えられる。敷衍すれば、日本における問屋制経営の存続・展開は、労働側にとどまらず、経営側も農村に密着した主体であったこと、そしてそのような経営主体が、多くの農村から輩出していた点に支えられていたといえよう。それはまた、原料供給によって資力の乏しい農家にも織物就業の機会を拡大する機能をはたすとともに、製品の需要期と農閑期との時期的なズレを埋め、農家世帯の再生産「戦略」にもとずく就業選択の余地を確保していたのである。近代日本の問屋制家内工業は、問屋制経営と小農家族の双方の経営論理が結合したところに成立し、経営管理の深化と、それを支える地域における社会関係を基盤に、そこで生じる摩擦を処理・克服することによって、展開していたのである。

 この過程は、市場関係の形成とそれにたいする家族経済の対応であり、産業組織としての問屋制形態の経営発展は、その過程の深化のなかに位置づけられるものである。本書では、この「問屋制家内工業」形態の形成に帰結し、かつ、その存続と発展を支える論理を、近代的な工場・企業の成立に帰結する「近代的」な経済発展とは区別される「在来的経済発展」のパターンと結論づけた。このように、複線的な発展過程を捉える視角こそ、近代日本経済の構造的な特色を解明する鍵となるのである。

審査要旨 1

 本論文は、農村に広範に存在した織物業の展開過程の分析を通じて、19世紀に入る頃から第一次大戦期を経た1920年頃までの間、日本経済は「在来的経済発展」と称されるべき経済発展のパターンを、その発展過程の内に含んでいたことを明らかにすることを課題としている。

 この課題を達成するため、著者は、次の3つを分析上の焦点としている。第1は織物業の発展の動力として、零細な生産者と広範な製品・原料流通を結びつける在地の商人の機能に注目すること、第2に、農村織物業の基幹的労働力が農家副業として供給されるそれであることに着目し、小農家族の労働力の配分の戦略との関連で生産過程を論ずること、第3に、農村織物業の生産形態としてなぜ「問屋制家内工業」が採用され持続的な展開を見せたのか、その形成と展開の論理を明らかにすることである。

 あらかじめ、本論文の構成を示すと、以下の通りである。

 序章

 第I部 綿布市場の展開と商人・小農家族

 -幕末・明治前期綿織物業の再編成-

 はじめに

 第1章 綿布市場の展開と生産地域

 第2章 各種木綿生産地域の発展

 第3章 白木綿生産地域の衰退

 第4章 "先進地域"における白木綿生産の"再編"

 第5章 発展要因と衰退要因

 第II部 生産の組織化と家族経済

 -「問屋制家内工業」の論理と構造-

 第6章 問屋制家内工業の経営構造

 第7章 織元-賃織関係の分析

 補論 織物生産の労働力

 終章 総括と展望

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 本論文の要旨は以下の通りである。

 まず、序章では、専ら「マニュファクチュア」や「工場制工業」の形成という視角にとらわれてきた従来の研究が批判的に総括され、一方で「産業革命」や「本格的工業化」と見なされる経済発展が進行するなかで、それとは相対的に独立に、「在来的発展」と称すべき経済発展の過程が存在したという視点から、問屋制家内工業を分析することが明らかにされる。

 第I部第1章では、幕末・明治前期の綿布市場と生産地域が全般的に検討され、所得水準上昇を前提に、輸入綿糸導入による綿布価格の低下と新興集散地問屋と地方新興商人との結合を基盤とする全国的流通網の形成とによって国内市場が拡大していたこと、そのなかで生産地域に盛衰があったことが明らかにされる。

