学位論文要旨



No 214230
著者(漢字) 西田,雅嗣
著者(英字)
著者(カナ) ニシダ,マサツグ
標題(和) シトー会の教会堂平面に関する研究 : 幾何構成図式、尺度、寸法から見たプロポーションの原理
標題(洋)
報告番号 214230
報告番号 乙14230
学位授与日 1999.03.17
学位種別 論文博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 第14230号
研究科 工学系研究科
専攻 建築学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 鈴木,博之
 東京大学 教授 安藤,忠雄
 東京大学 助教授 伊藤,毅
 東京大学 助教授 藤井,恵介
 東京大学 助教授 加藤,道夫
内容要旨

 本研究は、主にフランスを中心とする12世紀中頃から13世紀中頃までのシトー会修道院建築に、そのプロポーションの原理を検討しようとするもので、教会堂平面を専ら分析の対象とし、基礎図形を用いた幾何構成図式と尺度、寸法を通してこれを検証しようという研究である。

 中世のシトー会修道院建築は一般に、その無装飾の厳格な合理的かつ構成的な意匠を特色とする。一見倉庫とも見紛うばかりの簡素な教会堂は、しかし、「聖なる空間」であり、神の御業に倣って構想された「神の国」であることには違いなく、そうした意味において、装飾的な要素を一切欠いたシトー会の教会堂は、中世の建築的本質を明瞭に表わしていると考えられる。一方、建築の部分と全体の数的比例関係としてのプロポーションは、西洋の建築の歴史を通じて建築的本質の一つであり、中世においても、プロポーションは教会堂建築の看過できない要素の一つであると考えられる。シトー会の教会堂のプロポーションに関する研究は、H.ハーンの「音楽的比例」に基づく正方形を基礎図形とする「図式」の仮説(1957年)が唯一であるが、これはなお検討の余地を残すものである。一方、中世の教会堂一般のプロポーションの研究についても、特に最近の実測や同時代文書を基にした実証的研究がいくつかの考え方や仮説を提供するが、こうした研究はまだ歴史が浅く、定説がない。本研究は、シトー会修道院の教会堂の平面という限定的な検討対象の中に、中世建築のプロポーションを見ようというものであって、従って、得られる知見は、シトー会修道院芸術研究に対しても、中世建築の設計技法研究に対しても、寄与するところがある筈である。

 同時代に描かれたシトー会教会堂の平面図の分析と読解を通してシトー会の教会堂平面のプロポーションの仮説を得て(第1部・第1〜3章)、これを実際の遺構の中に問うことの可能性と妥当性を先行研究や歴史史料の中に確認し(第2部・第4〜6章)、しかる後、筆者の行った実測調査で得られたデータを基に、実際のシトー会教会堂の遺構の平面の中に、筆者のプロポーションの仮説がどのように成立し得るかを検討する(第3部・第7〜9章)、という流れで本論文は成り立っている。

 13世紀の初頭に描かれたヴィラール・ド・オヌクールの『画帖』の中のシトー会教会堂のライン・プランは、19世紀の発見以来漠然と、シトー会教会堂の典型であり、正方形の連続反復により構成される「理想平面」であり、アウグスティヌス的「音楽的比例」の典型例であるとされてきた。しかし、既存のシトー会教会堂の後陣形態との比較からは、ヴィラールの平面は、三つの型に分類できる既存の教会堂の後陣形態とは異なる不自然なものであることが明らかとなり、典型とは言えない(第1章)。また、『画帖』中に描かれた他の正方形の縦横比との比較を試みると、ヴィラールの平面を構成しているのは正方形ではなく、正三角形を内接する矩形である可能性が判明する。この正三角形に依る平面の全体は、16目格子を利用すればフリー・ハンドで容易に描くことができ、この可能性は現実味を帯びる。(第2章)。一方このライン・プランは、『画帖』中の他の建築図面のことを考えると縮尺図である可能性があり、基礎図形が正三角形であることを前提に若干の仮定の下、実際の建築としての寸法を再現して見ると、ローマ尺が用いられ、交差部の矩形の幅が28尺、奥行きが24尺であると想定できる。28という数は、当時の数象徴の中でも特に豊かな象徴性を見せる特別な数であり、当時常用されていた正三角形の底辺と高さの長さの近似比7:6とともに、ここに、正三角形を基礎図形とする平面の幾何構成図式が、尺度、寸法、当時の数学知識、数象徴と一貫した整合性を持った姿として描き出される。しかし、ここでも比現実的な実長が現われ、この平面の不自然さが判明する(第3章)。

