内容要旨 | | ATM技術は,当初B-ISDNを実現するための技術として位置付けられ,精力的に研究が進められてきた.近年,データ通信の急速な発展に伴い,ATM技術は次世代のインタネット型サービスを支えるバックボーンネットワークとしても大きく期待されている.このようなATMの導入シナリオを技術的に支えていくためには,ネットワークのトラヒック設計が本質的に重要である. 本論文で扱うネットワークサービスは,上記ATM導入シナリオを踏まえて,ATMネイティブサービスとATMネットワークをバックボーンとしたIPサービスを提供するマルチメディアネットワークとする(図1).このとき,ユーザ間の通信品質を保証するための主要な技術課題は以下の2つに大別される. (1)ATMレイヤの品質保証機構の設計技術 (2)IPレイヤ/ATMレイヤ間のアドレス変換処理機構の設計技術 図1 対象とする通信網の構成 ATMレイヤの品質保証機構については従来から多くの研究がなされてきた.特にバーストトラヒックを記述するための確率過程モデルの提案や,これらを入力過程とした待ち行列システムの性能解析等において著しい発展がなされた.しかし,このような入力過程モデルは数学的な仮定であり,ネットワークが入力過程を直接制御できる訳ではない.このためこれらの結果をネットワーク制御技術と結び付けることは困難があった.また,品質推定には膨大な計算が必要であるため,実時間動作が要求されるネットワーク制御に直接適用することができなかった.これらの課題を解決するためには,ネットワークが制御可能なパラメータ(可制御パラメータ)のみに基づく品質推定技術を確立して,ネットワークが品質を直接制御する枠組みを構築すること,またその品質推定処理が実時間動作をすることが要求される. IPレイヤ/ATMレイヤ間のアドレス変換処理機構については,従来,実験による性能評価が行われていたにすぎず,系統的な取り扱いを可能とするモデルは皆無であった.このためアドレス変換処理機構の設計指針や,性能の理論限界といった量を評価し,ネットワーク設計に反映させることは不可能であった.この課題を解決するためには,IP通信ユーザの雑多な挙動を系統的に記述するモデルを構築し,性能評価技術に結び付ける必要がある.更に,モデルに含まれる任意パラメータは,容易に測定可能な少数のパラメータでなければならない. 本論文は,可制御パラメータ/測定可能パラメータに基づいた新しい品質評価技術の開発と,それらのネットワーク制御及びネットワーク設計技術への適用を9章構成で纏めたものである.全体を通じて「ネットワーク(または人間)による通信品質の制御が可能となるような仕組みはどのようなものか?」という立場で「可制御な通信システムの設計法」の確立を目指している.前半の第2章〜第6章はATMの品質制御技術について,後半の第7章〜第8章はIPレイヤとATMレイヤのアドレス処理性能の設計技術について論じた. 各章での具体的な内容は以下の通りである. 第1章では,研究の背景と課題へのアプローチを明確にし,本研究の位置付けを示した. 第2章では,ATMの品質保証の枠組みに対する基礎的な検討を行った.これは,以降第3章〜第5章の議論の基礎を固めるものである. ATMでの品質保証の代表的な枠組みは,ユーザがネットワークにトラヒック特性を申告し,ネットワークはその申告に違反しないトラヒックに対して通信品質を保証する,というものである.ユーザからの申告は,ピークレート,平均レートといった申告パラメータが用いられる.実際のトラヒックの特性が申告した値以下であれば,申告に違反していないと判断する. この枠組みが成立するためには,申告値から推定した通信品質が,申告に違反しない全てのトラヒックに対する最悪値を与えていなければならない.従来はこの性質を仮定した上で議論が進められてきた.実際,ピークレートについては上記性質が満たされる.ところが,通信品質としてセル損失率を考えたとき,平均レートは必ずしも上記性質を満たさない.本章は,ATMの品質保証の枠組みにこのような問題が存在することを指摘し,それを回避して品質保証の枠組みを回復するための方法について論じた. 第3章では,ユーザが申告するピーク及び平均レートを用いて,ATMのセル損失率上限値を一定時間内で推定する方法,及び呼受付制御への応用を論じた.ここで,セル損失率の上限値は,セルのバッファ容量に比べてトラヒックのバースト長が極端に長い場合の極限として与えている.このセル損失率上限値推定方法は,従来提案されていたの同種の計算手続きに含まれている「畳み込み」の計算を不要とした.このため,コネクション数,異なる申告値を持つコネクション種別数に依存せず,常に一定時間内でセル損失率上限値の推定処理を実行することが可能となった.