学位論文要旨



No 214299
著者(漢字) 渡部,泰明
著者(英字)
著者(カナ) ワタナベ,ヤスアキ
標題(和) 中世和歌の生成
標題(洋)
報告番号 214299
報告番号 乙14299
学位授与日 1999.04.19
学位種別 論文博士
学位種類 博士(文学)
学位記番号 第14299号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 小島,孝之
 東京大学 助教授 藤原,克己
 東京大学 教授 鈴木,日出男
 東京大学 教授 村井,章介
 東京大学 教授 月村,辰雄
内容要旨 序章 古代和歌から中世和歌へ

 古代社会の中で育てられた和歌が、なぜ中世以降も続いたのか。のみならず古代から中世への転換期に、『千載集』・『新古今集』という高い達成を示す勅撰集が出現したのはどうしてか。それは、この転換期における人々の存在感覚をリアルに表現しえたからにほかなるまい。そのような表現はどのように獲得されたのか。出家者としてあろうと苦悩する西行の和歌や、藤原俊成の百首には、我が身の痛烈な自覚が見られ、そのことが和歌的抒情の新たな再生を可能にしていた。それはまた俊成の歌論において、「姿」を中心にした深く鋭い様式意識を形成していった。俊成において獲得された表現意識は、息定家において継承され、新古今歌人たちのさまざまな試みへと発展した。定家は、新古今集以後には、再び俊成的世界へと回帰し、我が身をどのように歌道の伝統に位置せしめるかという問題に腐心するようになる。

第一章藤原俊成の和歌と千載集

 藤原俊成が青年期に詠んだ「述懐百首」は、堀河百首題を述懐に寄せるという表現上の制約が、逆に彼の表現意識を研ぎ澄まし、我が身の負性を自覚することが和歌本来の抒情性を回復させたのであり、客体化の文脈と同化の文脈とを掛け合わせることで仮構的な「われ」を歌の中に築く方法へと覚醒させたと見なされる(第一節)。俊成が久安六年に詠んだ『久安百首』は、「述懐百首」を方法的に展開したものである。そこには主情性を和歌へと転移してゆくしたたかな方法意識が、主として詞や句相互の関係の中で形成される「詞の事実」を見据え逆用してゆくという点において看取される(第二節)。このような俊成の表現意識が生み出した一つの到達点として、『千載集』がある。勅撰集(撰集)の個性を形成する要素として、個々の作品の価値を共通の指向性へと方向づける「主題」が想定できるが、月歌を通して、『千載集』の「主題」としては、感応の主題と述懐の主題とが存在することを指摘できる(第三節)。また『千載集』に自撰された俊成の本歌取りの歌からは、本歌取りが、模倣を超えて固有の自己表出を託すにふさわしい方法となっていることがわかる。それは、古から隔てられているからこそ古への指向をかき立てられるという表現構造が、古に憧れざるをえない自己を重ね合わせることを可能にするからである(第四節)。『千載集』以後の俊成の自讃歌の一つ「またや見ん……」の背景には、『雑言奉和』冒頭の詩群および「代悲白頭吟」の表現があり、格調をも含めたそういう漢詩的表現の導入という点でも、また鷹狩という古代的行事へのこだわりという点でも、権門九条家の意を迎えようという意図が見られる(第五節)。

第二章藤原俊成の歌合判詞

 歌合判者として独自の地位を築いた藤原俊成の歌合判詞の中で、とくに彼の判者歴の前期に属するもののうち、和歌の一句を引用してその「姿」に言及する特異な言辞-これを〈一句引用〉の姿、と名付けた-がしばしば見られる。この引用された一句からは〈断層/重層構造〉とも呼ぶべき固有の表現構造が抽出しうるが、これは俊成のいう「姿」の概念に近接するものと推定できる(第一節の1)。その〈一句引用〉の姿と、『源氏物語』等王朝の物語に見られる引歌表現との間には、密接な関係が想定される。それゆえ、「姿」は、創作と享受との両面において歌人が歌ことばに接するときの具体的な体験と関わるものだといいうる(第一節の2)。また、院政期から中世にかけてしばしば歌合判詞に見られる歌評用語「ふるまふ」・「ふるまひ」は、行為の具体的なイメージを生かした語で、「いかにも様子をつくる・作法に適った立居振舞をする」などと訳しうる(第二節の1)ものだが、『六百番歌合』夏草・八番に用いられた用例から判断して、俊成の歌評用語「ふるまふ」には、院政期の随身の所作のイメージが内包されている可能性がある。もしその想定に蓋然性があるなら、行為のイメージを生かすそうした和歌批評の方法に、俊成の独自性を認めることができる(第二節の2)。また、俊成の用いた歌評用語「艶」を『六百番歌合』の歌合判詞の用例を中心に分析してみると、それは、「身体的感覚を喚起する優美さ」と定義づけることができ、王朝文学の「すき人」の身体を彷彿とさせ、そこに我が身を重ねてゆくよう促す機能をもっていると認めうる。それゆえ、同時代の歌人の和歌意識を深く引き寄せることが可能であったと推定される(第三節)。

