心臓弁膜症ないし弁膜症性心疾患は、循環器疾患領域の主要な治療テーマのひとつであるが、弁自体の状態についての評価は専ら組織学的手法に依存してきた。臨床の現場で即活用できる評価方法も基準も確立されておらず、フォルマリン固定されていない"生の"弁は、実はあまり良く知られていない。しかし自己弁温存手術が見直されている昨今、何らかの基準に基づいて温存部分の性状が評価されるべきであること、ひいては手術術式適応・不適応の決定にも、弁の性状の評価が活用されるべきであること、また、急速に心臓血管外科領域に広がりつつある手術侵襲縮小化の中で、弁を十分に、或いは全く触診できないという状況でも的確な判断が外科医に要求されること、などから、組織学的評価を反映する客観的・科学的な、しかも心臓外科手術に応用可能な弁の質的評価が、今後必要となる。 1989年に尾俣らによって開発された触覚センサーは、物体がその硬さに応じた固有振動数を持つことを利用して、対象に殆ど何の影響も及ぼすことなく、先端を接触させるだけで硬さをリアルタイムに測定することを可能にした機材である。本研究では、触覚センサーを用いて僧帽弁と大動脈弁の硬さを、(1)正常弁は剖検例で、(2)異常弁は弁置換手術の摘出弁で調べ、硬さを数値化し、また、硬さの等高線グラフを描いて変化の分布を視覚化し、(3)これら数値化された硬さと組織学的変化との関係を調べることにより、触覚センサーによる評価が組織学的評価を良好に反映するか検討し、(4)従来硬化狭窄性弁病変に対する弁形成手術手技として提案された方法のうち、超音波破砕吸引装置や電動ヤスリで処置を加えた場合の効果を触覚センサーで評価できるかどうかを検討したt検定を、相関関係にはSpearmanの順位相関係数を用いた。 (1)平均年齢67.3±6.6歳の、弁に明らかな異常のない非心臓死の男性8例、女性3例につき、死後平均7.4±3.9時間で、僧帽弁は11例、大動脈弁は6例で硬さを測定した。僧帽弁前・後尖をrough zone、clear zone、basal zoneに分けると、前尖はそれぞれ3.80±1.01、5.59±1.48、6.13±1.22、後尖は3.51±0.97、4.29±1.07、 5.10±1.77で、両尖を比較すると、3つのzoneすべて前尖が後尖より有意に硬く(rough zoneはp<0.05、clear zoneとbasal zoneはp<0.01)、zone同士の比較では、両尖とも弁尖から弁輸に近づくにつれて有意に硬かった(すべてp<0.01)。性差については、両尖のいずれのzoneでも有意差はなかった。 大動脈弁はArantius小体部11.06±1.35、それ以外の弁接合部7.87±1.30、弁輪部8.10±1.27、弁腹5.65±1.35の順で硬かった。Arantius小体以外の弁接合部と弁輪部との間の硬さには有意差がないほかは、すべてp<0.01の有意差をみとめた。 (2)測定対象は、僧帽弁狭窄(MS)12例(全例リウマチ性)、僧帽弁閉鎖不全(MR)6例(先天性2例、変性性4例)、大動脈弁狭窄(AS)7例-21尖(リウマチ性3例、変性性4例)、大動脈弁閉鎖不全(AR)6例-15尖(全例変性性)であった。 MS弁では、rough zone 13.91±3.77、clear zone 8.86±4.57、basal zone 7.86±3.02の順で硬く、それぞれの間に有意差を認めた(p<0.01)。この硬さの関係は、剖検例での結果の正反対であった。 MR弁はrough zone 4.78±1.69、clear zone 4.40±1.47、basal zone 4.92±2.31で各zoneの硬さの間に有意差はなく、剖検例で見られたrough zoneが軟らかいという特徴がない以外、特別な傾向はなかった。また先天性MRと変性性MRとの間で、硬さの有意な差はなかった。 zone同士でMS弁、MR弁、剖検例を比較すると、rough zoneはMS弁、MR弁、剖検例の順で硬く、clear zoneとbasal zoneはともにMS弁、剖検例、MR弁の順であり、それぞれの間にいずれもp<0.01の有意差を認めた。AS弁はリウマチ性では弁接合部14.78±3.35、弁膜12.88±3.07、弁輪部14.20±3.63で、弁腹が弁接合部や弁輪付近よりp<0.05で有意に軟らかく、弁接合部と弁輪付近との間には有意差なし、という、剖検例と同じ傾向となった。変性性では弁輪部17.28±5.75、弁腹14.71±6.02、弁接合部10.87±4.25の順に硬く、それぞれの間にp<0.01の有意差を認め、この硬さの関係は剖検例とは全く異なる。リウマチ性ASと変性性ASを比較すると、弁接合部ではリウマチ性が、弁腹と弁輪付近では変性性が有意に(弁腹はp<0.05、弁接合部と弁輪付近はp<0.01)硬かった。 