社会経済政策の立案過程において、何故その政策を行うのかを客観的に議論するための最も有効な方法は、社会経済構造を単純化・抽象化したモデルを作成し、政策の影響分析を行うことである。都市や地域を対象とした政策分析においては、地域システムの様々な側面を記述した「地域モデル」の作成が必要不可欠であり、これまでも、人口移動・地価変動・土地利用変化等の地域の現象を合理的・定量的に記述するための様々なモデルが提案されてきた。 何故その政策を行うのかを客観的に議論するためのモデル分析においては、当然のことながら、何故そのモデルを用いるのか、何故そのモデル同定手法を用いるのかが明らかにされなければならならない。モデルは仮説から演繹された理論を具現したものであるが、それらがすべて受容可能となるわけではなく、実データを用いた実証あるいは反証によって、モデルとその前提となる仮説の妥当性が検証された上で、政策分析に用いられることとなる。そのためには、特定の関数形によって記述した理論モデルになんらかの誤差項を仮定したうえで統計モデルとして記述し、モデルの同定、すなわちパラメータの推定・検定を行う必要がある。しかし、統計モデルにおける仮定は、データの取得に関して極めて理想的な状況を想定したものであり、実際にはその仮定が満足されないことの方が多いのも事実である。地域を対象としたモデル分析もその例外ではなく、ある種のデータは市町村単位で集計されたものしか存在せず、データの存在領域は一般に限定的であり、あるいはデータそのものが存在しないなど、データの利用可能性に関して様々な制約が存在する。近年、GIS(地理情報システム)によってデータの追加・作成は格段に容易になっており、それらの制約条件は緩和される傾向にあるとも言える。しかし、必ずしもGISの普及によって統計モデルが仮定する理想的状況が実現するものではなく、むしろ、これまで利用ができなかった場面においてもデータが利用可能となることで、新たにこのような問題に直面する機会が生まれているとも考えられる。統計モデルが前提としている理想的な状態が実現するまでデータの追加・削除を行い続けることは非現実的であり、合理的な方法によってある種の妥協・折衷を探ることが必要となる。 特に近年、プロジェクトの優先順位決定についての客観的基準の確立並びに決定過程における透明性の確保がこれまで以上に厳しく問われるようになり、社会資本整備においても費用便益分析の重要性が再認識されている。そして、各種事業に応じた分析マニュアルの作成が進められており、そこでは地域モデルが果たす役割がこれまで以上に大きくなると考えられる。その場合、通常のいわゆるマクロ計量モデル等に共通した統計学的な問題と同時に、地域という空間的な広がりを持った対象を扱うことに起因した特有のあるいは頻発する問題に対して適切な処置を施すことが必要となる。これらの問題についてはこれまでも統計学あるいはその応用分野である計量経済学等多くの関連分野において様々な対処法が提案されてきたが、空間概念に起因する統計学的な問題に関する取り組みが、地理学あるいは空間統計学・空間計量経済学等の名で呼ばれる分野において本格的に行われるようになってきたのは比較的最近のことである。ところが、研究の蓄積が進めば進むほどそれらをよほど熟知した者でなければ各手法の相互関係を理解することが困難となっている。しかも、これらの膨大な研究蓄積についての多くのレビュー論文も、網羅性に重点が置かれるあまり、必ずしも明解な全体の見通しを提供してくれるものとは言い難い。従って、それらの既存研究をある統一的な視点から体系的にレビューし、その相互関係を明確にすることの意義は決して小さくないと考える。 ところで、モデル分析といえども計量の意義は将来予測それ自体にあるのではなく、いわゆるシナリオライティングを補助するための情報提供にあると考えられる。しかしながら、一方で、政策の是非をめぐる判断においては、最終的な計量の結果そのものが非常に大きな意味を持つことも否定し得ない。そのため、様々なモデル同定手法を実際のモデルに適用し、手法の選択がどの程度異なる結果をもたらすことになるのかは、工学的応用の観点からは非常に重要な問題である。 このような背景のもと、本論文では、地域モデルの適用において問題となる統計学的な諸課題のうち、パラメータの推定問題に関する改善手法について、その手法のレビューと実際のデータを用いた実証比較を行う。 第1章では、上述の内容を含む本論文の背景並びに目的について詳述している。 第2章では、本論文における研究の方法論を明確にするために、何ゆえの地域モデルでありモデル分析であるのかについて、その基本的立場を明らかにする。