 続く第2章から第4章では、この分析をふまえ、発展型(埼玉県入間地方)、衰退型(富山県新川地方)および再編型(大阪府和泉地方)のタイプの異なる三つの個別生産地域の比較検討を中心に、幕末・明治前期の綿織物業の再編過程の論理が明らかにされ、第5章において、研究史上の論争点である「輸入圧力の問題」について、それが「限定された局面」においてのものにすぎず、生産地域の軌跡を分けた直接の要因は、外部環境の変化-市場の拡大と新たな織物原料(輸入綿糸)の登場-への対応力の有無であったことが主張されている。この対応力は開港前の流通・生産構造の差異を反映するものでもあったが、在地商人の活動力に主導されて輸入綿糸の導入と販路開拓を実現した生産地域では、輸入圧力を吸収する綿布市場の拡大を背景に、在地商人層を基軸とする流通過程に「家内工業」による生産が結びつく形態を維持したまま、1870年代後半のインフレ期におしなべて生産拡大の方向を示した。

 第II部では、第I部の検討を受けて、入間地方をフィールドに、明治中期〜大正期における「問屋制家内工業」経営の固有の構造と展開の論理が検討されている。著者の関心は、前述の分析の焦点に即して、問屋制と家内工業との双方の「内的な展開の論理の結合体として」、あるいは「市場経済と小農家族経済との接点に展開する」ものとして「問屋制家内工業」の論理を分析することにおかれる。

 まず、第6章では中堅的な織元であった滝沢家の分析を通して、原糸供給による出機が、単なる買い集めとは異なり、業者委託で先染めした糸の交付による製品種類や品質の管理など、生産を縦に組織化する意義を有したことが明らかにされる。第7章では織元が中核的な賃織とは長期の密接な関係を維持しつつ、他方で多くの賃織と短期的取引を行って市況の変動に対応していたこと、「原料着服」に対して原料糸と製品綿布の重量管理の導入などで対処したことが明らかにされるとともに、織元-賃織関係における工賃の大きな変動に着目し、労働供給に硬直性があったことを指摘し、その労働供給の硬直性は、文字通りの賃労働と賃織との間に労働市場における大きな仕切りがあったことを示唆する。こうした実証を通じて、著者は1880年代以降における織物市場の急速な縮小とその後のすばやい拡大の中で、問屋制家内工業形態による「家内工業」の組織化が生産地域間の市場競争に耐え抜くための不可欠の生産組織の位置を占めることとなったこと、これに地域内集散地の確立・織物集荷圏の整序・金融機関の設立などの地域内の流通構造の緊密化や同業者団体結成が加わり、織物生産地域は「縦」「横」両面において組織化された「産地」として、織物国内市場での「産地間競争」に対処することとなったと指摘している。

 以上の分析を終章では、商人、小農家族、問屋制をキー・ワードとして以下のように総括する。すなわち、幕末・明治前期における織物生産地の盛衰・「再編成」には、商人活動がポイントとなっていた。とくに、織物生産地域の内部に存在する在地商人層の活動は、製品(織物)流通、原料(綿糸)流通双方の局面で大きな意義を持った。まず、農村内において農家副業として生産された織物は、その発展を促す広範な需要との出会いを、直接にはこれらの商人層の積極的な販路開拓活動を条件として確保していた。他方、「再編期」において生産地域の盛衰に決定的な影響をあたえる輸入綿糸の導入過程でも、在地商人層が主導的な役割を担った。新たな流通ルートとなった開港場から織物生産地域への流通ルートは、輸入綿糸に関する情報を手にすることができ、かつ織物生産にとっての輸入綿糸導入の意義を認識しうる主体としての在地商人の活動に依存した。さらに1880年代に本格化する問屋制家内工業形態の出現も、その経営主体の給源は、在村の仲買商を中心としたこれら在地商人層にあった。

 他方、織物の生産活動の主たる担い手は、この間、一貫して小農家族であった。小農家族の営む織物生産は、「家内工業」として農家世帯内での労働需要と労働供給の構造的連関の裡に組み込まれていた。必要農業労働量と世帯構成員との不整合は、世帯内に燃焼度の低い労働力を発生させ、特に女子による世帯内での「多就業」を発生させた。「家内工業」は労働力支出の空間的、時間的な拘束の弱さによる可変性から、この「多就業」に適合的であった。そのため、農家世帯はそれを就業構造の中に組込み、より効率的な世帯内労働力の配分と動員を計り、農家世帯自身の再生産「戦略」の一環としていた。

