学位論文要旨



No 214300
著者(漢字) 佐藤,純子
著者(英字)
著者(カナ) サトウ,ジュンコ
標題(和) 角層生理機構の解明に関する研究
標題(洋) Studies on physiological features of stratum comeum
報告番号 214300
報告番号 乙14300
学位授与日 1999.04.22
学位種別 論文博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 第14300号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 川口,昭彦
 東京大学 教授 林,利彦
 東京大学 教授 脊山,洋右
 東京大学 教授 浅島,誠
 東京大学 教授 石浦,章一
内容要旨

 皮膚は人体を被い、外界との境をなしている。しかし単なる隔壁ではなく、それ自体生命の保持に不可欠の種々の機能を営む重要な臓器である。皮膚の最外層は角層(stratum corneum)と呼ばれ、厚さは約20m、外界からのバリアー機能を担っている。脱核偏平化した角層細胞は層状に積み重なり、その角層間はスフィンゴ脂質、コレステロール、遊離脂肪酸などから成る角層間脂質の層構造によって埋められている。角層を接着する物質については長く議論の的であったが、近年の研究により、デスモソームが角層細胞を接着しており、トリプシン様酵素およびキモトリフシン様酵素がデスモソームを分解することにより角層細胞の剥離が起きてくることが明らかになってきた。しかし剥離機構の調節については知見は多くなかった。本研究では角層生理機構の解明を目指し、角層剥離の調節を中心に検討を行った。

 第1章では角層細胞間脂質の一つである硫酸コレステロールについて角層剥離の調節因子としての可能性を検討した。伴性遺伝性魚鱗癬(X-linked ichthyosis)は、steroid sulphataseの欠損によって引き起こされる疾患で、著明な角層肥厚が認められるが表皮の過増殖を伴わず角層剥離遅延が推論されている。肥厚した角層中には硫酸コレステロールの蓄積が観察される。伴性遺伝性魚鱗癬の病態から、硫酸コレステロールが角層細胞の接着物質ではないかと考えられたこともあったが、近年、角層剥離のメカニズムが明らかになったことから、硫酸コレステロールが角層剥離の阻害作用をもつ可能性が示唆された。ヘアレスマウスに硫酸コレステロールを連用塗布した結果、角層の重層化とスケールの発生が認められた。また、角層中のデスモソーム蛋白量は増加する傾向にあった。角層シートを用いた角層細胞分散実験では硫酸コレステロールは濃度依存的に角層細胞の分散を阻害した。市販精製トリプシンおよび精製キモトリプシンを用いて、硫酸コレステロールの阻害様式を検討した結果、精製トリプシンおよび精製キモトリプシンに対して拮抗阻害の様式を示し、阻害定数はそれぞれ5.5X10-〓M、2.1X10-〓Mだった。これらの結果から、伴性遺伝性魚鱗癬の角層肥厚は硫酸コレステロールの蓄積により角層の剥離が阻害されることによると示唆された。正常な皮膚の角層の深さ方向で硫酸コレステロール量が変化するという報告もあり、正常皮膚においても硫酸コレステロールが角層剥離の調節因子として働いている可能性が示唆された。

 冬季には肌荒れが起きやすく、アトピー性皮膚炎などの皮膚疾患も悪化しやすいことが知られている。しかしin vivoにおいて、外界の湿度環境が皮膚へどのような影響を及ぼしているかについては疫学的な報告がほとんどであった。そこで第2章では乾燥環境が角層生理機構へどのような影響を及ぼしているのかについて検討した。ヘアレスマウスを乾燥環境下(相対湿度10%以下)で飼育すると、3日目にスケールの発生と角層の肥厚が認められた。乾燥環境下3日目の角層中のデスモソーム蛋白の残存量を検討すると、0日目に比べて増加していた。しかし、角層を取り出してin vitroで角層中の酵素活性を調べてみると、酵素活性に変動は認められなかった。角層内水分量を測定してみると乾燥環境下では1日目から減少していた。これまでのin vitroの試験の報告から角層のスムースな剥離には水分が重要であることが示唆されてきた。以上のことから、乾燥環境により角層内水分量が低下し、角層中の剥離に関与する酵素の働きが阻害されることにより、スケールの発生、角層の肥厚が引き起こされたと考えられた。

