目的 単純ヘルペスウイルス(Herpes simplex virus、HSV)の感染によって発症する性器ヘルペスは、厚生省の感染症サーベイランスによるとこの10年間に着実に増加の傾向を示しており産婦人科臨床において重要な位置を占めている。 性器ヘルペスの診断はウイルス分離が確実であるが時間と費用がかかる上に病期がすすむと分離が難しいなど問題点もあり血清診断に期待する点が大きい。従来HSV感染の血清診断には補体結合反応や中和反応が用いられてきたがその診断効率は満足できるものではなかった。この点、最近開発されたELISA法は、免疫グロブリン別に測定が可能な上に感度がよいので汎用されつつあるが、性器ヘルペスにおいては血清診断の判断基準となる抗体推移について、報告はほとんどない。 性器ヘルペスは初めて症状が出現した場合でもHSVの初感染によって発症する場合と神経節に潜伏していたHSVの再活性化によって発症する場合とに分かれ、さらにHSVには1型(HSV-1)と2型(HSV-2)があり、性器にはどちらも感染する。このような複雑な性器のHSV感染における抗体の評価をする上で基本となるべき初感染例についてELISA法を用いて急性期から約3か月のIgM抗体及びIgG抗体の推移を追跡しその診断的意義を検討した。また、今回の対象例はアシクロビル(抗ヘルペスウイルス薬)の経口投与を行ったが同薬剤の開発以前の症例について検討しアシクロビルの抗体産生に対する影響の検討をも合わせて行った。 対象及び方法 (対象)1985年から1995年まで東大分院産婦人科にてHSVを分離し性器ヘルペスと診断した患者で、初感染と診断した34例(HSV-1:23例、HSV-2:11例)で全例アシクロビルにより治療されている。これらの例の臨床症状を発熱、局所症状、鼠径リンパ節の腫脹・圧痛などについて検討し抗体推移との関連をみた。またアシクロビル非投与例についてはHSV-1 4例、HSV-2 4例の計8例について検討した。初感染の診断は発症後一週間以内のIgG抗体価が陰性であることをもって行った。IgG抗体価の評価のために性器に再発を繰り返す症例19例(HSV-1:4例 HSV-2:15例)の再発時の血清並びに対照として臨床的にはHSV感染のない正常妊婦198名の血清について検討した。 (方法)単純ヘルペスウイルスの分離と同定は、まず病変部を綿棒にて擦過し培養R-66細胞に接種した。細胞変性効果を観察しそれが拡大したところで細胞を採取しスライドグラスに塗沫し、蛍光抗体法(Microtrak Herpes,第一化学薬品)にてHSVの同定と型決定を行った。血清抗体はELISA法であるデンカ生研社製キット"ヘルペスIgM(II)-EIA「生研」""ヘルペスIgM(II)-EIA「生研」"を用いて行った。 (i)IgM抗体;マイクロプレートに抗ヒトIgM抗体を固相化したものに希釈した検体を分注した。反応後HSV抗原、対照細胞抗原を分注した。反応後ペルオキシダーゼ標識抗HSV-1を分注し反応後、基質液を分注し0.6N硫酸で反応を停止させ450nmにて吸光度を測定した。ウイルス抗原による吸光度から対照抗原による吸光度を差し引いたものをそれぞれ検体の吸光度とした。これを弱陽性コントロールの吸光度で割った値を算出し0.8未満を陰性、0.8以上1.2未満を判定保留、1.2以上を陽性とした。 (ii)IgG抗体;マイクロプレートにHSV-1抗原と対照細胞抗原をそれぞれ固相化したものに、希釈した検体を分注した。反応後ペルオキシダーゼ標識抗ヒトIgG抗体を分注した。反応後基質液を加え、反応後0.6N硫酸にて反応を停止させ450nmの吸光度を測定した。ウイルス抗原による吸光度から対照抗原による吸光度を差し引いたものをそれぞれの検体の吸光度とした。補体結合法にて1:16を示す血清を16倍希釈した血清のODをもって4EIA価とし種々の濃度から作成した検量曲線から検体の値を算出した。 2未満を陰性、2以上4未満を判定保留、4以上を陽性とした。 (推計学的検討)有意差の検定には2検定を用いた。 研究成績 (抗体測定法についての検討)IgM陽性、IgG陽性血清を原液から2倍段階希釈してIgM抗体、IgG抗体についての抗体価の変化を見たところ、それぞれほぼ希釈直線性が得られ一定の範囲において本法の定量性が確認された。 (IgM抗体の経時的推移)HSV初感染後のIgM抗体推移を発症後3か月まで検討した。