本研究はイオンビーム照射法を絶縁性材料の物性改質および機能付加手段として用いることを念頭に置いて、アルミナにおよびポリイミドに対して照射を行い、改質層の物性変化について検討を行ったものである。以下に各章の内容をまとめる。 第1章においては、絶縁性材料の放射線照射に関する研究と照射効果が物性改質に用いられる例について紹介し、技術的制約によりイオンビーム照射法がこれまであまり用いられてこなかった背景について述べた。次に材料研究の分野で近年利用可能となった新しいイオンビーム技術について紹介し、これらが絶縁性材料の改質に対して有望であることを述べた。本研究においては、これらの新技術のうち高エネルギー、大電流イオンビームを用いた高濃度イオン注入による改質、高エネルギー付与による改質の二つに着目した。このうち前者は絶縁性セラミックス中へのクラスター(微粒子)生成に対して有効であり、1nmから数十nmのクラスターを広範囲に分散させることにより光学的非線形結晶や非オーム的導電体の作製が期待される。一方、後者は高分子薄膜を前駆体とした炭素膜の生成に有効で、表面コーティングや非金属導電回路、選択性分子透過膜としての応用が期待される。それぞれの改質対象としては調査の結果、単結晶アルミナ(絶縁性セラミックス)およびポリイミド(絶縁性高分子)が優れていることを示した。イオンビーム照射によって物性制御を行う上では作製する原子層のミクロスコピック(原子レベル〜nmオーダー)な物性について明らかにすることが重要であり、その手段として各種表面分析と電気物性測定が適していることを述べた。 第2章においては「イオン照射による絶縁性セラミックス中への機能層の作製」というサブテーマで、単結晶アルミナに対する鉄、ニッケル及び銅の遷移金属イオンの高濃度注入実験を行った結果と考察について述べた。本実験は金属クラスター(微粒子)の生成およびそのサイズ制御を行うことと、これまでに明らかにされていない絶縁体中における注入イオンの集合状態や酸化状態、電気的性質、熱処理時の拡散挙動とそのメカニズムなど、機能的原子層を作製する際に必要な物性を解明することを目的とした。 ニッケルイオン(3MeV,1.6x1018cm-2)、鉄イオン(0.38MeV,2.6x1017cm-2)、銅イオン(0.38MeV,2.6x1017cm-2)注入試料についてX線回折(XRD)測定によりクラスター(金属相)の検出を行った。その結果全ての試料において金属クラスターの生成が確認され、その平均粒径はそれぞれ14nm(Ni)、4nm(Fe)、5nm(Cu)であった。照射欠陥の回復およびクラスターのサイズ制御を行うため、1073K、空気中において熱アニールを行った結果、鉄および銅クラスターサイズは図1に示すように変化した。短時間のアニールにより鉄の場合は20nm、銅の場合には40nm程度までクラスターが成長することが明らかになり、クラスターサイズが制御可能であることが示された。 図1 高濃度イオン注入によって単結晶アルミナ中に生成したクラスターの熱アニール(1073K)によるサイズ変化 鉄クラスターのサイズはアニールを継続することによって減少に転じたが、銅のクラスターは継続的に成長し、96時間のアニールにより100nm以上に成長した。このクラスター成長挙動の違いを検討するため、ラザフォード後方散乱分析(RBS)によって元素の拡散挙動を測定した結果、鉄の場合には表面方向への選択的拡散により、酸化物が析出していることが明らかになった。この析出のメカニズムはアモルファス化したアルミナマトリックス中における鉄の拡散速度が大きいことと、表面近傍において平衡酸素分圧の低い順にヘルシナイト(FeAl2O4)およびヘマタイト(Fe2O3)の層が生成することによって説明される。表面に析出したヘマタイト層は原子間力顕微鏡(AFM)観察およびXRDの結果より、アルミナ基板との相互作用によって配向成長していることが明らかになった。この析出層は酸化物同士が複合酸化物を介して連続した組成変化により接合を形成したものと考えることも可能で、これまでにない改質効果として注目に値する。一方、銅の場合にはアモルファス化したマトリックスの再結晶が完了するとともに表面側への拡散は起こりにくくなり、クラスターが成長することが明らかになった。アニール雰囲気の酸素分圧を低減した場合、鉄イオン注入試料においてもクラスターの成長が促進された。以上の結果より酸化挙動の違いがクラスター成長に大きく影響することが示された。 鉄イオン注入した試料の光電子分光(XPS)におけるFe2P2/3ピークの深さによる変化を図2に示す。