学位論文要旨



No 214292
著者(漢字) 中村,有水
著者(英字)
著者(カナ) ナカムラ,ユウスイ
標題(和) GaAs(111)ファセットおよび原子ステップ構造を用いたナノ構造の形成と低次元電子物性
標題(洋)
報告番号 214292
報告番号 乙14292
学位授与日 1999.04.15
学位種別 論文博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 第14292号
研究科 工学系研究科
専攻 電子工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 榊,裕之
 東京大学 教授 神谷,武志
 東京大学 教授 荒川,泰彦
 東京大学 助教授 中野,義昭
 東京大学 助教授 平川,一彦
 東京大学 助教授 田中,雅明
内容要旨 1.研究の背景

 分子線エピタキシー法(MBE)等の結晶成長技術の発達により、1原子層の平坦性を有する超薄膜ヘテロ構造が容易に形成される様になり、高電子移動度トランジスタや量子井戸レーザ等の2次元電子系デバイスの発展に寄与した。この超薄膜ヘテロ構造の技術を基に、2次元電子系をさらに低次元化することによる半導体デバイスの性能向上が期待されている。例えば、2次元電子系を周期的に変調した表面超格子においては、ゲート電極を用いて電子密度を変えることにより、電子の干渉効果を制御できる可能性がある。また、1次元電子系においては、弾性散乱が抑制され電子移動度が飛躍的に向上する可能性が指摘されている。

 このような低次元電子系の形成方法として当初試みられたのは、2次元電子系を有する薄膜を電子線リソグラフィー等により加工する方法であった。しかるに、制御可能な寸法が100nm程度であり、また、2次元面内での閉じ込めが、急峻なポテンシャル障壁ではなく空乏化によるものであったため、得られる量子準位間隔が小さく、高温において顕著な低次元性を観測するには不十分であった。

2.研究の目的及び論文の構成

 そこで、本研究における第一の目的は、これまで薄膜に垂直な方向にのみ実現されてきたヘテロ接合を薄膜面内の閉じ込めに応用し、急峻なポテンシャル障壁による面内での閉じ込めを実現し、10nm級の細線幅または周期構造を有するナノ構造の作製法を開発することである。具体的には、ファセット構造を用いて量子井戸の端面に電子を蓄積する方法(エッジ量子細線構造)と、微傾斜基板上の多段原子ステップ構造を用いた方法に関して研究を行った。また、これらの作製方法を開発する際、関連する結晶成長のメカニズムに関しても研究を行った。第二の目的は、これらの方法により形成した低次元電子系の新奇な物性を調べることである。

 本論文は、6つの章から構成される。第1章は序論であり、本研究の歴史的背景及び本研究の目的を述べる。第2章では、ファセット構造を用いてエッジ量子細線を形成するために、結晶成長に関して得た知見について述べる。第3章では、この知見を基に作製したエッジ量子細線の伝導特性について述べる。第4章では、ファセット表面の平坦性において問題となった多段原子ステップ構造を微傾斜(111)B基板上に再現し、このステップ構造の制御方法について調べた結果を述べる。第5章では、この多段原子ステップ構造が伝導特性に与える影響を調べ、さらに低次元構造への応用を試み、ステップ構造の周期性が伝導特性に反映された可能性について述べる。第6章は結論である。

 以下、本論文の主要部分である第2章から第5章までの要旨を述べる。

3.ファセット構造の形状制御(第2章)

 第2章では、加工基板上のMBEを用いたファセット成長法によりエッジ量子細線構造を実現することを目的として、これに必要な結晶成長に関する諸要素について研究する。エッジ量子細線構造は、量子井戸の端面を利用する方法である。例えば、図1(a)に示すように、GaAs/AlGaAs量子井戸構造の端面を形成し、ここにn型AlGaAs電子供給層を接合すると、電界の効果で量子井戸端部に電子が蓄積し、1次元電子系が形成される。ファセット成長法の場合、通常の電極形成技術を若干改善するだけで適用が可能であり、一度の結晶成長により基板全面に多くの細線構造が形成可能であるという特徴を有しており、低次元デバイス作製の可能性を開く一つの手段と考えられる。このエッジ量子細線構造をファセット成長法を用いて実現する際、最も重要な点は、ファセット構造の各面上における成長速度の選択比である。例えば、GaAs量子井戸層成長時は、量子井戸の端面を形成するため、(111)Bファセット上における成長速度を非常に小さくすることが要求される。このような成長速度の選択性を研究する過程において、その選択性がAsフラックスに強く依存し、Ga原子の表面拡散により制御可能であることを見い出した。この表面拡散は、結晶成長における基本的な課題であり、材料工学の観点からも重要である。