AR弁では、剖検例同様、弁接合部10.94±3.28、弁輪部8.68±3.42、弁腹7.16±2.57の順で硬く、弁接合部は弁輪部・弁腹より有意に硬かったが(p<0.01)、弁輪部と弁腹との間には有意差はなかった。 zone同士でAS弁、AR弁、剖検例を比較すると、弁接合部と弁腹ではAS弁、AR弁、剖検例の順で硬く、それぞれの間にすべてp<0.01の有意差を認めた。弁輪部はAS弁、剖検例、AR弁の順で、AS弁は剖検例やAR弁より有意に(p<0.01)硬かったが、剖検例とAR弁とは有意差はなかった。 触覚センサーでの計測値をもとに硬さの等高線グラフを描いてみると、上述の変化の分布と傾向が一目瞭然に捉えられた。この等高線グラフが短時間に得られれば、手術方針の決定などにも大いに助けになりそうである。なお、等高線グラフ像とX線軟線像とを比較すると、X線像の吸光度は厚みの影響が強く、狭窄弁では両者はある程度一致したが、閉鎖不全弁での一致は不良であった。なお、高齢者の大動脈弁のどこに変化(特に石灰化)が強く起こるかは諸説あるが未決着である。硬さを客観的に評価できる触覚センサーはこの点非常に有用であると考え、剖検例大動脈弁6例で肉眼的に明らかな加齢性変化を呈する部分も含めて、また変性性ASの4症例で、右・左・無3尖間の硬さの関係をzone別に比較したが、弁接合部、弁腹、弁輪とも3尖間に有意差はなかった。しかしこれは、症例数が少ないうえに、著明な変化がないか弁置換手術が必要なほど変化が強い症例のみが対象だったために結論が出なかった可能性が高い。 (3)僧帽弁18例、86切片、394ポイントで、厚み・線維化・硝子化・石灰化・間葉系組織の増殖・弾性線維増生・血管新生・心房筋の存在の8つの要因について検討した。個々の要因とstiffnessとの相関関係、要因間の相関関係を検討し、さらに、それぞれの指標を独立変数に、stiffnessを従属変数として強制投入法とステップワイズ法による重回帰分析を行った。(1)厚みとstiffnessはリウマチ性狭窄弁では有意な相関を示したが、非リウマチ弁では全く相関がなかった。(2)stiffnessと線維化との相関係数は0.862、硝子化とは0.783、石灰化とは0.464、またこれらの変化を統合するために新たに考案した指標である"R因子"とは0.935で、いずれも有意な(p<0.0001)相関を示し、これらが強力なstiffnessの決定要因であることが重回帰分析により示された。"R因子"を採用した場合の回帰式はstiffness(g/cm)=2.882+2.304×(R因子)で、この回帰式のR2=0.88であった。組織学的病変の検出のために、カットオフ値を設定してそれより硬い所を陽性と判定することとすると、線維化(2+)以上の部分に対して6g/cm、線維化(3+)以上の剖分に対して8g/cm、硝子化(+)の部分で10g/cm、硝子化(2+)の部分で13g/cm、石灰化陽性部分で15g/cmと設定するとsensitivity、specificity、accuracyとも概ねすべて90%以上と、触覚センサーによる計測は高い精度を示した。(3)間葉系組織の増殖とstiffnessとの相関係数は-0.507で有意な逆相関を示した(p<0.0001)。しかし、間葉系組織の増殖の検出に対してstiffnessの測定はさほど鋭敏でなく、ステップワイズ法ではstiffnessの決定要因に残らなかった。(4)弾性線維の増殖、新生血管の存在、心房筋の混在などはstiffnessと有意の相関はなかった。以上、ある種の組織学的変化は硬さの変化を来し、触覚センサーで硬さを測定すれば、煩雑な、或いは不可逆的な変化を加えなくても、その部分の組織学的変化を高い精度で推定可能であることを示した。 (4)触覚センサーで硬さを計測しつつ、超音波破砕吸引装置で石灰化部分に処置を加えると、脱灰が完成に近づくと厚みや重量の変化と並行しない急激な軟化がおこった。即ち、触覚センサーによる測定を処置効果の指標として利用できた。一方、電動ヤスリで厚みを減ずる処置の場合は、触覚センサーでは硬さの改善として現われず、むしろやや硬さが増しているという評価になったタイミングすらあるなど、処置の効果を正しく評価できなかった。この結果は、処置を行って厚みが減じていても明らかな線維化や硝子化が残存しており、組織の質が変わらないためであると考えられた。 以上、硬さから推定される手術時点での組織学的変化を把握し、また、手術効果の判定を可能にすることで、遠隔期の問題や妥当な治療方針の基準を客観的・科学的に論じ、殊に硬化性病変に対する弁形成術の適応を拡大することに触覚センサーが貢献してゆくことが期待される。さらに、もし触覚センサーを、例えばリモートアクセス手術におけるロボット自体にとりこめば、外科医が手で触れる以上の触診情報が得られるわけで、創が小さいだけでなく、より精度の高い手術となってゆく可能性も期待される。 |