学位論文要旨



No 214313
著者(漢字) 井上,知巳
著者(英字)
著者(カナ) イノウエ,トモミ
標題(和) 成長ホルモン(GH)およびインスリン様成長因子-I(IGF-I)による外科侵襲期宿主防御能増強効果
標題(洋)
報告番号 214313
報告番号 乙14313
学位授与日 1999.04.28
学位種別 論文博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 第14313号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 前川,和彦
 東京大学 教授 中原,一彦
 東京大学 教授 木村,哲
 東京大学 助教授 三村,芳和
 東京大学 講師 針原,康
内容要旨 緒言

 外科侵襲後の合併症のうち最も頻度の高いものは、感染性合併症である。特に腹膜炎や肺炎、敗血症等の重症感染症の発生率は、近年の集中治療の進歩に拘わらず増加し、死亡率も高い。このため、新しい外科侵襲期の感染性合併症対策が必要とされている。一方、成長ホルモン(growth hormone;GH)およびインスリン様成長因子-I(insulin-like growth factor I:IGF-I)は、 蛋白代謝改善効果に加え、種々の免疫能賦活作用を有することが近年明らかになってきた。しかし、侵襲期の宿主防御能に及ぼすGHやIGF-Iの効果を検討した報告は極めて少ない。そこで本研究は、外科侵襲時の宿主防御能に及ぼすGHとIGF-Iの効果を明らかにすることを目的とした。このため、GHとIGF-Iの、E.coli腹膜炎時の宿主防御能に及ぼす効果、マウス腹腔内浸出細胞およびヒト末梢血好中球の殺菌能とそれに関わる機能に及ぼす効果、周術期患者の感染防御能に関わる好中球および単球、リンパ球機能に及ぼす効果、を順次検討した。

第I章マウス腹膜炎モデルにおける生存時間および腹腔内浸出細胞数、組織生菌数、炎症性サイトカイン産生に及ぼすGHとIGF-Iの効果の検討

 マウスE.coli腹膜炎モデルにおいて、GHおよびIGF-Iの前投与の効果を検討した。6日間のGH(4.8および0.48mg/kg/日)、およびIGF-I(24mg/kg/日)投与は、生食投与に比べE.coli腹膜炎マウスの生存時間を延長させた。さらに、GH(4.8mg/kg/日)およびIGF-I(24mg/kg/日)投与は、腹腔内浸出細胞数を増加させ、腹腔内と肝の生菌数を減少させた。また、両ホルモン投与は、殺菌能に重要な腹腔内浸出細胞のin vitro LPS刺激下のIL-1やIL-6(GH)産生を増加させ、侵襲局所である腹腔内のTNFおよびIL-1、IL-6濃度を維持した。一方、両ホルモン投与は、臓器障害を引き起こすとされる末梢血中の過剰なTNFやIL-1(GH)、IL-6濃度の上昇を抑制した。このように、GHやIGF-Iには、腹腔内浸出細胞数を増加させ、炎症性サイトカインの産生を炎症局所で増強または維持する一方、全身末梢血では抑制する効果があることが判明した。

第II章マウス腹膜炎モデルにおける腹腔内浸出細胞と末梢血貪食細胞のオプソニンレセプター発現に及ぼすGHとIGF-Iの効果の検討

 第I章と同じマウスE.coli腹膜炎モデルにおいて、GHおよびIGF-I投与により増加する腹腔内浸出細胞の種類を同定し、さらにその増加の機序とその腹腔内殺菌における役割を、オプソニンレセプター発現に焦点を当てて検討した。その結果、6日間のGH(4.8mg/kg/日)およびIGF-I(24mg/kg/日)前投与は、E.coli腹膜炎時の腹腔内浸出好中球数を増加させ、とくにGH投与群では生食投与群に比べ、腹腔内生菌数が減少するとともに腹腔内浸出好中球のCD11b発現が高まっていた。このCD11b発現の増加は、GH投与群における好中球の腹腔内への浸出増加と貪食能や殺菌能の増強に関与していると考えられた。一方、GH投与は末梢血好中球のCD11b発現の増加は来さなかったことから、その不必要な活性化は惹起しなかったと考えられた。すなわちGH投与は、腹腔内局所での好中球による効率的な殺菌をもたらす一方、好中球による全身重要臓器障害を招かない点で、重症腹膜炎の宿主防御に極めて有利であると考えられた。

