学位論文要旨



No 214280
著者(漢字) 山越,葉子
著者(英字)
著者(カナ) ヤマコシ,ヨウコ
標題(和) 光励起フラーレン類の生物活性に関する研究
標題(洋)
報告番号 214280
報告番号 乙14280
学位授与日 1999.04.14
学位種別 論文博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 第14280号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 長野,哲雄
 東京大学 教授 今井,一洋
 東京大学 教授 小林,修
 東京大学 教授 嶋田,一夫
 東京大学 教授 柴崎,正勝
内容要旨

 C60,C70などのフラーレン(図1)は,1985年にダイヤモンド,グラファイトに次ぐ炭素第三の同素体として発見された化合物である.C60はサッカーボールによく似たカゴ型の構造をとり,全ての炭素はsp2炭素であるが,全体の形態が球状をしているため,電子が通常の平面の縮合芳香族化合物に比較し,球の外側に偏った形で存在している.また,Lnという高い対称性に起因して,分子軌道のうちHOMOが五重に,LUMOが三重に縮退し,HOMO-LUMOギャップが小さい特徴がある.

図1

 このような性質を有するフラーレンは,機能性素材として非常に多くの注目を集めているが,生物活性に関する研究は余り進んでいない.フラーレンが多様な化学反応性を有し,高い光増感性を有することを考えると,C60が生物活性を有する可能性は十分にある.

 これまでにC60の光増感反にとして,エネルギー移動反応と電子移動反応の二種類が提起されている(図2).C60は光照射により1C60から1C60*に励起され,3C60*へと変わる.この3C60*は,タイプII光増感エネルギー移動反応により,一重項酸素(1O2-)を生じ,また他方,タイプI光増感電子移動反応を起こし,C60ラジカルアニオン(C60)を生じる.これらの活性種は,生体分子と反応し,生物活性発現に関与すると予測できる.私は,これまで殆ど報告されていなかったフラーレンの生物活性を探索することは,今までに無い新しいタイプの医薬品素材の開発という点で有意義であると考え,以下の研究を行った.

図2C60の光増感反応(TypeI,II機構)1.フラーレンの水溶化

 不溶性の化合物であるフラーレンの水溶化法の開発に取り組んだ.日本薬局方収載品で毒性の低い化合物の界面活性剤ポリビニルピロリドンを用いて可溶化を検討した.

 5%PVP存在下でのC60,C70の溶解度はおのおの400および200g/mLであった.PVPを可溶化剤として用いると,生物試験を行うために十分な高濃度のC60溶解することができた.

 この水溶液を種々の生物活性試験に適用した.その結果以下に示すC60による生物作用が明らかになった.光照射下では,(1)DNA切断活性(2)溶血活性(3)イニシエーション作用(4)抗菌作用,また,光非照射下では,(5)軟骨分化促進作用(6)グルタチオンS-トランスフエラーゼ阻害活性である.このうち(1)光照射下におけるDNA切断活性について,活性発現のメカニズムを含め詳細な検討を行った.

図3ポリビニルピロリドン
2.光照射下におけるフラーレンのDNA切断活性

 (1)C60,C70の光DNA切断活性:PVPで可溶化したフラーレン水溶液を用いて,光DNA切断実験を行った.その結果,C60,C70ともにNADH存在下でのみ有意に切断活性を示した(図4).この結果から,光DNA切断では電子移動反応によって生じる還元型活性種が寄与している可能性が示された.

図4 C60,C70の光DNA切断活性

 (2)一重項酸素(1O2)消去剤の影響:C60,C70による光DNA切断への1O2消去剤の影響を調べた.その結果,いずれの消去剤もDNA切断活性を抑制することがなく,DNA切断に1O2が関与している可能性が低いことを確認した.

 (3)スーパーオキシドジスムターゼ(SOD)の影響:還元型活性酸素種消去剤であるSODの影響を調べた.その結果,SODの添加によりC60,C70によるDNA切断活性を完全に抑制した.この結果から,スーパーオキシド(O2-)の生成がDNA切断活性の発現において重要である事が示された.

 以上,光励起フラーレンのDNA切断において,(1)活性発現には還元剤が必要,(2)1O2消去剤の影響は見られない,(3)SODの添加により活性が弱められる,という結果を得た.この結果から,還元型の活性酸素種が活性発現における活性種となっていると予測した.次にこの予測を証明するため,分光学的手法等を用いて光励起フラーレンより生じる活性種の解明実験を行った.

