学位論文要旨



No 214228
著者(漢字) 松田,妙子
著者(英字)
著者(カナ) マツダ,タエコ
標題(和) 日本近代住宅の社会史的研究 : 中流住宅の発展と子供部屋を中心に
標題(洋)
報告番号 214228
報告番号 乙14228
学位授与日 1999.03.17
学位種別 論文博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 第14228号
研究科 工学系研究科
専攻 建築学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 藤井,恵介
 東京大学 教授 鈴木,博之
 東京大学 教授 藤森,照信
 東京大学 助教授 大野,秀敏
 東京大学 助教授 松村,秀一
内容要旨

 本論文は、日本近代の中流住宅と、そのなかにつくられた子供部屋に関する社会史的観点から論じたものである。私は、これからの住宅をどのようにつくって行くべきか、という課題に関心を寄せているが、そのための基礎作業として、近代の住宅の歩みをどの様に考えればよいのか、それを明らかにする必要があると考えた。

 現在の私たちの住意識の原型は、戦中戦後の混乱期を挟むものの、大正期から昭和初期に形成された中流住宅のイメージによるところが大きい。そこで、その誕生と展開を明らかにすることが第一と考えた。またその過程のなかで、住宅の大きな要素である子供部屋について着目し、その誕生と展開について調査を行なった。そして、さらに子供部屋が憂慮すべき密室化へと進んでいる現状と子供の問題行動について論じた。

 本論文は、本編(序章、第I部「中流住宅の成立と展開」(第1章〜第8章)、第II部「子供部屋の成立と課題」(第9章〜第11章)、結論)、および資料編1(図集代表的な子供部屋をもつ中流住宅)、資料編2(年表住宅・建築・政策・社会)、資料編3(統計住宅・生産・供給)からなる。

 以下はその要約である。

序章

 我が国の先輩国である中国の言葉にみる「すまう」と「住宅」の語源や住まい観、及び日本の各時代における住まい観に関する文を拾い、様々な角度から「住まい」「住宅」とは何か、考察した。

 第I部「中流住宅の成立と展開」では、中流住宅が大正年間に成立していく様子、それが昭和戦前期に普及していく姿を概観し、その中で生活に関わる問題を幾つかの点において考察した。

第1章

 本章では、中流住宅を取り扱う前提として、我が国における中流階級の誕生と変遷について考察した。その誕生は我が国の資本主義の発展、伸張と深い関係があり、大正期から昭和初期にかけて形成されたと考えられる。中流階級とは、高等教育を受けた人々から構成され、プライドと体面を重視し、上流階級に対しては経済力の格差を意識しながらも、常に上昇志向をもつ意欲に満ちた階級であり、中流階級こそが国家のために重要な役割を果すという社会参加意識を持っており、このような意識が生活改善を進める大きな原動力になった。

 戦後になると、中流階級の存在は大きく変化した。物質主義のなかで意識の上で「中流」であるとの意識をもつ人々が増加し、昭和50年代になると「中流意識」論争が起きた。結局、「中流階級」は概念は存在するものの、実態については極めて把握しにくいものとなった。

第2章

 本章では、中流階級の人々が住み、都市に多く建てられた「中流住宅」という住宅形式の誕生と発展について考察した。明治時代には、中廊下型、居間中心型という新しい住宅形式の提案があった。また西洋文化の導入により、上流階級の住宅には居住部分とは別に応接用に西洋館が建てられた。この形式は中流階級の住宅に縮小して取り入れられ、戦前までの中流住宅の一つの形式として定着した。

 大正期には、生活改善運動の影響によって、前述の中廊下型・居間中心型住宅が定着し、同時に子供部屋・主婦室などの個室が新たに住宅内部に含まれるようになった。ガス・電気・水道の普及にともなって、従来の座式に変って立式の台所も出現した。これらは接客本位から家族本位・生活本位への住宅形式の大きな転換の契機となった。住宅改善運動は伝統的住宅形式と生活様式への批判から起きたのだが、その過程で留意されたのは、伝統的な日本人の暮し方、子供たちへの躾という要素を失わないことであった。この頃、我が国の住宅は如何にあるべきかを考え、それを自宅で試みた藤井厚二のような建築家も存在した。しかし、戦時体制への突入とともに、戦前の中流住宅の系譜は中断した。

第3章

 本章では、大正期から昭和戦前期にかけて盛んに開催された住宅博覧会、住宅設計協議を通して、中流住宅の啓蒙活動の様子をさぐった。住宅博覧会は、戦後になって常設の住宅展示場へと姿を変えるが、それには功罪の双方が認められる。