 以上第1部ではシトー会の教会堂平面のプロポーションの雛形ガ得られたことになるが、これは広く歴史的パースペクティヴの中にその蓋然性の確認を必要とする。が、建築に直接関係する同時代史料は、プロポーションは「幾何学」と「数」の問題であることをほのめかすだけである。中世の「幾何学」、そして「数」、つまり「数象徴」を内包する「算術」は「自由七科」を構成する「学問」であった。幾何学をめぐる中世の、あるいはシトー会修道院の学問の状況は幾何学に根差すプロポーションが教会堂平面の造形原理であった可能性を否定はしないし、とりわけシトー会修道院においては「修道士建築家」の活躍を歴史的にも跡づけることができ、「学問」に通じたシトー会修道士がプロポーションをシトー会教会堂に実現したことは有り得る。最も雄弁に当時のシトー会の知的環境を語る聖ベルナールの言説もこれを裏付ける(第4章)。

 第1部でのプロポーションの考察では、未だ十分に明らかとなっていない中世の尺度がプロポーションを生む幾何構成図式の検証の有力な試金石であった。中世の尺度に関する歴史史料や先行研究は、王尺とローマ尺という地方を超えて比較的汎用された尺度の他に、様々の地方古慣用尺が併存していたことを物語り、プロポーション分析の試金石としての尺度の同定には、19世紀の古慣用尺の目録を逐一検討することが必要となることが判明する(第5章)。一方こうした尺度の関する不確実な状況がゆえに、遺構の実測値だけから尺度を導出する客観的な方法を援用することが求められるであろう。しかし、遺構が見せる計測値の誤差は、最終的に導き出された尺度にも誤差を考慮することを必要とし、このため、本研究が考案する計算機を援用した統計的な尺度導出手法においても、数多くの尺度候補が得られ、可能性のある尺度候補の選択肢一覧を与えるという方法にならざる得ない(第6章)。

 論者自ら実測を行い、実測値を得、実測平面図を製図した20例のシトー会の教会堂平面に、第1部で得られたプロポーションの雛型が、第2部で議論された史的パースペクティヴや提案された方法によって検証されて、シトー会の教会堂平面のプロポーションの原理が明確な姿を見せる。幾何構成図式の蓋然性を問う要素の一つである尺度の同定には、計算機を援用してもなお不確実な要素が付きまとうが、教会堂の履歴に関する史的考察が、これを補ってくれる。実測した遺構の分析・検討の結果、1例を除いて19例に基礎図形としての正三角形が、尺度、寸法、数象徴と整合した形で想定できる。この時期の代表的なシトー会教会堂の平面形の典型例である「ベルナール式平面」のフォントネの教会堂平面には、交差部に基礎図形としての正方形が想定でき、その他の平面部分は全て正三角形で決定できる幾何構成図式を見せる(図1、表1)。最も単純かつ標識的な例は、正三角形のみが基礎図形となったシルヴァカンヌ教会堂平面の例である(図2、表2)。20例の検討・分析から、シトー会の教会堂平面には、正方形と正三角形を基礎図形とする平面のいくつかの幾何構成図式の構造を見ることができる (第7、8章)。この幾何構成図式は、一人図形だけの問題ではなく、想定され得る尺度の下での基礎図形の寸法は完数尺となり、当時の数学知識によって基礎図形を作図し得る尺数となり、同時にこの尺数には当時の数象徴が読み取れるという、一つの一貫した整合性を持った姿を見せ、おそらく神学的な象徴性が強かったと考えられる幾何構成図式が、ゴシックの技術的な意味合いの強い幾何構成図式へと変化して行く流れの中で、神学的象徴性と技術的要素とが良好なバランスを保った図式を見せていると考えられる。かかる姿は、合理性と純粋性というシトー会修道院の理念的特質に照らしても肯首し得るものであろう(第9章)。