HSV-2感染例のほうがHSV-1感染例に比べやや遅れるものの、11-15病日でHSV-1、HSV-2ともに100%陽転した。その後HSV-1、HSV-2ともに2-3週目をピークとし徐々に低下する推移を示した。IgM抗体の推移を個々に詳細に見ると抗体価が上昇する群と低値のまま推移する群があることがわかった。さらに上昇する群の内でも低下傾向をとるものと低下せずに高値を維持するものの存在が判明した。1型、2型の推移について今述べた3つの群に分類するとそれぞれ上昇後低下する群が最も多かった。しかし、ウイルス型間において3群間の分布に有意差はなかった。さらに上昇する群と低値のまま推移する群の間での臨床像の違いを検討したが有意差はなかった。 (IgG抗体の経時的推移)感染初期(第20病日まで)を見るとHSV-1感染例に比べHSV-2感染例の方がIgG抗体の出現率がやや低い傾向にあった。その後3か月までの推移はHSV-2の方が抗体価が高い傾向を示した。HSV-1及びHSV-2の初感染例におけるIgG抗体価は通常の急性ウイルス感染症にみられるような急上昇は見られず、またこれらのIgC抗体価は再発型性器ヘルペス患者やヘルペス既往のない正常妊婦のIgG抗体価に比べはるかに低い値であった。 (アシクロビルの投与例と非投与例の比較)IgM抗体の推移はHSV-1、HSV-2とも投与例と非投与例に差はなかった。 IgG抗体の推移はHSV-1では非投与例のほうが抗体価がやや高い値を示した。またHSV-2でも投与例のIgG抗体価が上昇後、横這いを示すのに対し非投与例では抗体価が上昇を続けた。ただいずれにしても抗体価は非投与例でも高くならず、アシクロビル投与が低いIgG抗体価をもたらした可能性はほとんどない。 考察 ウィルス感染症の診断において血清診断法は欠かせない方法である。最近ELISAによる抗体検出法は感度がよく、臨床の場で汎用されるようになったが定量性に欠ける点が問題となるため定性的に取り扱われる事が多かった。このような観点から今回本キットが半定量的な取り扱いができるかどうか検討したところ、それが可能であることが判明した。本研究では、女性性器のHSV-1とHSV-2の初感染後の抗体検出を3日毎に分けて集積し、その推移を示した。 発症後HSV-1とHSV-2感染ともにIgM抗体の出現はほぼ5日以降であり、15日経てば100%陽性となったことはIgM抗体の診断的価値を示すものである。IgG抗体の出現は、一般にウイルス感染ではIgM抗体にやや遅れるが、今回のHSV初感染の検討でも同様の傾向が見られることがわかった。 風疹などの急性のウイルス感染ではIgG抗体は回復期にはかなりの高値を示すことが判っているが、本研究で、HSVの急性感染においてはIgG抗体価は低い値にとどまっていることがわかった。今回の症例は全てアシクロビルの投与をうけているために抗体価が低いのではないかと考えたが、非投与例についても低く薬剤投与によるものとは考えにくい。この機序については不明である。 IgG抗体は胎盤を通過して胎児に自然の受動免疫を賦与して胎児の感染防御に働くことが知られているが、本研究により性器のHSV初感染の場合、IgG抗体は10日以上たたないと出現しないことや、出現してもかなり抗体価が低いことが判明したので妊娠末期のHSV初感染による性器ヘルペス合併妊婦の分娩を取り扱う場合この点も配慮して対策を立てるべきである。 IgM抗体価が低値で推移する症例や、逆にIgM抗体が長期に続く例があることが判ったが、その臨床的意義については本研究ではっきりしたことは言えなかった。ただIgM持続例がHSV-2感染に多かったことや上昇後低下する群でもHSV-1感染に比べて高い値を示したことは、HSV-2が性器の感染ではHSV-1にくらべてより潜伏感染しやすい事と関連していることが考えられる。IgG抗体価の評価のため正常妊婦と再発型性器ヘルペス患者について検討したところ、両者に余り大きな差はなかったが、これらの例ではHSVの初感染例よりもはるかに高い抗体価をもっていた症例が多かった。これらのことは、初感染後、神経節に潜伏したHSVが時々再活性化を繰り返し抗原刺激となってIgG抗体を上昇させたのではないかと考えている。 今回の研究により以下のことが分かった。 1.IgMの診断的意義 2.IgGの診断的意義 3.IgM抗体の推移の三つのパターン 4.IgG抗体価が低いこと |