これにより,呼受付制御における通信品質の実時間推定に利用することが可能となった. 第4章では,アラン分散の概念を利用してATMトラヒックのバースト性を表現する方法,及び実際の計算方法について論じた.この方法は,観測する時間スケール(時間分解能の粗密)によってトラヒック量の分散がどのように振舞うかを調べるものである. 本章は,VP使用率に関するアラン分散を定式化することでATMトラヒックのバースト性を表現し,その量がユーザの申告パラメータのみから計算可能であることを示す.この定式化では,バースト性の強さが時間の関数として得られ,これを介してバッファ容量と容易に関連づけられるという利点がある. 第5章では,第4章で得られたアラン分散によるバースト性の表現を利用して,第3章のセル損失率上限値推定法を一般化し,トラヒックが有限バースト長を持つ場合にもセル損失率の実時間評価を可能とする方法を論じた.これによって,トラヒックのバースト長に比べてセルバッファ容量が無視できない場合にもセル損失率を評価することが可能となる.ATMがデータ通信のバックボーンネットワークとして位置付けられてきていることから,この一般化は本質的に重要である.またこの評価方法は,第3章の場合と同様に常に一定時間で処理が終了する.つまり,処理時間はコネクション数,異なる申告値を持つコネクション種別数だけでなく,バッファ容量にも依存しないという特徴を持つ. このセル損失率の実時間推定法を用いて,複数のサービスカテゴリが混在する場合の呼受付制御への応用を論じた.これにより,統計多重効果を考慮した呼受付判定を一定時間内で行うことが可能になる(図2). 図2 提案するATM呼受付制御の計算時間 第6章では,ATMで唯一フィードバック型品質制御を行うABRについて,複数サービスカテゴリの混在下で最小セルレートの保証の可能性を評価する方法について論じた.他のサービスカテゴリからの影響によるABRバッファの待ちセル数の時間変化を,拡散近似を用いて記述した.このとき拡散係数は第4章のアラン分散で決定され,時間依存性を持つことが特徴である.またバッファ溢れを表現するために,バッファの縁に鏡像法を用いた境界条件を導入した. また,上記分析結果に基づき,最小セルレートの保証の可能性を制御するための,ABRバッファの輻輳判定閾値の制御法を与えた.この閾値は,ユーザの申告パラメータのみから実時間で算出することが可能である. 第7章では,IP通信サービスにおける宛先IPアドレスの生起傾向のモデル化について論じ,アクセス回数と宛先IPアドレス数を関係付ける「双対ジップ模型」を提案した. 宛先IPアドレスの生起傾向は,ユーザの付和雷同的な振舞いが直接反映するため,ランダムな統計的性質を仮定したモデル化は不適当である.本章は,言語学や社会現象の記述に用いられるジップの法則を利用し,HTTP通信の宛先IPアドレスの生起傾向に対してジップの法則が2種類の観点から適用可能であることを示す.更にこれらの相補的組み合わせによりアクセス回数と宛先IPアドレス数を関係付ける双対ジップ模型をモデル化する. このモデルに含まれるパラメータは1つだけであり,その値はアクセス履歴から容易に決定できるという特徴を有する.また,いくつかの異なるアクセス履歴の分析により,このパラメータはネットワークの違いに影響されず,殆ど同じ値であることが確かめられた. 第8章では,第7章の双対ジップ模型の結果を用いて,ATMネットワークをバックボーンとした大規模IPネットワークにおいて,パケット転送性能を左右するアドレス解決処理の性能について論じた.またアドレス解決処理に用いるキャッシュの設計指針を導出した. アドレス解決処理は,パケットの宛先IPアドレスから,実際に転送処理に用いるATMアドレスを解決する処理である.高速化のため,この処理にはキャッシュを用いる構成が想定される(図3).キャッシュでアドレス解決ができない場合,サーバに問い合わせて解決する等の重負荷の処理が必要になり,スループットにも影響する.このためキャッシュのヒット率を適切に評価することが,ネットワーク設計上重要な課題である.従来,キャッシュの分野は実験式による評価が主体であり,性能の理論限界等を導くこと等は不可能であった.本章は双対ジップ模型によるキャッシュヒット率導出の系統立った手続きを示し,キャッシュヒット率の推定法,キャッシュヒット率の上限値導出を行った.またこれらの結果から,キャッシュ容量及びエントリの書き替えアルゴリズム(エージングアルゴリズム)に関するキャッシュ設計指針の導出に結び付けた. 図3 アドレス解決処理機構の構成 第9章では,本研究で得られた結果のまとめを簡単に述べる. |