第III章マウス腹腔内浸出細胞のin vitro E.coli殺菌能に及ぼすGHとIGF-Iの効果の検討

 GHおよびIGF-Iを投与した動物の血漿や、GHやIGF-I自体も腹腔内浸出細胞の殺菌能を増強する可能性があるため、その検討を行った。その結果、GH(4.8mg/kg/日)およびIGF-I(24mg/kg/日)を6日間投与したマウスの血漿は、マウス腹腔内浸出細胞のE.coli殺菌能を増強することが明らかになった。また、GH(10-1000ng/mL)およびIGF-I(50-5000ng/mL)は、直接的にin vitroでマウス腹腔内浸出細胞のE.coli殺菌能を増強することも示された。

第IV章健常成人末梢血好中球のE.coli殺菌能および生存数、オプソニンレセプター発現、貪食能、活性酸素産生能に及ぼすGHとIGF-Iのin vitroの効果の検討

 GHおよびIGF-Iの、健常成人好中球殺菌能に及ぼす効果をin vitroで検討した。その結果、GH(100,1000ng/mL)およびIGF-I(100,1000ng/mL)添加が、健常成人末梢血好中球のE.coli殺菌能を増強することが明らかとなった。この機序には、両ホルモンによる貪食能や活性酸素産生能増強作用が関与しており、加えてGHによる好中球寿命延長作用や、IGF-Iの補体レセプタ-CD11b発現増強作用も関与していることが示唆された。

第V章周術期患者の末梢血好中球および単球、リンパ球の貪食能、活性酸素産生能、サイトカイン産生能、機能的表面抗原発現に及ぼすGHとGF-Iのin vitroの効果の検討

 周術期患名の感染防御能に関わる末梢血好中球および単球、リンパ球機能に及ぼすGHとIGF-Iの効果をin vitroで検討した。その結果、GH(100ng/mL)およびIGF-I(500ng/mL)添加は、ともに周術期好中球の貪食能、好中球と単球の活性酸素産生能、単球のHLA-DR発現を増強した。さらに、IGF-Iは単球の貪食能およびTNF産生能、TNFR発現を増強し、GHはリンパ球のIFN産生能を増強した。これらのGHやIGF-Iの作用は、とくに術前低栄養症例や高侵襲手術後、高度炎症例に顕著にみられ、このような症例や病態におけるGHおよびIGF-Iの投与が、術後の感染防御能増強に有効であると考えられた。

総括

 高齢者や低栄養患者、高侵襲手術患者は、術後腹膜炎に代表される感染性合併症を発症しやすい。従って、本検討の結果を総合すると、このような感染性合併症発症の高リスク患者に対して、術前から予防的にGHやIGF-Iを投与することが、周術期の宿主防御能を高め、感染性合併症の予防と重篤化防止に有効であることが示唆された。しかし、GHおよびIGF-I投与による好中球や単球機能の活性化は、術後の臓器障害発症に結びつく懸念もある。このため、GHやIGF-Iを術後、とくに感染の成立後や炎症の極期に投与するにあたっては、臓器障害の惹起や増悪が実際に生じるか否かを検討し、またそれを回避するための厳密な投与適応基準と投与量、時期を定める必要があると考えられた。

結語

 外科侵襲時における宿主防御能に及ぼすGHとIGF-Iの効果を検討した。その結果、

 1)GHおよびIGF-Iの前投与は、重症腹膜炎時の宿主反応を改善し生存時間を延長させた。

 2)GHおよびIGF-Iは、マウス腹腔内浸圧細胞および健常成人末梢血好中球のin vitro E.coli殺菌能を増強した。

 3)GHおよびIGF-Iはin vitroで、周術期患者の末梢血好中球および単球、リンパ球の感染防御能に関わる機能を増強した。そしてその効果は、術前低栄養症例や高侵襲手術後、高度炎症例において顕著であった。

 以上の検討より、術後のGHおよびIGF-I投与が臓器障害を惹起または増悪する可能性については更なる検討を要するものの、高齢者や低栄養患者、高侵襲手術患者など術後感染性合併症発症のリスクが高い患者に対する、術前からの予防的GHおよびIGF-I投与は、周術期の宿主防御能を高め、感染性合併症の予防と重篤化防止に有効でおることが示唆された。

