ヒトパピローマウイルス(HPV;human papillomavirus)は環状2本鎖の小型DNAウイルス(8,000塩基対)で現在70以上の型に分類されている。性器に感染する約30の型のHPVのなかで、いわゆるhigh-risk types(16,18型)やintermediate-risk types(31,33,35,52,58型)の感染は子宮頚癌発症の最大のリスクファクターと考えられており、low-risk types(6,11,42,43,44型等)は尖圭コンジローマの原因ウイルスとして知られている。 HPVは細胞培養系で増殖させることができず、抗原蛋白の入手が困難であったため、HPVの血清疫学は遅れていた。当初、ヒト血清中のHPV主要粒子蛋白L1に対する抗体の測定は大腸菌で発現したL1蛋白や合成ペプチドを抗原として試みられたが、抗L1抗体とこれらの抗原との反応は弱く、ヒト血清中の抗L1抗体はL1蛋白の立体構造を認識する可能性が指摘されていた。最近、HPVのL1蛋白をバキュロウイルスベクター発現系等で大量発現させると培養細胞内で自律的に集合してウイルス様粒子(VLP;virus like particle)が形成されることが知られるようになり、このVLPを抗原としてヒト血清中の抗L1抗体の測定が検討されるようになった。子宮頚癌やその前駆病変であるCIN(cervical epithelial neoplasia)を有する患者の血清にはHPV16型VLPに対する抗体が、尖圭コンジローマの患者血清にはHPV6/11型VLPに対する抗体が有意に高率に検出されることが報告されている。 本研究ではHPVl6,6型のVLPに加えて18,58型のVLPも作製して、日本人女性におけるHPV感染の実態を調べるために各種VLP(L1)に対するIgG抗体の測定を試みた。また、個々の血清サンプルが複数の抗原とどのように反応するかも調べた。 対象は日本人女性血清328例で、その内訳は健常人女性201例、CIN患者22例、子宮頚癌患者67例、尖圭コンジローマ患者38例であった。 各種VLPはバキュロウイルスベクター/夜盗蛾細胞(Sf-9)発現系で作製した。各型のL1領域をそれぞれ導入した組み換えバキュロウイルスを作成しこれを培養細胞Sf-9に感染させた。72時間後感染細胞を回収し超音波で破砕後、塩化セシウム平衡遠心法でVLPを精製した。また、1%界面活性剤SDS存在下で100℃、5分間煮沸処理したVLPを変性抗原として使用した。精製したVLPはSDSゲルでの電気泳動やWestern blot法でL1蛋白の発現を確記し、電子顕微鏡にてVLPの形成を確認した。 ヒト血清中の抗L1抗体の測定はELISA法にて行った。吸光度のカットオフ値はHoffmann反復収束法にて統計的に算出した。具体的には、最初に全サンプルを母集団として吸光度の平均値+標準偏差の2倍を最初のカットオフ値としそれ以上の値をとるサンプルを除外した。次に残りのサンプル全てを新たな母集団としてその平均値+標準偏差の2倍量を次のカットオフ値をとしてそれ以上の値をとるサンプルを除外するという操作を繰り返した。除外するサンプルが無くなってしまった最後の平均値+標準偏差の2倍を最終的なカットオフ値としそれ以上の値をとるものを陽性と判定した。 各種VLPは電子顕微鏡にて直径50〜60nmの粒子構造が認められた。L1蛋白の発現を確記するために各種VLPをSDSゲルでの電気泳動やWestern Blot法にて解析した結果、塩基配列から推定される分子量(55〜64K)のバンドが認められた。 各種VLPで免疫して得られたマウス抗血清と各種VLPとの反応をELISA法で調べると、低レベルの抗原性の交差は見られたが、マウス抗血清はほぼ型特異的に反応した。しかし、界面活性剤SDSを用いて立体構造を破壊された変性VLPとの反応は弱いことから、マウス抗血清中の抗L1抗体はVLPの立体構造を認識しているものが主であると考えられた。 日本人女性血清328例を対象としてELISA法にてヒト血清中の抗L1抗体を測定した。カットオフ値以上の吸光度をもつサンプルを抗体陽性として解析した。抗体陽性と判定された血清のうち36サンプルについて、界面活性剤SDSで立体構造を破壊された変性VLPや大腸菌で発現して得られたL1蛋白との反応を調べたが、マウス抗血清と同様にこれらの抗原との反応は弱いことからヒト血清中の抗L1抗体もやはりVLPの立体構造を認識しているものが主であることが示された。 HPV16,18,58型のいずれかの抗L1抗体はCIN患者の45%(10/22)、子宮頚癌患者の49%(33/67)に検出され、年齢を合致させた健常人女性対照群[各々12%(12/98)、14%(14/102)]と比較して有意に高率に検出された。また、HPV6型の抗L1抗体は尖圭コンジローマ患者の55%(21/38)に検出され、対照群[25%(12/48)]と比較して有意に高率に検出された。 HPVl6型の抗L1抗体は、子宮頚部病変からHPV16型DNAが検出されたCINや子宮頚癌患者全例に必ずしも検出されなかった(HPVI6型DNAV陽性のCIN6例中3例、子宮頚癌13例中9例では抗体陽性)。HPV16型DNA陽性患者のうち、2例(#302,#284)ではHPV16型抗体陰性にもかかわらず他の型に対する抗体が陽性であった。 HPV16型DNA陽性患者血清のなかにはHPV16型抗原のほかに複数の型の抗原に同時に反応する血清が存在した。また、HPV16型DNA陽性患者血清に限らず、いずれかの型に対する抗体を保有している血清のうち複数の型の抗原に対する反応も認められたサンプルは各々CIN患者の45%(5/11)、子宮頚癌患者の51%(21/41)、尖圭コンジローマ患者の36%(9/25)、健常人女性の16%(11/68)に認められた。 本研究で用いた抗L1抗体測走系はマウス抗血清や一部のヒト血清で確認されたようにVLPの立体構造を型特異的に認識する抗体を検出するもので、大腸菌で発現したL1蛋白などを抗原とした抗L1抗体測定系に比べ型特異的に高感度で測定できると考えられる。 HPV16,18,58型に対する抗体はCINや子宮頚癌の患者血清に、HPV6型に対する抗体は尖圭コンジローマの患者血清中に、各々対照群と比較して有意に高率に検出された。この結果は本研究における病変からのHPV DNA検出のデータやこれまでの各種病変におけるHPV DNA検出のデータと合致している。 しかし、CINや子宮頚癌患者でHPV16,18,58型のいずれかの抗体を保有するものは各々45%、49%で抗体の検出率は病変からのHPV DNA検出の検出率(90%以上)に比べ低率であった。同様にHPV16型に対する抗体がHPV16型DNA陽性患者の全例には必ずしも検出されなかった。この理由としては、HPV感染によって必ずしも抗体産生が起こらない可能性と、HPV感染から腫瘍が顕在化するまでのあいだに抗体価が低下した可能性が考えられる。 本研究では複数の型(16,18,58,6型)のVLPを用いて抗L1抗体を測定することにより、複数の抗原に同時に反応する血清が少なからず存在することを示した。ヒト血清中の抗体も基本的に型特異的に反応すると考えられることや反応する抗原の組み合わせが多様であることから、この全てを抗原性の交差で説明することは困難である。したがって、これらの患者では病変とは直接関係のないHPV感染も含めて複数の型のHPVに感染した可能性がある。また、複数の型に対する抗体を保有している患者の存在は、ある型に対する抗L1抗体が別の型のHPV感染を予防できないことを示唆している。 |