学位論文要旨



No 214314
著者(漢字) 久保,淑幸
著者(英字)
著者(カナ) クボ,ヒデユキ
標題(和) 高インスリン血症動物モデルにおける動脈硬化促進についての実験的検討
標題(洋)
報告番号 214314
報告番号 乙14314
学位授与日 1999.04.28
学位種別 論文博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 第14314号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 大内,尉義
 東京大学 助教授 小塚,裕
 東京大学 助教授 山田,信博
 東京大学 講師  平田,恭信
 東京大学 講師 川内,基裕
内容要旨 研究の目的

 動脈硬化の危険因子の一つとして1960年代より高インスリン血症が議論されてきた。多くの疫学的研究がインスリン、高インスリン血症と動脈硬化性疾患の関連を指摘してきた。しかし、1980年代より、新たにインスリン抵抗性という概念が提唱されるようになった。これは、複数の危険因子が一人の患者に重複して発症し、これらの患者に共通して高血糖と高インスリン血症すなわちインスリン抵抗性があるという病態である。この概念は広く受け入れられるところとなり、インスリン抵抗性と動脈硬化の間に密接な関係があるとされている。しかし、インスリン抵抗性がどのように動脈硬化を発症させるのかというメカニズムは未だ明らかではない。特に、インスリン抵抗性を示す個体においてはインスリンに対する反応性の低下に基づく「インスリンの作用不全」と代償的に生じる高インスリン血症による「インスリルの過剰作用」という相反する現象がみられ、そのどちらが動脈硬化の原因となっているのかを改めて検証する必要が生じている。

 そこで我々は、以下の点を目的として、今回の研究を行った。

 1)インスリン抵抗性のない高イシスリン血症動物モデルを作成すること。

 2)この動物モデルにおいて動脈硬化形成が促進される、すなわち、インスリンの直接的な作用により動脈硬化が発症するということを確認すること。

 3)この動物モデルにおいて動脈硬化形成に関与する諸因子がどのように影響を受けるかを調べること。

研究の方法

 実験動物として高脂肪食による動脈硬化発生モデルであるGottingen系のCSK Miniature Swine(ミニブタ、雌、7カ月齢)を用いた。インスリンはブタインスリンを用いた。

 血中インスリン濃度(IRI)はRIA法で測定した。血糖値、血液生化学値はDry・Chem法で測定した。リポ蛋白の分画は超遠心法で行った。リポ蛋白リパーゼ(LPL)活性値は基質法で血中カテコラミン濃度はHPLC法で、血中グルカゴン濃度はRIA法で測定した。

 (実験・1)インスリン投与法の検討(ミニブタ3頭を用いた。)

 [皮下注による投与]背部に皮下注しその後の血中インスリン値を経時的に測定した。

 [持続皮下注による投与]微量注入ポンプを用いた。

 (実験・2)インスリン持続皮下注の動脈に与えろ影響の検討(通常飼料の場合)ミニブタ6頭(インスリン群(イ群)3頭、対照群3頭)を用いた。イ群にはブタインスリン2.0u/kg/dayを、対照群にはPBSを24時間持続注入した。持続注入は6カ月間継続した。

 [インスリン抵抗性測定]Somatostatinを用いたSSPG法によりインスリン感受性(インスリン抵抗性)を測定した。

 6カ月目に解剖し、動脈および主要臓器を採取した。

 (実験・3)インスリン持続皮下注の動脈に与える影響の検討(動脈硬化誘導飼料の場合)

 ミニブタ12頭(イ群6頭、対照群6頭)を用いた。動脈硬化誘発食として15%牛脂と1.5%コレステロールを添加した飼料を与えた。イ群にインスリン2.0u/kg/dayを24時間、6カ月間持続注入した。その間に以下の実験を加えた。

 [血圧測定]尾動脈で測定した。

 [SSPG測定]3カ月目と6カ月目にSSPG法を行った。

 3カ月目に左外腸骨動脈を生検し、6カ月目に解剖した。

結果

 (実験・1)0.5u/kg以上の皮下注でIRI値の上昇が見られた。注射後4時間以降はIRI値は急速に低下し、6時間で前値に復した。

 持続皮下注の場合、2.0u/kg/dayの投与で安定した高インスリン血症を得た。

 (実験・2)SSPG値は有意差がなかった。冠状動脈では、イ群で初期のアテローム様の変化を認めた。

 (実験・3)

 [体重の変化]有意差を認めなかった。

 [空腹時インスリン値の変化]イ群が対照群に比べ高値を示し実験期間中維持された。

 [血中IRI値と血糖値の日内変動(6週間目)]IRI値は、給餌後のインスリン分泌相を除外しイ群が対照群より常に高値を示した(52.8〜88.3vs.9.7〜29.3 u/ml)。インスリン抗体は出現しなかった。

