外科手術において活躍が期待されるメカトロニクス機器の在り方を問い、その研究開発を行うにあたり、安全性という命題は避けては通ることができない。本論文では、この手術支援メカトロニクスを総括し、それに基づいた設計指針を提案することによって、安全性についての定義、評価手段、実現手法について各々を論じた。また、外科手術支援を行うメカトロニクス機器の実現例として、脳神経外科における手術支援メカトロニクス機器を開発し、評価実験を行うことによって、安全性の実現を検証した。本論文における安全性とは、安全性一般論から手術支援メカトロニクスに求められる部分を抽出したものであり、個々の機構要素・電子要素については一定の信頼性を有することを前提とした安全性である。 1 序論 現在、検査・診断・治療・管理などの全ての医療分野において、先端技術を駆使した様々な医療機器が開発されている。しかし一方で、医師自身が直接に処置を行わざるを得ない外科系の治療は、安全性や責任問題などの観点から機器の導入が最も困難と考えられている臨床医学の領域であり、結果として他の医療分野に比べ先端的な工学技術の成果の活用が未だ十分ではない。そのため外科手術は、いまもって患者・医師の双方にとり大きな肉体的・精神的および時間的負担となっている。機械はより迅速・精密・強力に作業を推し進めることができ、しかも疲労を知らず、大量の情報を高速処理し、人間が作業できないような特殊環境下、でも稼動することができる。また、各種通信技術により操作者と隔離された場所での作業も可能である。従って工学技術は前述の手術支援を達成させるに十分な資質を内在しており、ここに工学技術を手術支援に用いる意義があるものと考えられる。 メカトロニクスの長所として、精密な位置決め、繰り返し動作、微細な動作が容易であることがあげられる。これにより予め決められた場所に物を組み込む作業や、所定の場所を溶接するといった作業は現在では確実にロボットに置き換わりつつある。現在術者が行っているような手指の動きを模倣するようなことが望まれるのであれば、先端的なロボットの研究成果などにより、ある程度実現できるレベルの処置も多いが、実際の臨床に用いるために解決すべき問題点が多い。メカトロニクスの外科手術への導入が遅れる最大の理由として、安全性であるか否か、を評価できないことが挙げられている。本論文では、安全性に関して評価・規格等の現状について述べ、設計指針を示すと共に独自の指標・考え方について述べる。 2 手術支援メカトロニクスにおける安全性の解析および設計指針の提案 工業用ロボットにおいてはロボットの作業領域と人間の作業領域を完全に隔離する事により安全性を実現している。しかし一方で手術支援メカトロニクスは人と直接接触または非常に近接する事によりその役割を果たす。また、操作を行う術者はメカトロニクスの専門家ではない。また作業の失敗は決して許されない等の理由から安全性の実現は従来の産業用ロボットとは異なる見地から実現されなければならない。 産業用メカトロニクスと手術支援用メカトロニクスの安全性の大きな相違点として、システム全体が生み出すハザードの同定およびその重要度の違いが挙げられる。本論文においては、手術支援メカトロニクスの安全性を、大きく「動作的レベルの安全性」および「医学的レベルの安全性」の2つに分類した。 「動作的レベルの安全性」は、「機構」「制御」「ヒューマンインタフェース」「ME機器としての電気的安全性」と大きく分けられる。まず第一に満たすべき安全性はその中でも機構面である。その他のエラーが発生した際に、機構面においてあるレベルの安全性が維持されているかいないかでは患者に与える損傷が大きく異なる。ここでは、機器および対象物の干渉領域体積比を指標Pとした(式1,2)。体積を表現したVは時間の項を入れてあるが、機構の動きの順番を機械的に定めることによって、干渉領域の時間変化における干渉領域体積比が変化することを式により表現した。これにより、設計時から相対的に、経時的なパラメータも含め、機構的安全性の評価を行うことができる。 ただし、は領域の識別子(=0:メカトロニクス機器、=1:対象物) T:全ての駆動範囲を網羅させるために必要な時間; :領域の時間tにおけるxyz空間上の座標値(x,y,z)において予め定義された重要度 (式1);V1はメカトロニクスの駆動領域;V2は対象患者の領域 また、ここでは制御面、アクチュエータ、臨床使用におけるユーザインタフェースも安全性において重要な因子であることを考え、各々議論した。さらに、電気的な安全性については、基本的にME機器設備における安全性が前提となるが、臨床で注意すべき点を挙げ、解決策について述べた。 一方、工学側では疎かにしがちである「医学的レベルの安全性」について議論した。手術支援として「衛生面」を遵守することが安全性に繋がる。衛生面における安全性として術前・術後の滅菌・洗浄性について詳述し、メカトロニクス機器におけるドレーピングの不使用・距離による分離の利点を述べた。基本的にアクチュエータ類は滅菌・洗浄に適さないため、従来使用するメカトロニクスシステムの構成は導入できない。 以上、ここにて分類され議論した安全性は、これから開発される手術の工学支援技術を構築するためには不可欠なものである。 