学位論文要旨



No 214232
著者(漢字) 炭谷,圭二
著者(英字)
著者(カナ) スミタニ,ケイジ
標題(和) 自動車周りの剥離再付着流れによる空力騒音に関する研究
標題(洋)
報告番号 214232
報告番号 乙14232
学位授与日 1999.03.17
学位種別 論文博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 第14232号
研究科 工学系研究科
専攻 機械工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 小林,敏雄
 東京大学 教授 梶,昭次郎
 東京大学 教授 荒川,忠一
 東京大学 助教授 谷口,伸行
 東京都立科学技術大学 教授 大野,進一
内容要旨

 近年の自動車では静粛性が大幅に向上し,特にエンジンノイズやロードノイズなどの低減が目覚ましいため,相対的に空力騒音が顕在化してきている.

 自動車の空力騒音としては,狭帯域音と広帯域音に大別される.狭帯域音の発生メカニズムと対策手法についてはかなり研究されてきており,最近では問題の発生は少なくなっている.これに対し,広帯域音に関する研究は,乱流の渦構造に起因しているため狭帯域音に比べると難しく,未解明な部分が多い.しかもその変動感にいたっては,実際には大きな問題であるにもかかわらず検討例は少ない.

 本研究においてはこのような現状を踏まえて,広帯域音に関して次に示すことを目的とした検討を行った.まず異なる流れ場において,表面の圧力変動時間微分値と観測点における音圧との相関を調べてLighthill-Curle理論の有用性を確認し,物体近傍の流速変動と物体表面の圧力変動時間微分値との相関を調べることにより,流れの中のどの領域が音の発生に寄与しているかを明らかにする.また,その結果を用いて,自動車における外形形状と表面圧力変動時間微分値および観測点音圧との関係を明らかにし,自動車における空力騒音改善の方向性を示す.更に,自然風が変動する条件において車両を走行させ,その時の車両が受ける相対風の流速変動および偏揺角変動と車内音の変動との相関を調べ,変動感(バサバサ音)に関係する発生源(流れ現象)のメカニズム解明と改善手法の提示を行う.この時,定常風下における空力騒音との関係についても考察する.

 流体における質量保存則および運動量保存則を用いて式変形し,静止媒質中の波動方程式からの類推を行うとLighthill方程式が導かれる.このLighthill方程式は,流れが音源となり発生した音についての波動方程式である.このLighthill方程式において,固体境界がある場合の解としてCurleの式が知られており,あわせてLighthill-Curle理論とよぶことも多い.

 自動車の走行条件を考えた場合,2重極音源における遠距離場が支配的であり,この2重極音源遠距離場の音圧は,車体表面の変動圧力の時間微分値に比例する.この関係に基づき,空力騒音の評価指標として圧力変動率レベルPFRLを用いて検討を行った.

 狭帯域音である円柱の放射音の場合,流れに直交する位置の表面圧力変動の時間微分値(表面圧力変動率)と,そこから放射される音とのコヒーレンスは無次元周波数0.2において0.7と高く,両者の相関が高いことが示せた.また,剥離再付着流れによる広帯域音である自動車の車内音の場合でも,表面の圧力変動率と観測点の音とは800Hzから4kHzの間で0.3から0.4程度のコヒーレンスがあり,広帯域音の場合でも両者の相関が高い.これにより,Lighthill-Curle理論の有用性が確認でき,表面の圧力変動率を基にしたPFRLは空力騒音の実験における評価指標として有用といえる.

 表面の圧力変動率に最も影響を与えている領域については,流速変動と表面の圧力変動率との相関を調べて考察した.

 厚みのある鈍頭平板上において,剥離が無い場合の平板表面近傍の流速変動と平板表面の圧力変動率との相関は,境界層の構造すなわち,層流域,遷移域,乱流域により異なる.

 層流境界層では,境界層外縁の最大流速点近傍における接線方向の流速変動と負の相関が高く,遷移領域では境界層内部では乱れが発達し始めるが,平板表面の圧力変動率は依然,境界層外縁における最大流速点近傍の接線方向の流速変動と負の相関が高いことを示した.乱流境界層に発達した後は遷移前と異なり,平板表面の圧力変動率は境界層内部における法線方向の流速変動と正の相関が高いことを明らかにした.

図1 流速変動と表面圧力変動率とのコヒーレンス(層流)注)詳細は本文参照図2 流速比と圧力係数との関係(層流)注)詳細は本文参照図3 流速変動と表面圧力変動率とのコヒーレンス(乱流)注)詳細は本文参照図4 流速比と圧力係数との関係(乱流)注)詳細は本文参照

 また,エッジによる剥離流れにおいては,剥離の規模が小さい場合には,表面の圧力変動率は分離流線上の接線方向の流速変動と負の相関が高いことを明らかにした.

図5 流速変動と表面圧力変動率とのコヒーレンス(エッジによる剥離流れ)注)詳細は本文参照図6 流速比と圧力係数との関係(エッジによる剥離流れ)注)詳細は本文参照

 フローパターンと圧力変動率との関係においては,自動車において不快といわれている1kHz以下,特に500Hz前後の周波数帯の音については,剥離再付着流れが主な原因であり,この流れを無くすことが対策に有効であることを示した.

 実車における流れと空力騒音との関係については,車内空力騒音のパワーは車速の約5.5乗に比例し,Lighthill-Curle理論における2重極音源の遠距離場の特徴とよく一致する.また,車体表面の圧力変動率を用いた指標であるPFRLのパワーもほぼ車速の5〜6乗に比例し,車内音の特徴と一致する.しかし,表面の単なる圧力変動のパワーは車速の4乗に比例するため近距離場の概念であり,評価指標には不適である.