本論文では、地域モデルといいながらも実際には地域を対象とした回帰モデルという最も単純かつ一般的なモデルのパラメータ推定問題を扱っている。それは、地域分析が対象とする複雑な社会システムの現象を一次近似して回帰分析を行うことの意義を否定し得るに足るだけの理論モデルが、少なくとも現時点において存在しない以上、回帰分析の意義は決して小さくないと考えるからである。無論、回帰モデルに限定しても、連立方程式系のモデルを考えることは重要である。しかし、連立方程式体系のパラメータ推定においては、計量経済学の分野においてよく知られているように、単一方程式体系とは大きく異なる特有の統計学的問題が生じる。連立方程式体系の問題を本論文で扱う統計学的な課題の中で同時に扱うことは、却って本研究の意図を不明確にする可能性が大きく、もとより、筆者の能力を超える。そこで、本論文が研究の対象とする範囲について本章で説明している。そして、地域を対象とする際にしばしば直面する回帰モデルのパラメータ推定上の問題点として、説明変数間が相関を持つ多重共線性と誤差項の特定化に関わる分散不均一性・系列相関の問題について説明を行っている。 第3章では、本論文において既存研究を体系的にレビューする視点として導入する「逆解析」について説明を行う。逆解析あるいは逆問題は、ここ数年、力学や地球物理学・医用工学の分野を中心に数理科学の分野全般で耳にする言葉である。我々が取り扱う問題の多くは、解の存在性や一意性、連続性(安定性)といった、問題を解くうえで数学的に望ましい性質を満足しない「非適切」と呼ばれる状況にしばしば直面するため、これまで各々の学問分野において適切化の手法が提案され、適用が試みられてきた。これらは、往々にして異なる研究者により提案され、異なる名称で呼ばれている。しかし、我々が分野を超えて直面する非適切性も、数学的には同一の形式に帰着するものが多く、一見違って見える適切化も、結局のところ同じことをしている場合が少なくない。あるいは逆に、もともとは同じ手法が分野の特性に応じて改良され、新たな知見を生み出している場合もある。逆解析は新たな学問分野というより、これら細分化された既存の学問分野を横断的に眺めることにより、各分野における様々な手法に統一的な理解を与えようとするものである。第3章では地域分析における逆解析研究の意義についての述べるとともに、第4章以降の議論に必要となる代表的な逆解析手法を説明している。ところで、非適切逆問題における適切化手法の中で解の不安定性に対する適切化は、観測データに関する条件からなる問題に対し他の条件を加える等の変更を行い元の条件と追加された条件等とのバランスを取って解を見つけるという意味で、特に「折衷」と呼ばれる。これまで、折衷手法における折衷パラメータの同定に関するレビューは皆無と言えるため、第3章ではこれらに関する既存研究についても整理を行っている。 第4章では、回帰モデルの説明変数間が相関を持つため、パラメータの推定結果が不安定になる多重共線性の問題を扱っている。具体的には、社会経済分析において多重共線性に対する適切化手法として用いられることの多い主成分回帰とリッジ回帰を取り上げ、逆解析という枠組みの中でその位置づけを整理している。また、これらの適切化手法の適用において独自に研究された折衷パラメータの選択手法についても本章で整理を行っている。最後に、公示地価データを用いた回帰モデルに主成分回帰とリッジ回帰を適用し、それらが推定結果や予測精度にどの程度影響を及ぼすかについて考察している。 第5章では、回帰モデルの誤差項が通常の仮定から違背している、すなわち分散不均一性並びに系列相関が生じている可能性が高い場合におけるパラメータの推定手法を扱っている。誤差項に不均一分散や系列相関が生じる場合、その構造が既知であることは稀であるため、それを何らかの方法に基づき推定する必要が生じる。しかし、誤差項の分散共分散行列の全要素を未知とすると、未知パラメータの数が観測データの数より多く解が無数に存在する不適切問題となる。そこで、それを何らかの方法に基づき適切化する必要が生じる。その種の適切化手法に関しては、時系列を中心とした統計・情報理論を中心に多くの研究が行われ、さらに地理学や空間計量経済学の分野において時系列モデルのアナロジーから発展した独自の研究も少なくない。本章では、これらの手法についてレビューしている。そして、前章同様、公示地価データを用いた回帰モデルにこれらの適切化手法を適用し、分析結果にどのような影響を与えるかについて実証的に考察している。 最後に、第6章では、本研究の成果を総括し、今後の研究課題についてその方向性とともに論じている。 |