4.ファセット上の低次元電子系の形成と伝導特性(第3章)

 2章の結晶成長の研究により得た知見を基に、3章ではエッジ量子細線構造を形成した。この際、細線部分以外における電子の蓄積を阻止するため、AlGaAsスペーサ層における膜厚の選択比を制御するだけでなく、n型AlGaAs層のSiドーピングにおいても、Siビームの方向性を利用した選択的なドーピング方法を開発した。これらの工夫により、図1(b)に示す幅約100nmのエッジ量子細線構造を形成した。この試料に、図1(c)に示すようにオーミック電極とゲート電極を形成した後、伝導特性を測定した。図2は磁気抵抗の測定結果であり、その振動を解析することにより、ファセット成長法としては初めて1次元性を確認することに成功した。また、エッジ量子細線において初めてトランジスタ動作を確認することができた。これらの結果は、ファセット構造による低次元伝導デバイスの端緒を与えるものと期待される。また、この測定結果と理論計算を対比することにより、幅100nmの細線構造に特有な電子状態が形成されていることを明らかにした。

5.多段原子ステップ構造の形状制御(第4章)

 2章において(111)Bファセット面上の平坦性を調べた際、ここに多段原子ステップ構造が観測された。図1に示した細線構造においては、細線がこのステップ構造を横切るため、ファセット構造の品質向上のためには、凹凸の小さいファセット表面を形成することが必要である。そこで4章では、これを詳しく調べるために、微傾斜(111)B基板上に多段原子ステップ構造を再現し、成長条件と基板傾斜角度をパラメータとしてMBE成長を行い、表面形態をナノメートルレベルで観察した。その結果、均一性に優れ、凹凸の小さいステップ構造を得るための条件を見い出した。この結果をファセット構造に適用することにより、より高品質なエッジ量子細線が形成可能である。また、図3(a)に示すような直線性と均一性に優れたステップ構造が得られたので、次章で示すように、このステップ構造を低次元電子系の形成に応用することが可能となる。

6.多段原子ステップを界面に有する低次元電子系の形成と伝導特性および光学特性(第5章)

 5章では、微傾斜(111)B基板上のステップ形状と伝導特性の関係を調べ、これを改善することによりファセット構造の品質向上に貢献することが、第一の目的である。また、ステップ構造の均一性を向上させ、この構造自体を表面超格子等の低次元電子系に応用することが第二の目的である。

 まず、図3(a)に示したGaAsステップ構造上にn型AlGaAsを成長することにより、図3(b)に示すような単一ヘテロ構造を形成し、ステップ構造の均一性と伝導特性の関係について調べた。その結果、均一性の向上と共にステップに垂直方向の伝導度が劇的に増加することを見い出した。この条件を用いるとファセット構造の品質向上が可能である。

 また、この均一性に優れた多段原子ステップ構造を用いて、2次元電子系を面内で周期的にポテンシャル変調し、低次元電子系を形成することが可能である。このステップ構造においては通常の電極形成技術が直接適用可能であり、また、自己形成的に10nm級の周期構造または高密度の細線構造が形成可能である。さらに、本研究の対象とした微傾斜(111)B基板上の多段原子ステップ構造においては、ステップ構造の平均周期が約10〜20nmであり、典型的な電子密度における電子の波長とほぼ等しいため、ステップ構造の周期的効果が十分に期待される。そこで、図3(b)に示したように、この均一性に優れたステップ構造を界面に有するヘテロ構造を形成し、その伝導特性を測定した。図4に示すように、ステップに平行方向の移動度は電子密度と共にほぼ単調に増加しており、また比較的高い移動度を示している。一方、ステップに垂直方向の場合は、ステップの平均周期と電子の波長が同等になる電子密度において、移動度の顕著な減少が観測されている。この実験結果と理論計算の対比から、このような移動度の顕著な異方性は、ステップ構造の周期性に起因する可能性が高いことが判明した。

図表図1 ファセット成長法によるエッジ量子細線。(a)細線の模式図。(b)SEM像。(c)電極の配置。 / 図2 エッジ量子細線の磁気抵抗振動。 / 図3 (a)微傾斜(111)B基板上のGaAsエピ層のAFM像。(b)微傾斜(111)B基板上の単一ヘテロ構造。 / 図4 ステップ構造における移動度の異方性。