 以上に描き出されたシトー会の教会堂平面のプロポーションの本質を、一つの小さな建築と建築的細部が、そのプロポーションの内に自ら表出する。正三角形を平面の基礎図形とする厳格な比例を持つ小さな集中堂式の建築であるル・トロネ修道院回廊の六角泉水堂では、平面の正三角形だけから立面のプロポーションも決定でき、かつ想定される尺度の下の寸法は、こうした図形操作を可能にし、同時に数象徴を持つのである。同じ修道院の回廊のアーケード立面にも、正方形と正三角形を基礎図形とする同様なプロポーションを読み取ることができる。おそらくここに、教会堂の平面に見られた、数学を神の創造の道具とみなす哲学を背景とし、数とプロポーションの調和が天上の幾何学の全的知覚へと導く芸術であるシトー会修道院建築のプロポーションの原理が立ち現われている(結論)。

図1 フォントネ修道院教会堂平面と基礎図形の幾何構成図式表1 フォントネ修道院教会堂 平面の基礎図形の寸法構成図2 シルヴァカンヌ修道院教会堂平面と基礎図形の幾何構成図式表2 シルヴァカンヌ修道院教会堂 平面の基礎図形の寸法構成
審査要旨

 この論文は、主にフランスを中心とする12世紀中頃から13世紀中頃までのシトー会修道院建築に、そのプロポーションの原理を検討しようとするもので、教会堂平面を専ら分析の対象とし、基礎図形を用いた幾何構成図式と尺度、寸法を通してこれを検証しようとする研究である。中世のシトー会修道院建築は一般に、その無装飾の厳格な合理的かつ構成的な意匠を特色とする。しかしそれは「聖なる空間」であり、中世の建築的本質を明瞭に表わしていると考えられる。一方、建築の部分と全体の数的比例関係を示すものとしてのプロポーションは、西洋の建築の歴史を通じて建築的本質のひとつであり、中世においてもプロポーションは教会堂建築の看過できない要素のひとつであると考えられる。

 本研究は、シトー会修道院の教会堂の平面という限定的な検討対象のなかに、中世建築のプロポーションを見ようというものであって、そこから得られる知見は、シトー会修道院芸術研究に対しても、中世建築の設計技法研究に対しても、寄与するところがある。

 本論文の構成は3部9章からなっており、第1部では同時代に描かれたシトー会教会堂の平面図の分析と読解を通してシトー会の教会堂平面のプロポーションの仮説を得ている。第2部では上記の仮説を実際の遺構のなかに問うことの可能性と妥当性を先行研究や歴史史料のなかに確認している。第3部では論者が行なった実測調査から得られたデータを基に、実際のシトー会教会堂の遺構平面に上記仮説がどのように成立しうるかを検討している。

 まず第1部においては、13世紀初頭に描かれたヴィラール・ド・オヌクールの『画帖』のなかのシトー会教会堂のライン・プランを考察する。ヴィラールの平面を構成しているのは正方形ではなく正三角形である可能性を指摘し、そこからさらにこの図面が縮尺図である可能性を加味して検討し、実際の建築としての寸法を再現する。それはローマ尺が用いられ、交差部の矩形の幅が28尺、奥行きが24尺であると想定できる。28という数値は、当時の数象徴のなかでも特に豊かな象徴性を見せる特別な数であり、当時常用されていた正三角形の底辺と高さの長さの近似比7:6とともに、ここに、正三角形を基礎図形とする平面の幾何構成図式が、尺度、寸法、当時の数学知識、数象徴と一貫した整合性をもった姿として描き出される。これは、以後の考察において、シトー会教会堂平面の雛型として扱われる。