第三章古来風躰抄

 藤原俊成の歌論上の主著『古来風躰抄』の、とくにその意義づけに関わる序文の読解については、近年活発な論争がある。しかし序文から俊成の和歌観を直接に抽出することには慎重となるべきで、まずは読み手をどのように導こうとしたか、その戦略を「姿」の語を中心に考えるべきである。その序文は、平安後期の漢詩文の表現を媒介として天台本覚思想を導入したり、『源氏物語』の表現を摂取したりしながら、終始歌の「姿」を身につけるにはどうしたらよいか、ということに意を砕いている。彼のいう「姿」は、けっして対象的なものではなく、和歌の享受と創作とを結び付ける、我が身の身体的感覚に基づくものである(第一節)。また、序文前半に見られるいわゆる「狂言綺語観」は、和歌の「深き心」と密接に結び付いている。当時の『和歌政所一品経供養表白』やその表現を展開させたと見なされる『柿本講式』においては、「狂言綺語観」は古の歌人と今の歌人とを仏教的救済の名のもとに同じ位相に置く、という機能が見られる。この事実から考えて、『古来風躰抄』の「狂言綺語観」は、読み手である歌人の自己意識に身体的に訴えかけつつ和歌史を聖化し、しかも歌人と和歌史が重なり合うこと可能にするという文脈を形成することにあずかっている、と判断される(第二節)。翻って『古来風躰抄』下巻の序文ともいうべき冒頭部は、すでに先学の指摘にもあるように、歌の「姿」を「よそへ」によって読み手に理解させるための文章であると認められる。この場合の「よそへ」は、関係深いものとして重ね合わせるという含意である。この文章は、和歌的伝統に基礎づけられ、それゆえ物語的な広がりを持つ王朝的な空間、あるいは伝統的な和歌的世界から距離をおき、現在的な感覚を喚起するような空間を描出することによって、古歌を味到してその「姿」を実践的に理解せよという本書の趣旨を具現化したものである(第三節)。

第四章中世和歌の修辞的形成

 第四章は、第三章までと異なり、藤原俊成の文業のみにとどまらず、その前後の和歌の表現意識を、本意・縁語・見立てという修辞を中心に考察した。平安時代の歌合判詞における「題の心」すなわち「本意」の概念を、時鳥を詠んだ題詠を対象にして通時的に分析していくと、それらが、じつは和歌の表現の中身に即した論理とは別の次元の、歌合の場における志を問題にするような批評基準であることが帰納される。「題の心」(本意)は、神や天皇や貴顕などに対する〈奉献の論理〉とでも呼ぶべき、歌合という場の特殊性に規制された論理である(第一節)。藤原清輔の『和歌初学抄』の「秀句」の項には、縁語に類する用例が集成されているが、それは現在我々が「縁語」と呼ぶものと比べて、物名・序詞・比喩・本歌取りの諸技巧に及ぶ、より広い概念を表しており、二つの文脈を秀句どうしの脈絡で結び付け、他者との交情を可能にする所に固有の機能が見いだされる。清輔は秀句を、一首を発想する過程の中で捉えているが、その表現意識はそのまま『清輔集』に見られる清輔自身の詠歌の方法に展開されている(第二節)。「見立て」は古今集時代を特徴づける技法と言われているが、『千載集』や『新古今集』に至って、新たに再生したといいうる。「見立て」とは、AがBに感受されるという形をとって、みやびなる空間を体現してみせる身振りであり、歌ことばの幻想性と身体的感覚を掘り起こすことで千載集時代に復活し、本歌取り技法と密接して、新たなる表現を生み出す原動力になった(第三節)。

審査要旨

 本論文は、平安時代末に出現した藤原俊成という歌人の和歌と歌論を中心にして、古代和歌から中世和歌へと転換した和歌史の動態を把握しようとするものである。渡部氏は、古代社会の産物であった和歌が、中世以降、現代に至るまで存続しえたのは何故かという問題意識を核に持っており、古代和歌から中世和歌への転換を、和歌的様式意識が風体・姿という形で内在化したことに求めている。そのような転換を体現したのが藤原俊成という人物であるという判断から、俊成の和歌の方法の精緻な読みと分析に基づいて、風体や姿が、「身」という語に象徴されるような固有の自己意識・存在感覚を吸収し組織づけたことに、その内在化の機制を見ようとしている。