 1880年代以降、織物生産の発展を担うこととなる「問屋制家内工業」経営は、この在地商人と小農家族の結合によって成立した形態であった。近代日本の問屋制家内工業は、この双方の経営論理が結合したところに成立し、経営管理の深化と、それを支える地域における社会関係を基盤に展開していた。以上が、「近代的な経済発展」とは区別されるものとして、本論文が主張する「在来的経済発展」の論理である。

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 本論文の第1の貢献は、これまで本格的な研究が手薄であった問屋制家内工業を、織元-賃織関係と賃織農家の就業構造の両面に即して解明したことであり、これほど長い期間にわたって詳細な分析を行った研究は他に例を見ることのできないものである。それ故、本論文の実証面での貢献をすべて紹介することはとうていできないが、若干の例を挙げれば、第I部において洋糸商の売買帳簿を分析して、洋糸導入における地元商人の主導性を裏付けたこと、第II部において生産地域における農家世帯員の織物業との関わりを検討するため、農家世帯員の就業構造を具体的に検討したことなどがある。これらの綿密な実証分析は、その1つ1つの成果を取り上げてみても研究史に残る画期的なものである。

 第2は、その実証研究のなかから小農家族が、農業を中心に、それと抵触しない範囲で家事や余業を組み込んで、可能な限り農家内で労働力の完全燃焼を図るという「世帯内労働力の配分戦略」を実行しており、それが可能であれば、たとえ条件がよくても外部に家族成員が雇用労働者として分離することはないという「仕切られた」労働市場が存在したという仮説を提示したことである。工賃の大きな変動から導き出されたこの仮説は、本論文の分析成果として、今後、農業史研究などでも議論の焦点の1つとなるであろう。

 第3は、そしてこれが最も重要な点であるが、本論文が「近代的」な経済発展とは区別される「在来的経済発展」という概念を提起したことである。これについては、「『在来的経済発展』概念は、今後、近代経済史をめぐる重要な論点になっていくものと考えられる」(高村直助による書評『史学雑誌』107-12、1998年)、「近代日本の経済発展パターンに関する諸学説に対する野心に満ちたチャレンジである。産業経営史と家族史・農業経営の研究を有機的に結びつつけるという著者のユニークな着想が新しいグランドセオリーを生み出した」(宮本又郎による書評『市場史研究』18号、1998年)などと評価されていることとからも、その画期性は明らかであろう。

 もちろん、本論文にも問題点がないわけではない。その1つは、「在来的経済発展」ないしは「問屋制家内工業」に内在する論理は、国際的な比較の視点から見てどのような位置を与えられるのか、それは日本独自のものなのか、あるいはより一般的に論じうる可能性を秘めているものなのか、である。この点について著者は多くを語っていない。また、「在来的経済発展」と「本格的工業化」あるいは「産業革命」との関係についても、十分な論及はない。近代日本の経済発展についての全体像の提示が著者に求められよう。さらに、「仕切られた」労働市場の前提とされる農業本位の労働力配分の「戦略」は、彼らの行動が貨幣所得の増大ではなく、農業経営の安定的な維持を目的としていたことを前提として初めて成り立つものであるが、その点は実証面では確認することはできない。

 以上のような問題点があるとはいえ、本論文が綿織物業における問屋制家内工業の発展過程の歴史的分析を通して、実証的にも理論的にも、これまでの研究を越える新たな知見をもたらし、日本経済史研究の発展に貢献したことは、疑問の余地がない。従って、審査委員会は、全員一致で、谷本雅之氏が博士(経済学)の学位を授与されるに値するとの結論を得た。

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