 [血清脂質]総コレステロール値)6週間目にイ群は996±72.5mg/dlで、対照群(734±46.3mg/dl)に比べて有意に高かった。この傾向は実験期間中維持された。トリグリセライド値)有意差を認めなかった。リポ蛋自分画)総コレステロールのリポ蛋自分画はイ群ではHDLが低く、VLDL・カイロミクロンおよび LDLが高い傾向がみられたが有意差はなかった。LPL活性値も有意差を認めなかった。

 血中カテコラミン濃度・グルカゴン濃度)有意差を求めなかった。

 [SSPG法]有意差はなかった。インスリンを長期に投与してもインスリン抵抗性が生じなかった。

 [血圧]イ群の方が低値であった。

 [生検標本]イ群で泡沫細胞の集蔟による著明な内膜肥厚と内弾性板に沿った石灰化を認めた。

 [解剖標本](肉眼的所見)イ群の胸部大動脈で著明な脂肪線条と強い脂肪沈着を認めた。腹部大動脈〜終末大動脈では著明な粥腫の形成と内腔の狭窄を認めた。冠状動脈には高度の狭窄を認めた。対照群はいずれもごく軽度であった。(組織学的所見)イ群の動脈は石灰化を伴う強い内膜肥厚を認め、特に冠状動脈では、内腔の狭窄をきたすものも見られた。対照群は軽度の内膜肥厚を認めるのみであった。免疫組織学的にはアテロームはその大部分が脂肪を多量に含むマクロファージ・モノサイト系細胞により形成されていた。血管断面におけるI/M比は対照群、0.15±0.06に対し、イ群、1.56±11.1と有意差(p<0.05)を認めた。

考察(1)実験モデルについての考察

 [実験動物の選択]ミニブタの動脈は、加齢により動脈硬化が自然発症し、コレステロール負荷によりこれが加速されること、また弾性型動脈にFatty streakが好発し、筋型動脈にはFibrous Plaqueが生じやすい点などでヒトに類似している。大動物ではあるが本モデルではこの大きさが以下の点で大きな利点になった。1)微量注入ポンプを使用できた。2)中心静脈にカテーテルを留置し、採血や静脈内投与ができたこと。3)多量の採血が可能で、各種データの測定が可能であったこと。また、ブタインスリンを使用できたため長期的な実験が可能であった。実験動物としてのミニブタは今回の実験において不可欠であった。

 [高インスリン血症モデルとしての妥当性]これまでのインスリンを動物に投与する実験の多くは筋注、または皮下注している。しかし、高インスリン濃度を維持できるのは4時間が限度であり、6時間後には皮下注前値に復していた。そこで、持続注入ポンプを使用する方法を採用し、長期的に安定した高インスリン血症状態を得た。我々の方法のように6カ月(あるいはそれ以上)もの長期間安定した高インスリン血症状態を維持させる方法は他に見あたらない。さらに、このモデルは(実験・2) (実験・3)でインスリン感受性に変化のないことが確認できた。すなわちインスリン抵抗性のない高インスリン血症モデルを作成できた。このモデルは、高インスリン血症におけるインスリンの過剰作用の再現に適当であると考えられる。

(2)インスリン持続皮下注が全身の様々な因子に与える影響について

 [内分泌作用に与える影響]体重の変化やインスリン拮抗ホルモンに有意差は生じなかった。微量注入が影響を最小限にとどめたと考えられる。

 [血圧に与える影響]これまで、高インスリン血症による血圧上昇の仮説がいくつも提唱されたがいずれも決め手に欠けた。最近になってインスリン自体の血管拡張作用や交感神経抑制作用の点から、インスリンの作用不全が高血圧をもたらすとの仮説もあり、今回の結果はこの説に矛盾しない。インスリンの作用不全と過剰作用のどちらが原因となるかによって全く逆の解釈が生まれる危険性がある。

 [脂質代謝に与える影響]インスリン抵抗性症候群における脂質代謝異常については、高インスリン血症が肝臓でのVLDL・TGの合成を促進し、高TG血症を惹起するといわれる。また、末梢組織では、LPL活性が抑制されており、VLDLの除去が低下することもVLDL上昇の一因と考えられている。さらに、肝臓のHMG・CoA reductase活性の亢進を介してのコレステロール生合成の増加およびVLDLからLDLへの代謝亢進などが総コレステロール値、LDL・コレステロール値の増加をもたらすとされている。一方、インスリン作用不全としては、小腸アシル・CoA:コレステロールアシルトランスフェラーゼ(ACAT)活性が亢進し食餌性脂質の吸収が増加し、血漿カイロミクロン濃度が上昇するとされている。また、LDLレセブター活性低下によるLDLの上昇も考えられている。しかし、いずれの報告も高コレステロール血症よりも高TG血症が強調されており、高コレステロール血症が進行しTGに差を認めなかった我々の実験結果とは一致しない。この点については、HMG・CoA reductaseやLDLレセブター活性などの測定をしたいと考えている。

