学位論文要旨



No 214281
著者(漢字) 欧,周羅
著者(英字)
著者(カナ) オウ,シュウラ
標題(和) 腎疾患におけるケモカイン遺伝子発現の解析
標題(洋) Gene Expression of Chemokines in Renal Diseases
報告番号 214281
報告番号 乙14281
学位授与日 1999.04.14
学位種別 論文博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 第14281号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 井上,圭三
 東京大学 教授 今井,一洋
 東京大学 教授 岩坪,威
 東京大学 助教授 漆谷,徹郎
 東京大学 講師 東,伸昭
内容要旨 1.序論

 腎機能を失って慢性腎不全に陥り、人工透析や腎移植に頼らざるをえない患者は未だに少なくない。慢性腎不全の対策には、その主因である糸球体腎炎の治療或は進行の阻止が重要であるが、糸球体腎炎、特に半月体形成を伴い急速に進行する糸球体腎炎の機序については依然として不明である。半月体とは糸球体ボーマン腔に細胞や細胞外基質が集積することによりできた三日月のような構造であり、糸球体毛細血管壁の障害とそれに続くボーマン腔へのフィブリンなどの血漿成分や血球の流出による炎症反応の進行、さらに続くボーマン嚢の破壊の結果だと考えられる。半月体の形成は糸球体の濾過機能を妨害することが容易に想像され、臨床上半月体形成が見られる糸球体腎炎は進行が速く、予後が悪いのが特徴で、その多くは腎不全に陥る。

 近年、糸球体腎炎における単球/マクロファージ及びTリンパ球の役割が注目され、その発症・進行への関与が推測されている。すなわち、腎炎患者においてしばしば糸球体や腎間質への単球/マクロファージやリンパ球の浸潤が観察され、いくつかの腎炎動物モデルにおいて単球/マクロファージの除去により腎炎の発症が抑制されると報告されている。これらのことから、これらの白血球又はその関連因子は腎疾患治療のターゲットになりうると考えられる。

 ここ10年、白血球浸潤に関連する化学遊走因子としてケモカインが次々と同定され、注目を集めている。ケモカインとは分子量1万前後の塩基性蛋白質で、その分子構造上で一つ目と二つ目のシステイン残基が隣接しているか否かによってCXC,OC,Cの3群に大別される。その内、IL-8を代表とするCXCケモカインは主に好中球に作用し、MCP-1などOCケモカインは主に単球/マクロファージ、リンパ球に作用することが知られいる。最近報告されたCケモカイン群の唯一のメンバーである1ymphotactinはCD8陽性Tリンパ球などにより産生され、CD8陽性Tリンパ球及びNK細胞をターゲットとするとされている。これらのケモカインが腎疾患を含め病態とどう関連するのかは殆ど分っていない。また、ケモカインの生体内作用の複雑さが次第に浮き上がり、混乱を生じているのが現状である。例えば、最もよく研究されているMCP-1について、その中和抗体の投与により腎炎動物モデルにおける組織内単球/マクロファージの浸潤および尿蛋白が部分的に抑制できるという報告もあれば、MCP-1またはその受容体の遺伝子を欠損させたマウスでは単球/マクロファージの組織浸潤は変わらないという報告もある。従って、類似性の高い数多く存在いているケモカインの役割が未解決の問題として残されている。

 私はケモカインを臨床診断及び治療の標的とするには、まず疾患時における各ケモカインの発現パターンを明らかにし、病態との比較によって、その標的を絞ることが重要だと考えた。本研究ではその発現パターンを解析することにより病態との関連を解明し、半月体形成など病変の進行に関して重要な役割を担うケモカインの同定を目指した。

2.本論2.1.腎疾患動物モデルを用いた研究2.1.1.半月体性糸球体腎炎

 半月体性糸球体腎炎とは80%以上の糸球体に半月体が認められる糸球体腎炎を指す。私はまずこの最も重篤な糸球体腎炎の動物モデルでケモカインの発現を調べた。

 WKY系ラットに少量の抗糸球体基底膜抗体を尾静脈より投与すると、激しい炎症像を呈し、急速に進行する半月体性糸球体腎炎が惹起される。尿蛋白の増加、腎機能の低下が進行し、3カ月ぐらいの経過で死に至る。このモデルでは、糸球体内CD8陽性Tリンパ球、単球/マクロファージの浸潤、半月体形成に伴って、調べたMCP-1,MCP-3,TCA3,MIP-1,MIP-1,RANTESなど6種類のOCケモカインmRNAの発現亢進が観察された。また、CD8陽性Tリンパ球に特異性の高いCケモカインlymphotactin mRNAの発現量も上昇し、同モデルにおけるCD8運陽性Tリンパ球との関連が示唆された。

