内容要旨 | | 従来,視覚,聴覚,体性感覚などは患者の誘発電位・磁場を計測することで他覚的な検査が可能であったが,味覚は刺激が液体であるために,俊敏な刺激提示の実現が困難であり,また触刺激が混入しやすいため誘発電位・磁場の計測が困難であった.また,ヒトにおける大脳皮質味覚野がどのような部位にあるかは,欠損患者の症例などの臨床研究,またはサルの研究から類推されているに過ぎない. このような背景から,本論文では味覚の他覚的な検査法として味覚誘発応答計測を行うため,それに適した計測法,及び刺激提示装置の開発を行った.次に本刺激提示装置を用い,脳磁場計測を行うことにより味覚による脳内情報の流れについて調べ,また,機能的核磁気共鳴画像法を併用することによって,より確度の高い味覚関連部位の位置情報をつかむことを試みた. 上記の目的のためにまず「刺激の立ち上がりが俊敏で,なおかつ触刺激を誘発させない」味覚刺激装置の開発を行った.具体的には図1のような装置で味溶液を脱イオン水の流れに挿入し,両方の液体が互いに混じらないように境界に気泡を入れた.これらの液体が被験者の口元までテフロンチューブの内部を流れる.味刺激提示部のテフロンチューブの横壁に4mm×9mmの穴あり,その穴を被験者は舌の先端中央で塞ぐことにより,その部分に味刺激が提示された.穴は舌で塞がれるため,被験者の口蓋内には液体が流入しない仕組みとなっている.また刺激のトリガは味溶液に色をつけることによって被験者の口元の光センサで検出している.この結果,味刺激の立ち上がりは16.5±1.5msであり,これは誘発応答の計測のために十分に急峻であった.また圧力センサで口元の圧力変化の計測を行った結果,被験者に味溶液が提示される瞬間に顕著な圧力変化は観測されなかった. 図1:味覚刺激装置の概略図 この味覚刺激提示装置を脳磁場計測に適用し,純粋な味覚応答が得られているか,つまりユニモーダルな味覚刺激が提示されているかの検討を行った. 脱イオン水を味溶液の代りに提示した場合,磁場応答が刺激提示前と変わらないが,1M食塩水,3mMサッカリン溶液を提示した場合は刺激提示前と比較して磁場応答が大きく変化した.また1M食塩水と3mMサッカリン溶液では応答潜時が1M食塩水が約110ms短かった.また,0.1M,0.3M,1Mの異なる濃度の食塩水を被験者に提示を行うとこの順に振幅が増加した.更に,実験前に被験者に甘味抑制物質を提示した場合,それをしなかった場合と比較して3mMのサッカリン溶液の応答潜時が長くなる,もしくは応答が消滅した. これらのことから本刺激提示装置は「ユニモーダルな味覚刺激であること,すなわち触覚,圧覚,温覚の混入がないこと」を満たしていることがわかった. 次にこのように得られた脳磁場から各々の潜時で,活動源の推定を行った.早い潜時において(1M食塩水:刺激提示後 約100ms,3mMサッカリン溶液:刺激提示後 約200ms)において頭頂弁蓋部と島皮質の移行部に活動源が推定され(図2),この部位がヒトにおける味覚一次野(area G)と結論づけられた.マカクザルでは味覚一次野は前頭弁蓋部と島皮質の移行部に位置しているが,進化の過程(新世界ザル→旧世界ザル→ヒト)において前頭葉が発達し,それに伴い味覚野が後部に押し遣られ,ヒトにおいては中心溝を越えて後方に位置していると考えられる.また,1Mの食塩においては短潜時において中心溝底部にも活動源が推定される場合があった. 図2:一人の被験者における4回の実験(食塩2回,サッカリン2回)においてarea G内に推定されたECD.左から順に(a)は島皮質近傍の左脳のsagittal断面図.(b)は前交連より2cm後方のcoronal断面図.(c)は島皮質近傍の右脳のsagittal断面図.(b)内の白点線は(a)(c)の切口を示す.十字線の中心はダイポールの誤差が20%以下で推定された潜時における,そのダイポールの平均位置である.また十字の中心からの3方向への長さはその推定期間における標準偏差である.それぞれの図における白い矢印は中心溝を示す. このarea Gの活動潜時より長い潜時における活動部位の推定を行ったところ,上側頭溝,海馬,海馬傍回,頭頂間溝,前頭弁蓋部,前部の島皮質で活動が見られた. 舌の一部を刺激する提示装置を用い,舌の左側,右側に対して局所的に刺激を行い,ヒトの舌の一側に味刺激を与えることで,舌の左右に対して,同側か対側のどちらの大脳皮質味覚野が優位に応答するかの検討を行なった.この結果,舌の片側刺激した場合にでも左右両方の味覚野の活動が見られた.しかし,今回の実験からヒトの味覚神経の投射が両側性であるともいえない.同側に投射した後,脳粱を経由して数ミリ秒で対側に投射している現象を見ている可能性もあり,この点に関しては今後,検討を続けていく必要性がある. 一般的に味を感じてからできるだけ早くボタンを押すまでの時間は単純反応時間と呼ばれ,味覚の場合は味溶液の味質と濃度に依存することが従来の研究から分っているが,その律速に脳内のどのプロセスが関わっているかはわかっていない.そこでヒトの味覚情報処理過程のどの要因が反応時間を変化させるかを知るために,脳磁場計測によって,0.1M,0.3M,1Mの食塩水による濃度変化,3mMサッカリンと食塩水の対比による味質の変化によって,どのように反応時間及び脳磁場応答の変化が起こるかの検討を行った.その結果,味質による反応時間の差は味細胞の受容器でのプロセスに依存すること,また濃度による反応時間の差は味覚第一次野以降のプロセスに起因することがわかり,反応時間の律速に少なくとも2種類のプロセスが関与していることがわかった. 最後に脳磁場計測の空間分解能を補うために,機能的核磁気共鳴画像法において,本刺激提示装置を用いて味刺激を提示し味覚関連部位の計測を行った.まず本刺激提示装置を機能的核磁気共鳴画像法に適応するために順応が起こりにくい刺激提示方法を考案した.具体的には味提示条件時に,味溶液を連続して流すのではなく,味溶液と脱イオン水を交互に短く切り替ることで被験者の順応を防いだ.つぎに,この味覚刺激提示方法を用いた計測を実施し味覚関連皮質の検出に成功した.これにより1M食塩を提示時には,頭頂弁蓋部,前中心溝,中心溝,頭頂間溝,前頭弁蓋部に血流変化が見られた.これらは,脳磁場計測によって得られた知見を裏付けるものであった. 本研究によって,現在まで不可能であったヒトの味覚の他覚的検査法への道が開かれたと言える.同時に現在までほとんど知られていなかった,ヒトの味覚第一次野をはじめとする味覚関連部位の時空間的な構造の一端が明らかになった. 今後は医療福祉工学的な知見から,より汎用性,刺激部位の多様性,簡便性を増すために味覚刺激提示装置の改良を行い,また大脳生理学の知見からは各々の味覚関連部位の役割及び相互作用,快・不快との関わり,嗅覚や触覚との統合過程についての研究へと発展させていきたい. |