審査要旨

 本研究は外科侵襲時の宿主防御能に及ぼす成長ホルモン(growth hormone;GH)およびインスリン様成長因子-I(insulin-like growth factor I;IGF-I)の効果を明らかにするため、GHとIGF-Iの、E.coli腹膜炎時の宿主防御能に及ぼす効果、マウス腹腔内浸出細胞およびヒト末梢血好中球の殺菌能とそれに関わる機能に及ぼす効果、周術期患者の感染防御能に関わる好中球および単球、リンパ球機能に及ぼす効果の検討を行い、下記の結果を得ている。

 1.マウスE.coli腹膜炎モデルにおけるGHとIGF-Iの前投与効果の検討では、GHおよびIGF-I投与は、生食投与に比べE.coli腹膜炎マウスの生存時間を延長させた。さらに、GHおよびIGF-I投与は、腹腔内浸出細胞数を増加させ、腹腔内と肝の生菌数を減少させた。また、GHおよびIGF-I投与は、殺菌能に重要な腹腔内浸出細胞のin vitro LPS刺激下のIL-1やIL-6産生を増加させ、侵襲局所である腹腔内のTNFおよびIL-1、IL-6濃度を維持した。一方、GHおよびIGF-I投与は、臓器障害を引きおこすとされる末梢血中の過剰なTNFやIL-1、IL-6濃度の上昇を抑制した。このように、GHやIGF-Iには、腹腔内浸出細胞数を増加させ、炎症性サイトカインの産生を炎症局所で増強または維持する一方、全身末梢血では抑制する効果があることが判明した。

 2.同じマウスE.coli腹膜炎モデルにおいて、GHやIGF-I投与により増加する腹腔内浸出細胞の種類を同定し、さらにその増加の機序と、その腹腔内殺菌における役割を、オプソニンレセプター発現に焦点を当てて検討した。その結果、GHおよびIGF-I投与は、E.coli腹膜炎時の腹腔内浸出好中球数を増加させた。とくにGH投与群では生食投与群に比べ、腹腔内生菌数の減少とともに腹腔内浸出好中球のCD11b発現が高まっていた。このCD11b発現の増加は、GH投与群での好中球の腹腔内浸出増加と貪食能や殺菌能の増強に関与していると考えられた。一方、GH投与は末稍血好中球のCD11b発現増加は来さなかったことから、その不必要な活性化は惹起しなかったと考えられた。すなわちGH投与は、腹腔内局所での好中球による効率的な殺菌をもたらす一方、好中球による全身重要臓器障害を招かない点で、重症腹膜炎の宿主防御に極めて有利であると考えられた。

 3.GHやIGF-Iを投与した動物の血漿や、GHおよびIGF-I自体が、腹腔内浸出細胞の殺菌能を増強する可能性を検討した。その結果、GHおよびIGF-I投与マウスの血漿は、腹腔内浸出細胞のE.coli殺菌能を増強することが明らかになった。また、GHとIGF-Iは、直接的にin vitroで腹腔内浸出細胞のE.coli殺菌能を増強することも示された。

 4.GHおよびIGF-Iの健常成人好中球殺菌能に及ぼす効果を検討した結果、GHとIGF-Iは、健常成人末梢血好中球のE.coli殺菌能をin vitroで増強することが明らかとなった。この機序には、両ホルモンによる貪食能や活性酸素産生能増強作用が関与しており、加えてGHによる好中球寿命延長作用や、IGF-Iの補体レセプタ-CD11b発現増強作用も関与していることが示唆された。

 5.周術期患者の感染防御能に関わる未梢血好中球および単球、リンパ球機能に及ぼす、GHとIGF-Iのin vitroの効果を検討した。その結果、GHとIGF-Iは、ともに周術期好中球の貪食能、好中球と単球の活性酸素産生能、単球のHLA-DR発現を増強した。さらに、IGF-Iは単球の貪食能、TNF産生能、TNFR発現を増強し、GHはリンパ球のIFN産生能を増強した。これらのGHやIGF-Iの作用は、とくに術前低栄養症例や高侵襲手術後、高度炎症例に顕著にみられ、このような症例や病態におけるGHおよびIGF-Iの投与が、術後の感染防御能増強に有効であると考えられた。

 以上、本論文は外科侵襲下におけるGHおよびIGF-Iの宿主防御能増強効果をin vitroおよびin vivoにて示したものであり、とくに術後感染性合併症発症のリスクが高い患者に対する、術前からの子防的GHおよびIGF-I投与が、周術期の宿主防御能を高め、感染性合併症の予防と重篤化防止に有効である可能性を示した。本研究は、外科侵襲時の宿主防御能増強対策の開発に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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