2.1.2.巣状糸球体硬化症

 次に私は巣状糸球体硬化症のモデルとしてpuromycin amin on ucleoside腎症でのケモカイン発現を調べた。puromycin amin on ucleosideはかつて使っていた抗生物質puromycinの誘導体で、ラットに頚静脈から投与すると、1-2週間の急性期の後に徐々に進行し、18週ぐらいから巣状糸球体硬化症が発症する。その結果、単球/マクロファージ、CD4陽性Tリンパ球及びCD8陽性Tリンパ球の浸潤に先立って、一部のケモカイン(MCP-1,MCP-3,TCA3,MIP-1)mRNAの顕著な発現上昇が見られた。その発現パターンは前述の半月体性糸球体腎炎モデルと違うことが分かった。

2.1.3.一過性蛋白尿

 続いて私は別の腎疾患動物モデル、抗ジペプチジル・ペプチダーゼIV抗体腎症モデルにおけるOCケモカイン及びCケモカインmRNAの発現を測定した。ラットにウサギ抗ジペプチジル・ペプチダーゼIV抗体を腹腔内に投与すると、急速かつ一過性の尿蛋白が見られる。このモデルを用いて測定した結果,高度の蛋白尿が出現する抗体投与後2日目に、 MCP-1、MCP-3mRNAの発現が約7倍増加したが、間質マクロファージの増加は僅か1.5倍程度であった。

 以上の白血球浸潤像の異なる三種類の腎疾患モデルの検討から、それぞれ複数のケモカインが誘導されること、腎疾患によってケモカイン発現パターンは異なることを明らかにした。これらの結果から、ケモカインの発現パターンは白血球の浸潤像や糸球体病変の進展に関連することが考えられる。また、lymphotactinなど数種のケモカインmRNAの発現亢進が半月体性糸球体腎炎のみで見られたことから、これらは半月体形成との関連が考えられる。

2.2.IgA腎症患者腎生検サンプルを用いた研究

 以上の腎疾患動物モデルでの結果を踏まえて、ヒトの腎疾患においてケモカインはどう動いているかを知る目的で、臨床腎生検サンプルを用いて検討した。様々な腎疾患から、私は臨床上の重要性を念頭にIgA腎症を解析対象として選ぶことにした。IgA腎症は糸球体メサンギウム領域にIgAが沈着する増殖性腎炎の一つで、慢性腎炎の40%を占め、その臨床経過は様々で、腎生検後20年に約40%の患者が慢性腎不全に移行する。そのため、早期対応策が求められている。

 IgA腎症患者39例の腎皮質サンプルを開放性腎生検により採取した。またその一部から顕微鏡下で糸球体を分離し、5個以上の糸球体を集積できた28例については糸球体も解析に用いた。コントロールとして5例の特発性腎出血患者の腎生検サンプルを用いた。腎生検サンプルから抽出した僅かなRNAをtemplateとし、改良したRT-PCR法によりケモカインmRNAを測定し、一部ではその発現量をglyceraldehyde-3-phosphate dehydrogenaseの値で補正し、相対値として定量した。また、ヒトの外科手術により切除された病変部周囲の正常脾臓組織からRNAを抽出し、positive controlとして用いた。

 その結果、コントロールに比べ、IgA腎症患者の腎皮質においてMCP-1,lymphotactinとMIP-1、糸球体においてMCP-1とlymphotactin mRNAレベルが上昇した。腎皮質MCP-1,lymphotactin mRNAの発現増加は半月体形成との間で有意な相関が見られ、中ではlymphotactinと半月体形成の相関が特に顕著であった。腎皮質MCP-1,lymphotactinmRNAの発現はそれぞれ尿細管間質変化、尿蛋白との間でも有意な相関が認められた。また、一部のIgA腎症患者で半月体形成を伴う糸球体の周囲にlymphotactinのターゲットとされるCD8陽性Tリンパ球の顕著な浸潤が観察され、両者の関連が示唆された。

3.結論.

