低エネルギー型電子線照射装置は、紙、フィルム上の樹脂の硬化・架橋といった比較的薄い塗膜の加工に用いられており、粘着材の硬化、化粧紙の表面改質やフィルム表面に機能を持たせるなど、工業製品に応用されている。電子線(EB)照射は従来の熱を用いた硬化・架橋に比べ、熱に弱い材料に応用可能であるといった特徴や硬化時間の短縮が可能であり、省エネルギーといった社会的に面からも注目されている技術である。紫外線照射は必要とされる開始剤がEBでは不要であり、顔料を添加した材料でも硬化可能であるなど、紫外線に比べても種々の特徴を持っている。EB照射は、紙、フィルムに反応性材料を塗布し溶媒除去後に行うため、重合は反応性材料の自由度が少ない状態で進行する。このため、乾燥した塗膜の構造がそのまま重合物の物性や機能に影響を与えるものと考えられる。また、低い照射線量で高い反応系が得られれば、加工コストの低減が可能である。このことから、EB固相状態での重合反応について検討し、さらに機能性の薄膜の合成について研究した。 本論文は序論と2編8章から成る。序論では、低エネルギー型電子線を含む放射線照射による重合、液晶性モノマーなどの重合挙動、および重合物の物性などにつきこれまでの研究がまとめられている。第1編では、液晶化合物の持つ高い分子配向性に着目し、その低エネルギー型電子線固相重合について調べた。固相状態の液晶および非液晶性のモノマーに電子線照射を行い、それらの重合挙動、および液晶と非液晶化合物における配向状態の重合に及ぼす影響に主眼をおいて研究を進めた。第2編では、液晶化合物とモノマーとの混合系に電子線照射して得られる、光スイッチング特性を持つ液晶化合物と高分子から成る複合膜材料につき研究した結果を述べる。 第1章は、液晶性アクリレートモノマーの固相重合反応を検討することにより、液晶性のもつ配向性が反応性にどのように影響を与えるのかを調べた。6種のフェニルベンゾエート基をメソゲン基とする1官能性アクリレートモノマーを合成し低エネルギー型電子線照射装置を用い、EBの照射エネルギーとポリマー収率さらには得られたポリマーの分子量の測定を行った。まず、液晶及び非液晶性モノマーの固相重合反応について検討を加えた。アクリロイル基とメソゲン基のアルキル鎖の長さがヘキサメチレン結合を有し、末端アルキル鎖がエチレン基有する液晶性を示さないアクリレートモノマーと末端アルキル鎖がヘサメチレン鎖を有する液晶性アクリレートモノマーの室温での重合反応について比較したところ、同じEB照射条件下では液晶性モノマーの方がポリマー収率は高く、より高分子量の重合物が生成した。これは、液晶性モノマーがより反応しやすいように反応性基であるアクリロイル基が近接したためと考えられる。さらにアクリロイル基とメソゲン基とのアルキル鎖の長さはポリマー収率に依存した。エポキシ基の導入することにより、EBの照射量に関係なく反応生成物は不溶性ポリマーが生成した。このことから、液晶性を示す反応性材料は、高いポリマー収率を与え、新規な材料であることを示唆した。 第2章では、フェニルベンゾエート基をメソゲンとする1官能液晶性アクリレートモノマーの電子線固相重合時におけるメソゲンと温度の影響について検討した。液晶性モノマーの各相(結晶、液晶、等方性液体)で重合したところ、ポリマーの収率は反応温度よりも、相状態に依存し、等方性液体より液晶相の方が反応性が大きいことがわかった。これらは液晶相で形成される分子の配向に起因するアクリロイル基の立体的な影響であると考えられる。また、メソゲン基を有するが非液晶性のアクリレートモノマー及びメソゲン基を持たない結晶性メタクリレートモノマーに、フェニルベンゾエート誘導体の液晶性化合物を混入して重合したところ、メソゲン基を有する非液晶性モノマーは液晶性化合物の添加量に比例して反応率が増加した。しかしながら、メソゲン基を持たない結晶性モノマーの反応率は液晶性化合物の添加量に依存しなかった。メソゲン基を有するモノマーとの混合物は偏光顕微鏡観察で、モノマーと液晶化合物がそれぞれ局在化していること、又、示差走差熱量計(DSC)では液晶相を示す発熱ピークが観察された。このように液晶化合物を添加した重合系は、固相重合における反応制御の新しいマトリックスであると考えられ、プロセル時間の短縮をもたらすことを見出した。 第3章では、第2章で得られた液晶化合物の添加効果について、さらに検討を加えた。カルボキシル基を有する非液晶性1官能メタクリレートモノマーと液晶化合物との混合物の電子線照射による固相重合反応について検討した。モノマーとしては安息香酸基を有する4-[(-(メタ)アクリロイルオキシアルキルオキシ]安息香酸を用いた。アルキル基としてエチレン、ヘキサメチレン、及びウンデカメチレン基を有するモノマーからポリマーへの転化率は、末端にカルボキシル基を有する液晶化合物、すなわち4-n-アルキルオキシ安息香酸の添加量に依存したが、一方、末端にカルボキシル基を持たない液晶化合物の添加量には依存しなかった。添加した液晶とモノマーの相溶性は偏光顕微鏡観察と示差走査熱量計分析により評価した結果、すべてのモノマーと4-n-アルキルオキシ安息香酸または末端にカルボキシル基を持たない液晶化合物との混合物は広い範囲で液晶性を示した。しかしながら、末端にカルボキシル基を有する液晶化合物のみ、その添加量にポリマー収率が増加したことは、メタクリレートモノマーと液晶化合物の両方にもつカルボキシル基の水素結合の形成によるものと推定した。