 本論文は序章および第一章から第四章までの五章に分けて論述されているが、まず序章「古代和歌から中世和歌へ」では、転換期の和歌の変容を「千載集」の形成に至る時期、「新古今集」の時代、「新勅撰集」の形成、という三つの時期に大きく分かれることを、俊成・西行・定家という巨大な歌人の表現の考察を通して論じており、本論文の総論をなすとともに問題の所在を明らかにしている。

 第一章「藤原俊成の和歌と千載集」では、第一節「述懐百首について」において、藤原俊成の初期百首である「述懐百首」の表現分析から、客体化の文脈と同化の文脈を掛け合わせることで、我が身を転移するにふさわしい仮構的な「われ」を歌の中に築くという表現方法を俊成が獲得したことを明らかにする。第二節「久安百首について」では、歌人俊成の才能が本格的に開花したとされる「久安百首」において、俊成の本来的な主情性が和歌の中に転移する方法を精緻に解き明かしている。第三節「千載集の主題」では、俊成の編纂した勅撰集「千載集」の月の歌に着目し、天上と地上がはるかに通じ合う脱俗的な気分を促す指向性を「感応の主題」と名付け、述懐の主題と感応の主題とが緊密な相互関係を持って、「千載集」の和歌に固有の情調を生み出していることを明らかにしている。第四節「千載集の本歌取り」においては、本歌取りという表現方法を和歌の前面に押し出したのが藤原俊成であるとして、その表現構造を分析し、古歌の世界から距離を置きながらも逆にそこに自己を重ね合わせたいという欲望をかき立てていく、という構造を見出す犀利な指摘を見せている。第五節「俊成の自讃歌について」では、俊成の代表歌の一首を例にして、落花の美と嘆老の述懐との結びつきが漢詩の世界の表現に即すところから生み出され、それがさらに王権との関わりを不可避的にもつ和歌という文芸の表現の可能性の一つを切り拓いたことを指摘している。以上の第一章において、この時代を領導した藤原俊成の生涯の和歌事蹟に沿いつつ、俊成が如何にして新たな表現の方法を獲得し、何故それが時代の表現たりえたのかを論じている。

 第二章「藤原俊成の歌合判詞」では藤原俊成の歌論に焦点を当てて、第一節「〈一句引用)の姿」においては、藤原俊成の歌合判詞に一句を引用して歌の姿を論ずるという特異な批評の方法が見えることを指摘して、「姿」という用語が「断層/重層構造」と渡部氏の呼ぶ表現構造と密接に関わることを論じている。ここには、〈一句引用〉の姿は『源氏物語』などの王朝物語の引歌とも密接に関わるという新鮮な指摘もある。第二節「『ふるまふ』・『ふるまひ』考」では、藤原俊成と顕昭に特徴的に見られる「ふるまふ」「ふるまひ」という和歌批評用語を分析して、両者の用法の相違を明らかにし、「新古今的美意識」の前提に豊かな人間的な形象が存することを述べる。第三節「艶と六百番歌合」においては、藤原俊成の批評用語のうち最も主要なものと言ってよい「艶」の用例を分析し、それらに王朝的な風流人の身と姿を彷彿とさせる機能があることを指摘して、それゆえに同時代の歌人たちの表現意識を、感覚的な部分をも含めて導くことが可能になったと論じている。

 第三章「古来風躰抄」は、第一節「序文をめぐって」、第二節「狂言綺語観をめぐって」第三節「下巻冒頭部をめぐって」において、古来風躰抄の序文を読み手を和歌の世界に導き入れる戦略的な文章として分析し、身体的感覚を喚起しながら読み手を誘い込む言説とし、狂言綺語観が仏法の名のもとに和歌史と今の歌人とを結び合わせる触媒の働きをしているとした上で、「姿」は読み手が詠み手へと化身するための指標であるという、鮮やかな指摘を示している。

 第四章「中世和歌の修辞的形成」では、第一節「歌合における題詠」、第二節「院政期の縁語の位相」、第三節「中世和歌と見立て」において、この時代の表現方法の主要な命題である、題詠、縁語、見立ての三つの方法を取り上げて、この時代の和歌が一種の古典回帰であることを示唆しつつ新たなる表現を生み出して行った様相を解明している。

 筆者は本論文以外に、本歌取りや縁語、掛詞の分析を進めており、それらの成果もここに吸収されれば、より豊かな中世和歌の世界を提示しえたであろうと思われ、また、本論文で考究された問題は「修辞的」と呼ぶ以上の構造的深みにまで届いているとも思われるので、なお望蜀の言を提したいが、それらは本論文の価値をいささかも減じるものではなく、犀利な方法と精緻な表現分析とに基づいて随所に鮮やかな考察を展開し、中世和歌文学の研究に画期的な成果をもたらしたものとして高く評価しうると考える。

 よって、審査委員会は本論文が博士(文学)の学位に値するとの結論に達した。

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