 第2部においては、中世の尺度に関する先行研究を整理し、当時は王尺とローマ尺という比較的汎用された尺度の他に、さまざまな地方古慣用尺が並存していたことを明かにし、プロポーション分析の試金石とした。しかし尺度の同定には、19世紀の古慣用尺の目録を逐一検討する必要を指摘した。具体的にその作業を行なうときには、計算機を援用した統計的な尺度導出手法においても、数多くの尺度候補が得られるので、可能性のある尺度候補の撰択一覧を与えるという形を取らざるを得ない。これは統計的手法を取るかぎりにおいては、避けられないものである。しかし、歴史的な蓋然性を吟味することによって、可能性のある尺度の幅は狭められ、もっとも可能性の高い尺度を導きだすことができる。

 この論文のなかで、論者自らが実測を行ない、実測平面図を作製した20例のシトー会の教会堂平面に、第1部で得られたプロポーションの雛形が、第2部で議論された史的パースペクティヴや、そこで提起された方法によって検証されて、具体的な原理としてその姿を著す部分が、もっとも重要である。幾何構成図式の蓋然性を問う要素のひとつである尺度の同定には、計算機を援用してもなおかつ不確実な要素がつきまとうが、教会堂の履歴に関する史的考察が、これを補ってくれる。実測した遺構の分析・検討の結果、1例を除いて19例に基礎図形としての正三角形が、尺度、寸法、数象徴と整合した形で想定できる。この時期の代表的なシトー会教会堂の平面形の典型例である「ベルナール式平面」のフォントネの教会堂平面には、交差部に基礎図形としての正三角形が想定でき、その他の平面部分は全て正三角形で決定できる幾何構成図式を見せる。

 もっとも単純かつ標識的な例は、正三角形のみが基礎図形となったシルヴァカンヌ教会堂平面の例である。20例の検討・分析から、シトー会の教会堂平面には、正方形と正三角形を基礎図形とする平面のいくつかの幾何構成図式の構造を見ることができる。この幾何構成図式は、図形だけの問題ではなく、想定され得る尺度の下での基礎図形の寸法は完数尺となり、当時の数学知識によって基礎図形を作図し得る尺数となり、同時にこの尺数には当時の数象徴が読み取れるという、ひとつの一貫した整合性をもった姿を見せ、おそらく神学的な象徴性が強かったと考えられる幾何構成図式が、ゴシックの技術的な意味合いの強い幾何構成図式へと変化してゆく流れのなかで、神学的象徴性と技術的要素とが良好なバランスを保った図式を見せていると考えられる。こうした姿は、合理性と純粋性という、シトー会修道院の理念的特質に照らしも首肯し得るものであろう。

 以上に描き出されたシトー会の教会堂平面のプロポーションの本質を、ひとつの小さな建築と建築的細部が、よく示している例がある。正三角形を平面の基礎図形とする厳格な比例をもつ小さな集中式の建築であるル・トロネ修道院回廊の六角泉水堂では、平面の正三角形だけから立面のプロポーションも決定でき、かつ想定される尺度の下の寸法は、こうした図形操作を可能にし、同時に数象徴をもつのである。同じ修道院の回廊のアーケード立面にも、正方形と正三角形を基礎図形とする同様なプロポーションを読み取ることができる。おそらくここに、教会堂の平面に見られた、数学を神の創造の道具とみなす哲学を背景とし、数とプロポーションの調和が天上の幾何学の全的知覚へと導く芸術であるシトー会修道院建築のプロポーションの原理が見い出されるのである。

 本研究はプロポーションと尺度という、これまでは融合した形では論じられてこなかったふたつの側面を両立するかたちで説明しようとするものであり、きわめて野心的な試みである。こうした論考は、実測と資料の収集・分析の両面にたった研究であり、同時にコンピューターを駆使した尺度の検討は建築史学に新しい方法をもたらしたものでもある。中世キリスト教建築というわが国では研究者の層の薄い分野における貴重な研究業績として、価値が高い。よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

UTokyo Repositoryリンク