得られたポリマーのNMRにより定量した立体規則性は照射線量や重合温度に依存した。しかし4-n-アルキルオキシ安息香酸の添加量には依存しないことが確認されので、4-n-アルキルオキシ安息香酸の添加ではポリマーの立体規則性をも影響を与えなかった。以上の様にメソゲン基を持たないモノマーでも適切な液晶化合物を添加することにより、反応性の制御が可能であり、新規な反応性材料として期待できることを示唆した。 第4章では、非液晶性1官能メタクリレートモノマーとシアノ基をメソゲンに有する液晶化合物との混合物の構造と熱的性質について調べた。1官能モノマーはビフェニル基またはフェニルベンゾエート基をもつ3種で、モノマー自身は液晶性の発現は見られなかった。一方、液晶性化合物はメソゲンとしてシアノビフェニルまたはシアノフェニルベンゾエート基を有するものを用いた。液晶化合物として4-シアノフェニル4-n-オクチルオキシベンゾエートはスメクチックA相の発現は確認されないが、1官能モノマーの4-ブチルオキシ-4’-(-メタクリロイルオキシヘキシルオキシ)ビフェニルとの等モルの混合物はスメクチックA相を誘起した。モノマーと液晶化合物の混合により、より高度に配向したスメクチック相の発現は、EB照射による重合挙動に大きな影響を与えるものと期待される。複数の材料の混合系での重合はコーティング製品の製造に一般的に用いられる手段であり、配向を制御した混合系の作製は重合を制御できる手段になるものと考えられる。 第5章では、第1章及び第2章ではフェニルベンゾエート基をもつモノマーについて検討したが、本章ではビフェニル基を有する液晶性モノマーにおいても、同様の重合性制御の可能性について調べた。更に、第4章で示した、スメクチックA相が誘起した混合物、すなわち1官能モノマーの4-ブチルオキシ-4’-(-メタクリロイルオキシヘキシルオキシ)ビフェニルと液晶性4-シアノフェニル4-n-オクチルオキシベンゾエートの混合系の重合挙動について検討した。その結果、ビフェニル基を有するモノマーであっても、液晶を示すモノマーは高いポリマー収率を与え、液晶性を示すことが重合を支配する大きな因子であることが分かった。スメクチックA相を誘起した混合物は、スメクチック相を誘起したにも拘わらず、そのポリマー収率には変化が認められなかったが、分子量の増加のみが確認された。 第2編では、液晶と高分子からなる複合膜の電気光学特性と物理的性質に関し検討した。第2編第1章は、ネマチック液晶とメタクリレートモノマーの均一な混合物の低エネルギー型電子線照射装置により、高分子網目状にネマチック液晶が存在する高分子複合膜を合成した。重合温度、モノマー濃度、電子線照射エネルギー等の重合条件が、得られた高分子フィルムの電気光学特性に及ぼす影響を調べた。電子線照射エネルギーやモノマー濃度は、ポリマー収率を大きく変化させ、しかも高分子フィルムの電気光学特性に大きく影響した。また、用いるメタクリレートモノマーを選択することにより高分子フィルムの電気光学特性の印加電圧を低下させ、さらには重合率の向上をもたらし、結果として信頼性の高い複合膜の作製を可能とした。良好な電気光学特性を有する高分子複合膜を得る方法として、EB照射して得た複合膜中に含まれる不純物を含む液晶と純度の高い液晶の入れ替える方法を見出した。 第2章は、高分子複合膜を表示媒体として用いる問題点として、(1)駆動電圧が高い、(2)透過率の急峻性が低い、及び(3)ヒステリシスを有する等が挙げられる。本章では、ヒステリシスに及ぼす因子を光透過率-印加電圧特性及びキャパシタンス(静電容量)-印加電圧特性より評価した。その結果、光透過率-印加電圧特性からは複合膜のモルフォロジーがヒステリシスに大きく関与し、液晶化合物が網目状に存在する膜は、粒状に存在する膜に比べヒステリシスが小さいことが確認された。さらに、キャパシタンス-印加電圧特性から液晶分子の配向を検出したところ、複合膜のモルフォロジーに依存する他に、高分子マトリックスが電圧印加により変形する分子運動性に起因しているものと推察され、架橋密度の高い材料では印加電圧の履歴を受けにくく、その結果ヒステリシスが小さくなったものと考えられる。 第3章では、液晶と高分子からなる複合膜の液晶材料の影響について記した。表示材料としてコントラストが高いことは、見やすい表示材料として不可欠な因子であり、散乱と透過の光透過率の変化が大きいほど良いことになる。液晶材料の屈折率異方性が高いほど、その変化は大きいと考えられるが、2官能モノマーと4種の液晶により得られた複合膜は、ほぼ同じ屈折率異方性を有するにも関わらず、良好なコントラストを示す高分子の数珠状に連なった構造と3次元網目構造が得られた。また、応答速度も液晶材料自身の特性に基づくものではないことが確認された。このことは、複合膜の構造及び液晶とマトリックス高分子との相互作用に大きく電気光学特性がが起因しているものであることが確認された。 以上、低エネルギー型電子線照射装置を用い、液晶材料のもつ配向性に着目し、新しい重合反応性モノマーとしての可能性について検討を行った結果以下の結論を得た。種々の構造を有する液晶性モノマーを合成し、その重合挙動について検討した結果、重合性の制御が可能となり、さらには、最適な液晶化合物を選択することで、重合挙動を変化させる得ることが可能であることを見出した。以上の基礎的研究をもとに、機能性材料の開発を行い、機能性は電子線照射エネルギー、反応性モノマーの選択、および得られた高分子と液晶の相互作用に依存することを明らかにした。 |