この論文は、主にフランスを中心とする12世紀中頃から13世紀中頃までのシトー会修道院建築に、そのプロポーションの原理を検討しようとするもので、教会堂平面を専ら分析の対象とし、基礎図形を用いた幾何構成図式と尺度、寸法を通してこれを検証しようとする研究である。中世のシトー会修道院建築は一般に、その無装飾の厳格な合理的かつ構成的な意匠を特色とする。しかしそれは「聖なる空間」であり、中世の建築的本質を明瞭に表わしていると考えられる。一方、建築の部分と全体の数的比例関係を示すものとしてのプロポーションは、西洋の建築の歴史を通じて建築的本質のひとつであり、中世においてもプロポーションは教会堂建築の看過できない要素のひとつであると考えられる。 本研究は、シトー会修道院の教会堂の平面という限定的な検討対象のなかに、中世建築のプロポーションを見ようというものであって、そこから得られる知見は、シトー会修道院芸術研究に対しても、中世建築の設計技法研究に対しても、寄与するところがある。 本論文の構成は3部9章からなっており、第1部では同時代に描かれたシトー会教会堂の平面図の分析と読解を通してシトー会の教会堂平面のプロポーションの仮説を得ている。第2部では上記の仮説を実際の遺構のなかに問うことの可能性と妥当性を先行研究や歴史史料のなかに確認している。第3部では論者が行なった実測調査から得られたデータを基に、実際のシトー会教会堂の遺構平面に上記仮説がどのように成立しうるかを検討している。 まず第1部においては、13世紀初頭に描かれたヴィラール・ド・オヌクールの『画帖』のなかのシトー会教会堂のライン・プランを考察する。ヴィラールの平面を構成しているのは正方形ではなく正三角形である可能性を指摘し、そこからさらにこの図面が縮尺図である可能性を加味して検討し、実際の建築としての寸法を再現する。それはローマ尺が用いられ、交差部の矩形の幅が28尺、奥行きが24尺であると想定できる。28という数値は、当時の数象徴のなかでも特に豊かな象徴性を見せる特別な数であり、当時常用されていた正三角形の底辺と高さの長さの近似比7:6とともに、ここに、正三角形を基礎図形とする平面の幾何構成図式が、尺度、寸法、当時の数学知識、数象徴と一貫した整合性をもった姿として描き出される。これは、以後の考察において、シトー会教会堂平面の雛型として扱われる。 第2部においては、中世の尺度に関する先行研究を整理し、当時は王尺とローマ尺という比較的汎用された尺度の他に、さまざまな地方古慣用尺が並存していたことを明かにし、プロポーション分析の試金石とした。しかし尺度の同定には、19世紀の古慣用尺の目録を逐一検討する必要を指摘した。具体的にその作業を行なうときには、計算機を援用した統計的な尺度導出手法においても、数多くの尺度候補が得られるので、可能性のある尺度候補の撰択一覧を与えるという形を取らざるを得ない。これは統計的手法を取るかぎりにおいては、避けられないものである。しかし、歴史的な蓋然性を吟味することによって、可能性のある尺度の幅は狭められ、もっとも可能性の高い尺度を導きだすことができる。 この論文のなかで、論者自らが実測を行ない、実測平面図を作製した20例のシトー会の教会堂平面に、第1部で得られたプロポーションの雛形が、第2部で議論された史的パースペクティヴや、そこで提起された方法によって検証されて、具体的な原理としてその姿を著す部分が、もっとも重要である。幾何構成図式の蓋然性を問う要素のひとつである尺度の同定には、計算機を援用してもなおかつ不確実な要素がつきまとうが、教会堂の履歴に関する史的考察が、これを補ってくれる。実測した遺構の分析・検討の結果、1例を除いて19例に基礎図形としての正三角形が、尺度、寸法、数象徴と整合した形で想定できる。この時期の代表的なシトー会教会堂の平面形の典型例である「ベルナール式平面」のフォントネの教会堂平面には、交差部に基礎図形としての正三角形が想定でき、その他の平面部分は全て正三角形で決定できる幾何構成図式を見せる。 もっとも単純かつ標識的な例は、正三角形のみが基礎図形となったシルヴァカンヌ教会堂平面の例である。20例の検討・分析から、シトー会の教会堂平面には、正方形と正三角形を基礎図形とする平面のいくつかの幾何構成図式の構造を見ることができる。この幾何構成図式は、図形だけの問題ではなく、想定され得る尺度の下での基礎図形の寸法は完数尺となり、当時の数学知識によって基礎図形を作図し得る尺数となり、同時にこの尺数には当時の数象徴が読み取れるという、ひとつの一貫した整合性をもった姿を見せ、おそらく神学的な象徴性が強かったと考えられる幾何構成図式が、ゴシックの技術的な意味合いの強い幾何構成図式へと変化してゆく流れのなかで、神学的象徴性と技術的要素とが良好なバランスを保った図式を見せていると考えられる。こうした姿は、合理性と純粋性という、シトー会修道院の理念的特質に照らしも首肯し得るものであろう。 以上に描き出されたシトー会の教会堂平面のプロポーションの本質を、ひとつの小さな建築と建築的細部が、よく示している例がある。正三角形を平面の基礎図形とする厳格な比例をもつ小さな集中式の建築であるル・トロネ修道院回廊の六角泉水堂では、平面の正三角形だけから立面のプロポーションも決定でき、かつ想定される尺度の下の寸法は、こうした図形操作を可能にし、同時に数象徴をもつのである。同じ修道院の回廊のアーケード立面にも、正方形と正三角形を基礎図形とする同様なプロポーションを読み取ることができる。おそらくここに、教会堂の平面に見られた、数学を神の創造の道具とみなす哲学を背景とし、数とプロポーションの調和が天上の幾何学の全的知覚へと導く芸術であるシトー会修道院建築のプロポーションの原理が見い出されるのである。 本研究はプロポーションと尺度という、これまでは融合した形では論じられてこなかったふたつの側面を両立するかたちで説明しようとするものであり、きわめて野心的な試みである。こうした論考は、実測と資料の収集・分析の両面にたった研究であり、同時にコンピューターを駆使した尺度の検討は建築史学に新しい方法をもたらしたものでもある。中世キリスト教建築というわが国では研究者の層の薄い分野における貴重な研究業績として、価値が高い。よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。 |