 第2章では乾燥環境が角層の剥離メカニズムに影響していることを示唆したが、第3章では乾燥による角層内水分量の低下は角層剥離機構のみならず表皮細胞の増殖活性へも直接的に影響していることを示した。乾燥環境下でヘアレスマウスを飼育すると、12時間という早い時点で表皮増殖活性が上昇していた。この時、角層内水分量は減少していたがバリアー機能には変化が認められなかった。オクルージョン効果のあるワセリンをヘアレスマウス背部に塗布した後、乾燥環境下で飼育すると、12時間後角層内水分量の低下が抑制され表皮増殖活性の上昇も抑制されていた。以上の結果から、乾燥環境によってバリアー破壊を伴わずに表皮基底細胞の増殖の上昇が12時間という早い時点で見られることがわかった。この現象については乾燥環境による角層内水分量の低下によって角層中の水分の勾配が変化し、それによってカルシウムの勾配あるいはサイトカインの放出が起きるなどして、乾燥という湿度環境の変化のシグナルが表皮基底細胞へ伝えられたと推論される。角層は外界からの異物の侵入や水分の蒸散を防ぐといったバリアー機能を担うだけではなく、外界の環境の変化を伝える役割も果たしていると考えられた。

審査要旨

 本論文は5部から構成されており、第1部は本研究の背景、第2部(第1章)は皮膚の最外層(角層)剥離の調節因子としての硫酸コレステロールが機能していること、第3部(第2章)は乾燥環境が角層剥離に影響を及ぼしていること、第4部(第3章)は乾燥による角層内水分量の低下は角層剥離のみならず表皮細胞の増殖活性にも影響を及ぼしていること、および第5部は総括と将来の展望からなっている。本論文の要旨は次のとおりである。

 皮膚は人体を被い外界との境界となっているが、それは単なる隔壁ではなく、それ自体が生命の維持にとって不可欠な機能を営む重要な臓器と考えるべきである。皮膚の最外層は角層とよばれ、脱核扁平化した角層細胞が層状に積み重なっている。その角層間は、スフィンゴ脂質、コレステロール、遊離脂肪酸などから成る角層間脂質の層構造によって埋められている。角層を接着している物質については長い間議論されてきたが、最近、デスモソームが角層細胞を接着しており、タンパク質分解酵素でデスモソームを分解すると角層細胞の剥離が起こることが観察された。しかしながら、剥離機構の詳細やその調節機構については、ほとんど解明されていなかった。本研究は、角層剥離の調節を中心に検討し、角層の生理機能の解明を目指したものである。

 本論文の第1章では、まず角層細胞間脂質の一つである硫酸コレステロールが角層剥離の調節因子として機能している可能性を示唆した。ステロイドスルファターゼの欠損が原因である伴性遺伝性鱗癬という疾患では顕著な角層肥厚が見られるが、これは表皮の過増殖を伴わず角層剥離遅延が原因と推論されている。この肥厚した角層内には硫酸コレステロールが蓄積することから、論文提出者は硫酸コレステロールが角層剥離の阻害作用をもつであろうという作業仮説を立てて実験を行った。ヘアレスマウスに硫酸コレステロールを連用塗布した結果、角層の重層化とスケールの発生を観察し、角層中のデスモソームタンパク質量の増加が観察された。また、タンパク質分解酵素であるトリプシンやキモトリプシンが硫酸コレステロールによって拮抗阻害を受けることが観察された。これらの結果から、伴性遺伝性鱗癬の角層肥厚は硫酸コレステロール蓄積により角層剥離が阻害されたことによるものであることが示唆された。

 冬季には肌荒れが起こりやすく、アトピー性皮膚炎などの皮膚疾患が悪化しやすいことが知られているが、その機構は不明であった。そこで、第2章では乾燥環境が角層の生理機能に対してどのような影響があるかを検討した。ヘアレスマウスを乾燥条件下で飼育すると、スケールの発生と角層の肥厚、およびデスモソームタンパク質量の増加が観察された。角層内水分量や酵素活性などの測定結果から、乾燥環境により角層内水分量が低下し、角層中の剥離に関与する酵素の働きが阻害された結果、スケールの発生や角層の肥厚が引き起こされることが推論された。

 第3章では、乾燥環境下で飼育したヘアレスマウスの表皮増殖活性を測定した結果、乾燥による角層内水分量の低下は、角層剥離のみならず表皮細胞の増殖活性へも直接的に影響を及ぼしていることが示された。ここで観察された現象から、角層内水分量の低下によって角層内の水分の勾配が変化し、この乾燥という環境変化の情報が何らかの形で表皮基底細胞へ伝えられるものと推論された。このことから、角層は異物の進入や水分の蒸散を防ぐというバリアー機能だけではなく、外界の環境変化を表皮基底細胞まで伝達するという役割も果たしていることが示唆された。

 以上、本論文では角層剥離の調節因子を明らかにし、角層が単なる外界との隔壁ではなく生理的に重要な役割を果たしていることを示唆した。

 なお、本論文の第1章は伝田光洋、仲西城太郎、野村純子、小山純一各氏、第2章は伝田光洋、仲西城太郎、小山純一各氏、第3章は伝田光洋、芦田豊、小山純一各氏との共同研究であるが、論文提出者が主体となって研究を行ったものであると判断できる。

 よって、本論文は博士(学術)の学位請求論文として合格と認められる。

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