注入イオンの存在状態に関して、鉄原子の濃度が高い飛程付近においては金属状態(706eV)が支配的であり、浅部の濃度が低い領域においては酸化された状態(710eV)が支配的であることが明らかになった。このことより、クラスター生成に関与していない孤立元素が酸化状態にあることが示唆された。表面から酸素が十分に供給されたアニール後の試料においても、飛程付近においては金属状態が確認された。これはクラスター生成によって酸化が抑制された結果であると考えられる。一方、銅の場合には表面近傍に移動した一部の原子が平衡酸素分圧の低い微量の酸化物(Cu2O)を生成しているが、表面への析出は起こっていないことが示された。 図2 アルミナに注入された鉄原子のXPS Fe2P3/2スペクトル(上:高濃度部分、下:低濃度部分) 電気抵抗測定から注入層における電気伝導パスは金属濃度の最も高い飛程近傍に限定されること、イオンの分布の幅、照射種によらないことが示された。ニッケルを注入した試料に関してクラスター間を熱活性化トンネリングによって電子が移動するモデルを適用し、電気伝導率の変化からクラスターサイズについて見積もった結果、フルエンスの増大に伴ってクラスターサイズも増加することが示された。また、電流-電圧測定から注入層は非オーム的導電性を示すことが明らかになり、フルエンスの増加とともにその傾向は顕著になった。 第3章においては「イオン照射による機能性炭素膜の作製」というサブテーマでポリイミド(C22H10N2O5)に対して4MeVのニッケルイオン照射を行い、高いエネルギー付与による炭素化効果を用いて新規な炭素膜の作製を行い、この炭素膜の作製段階における表面の元素組成と炭素の結合状態の変化、微細構造、表面形状の測定結果と考察について述べた。 XPSの半定量分析により、高エネルギー重イオン照射の炭素化効果は顕著であり1x1016cm-2という比較的短時間で達成可能なフルエンスにおいて、表面の炭素原子の割合が75%から91%まで増加し(図3)、炭素-炭素結合の割合も初期の60%から82%以上に増加することが明らかになった。 図3 4MeV Niイオン照射によるポリイミド表面の炭素に対する窒素、酸素の存在比率の減少 AFMによる表面観察の結果、4x1014cm-2照射試料においては直径10nm程度のバブル状の隆起が多数観察され、1x1015cm-2照射試料においては直径30から100nmのすり鉢状のバブル痕がみられた。RBS測定によって浅部の密度が減少していることが明らかになり、ガスの蓄積が裏付けられた。この大きいバブルの生成については、深部からのガス発生量の大きい高エネルギーイオン照射特有の問題であると考えられる。しかし一方で、剥離やクラックなどのマクロスコピックなダメージは見られず、膜としての健全性は保たれていた。 弾性散乱検出法(ERD)により、生成した炭素膜の表面においては水素濃度がほぼ0であることが判明した。水素原子によるsp3炭素の安定化が期待できないことから、本炭素膜はsp2炭素が主体であることが示された。ただし、炭素化に十分なエネルギー付与を受けていると思われる飛程の半分程度の点においては、未照射膜に匹敵する水素を含有しており。この領域の解析に興味が持たれる。 ラマン分光測定からはフルエンスの増大により膜はランダムな構造に近づき、ランダム化した部分には黒鉛微結晶と多環芳香族化合物が生成していることが示された。 また、抵抗の温度依存性測定からは生成した炭素層のネットワークは1次元的であり、ポリイミド鎖の配向の影響を何らかの形でうけていることが示唆された。また、シート抵抗の値は1013から102まで大きく低下し、sp2炭素を中心とした高導電性膜であることが明らかになった。 第4章においては、本研究の結論を述べた。高濃度金属イオン注入により絶縁性セラミックス中に金属クラスターが生成され、照射量、熱処理熱条件の選択によりそのサイズのコントロールが可能であること、非オーム的導電層や金属導電層の形成や連続的組成変化を持った表面酸化物層の形成が可能であることが示された。また、高エネルギーイオン照射によってポリイミドを効果的に炭素化することが可能であり、本手法によって得られる炭素薄膜はランダムな構造をもつ高導電性膜であることが示された。以上の結果より、高濃度注入、高エネルギー照射を用いたイオンビーム照射法を絶縁性材料に適用することにより機能的原子層を作製することが可能であり、本手法は物性改質手段として有効であると結論できる。 |