 実車における空力騒音の発生部位として重要なサイドウインドウ上のPFRL分布を考えた場合,最もPFRLのレベルが大きいのは従来言われている再付着ライン上ではなく,らせん状の縦渦内部,しかも位置的には縦渦発生元であるサイドウインドウ前部における下部である.また,発生源のPFRLのレベルの大きさで考えると,サイドウインドウ部よりもフロントピラー部やルーフヘッダ部などのように気流が曲がる領域,つまり増速領域でのPFRLのレベルが更に大きく,自動車の空力騒音改善のためには,上述するサイドウインドウの縦渦の強さ抑制のほか,フロントピラー部やルーフヘッダ部における剥離再付着抑制が重要である.

図7 サイドウインドウ上の表面圧力変動率レベル分布

 自然風の変動が大きい場合における車内音の変動現象であるバサバサ音について,一般的車両においては,従来の概念と異なり合成風の偏揺角変動よりも合成風の流速変動の方が影響が大きいことを示した.また,低騒音風洞にて測定した定常的空力騒音を用いて,実走行における自然風の流速変動による空力騒音の変動を,Lighthill-Curle理論に基づいて予測すると実測とよく一致した.これより,自然風の時間変動に対しては横風安定性などで議論されるような流れのオーバーシュート現象の影響は小さく,定常的な現象の時間変化と考えてもよいことを示した.更に,定常的空力騒音の改善手法はバサバサ音の改善に対しても有効であることを示した.

図8 合成風速Uおよび偏揺角と車内音との相関
審査要旨

 本論文は,「自動車周りの剥離再付着流れによる空力騒音に関する研究」と題して,自動車の空気力学的騒音(空力騒音)の発生機構を解明するとともにその軽減策を提案することを目的としている.特に,広帯域騒音に注目して,観測点音圧が自動車車体表面の圧力の時間微分値によって支配されることを確かめ,車体外形形状と空力広帯域騒音の関係を実験的に明らかにしている.

 第1章においては,序論として研究の動機,背景および目的が述べられている.ここで,自動車における広帯域騒音はその主因が乱流の渦構造に起因しているため,狭帯域騒音に比べて未解明であり,車体外形形状まわりの流れと広帯域騒音との関係を明確にすることが,自動車における空力騒音の軽減に欠かせないことを指摘している.

 第2章において論文提出者は観測点音圧と車体表面圧力の時間微分値の相関が自動車外部流れの空力騒音においても高いことをLighthill-Curleの式と関連づけて述べている.すなわち,走行する自動車においては空力騒音は2重極音源における遠距離場の音と考えることができ,したがって,その評価指標として表面圧力の時間微分値を導入することが述べられている.

 第3章においては前章で導入した表面圧力時間微分値が空力騒音実験のデータ解析における評価指標として有用であることを狭帯域騒音と広帯域騒音のそれぞれの場合について実験的に調べている.すなわち,狭帯域騒音の例として流れの中の円柱の放射音を対象として流れの前方よどみ点から測って90度の位置における表面圧力時間微分値と,そこから放射される音とのコヒーレンスが無次元周波数0.2付近において0.7程度と高いことを示している,また広帯域騒音の例として実走行する車の室内騒音を取り上げ,表面圧力時間微分値と観測点の音とは800Hzから4kHzの広い周波数範囲で0.3から0.4程度の高いコヒーレンスをもつことを実験から確かめ,いずれの場合にも物体表面圧力時間微分値が騒音評価指標として利用できることを示している.この議論の下に,論文提出者は自動車形状の簡易模型として上流側に鈍頭体をもつ2次元矩形柱を対象として,流れ,特に境界層流れと上述の指標値との関係を詳細な実験によって調べ,指標値に影響を与える流れの構造を明らかにしている.すなわち,剥離が存在しない場合には,層流境界層においては指標値が境界層外縁の最大流速点近傍における接線方向流速と負の相関をもつこと,乱流境界層での指標値はバッファー領域付近の壁面垂直方向流速変動と強い相関をもつことを述べている.また,鈍頭体矩形柱にフェンスを設けることによって自動車周りの典型的な剥離流れであるエッジからの剥離・再付着流れを実現し,剥離・再付着流の場合においては指標値は剥離限界線上の接線方向流速変動と負の相関が強いことを明らかにしている.これらのデータから,自動車における空力騒音の場合,剥離・再付着流れが低周波数の騒音の主原因となることを推論している.

 第4章においては実車周りの流れと空力騒音との関係について述べ,空力騒音の軽減に対する具体的対策方法を提案している.すなわち,騒音の発生箇所として重要な場所はサイドウインドウと並んでフロントピラー部やルーフヘッダー部であることを指標値の計測から明らかにしている.また,前章後半における鈍頭体矩形柱空力騒音実験から,空力騒音軽減の対策は騒音発生部における流速を低下させること,ならびに剥離・再付着流れを抑制することであるとし,この方針に沿った実車形状の改善によって自動車の放射音(外部音)および車室音がともに軽減されることを実証している.続いて自然風の変動によって生じる低周波数騒音,いわゆるバサバサ音について本論文で提案した流れと指標値の関係を実走行データから分析し,この低周波数騒音の主因が,従来いわれている走行と自然風との合成風の偏揺角変化であることよりも合成風の流速変動であることを明らかにしている.

 第5章においては本論文全体の結論が述べられている.

 以上を要約すると,本論文は自動車周りの流れと空力騒音の関係を車体表面圧力の時間微分値を用いて論ずることを提案し,その指標値を用いて自動車周りの流れの性質,特に境界層流れや剥離再付着流れが空力騒音に及ぼす影響を簡易形状の流れ場において定量的に明らかにしている.この手法を実際の自動車に適用し,実車形状の改善によって自動車の外部音および車室音がともに軽減されることを実証している.したがって.本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格であると認められる.

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