3.光励起フラーレンの活性酸素生成能

 (1)1O2生成能:従来光照射下におけるC60のDNA切断活性発現において活性種とされてきた1O2の生成について近赤外発光法およびEPR法を用いて検討を行った.まず,近赤外発光法を用い,ベンゼン,ペンゾニトリル中でC60からの1O2の発生量を測定した.次に,1O2生成に対する還元剤添加の影響を調べ,添加量に依存して1O2の検出量が低下することが分かった,また,溶媒の極性が高いほど効率良く1O2生成量が減少することも分かった.

 続いて,C60/PVP水溶液を用いて近赤外発光法で1O2の生成を調べたが,1O2生成に相当するスペクトルは得られなかったので,EPR法により1O2の検出を試みた.ローズベンガル水溶液からは光照射により1O2が検出されたが,C60水溶液中で1O2は検出されなかった.

 この結果は,C60は水溶液中,特に還元剤の存在下において1O2を生成しないことを示し,DNA切断の主たる活性種が1O2である可能性を否定する.

 (2)O2-生成能:DNA切断実験においてSODが切断活性を阻害することから,O2-がDNA切断に関与している可能性を示した.そこで,次に分光学的手法により,O2-の生成を確認することとした.

 最初に,EPR法を用い,O2-の検出を試みた.EPR法ではスピントラップ剤としてまずDMPOを用いた.その結果,図5に示すように,光照射下,還元剤存在下でのみC60/PVP水溶液中においてO2-の生成が見られた.それに対し,光非照射下,還元剤非存在下,あるいは,C60非存在下では,生成は見られなかった.

図5 光照射下C60/PVP水溶液中で生成したO2-とDMPOとのアダクトのX-バンドEPRスペクトル

 次に,DEPMPOを用いて実験を行ったところ,光照射時間依存的なO2-の生成が認められた.

 さらに,NBT法によってO2-の生成を調べた.その結果,O2・生成が光照射時間,C60の濃度,還元剤の濃度に依存的であることが分かった.

 以上EPR法とNBTを用いて,光励起C60からO2-が生じていることを確認した.

 (3)ヒドロキシルラジカル(・OH)生成能:O2-を経由して生成する活性の強い活性酸素種である・OHの生成について,ESR法を用いて検討した.・OHとDMPOのアダクトのピークが認められ,・OHがこの実験系において生成していることを確認した.

 (4)C60,ラジカルアニオン(C60-)生成能:O2・や・OHの生成において重要な中間体である,C60-が反応系で生成していることをESR法を用いて調べた.4-oxo-TEMPOにC60-が反応すると,ESRスペクトルが消失する.脱気条件下,還元剤存在下においてC60/PVP水溶液に光照射を行うと,4-oxo-TEMPOのスペクトルが消失した.それに対して,還元剤の非存在下,C60の非存在下,酸素存在下では4-oxo-TEMPOは消失しなかった.酸素存在下では,生成したC60-が酸素分子に電子を渡すため,C60-と4-oxo-TEMPOラジカルとの反応が起きないと考えた,以上の結果は,反応系内にC60-が生成していることを示唆する.

 以上,光励起C60のDNA切断においては還元型の活性種の生成が重要であり,図6に示すように電子移動反応を介して,生じた・OHが活性発現の本体であると結論した.この結果は,C60が高い還元電位を有する光増感剤であるという化学的特性に起因する.

図6 光励起C60によるDNA切断における活性種
4.DNA切断活性を増強した新規C60誘導体の合成およびDNA切断活性

 C60にDNAインターカレータを結合させた誘導体(図7,化合物1)を合成した.次に,C60と付加体1および付加体2のDNA切断活性を調べた.付加体1はC60や化合物2に比べ,強いDNA切断活性を示した.この結果は,C60を母核として用い,一層強い生物活性を有する化合物を合成する可能性を示す.

図7
総括

 界面活性剤PVPを用いるフラーレンの水溶化法を開発した,次に,可溶化したフラーレン水溶液を用いて,光DNA切断活性を検討し,C60,C70が光照射下においてDNAを切断することを明らかにした.活性種の検討を行い,従来提唱されていた1O2ではなく,還元型のオキシルラジカル類(O2・-,・OH)が活性発現に関わる重要な活性種であることを明らかにした.また,C60にDNAインターカレータを結合させた新規誘導体を合成し活性を調べたところ,DNA切断活性が大きく増強した.これらの結果は,フラーレンを母核とし,オキシルラジカルを活性種とする光線力学療法の薬剤など,有用な化合物の創製の可能性を示す.