 以上の結果から、腎疾患におけるケモカイン発現パターンの多様性を明らかにしたと同時に、IgA腎症患者においてlymphotactinが半月体形成と強く相関することを初めて示唆した。すなわち、半月体形成を伴い急速に進行する糸球体腎炎の機序の解明に新しい知見を加え、その進行阻止につながる重要な関連因子の一つを見出した。一方我々の共同研究者の堀田らはIgA腎症患者では尿中CD8陽性Tリンパ球、NK細胞の割合が高く、尿中NK細胞数が半月体の有無と相関があることを報告している。これらのことから、何らかの原因で腎固有細胞などがlymphotactinを産生、放出して、CD8陽性Tリンパ球及びNK細胞を病巣へ動員し、またCD8陽性Tリンパ球自身が作った1ymphotactinもこの連鎖反応をさらに加速することが半月体形成の重要な一環だと考えられる。強い細胞毒性を持つCD8陽性Tリンパ球、NK細胞がいったん活性化されると、直接或は単球/マクロファージとの連携で毛細血管壁またはボーマン嚢などの破壊を招き、半月体の形成と進行に大きな影響を与える可能性かあると考えられる。

 lymphotactinが半月体形成と強い相関を示したことから、IgA腎症など腎疾患の診断のマーカーまたは治療の標的になる有力な候補者であると考えられる。今後、尿中1ymphotactinの測定系を作成するなど、臨床応用に向けてこの研究を続けたいと考えている。

 1999年2月26日

審査要旨

 糸球体腎炎、特に半月体形成を伴う腎炎は進行が早く予後が悪くその多くは腎不全におちいる。現在までこの疾患の機構は不明であり、進行の抑制などの治療の見通しはまったく立っていない。最近単球やマクロファージ、Tリンパ球の糸球体への浸潤が観察され、またこれら細胞の除去により腎炎発症が抑制されることからこれら細胞の関わりが推測されるようになった。本研究は白血球浸潤に関与するケモカインの発現パターンを解析し、病変に重要な役割をになうケモカインを同定し、治療へのターゲットを見つけようとするものである。

 腎疾患動物モデルを用いた検討

 抗糸球体基底膜抗体をラット尾静脈より投与して半月体性糸球体腎炎を惹起したところ、糸球体内にCD8陽性T細胞、マクロファージ浸潤、MCP-1など6種類のCケモカインとCD8陽性T細胞に特異性の高いリンフォタクチンのmRNAの発現量の上昇が観察された。またピュウロマイシンアミノヌクレオシドをラット頚動脈から投与し、巣状糸球体硬化症を惹起したところ、マクロファージ、CD4陽性T細胞、CD8陽性T細胞の浸潤に先立ってMCP-1、MCP-3、TCA3のmRNAの顕著な発現上昇が認められた。軽度の腎疾患モデルとしてラットに抗ジペプチジルペプチダーゼIVを腹腔内投与し、一過性蛋白尿症を惹起した。MCP-1、MC-3mRNAの発現は7倍まで上昇したが、間質マクロファージの増加はほとんど観察されなかった。ケモカイン発現パターンは白血球の浸潤像、糸球体病変の進展と密接に関連し、特にリンフォタクチンなどのケモカインの発現が半月体形成と関連する可能性が高いと考えられた。

 IgA腎症患者生検サンプルを用いた検討

 ヒトの腎疾患においてケモカインがどう動いているかを臨床サンプルを用いて検討した。慢性腎炎の40%をしめるIgA腎症は糸球体メサンギウム領域にIgAが沈着する増殖性腎炎で予後は一般に悪い。生検サンプルより顕微鏡下糸球体を分離、各種ケモカインmRNA量をRT-PCR法で測定した結果、MCR-1、リンフォタクチンmRNAが正常と比較して著しく増加していた。リンフォタクチンmRNAと半月体形成の間では高い相関が認められたし、一部の患者サンプルで半月体形成糸球体の周囲にCD8陽性T細胞の顕著な浸潤が観察された。これらの事実より、ヒトでもリンフォタクチン、CD8陽性T細胞浸潤、病変進行の深い関連の可能性が示された。

 以上、本研究によって、「腎細胞より何らかの要因によって、リンフォタクチンなどケモカインが発現分泌され、CD8陽性T細胞が動員され、これらの活性化された細胞が毛細血管壁やボーマン嚢などを破壊することによって半月体形成が進行する」可能性が示された。腎炎の診断、治療への新しい道を開く可能性もあり、医療薬学の進歩に貢献するところがあり、博士(薬学)に値すると判断した。

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