(3)インスリンの動脈硬化に与える影響について

 (実験・2)においてインスリンの直接作用として、動脈硬化が発生する可能性が高くなった。そこで、動脈硬化誘発食を利用してインスリンの動脈硬化惹起性を増輻する目的で(実験・3)を行った。結果は予測通りであった。また、部位別に動脈硬化巣のでき易さに違いがあることも判明した。この差は組織学的構築の違いによる可能性が考えられた。中でも筋型動脈である冠状動脈における動脈硬化巣の形成は著明で、強い内腔の狭窄をきたすもの、内弾性板などの構築を破壊するものも見られた。今回のミニブタはインスリン抵抗性のない高インスリン血症のモデルであるため、イシスリンがその過剰作用として動脈硬化巣の形成を促進することが実験的に強く示唆された。

(4)総括

 インスリン抵抗性という概念が導入される以前、動脈硬化におけるインスリン仮説に対しては、疫学的にも、実験的にも賛否両論が報告された。しかし、昨今「インスリン抵抗性」が知られるところとなり、その「組織選択性」によって解釈が試みられるようになった。すなわち、組織別にインスリンの感受性が異なるという状態である。例えば、肝ではVLDL・TGがインスリン感受性が高くなること合成促進され、小腸ではインスリン抵抗性が強くなることで脂質吸収が促進される。結果的に高インスリン血症とインスリン作用不全の両面から脂質代謝異常が発生している。今後このような両面からの評価はインスリン抵抗性が関与するあらゆる現象について検討されねばならない。その結果、本実験で示した高インスリン血症における血圧低下というような現象を矛盾なく説明できるようになる。

 一方、インスリンは糖尿病にとって不可欠の治療薬であるが、糖代謝異常補正のためのインスリン注射が、他方では動脈硬化のリスクを増大している可能性もあるため、インスリン投与量をより厳密にコントロールする必要性も検討されねばならない。

結語

 1)ミニブタにインスリンを持続皮下注することによりインスリン抵抗性を有しない高インスリン血症動物モデルを作成した。

 2)インスリン抵抗性における動脈硬化は、インスリンの作用不全ではなく、インスリンの直接的な作用で惹起されることが明らかとなった。

 3)インスリン抵抗性に関与するその他の諸病態についてもインスリン作用の両面から検討しなければならない。

 4)本モデルはインスリン抵抗性に関連する病態の解明に有用である。

審査要旨

 本研究は、インスリン抵抗性における高インスリン血症とインスリン作用不全のうち高インスリン血症が動脈硬化を促進することを明らかにするため、Gottingen系のミニブタを用い高インスリン血症を示す系を作成し、動脈硬化病変の誘発を試みたものであり、下記の結果を得ている。

 1.ミニブタに対し微量注入ポンプを用い持続的にインスリンを皮下注入することにより、高インスリン血症動物モデルを作成した。インスリンの持続注入量は2u/kg/dayが適当と考えられた。6本モデルにおいては給餌後の約2時間のみ対照群より低いインスリン値を示したが、これは外因性インスリンの持続投与により摂食によるインスリンの分泌が抑制されたためと思われた。

 2.インスリン持続皮下注の動脈に与える影響の検討では、まず、通常飼料を給餌し6カ月間高インスリン血症を維持した。実験期間中、対照群との間にインスリン抵抗性の違いが生じないことはSSPG法で確認した。6カ月後に生検して得られた冠状動脈の標本において初期のアテローム様変化を示す部分が認められた。このことより、高インスリン血症が動脈硬化を促進することが示唆された。

 3.前項の仮説を証明するため、飼料を動脈硬化誘発食(15%牛脂・1.5%コレステロール添加)とし、6カ月間高インスリン血症を維持した。実験期間中動脈硬化病変の発生に関与すると考えられる様々なデータを測定した。その結果、1)インスリン抵抗性に差は生じなかった。2)インスリン投与により総コレステロール値が上昇したがトリグリセライド値には差は生じなかった。3)インスリン投与により血圧は低下する傾向が見られた。4)その他のデータ(体重、リポ蛋白分画、グルカゴン・カテコラミン濃度など)には有意差は生じなかった。などのことが明らかになった。

 4.動脈硬化病変については、3カ月後の生検ですでに外腸骨動脈に著明な内膜肥厚を認めていた。6カ月後の解剖標本では、1)胸部大動脈において著明な脂肪線条・脂肪沈着を認めた。2)終末大動脈においては粥腫の形成とこれによる内腔の狭窄を認めた。3)冠状動脈では強い内膜肥厚と狭窄を認めた。4)特に冠状動脈におけるI/M比は対照群0.15±0.06に対し実験群1.56±1.11と明らかな有意差を認めた。5)今回発生したアテロームは大部分が脂肪を大量に含むマクロファージ・モノサイト系細胞により形成されている事が明らかになった。などの結果を得た。

 以上、本論文はミニブタを用いて高インスリン血症の動物モデルを新たに創出する事により、高インスリン血症が動脈硬化の発生に深く影響していることを明らかにした。本研究はインスリン抵抗性における動脈硬化発生機序の解明に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/54133