審査要旨

 C60,C70などのフラーレンは,1985年にダイヤモンド,グラファイトに次ぐ炭素第三の同素体として発見された化合物である.C60はサッカーボールによく似たカゴ型の構造をとり,全ての炭素はsp2炭素であるが,全体の形態が球状をしているため,通常の平面の縮合芳香族化合物に比較し,電子が球の外側に偏った形で存在している.HOMOが五重にLUMOが三重に縮退し,HOMO-LUMOギャップが小さい特徴がある.このような性質を有するフラーレンは機能性素材として非常に多くの注目を集めているが,薬理活性に関する研究は余り進んでいない.フラーレンが多様な化学反応性を有し,高い光増感能を有することを考えると,C60が薬理活性を有する可能性は十分にある.

 これまでにC60の光増感反応として,エネルギー移動反応と電子移動反応の二種類が提起されている.C60は光照射により1C60から1C60*に励起され,3C60*へと変わる.この3C60*はタイグII光増感エネルギー移動反応により一重項酸素(1O2)を生じ,また他方,タイプI光増感電子移動反応を起こしC60ラジカルアニオン(C60・-)を生じる.これらの活性種は生体分子と反応し,薬理活性発現に関与すると予測できる.山越はこれまでほとんど報告のないフラーレンの薬理活性を探索する事を目的に以下の研究を行った.

1.フラーレンの水溶化

 はじめに不溶性の化合物であるフラーレンの水溶化法の開発に取り組んだ.種々検討の結果,日本薬局方収載品で毒性の低い化合物である界面活性剤ポリビニルピロリドン(PVP)を可溶化剤として用いる事により生物試験を行うために十分な高濃度のC60を溶解することが可能となった.

 この水溶液を種々の活性試験に適用した結果,以下に示すC60による作用が明らかになった.光照射下では,(1)DNA切断活性(2)溶血活性(3)イニシエーション作用(4)抗菌作用,また,光非照射下では,(5)軟骨分化促進作用(6)グルタチオンS-トランスフエラーゼ阻害活性である.このうち(1)光照射下におけるDNA切断活性について,活性発現のメカニズムを含め詳細な検討を行った.

2.光照射下におけるフラーレンのDNA切断活性

 C60,C70の光DNA切断活性,1O2消去剤の効果およびスーパーオキシドジスムターゼ(SOD)の添加効果を検討した結果,光励起フラーレンのDNA切断において還元型の活性酸素種が切断活性における反応種であることが示された.

3.光励起フラーレンの活性酸素生成能

 1O2生成能,O2-生成能,ヒドロキシルラジカル(・OH)生成能およびC60ラジカルアニオン(C60・-)生成能を近赤外発光検出器,ESR法,NBT法を用いて検討した結果,光励起C60のDNA切断においては還元型の活性種の生成が重要であり,図1に示すように電子移動反応を介して,生じた・OHが活性発現の本体であると結論した.この結果は,C60が高い還元電位を有する光増感剤であるという化学的特性に起因する.

図1 光励起C60によるDNA切断における活性種
4.DNA切断活性を増強した新規C60誘導体の合成およびDNA切断活性

 C60にDNAインターカレータを結合させた誘導体(図2,化合物1)を合成した.次に,C60と付加体1および付加体2のDNA切断活性を調べた.付加体1はC60や化合物2に比べ,強いDNA切断活性を示した.この結果はC60を母核として用い,より強い薬理活性を有する化合物創製の可能性を示す.

図2

 以上,山越は界面活性剤PVPを用いるフラーレンの水溶化法を開発し,これを用いて光DNA切断活性を検討し,C60,C70が光照射下においてDNAを切断することを示した.活性種の検討を行い,従来提唱されていた1O2ではなく,還元型のオキシルラジカル類(O2・-,・OH)が活性発現に関わる重要な活性種であることを明らかにした.また,C60にDNAインターカレータを結合させた新規誘導体を合成し活性を調べた結果,DNA切断活性が大きく増強された.これらの結果はC60,C70の薬理活性を検索する上で有用な知見であり,有機光化学の研究にも寄与するところ大であり,博士(薬学)の学位を授与するに値するものと認めた.

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