第4章

 本章では、大正期の生活改善・住宅改善運動に関わった女性の役割について考察した。女性たちの運動への積極的な関わりは特筆されるべきであるが、そこでは「洋風化」が「合理化」と理解されており、従来の住宅形式を十分評価することが出来なかったことに限界を認めざるを得ない。

第5章

 本章では、明治期に始まった和と洋との「二重生活」が現在もなお容易には解決できない問題であり、我が国の近代住宅を考える上で常に根底に存在する課題であると考え、それに関する論説の変遷をたどった。

第6章

 本章では、中流住宅が多く建てられた東京郊外の住宅地を概観した。これらは現在でも比較的良好な住宅地を形成している。

第7章

 本章では、現代の公団住宅、マンションの原型である集合住宅の初期事例似ついて考察し、そのうち特に同潤会のアパートに注目した。江戸川アパートの共同浴場、中庭の利用形態などの例から判るように、居住者の共同体意識を高めるための配慮も見受けられる。集合住宅という近代的な施設に住みながら、伝統的な居住様式を継続した例である。戦後になると、同潤会の経験は公団住宅、公営住宅、さらには民間のマンションに引き継がれた。

第8章

 本章では、戦後住宅の変化の動向を、住宅政策、住宅事情、住宅観について、年代を追って概観した。政府の持家政策、戦後日本社会の動向との関係に留意したが、高度経済成長以後の住宅取得をめぐる社会的なひずみについても考察した。本章は、戦後住宅を概観すると同時に、後の第10章、第11章の前提でもある。

 第II部「子供部屋の成立と展開」では、明治・大正期の中流住宅のなかに子供部屋が登場してくる様子を、中流住宅の歴史のなかで探り、さらに戦後住宅のなかに引き継がれた子供部屋のもつ問題と課題について論じた。

第9章

 本章では、我が国の住宅に子供部屋が登場する初期の状況から、戦前までの展開を明らかにした。子供部屋は主として中流住宅の内部に登場してくるが、その初見は明治30年代から40年代にかけてであり、大正期に入ると子供部屋を必要とする社会的風潮と住宅改良運動のなかで次第に確立した。その背景には、旧来の住宅が主人本位、接客本位であって、家庭ないし子供に対する配慮が余りにも少なかったことへの反省があった。その反動からか、子供室の賛美がこの期の論調に多く見られる。戦前の子供部屋の背景には、日本の家庭が持っていた「しつけ」という教育システムや「相手のことを慮んばかる」という精神構造があって、子供部屋は家庭というシステムのなかで位置づけられていたことが確認される。

第10章

 本章では、戦後の住宅における子供部屋の普及の程度と、そこに見られる問題点を指摘した。戦後の経済復興で住宅が充足されると、高度経済成長にともなう都市化、核家族化あるいは受験戦争の激化のなかで、「子供部屋」=「勉強部屋」という考え方が定着し、必ずしも面積の大きくない住宅にも子供部屋が確保された。しかし、それは家族とのコミュニケーションを十分に配慮したものではなく、それを失わせるものでもあった。子供部屋の個室化は、かつての日本の住いの中で、日常に行なわれていた暮しの文化と知恵を教え伝える場を奪っていった。一部の密室化した子供部屋は家庭内暴力や非行の巣ともなり社会問題化した。これらの社会的問題が住宅の平面と少なからず関係があることを指摘した。

 高度経済成長期以降のマイホームでは、2階を独立した子供部屋にあてる間取が主流となり、さらに玄関から階段で直接行くことのできる形式が多く見られる。子供は家族と顔を合わせず家を出入りし、自室に鍵をかければ完全な密室となる。この様な住宅平面は、人格形成の上でも重大な問題を孕んでいると思われ、望ましい子供部屋の在り方が、真剣に検討されるべきである。

第11章

 本章では、戦後における少年非行の問題について探った。戦前、全国で5万人弱であった少年非行は、戦後に入って急増し、昭和50年代半ばころから新しい傾向をみせた。いわゆる中流階級の家庭からも非行少年が出るようになったことである。

 家庭・家族の構造の変化と学歴社会、進学競争を背景としており、それは構造的非行とも言える。従来の警視庁やカウンセラーの非行少年に関する調査を見ても、住宅、特に個室化した子供部屋の存在については特に指摘がなく、幾つかの事例調査を通じて、その問題を指摘した。