 また、サイクロトロン運動が周期的ポテンシャルによりどのように変調されるかについて研究を行った。これは固体物理の一つの課題であり、数100nmの周期構造に関しては、Weissらが磁気抵抗を詳しく調べているが、10nm級の周期構造においては、まだ十分に調べられていない。また、このような異方的な系において、エッジ状態間の散乱がどのように変調を受けるかも興味深い問題である。本研究は、これらの問題に対する一つの結果とその解釈を示す。さらに、ステップ構造を用いて量子井戸を面内で変調した系において光学的な測定を行い、ステップによる面内の閉じ込め効果を確認した。

7.結言

 ファセット構造や原子ステップ構造を研究することにより、本論文の第一の目的である低次元電子系の形成方法の開発に成功した。また、第二の目的である低次元電子系の物性に関しても新たな知見を得ることができた。これらの結果は、低次元デバイス実現の可能性に寄与するものと期待される。

審査要旨

 分子線エピタキシー法(MBE)など半導体技術の発達により、10nm級の超薄膜ヘテロ構造を用いた高電子移動度トランジスタや量子井戸レーザなどの優れたデバイスが実現し、広汎に利用されている。この微細な半導体構造の可能性をさらに発展させるために、電子を量子論的に閉じ込めた微細な半導体細線や箱構造を形成し、高機能デバイスの実現に活用する試みが活発になっている。これらの構造の形成には、リソグラフィーが試みられているが、10nm級の構造を形成するのは困難である。本論文は、「GaAs(111)ファセットおよび原子ステップ構造を用いたナノ構造の形成と低次元電子物性」と題し、MBEなとのエピタキシーを巧みに制御することで量子細線を形成する研究を記すとともに、形成した量子細線の新しい物性に関する研究について記したものであり、6章より成る。

 第1章は序論であり、研究の背景と目的を述べている。

 第2章は、「(001)-(111)Bファセット構造の形状制御」と題し、量子井戸の端面(エッジ)に誘起するエッジ量子細線構造を形成するために、MBE法によって(ファセット)構造を成長する研究を述べている。エッジ量子細線をファセット成長で実現する際、ファセット構造の各面上の成長速度の選択比の制御が重要である。特に、GaAs量子井戸の端面を形成するには、(111)Bファセット上における成長速度を抑制し、(001)面上のそれを大きくすることが必要となる。本研究では、Asフラックスや基板温度の選定により、Ga原子の表面拡散が制御でき、高い選択性の実現できることを見い出している。

 第3章は、「ファセット上の低次元電子系の形成と伝導特性」と題し、エッジ量子細線構造の形成法とその伝導特性に関する研究について述べている。第2章で見出した手法により、量子井戸の端面が露出したファセット構造を作り、これを利用して幅約80nmのエッジ量子細線構造を形成できることを示している。さらに、その伝導特性の測定により、初めて1次元性を検証することに成功し、トランジスタ動作も実現している。その伝導特性を理論と対比し、幅100nm級の細線に特有な電子状態の生じていることを明らかにしている。

 第4章は、「(111)B多段原子ステップ構造の形状制御」と題し、第2章の研究で、(111)Bファセット面上に観測された多段原子ステップについて、その特色と制御可能性を調べている。このため、傾斜(111)B基板上に多段ステップを様々な条件下で成長し、表面形態をナノメータレベルで明らかにしている。その結果、均一性と平坦性に優れたステップ構造が得られ、その平均周期が約10〜20nm、高さが1〜2nmであり、周期が電子波長に近いため、ステップ構造による電子の変調効果が十分に期待されることを指摘している。

 第5章は、「多段原子ステップを界面に有する低次元電子系の形成と伝導特性および光学特性」と題し、ステップ構造を均一化することで、ファセット面に沿う電子の伝導特性の向上が可能であることを示している。特に、このステップ構造に沿う低次元電子系において、移動度の顕著な異方性が観測され、理論モデルとの対比により、ステップ構造の周期的効果が寄与していることを示している。また、この試料の磁気抵抗の測定解析や、量子井戸の界面をステップ構造で変調した試料の光学測定も行い、ステップ構造による面内のポテンシャル変調の効果を検証している。

 第6章は結論であり、本論文で得られた主要な結論をまとめている。

 以上のように、本論文は分子線エピタキシャル成長を巧妙に制御すると、良質なGaAsファセット構造や周期的な多段原子ステップを形成することができ、これらを利用すると明瞭な一次元性を示す量子細線構造や強い異方的な伝導特性を示すプレーナ超格子構造の実現できることを示したもので、電子工学に貢献するところが少なくない。

 よって本論文は、博士(工学)の学位請求として合格と認める。

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