3安全性の設計指針に基づく脳外科手術支援マニピュレータの開発・検証 以上の設計指針に基づいて、定位脳手術を行うメカトロニクス機器の開発を行い、安全性についての検証を行った。定位脳手術とは、脳内深部の患部腫瘍に対し手術器具類を直線的にアプローチさせるものである。本論文では、これまでに研究開発されてきた定位脳手術支援メカトロニクス機器(以下穿刺マニピュレータと呼ぶ)の総括を行い、安全性に関する問題点を指摘する。図1 に穿刺マニピュレータの機構を示し、図2にシステム構成図を示す。この機構は穿刺針の位置決めおよび方向の決定する軸が独立であり、取り扱い易さ、精度管理の容易さなど利点がある。また、円弧状形状によって患者頭部との機構的干渉領域が極めて小さく見積もることができる。 図表図1 定位脳手術支援マニピュレータの機構 図2 X線CT画像誘導下におけるシステム構成図 安全性に基づいた設計を行うにあたり、同時に駆動の順番を制限するためのギアトランスミッション機構を考案した。このギアトランスミッション機構により、機構部分および電気的要素からなるモータ部との分離をも行うことが可能となり、衛生面での安全性にも充分対応することが可能となった。図3左に、マニピュレータと滅菌・非滅菌部の分離について、図3右にギアトランスミッションのモデル図を示す。ギアは各軸を1つずつ駆動させて行き、駆動後のギアは同じ大きさのギアシャフトによってロックされる機構である。また、ユーザインタフェースはGUIとタッチパネルを採用し、術者自らが操作出来るシステムとした。開発したマニピュレータ本体を図5に示す。マニピュレータの材質は、主にアルミニウム、ステンレスであり、摺動部品には樹脂およびデルリン等を用いた。これらはオートクレーブ(125度20分)といった過酷な条件にも耐えられる。 精度評価実験をX線CT撮像装置を用いて行ったが、その結果、機械的位置程度も優れ、総合的に位置決め誤差1mmを維持した。この誤差は、従来研究開発されてきたマニピュレータよりは精度が落ちた物であるといえるが、手術支援メカトロニクス機器の安全性を確保しつつもその機能・要求仕様は満たされたものと言え、本論文での主張の一端でもある。 図3 左)マニピュレータの滅菌・非滅菌エリアの分離 右)ギアトランスミッションによるマニピュレータの逐次駆動の原理図4 開発したマニピュレータ外観4 安全性に関する評価 開発したマニピュレータの安全性に関する考察を行った。具体的には前述した干渉率についてマニピュレータの機構を単純化したモデルを用いて、従来型のものとの比較を行った。最終的な状態はおなじであるため干渉率も同一であるが、ギアトランスミッションによる逐次駆動の効果によって段階的に干渉率が増加するため、ここで提案した機構がより安全な機構であることが明らかとなった。また、オートクレーブによる滅菌の実験を行い、駆動に与える影響がないことが確認された。また、産業用ロボットの応用として代表的な多関節型の機構との比較も行った。駆動時間や機械の寸法等を限定した上で比較を行い、開発した機構においては干渉率において約6倍の安全であることが示された。 また、滅菌実験においては滅菌器としてオートクレーブを用いた。マニピュレータの機構部と駆動部を切り離して、そのまま圧力釜にセットした。設定最高温度125度20分のサイクルで滅菌を行った後、釜から取り出し、再度駆動実験を行った。その結果、1回目の滅菌作業においては個々の部品の信頼性が問われるものの、修理・実験後の駆動に際しては特に問題は生じなかった。 5 結論 手術支援メカトロニクスの安全性は、「動作的レベルにおける安全性」および「医学的レベルにおける安全性」の2つに大別することができ、手術支援メカトロニクスの満たすべき仕様を明確にし、設計指針の提案を行った。ここにおいて、本論文における安全性とは、安全性一般論から手術支援メカトロニクスに求められる部分を抽出したものであり、個々の機構要素・電子要素については一定の信頼性を有することを前提とした安全性である。 また、それらを満たすメカトロニクスの機器開発を行うことによって、上に述べた安全性について検証を行った。具体的には、手術支援メカトロニクスの代表例として脳神経外科領域における穿刺手術用マニピュレータの開発を行った。このマニピュレータの特徴として下記の3項目が挙げられる。 ・仮想球原理による患者頭部との干渉を抑える ・駆動部を分離することによる滅菌・消毒対策 ・術者が直接操作できるユーザインタフェース また、開発したマニピュレータの機械的評価実験を行い、精度的にも十分であることを確認した。安全性を考慮したために犠牲となった機械的精度も問題なく十分な仕様を実現できることが明らかとなった。安全性の評価として、機構面での定量的な比較を行うことができ、機構が同じであっても駆動の制限が課せられる駆動分離型の優位性を示した。また、多関節型ロボットとの比較を行い、各マニピュレータにおいて適当な値を設定して最悪の状態における駆動経過という条件の下に、各干渉の変化をグラフに表した結果、干渉率Pの比より本マニピュレータは約6倍の安全性を有していることが示された。 以上、本研究で分類・定義した手術支援メカトロニクスにおける安全性に基づいて開発される手術支援メカトロニクスは、従来導入が困難であった手術支援機器に対して一つの解決方法を提示したものであり、次世代の外科手術を担う工学技術の研究開発の発展に寄与できるものと考えられる。 |