結論

 以上の考察をふまえ、日本の伝統的住宅から継承すべき点と、今後の住まい方に対する見直しと工夫の必要性について、提言をおこなった。

審査要旨

 本論文は、日本近代の中流住宅と、そのなかにつくられた子供部屋に関して、社会史的観点から論じたものである。

 現在の住意識の原型を探るために、大正期から昭和初期に形成された中流住宅の実態をとらえ、その誕生と展開を明らかにし、その過程のなかで、住宅の大きな要素である子供部屋について着目し、その誕生と展開について調査、分析を加えている。そして、さらに子供部屋が憂慮すべき密室化へと進んでいる現状と子供の問題行動について論じている。

 本論文は、本編(序章、第I部「中流住宅の成立と展開」(第1章〜第8章)、第II部「子供部屋の成立と課題」(第9章〜第11章)、結論)、および資料編1(図集代表的な子供部屋をもつ中流住宅)、資料編2(年表住宅・建築・政策・社会)、資料編3(統計住宅・生産・供給)からなる。

 第I部「中流住宅の成立と展開」では、中流住宅が大正年間に成立していく様子、それが昭和戦前期に普及していく姿を概観し、その中で生活に関わる問題を幾つかの点において考察した。

 第1章、第2章では、我が国における中流階級と中流住宅の誕生と変遷について考察した。大正期から昭和初期にかけて形成された中流階級は、高等教育を受けた人々から構成され、国家のために重要な役割を果すという社会参加意識を持っており、生活改善を進める大きな原動力になった。中流階級の住宅「中流住宅」では、明治時代には、中廊下型、居間中心型という新形式の提案があり、また上流階級住宅での居住部分と西洋館の組み合わせは、中流階級の住宅に縮小して取り入れられ、戦前までの中流住宅の一つの形式として定着した。大正期には、生活改善運動の影響によって、中廊下型・居間中心型住宅が普及し、子供部屋・主婦室などの個室が住宅内部に定着した。住宅改善運動は伝統的住宅・生活様式への批判だが、一方で伝統的な生活様式、子供たちへの躾は重要な要素とされていた。第3章では、大正期から昭和戦前期にかけて盛んに開催された住宅博覧会、住宅設計競技を検討した。第4章では、大正期の生活改善・住宅改善運動に関わった女性の役割について考察した。女性たちの積極的な関わりは特筆されるが、「洋風化」が「合理化」と理解されており、伝統的住宅形式を評価できなかった限界を指摘した。第5章では、明治期に始まった和と洋との「二重生活」が、我が国の近代住宅を考える上で常に根底に存在する重要課題であると考え、それに関する論説の変遷をたどった。第6章では、中流住宅が多く建てられた東京郊外の住宅地を概観した。第7章では、現代の公団住宅、マンションの原型である集合住宅、特に同潤会のアパートについて検討し、共同浴場、中庭などを通して、居住者の共同体意識を高める配慮があったこと、近代的集合住宅においても、伝統的な居住様式を継承する意識があったことを指摘した。第8章では、戦後住宅の変化の動向を、住宅政策、住宅事情、住宅観について、年代を追って概観した。

 第II部「子供部屋の成立と展開」では、明治・大正期の中流住宅のなかに子供部屋が登場してくる様子を、中流住宅の歴史のなかで探り、さらに戦後住宅のなかに引き継がれた子供部屋のもつ問題と課題について論じた。

 第9章では、我が国の住宅に子供部屋が登場する初期の状況から、戦前までの展開を明らかにした。子供部屋の登場は明治30年代であり、大正期に入ると子供部屋を必要とする社会的風潮と住宅改良運動のなかで次第に確立した。戦前の子供部屋の背景には、日本の家庭が持っていた「しつけ」という教育システムや「相手のことを慮んばかる」という精神構造があって、子供部屋は家庭というシステムのなかで位置づけられていたことが確認される。第10章では、戦後の住宅における子供部屋の普及と、そこでの問題点を指摘した。戦後の経済復興で住宅が充足されると、「子供部屋」=「勉強部屋」という考え方が定着した。しかし、それは家族とのコミュニケーションを十分に配慮したものではなく、一部の密室化した子供部屋は家庭内暴力や非行の巣ともなり社会問題化した。これらの社会的問題が住宅の平面と少なからず関係があることを指摘した。第11章では、戦後における少年非行の問題について探った。大きな特徴はいわゆる中流階級の家庭からも非行少年が出るようになったことである。家庭・家族構造の変化と学歴社会、進学競争を背景としており、それは構造的非行とも言える。個室化した子供部屋の持つ危険性について、幾つかの事例調査を通じて、その問題を指摘した。

 結論以上の考察をふまえ、日本の伝統的住宅から継承すべき点と、今後の住まい方に対する見直しと工夫の必要性について、提言をおこなった。

 よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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