冠動脈疾患,脳梗塞のような多因子疾患において従来家族歴としてしかとらえることのできなかった遺伝素因が近年の遺伝子解析の進歩により徐々に解明されつつある.直接の原因遺伝子である場合は言うまでもないが,それが環境要因の影響に対する感受性(Susceptibility)を規定する遺伝子であったとしてもその遺伝子を同定することが,より早期に強力に環境因子の是正を行うべき症例を選び出す指標を与え,疾病予防に貢献することが期待される.本論文では欧米における大規模臨床研究により動脈硬化性疾患の独立した危険因子であることが明らかとなってきたホモシステインに着目し,その代謝関連酵素であるメチレンテトラヒドロ葉酸還元酵素(MTHFR)の遺伝子多型に関して本邦の動脈硬化性疾患患者を対象に検討し,ホモシステインと動脈硬化性疾患との関連について考察した.加えてホモシステイン降下作用を有する葉酸との関係を評価することにより,この遺伝子型判定が疾病予防にどの様に寄与しうるかその治療への応用に関しても併せて論じた. 背景 ホモシステインは必須アミノ酸であるメチオニンが代謝をうけて生体内で生成されるSH基を有するアミノ酸である.血中ホモシステイン濃度の異常高値をきたす遺伝疾患であるホモシスチン尿症の患者において動脈硬化性,血栓塞栓性病変の若年発症をみることからホモシステインと動脈硬化,血栓症との関連がクローズアップされるようになり,欧米の大規模臨床研究によりホモシステインが心筋梗塞,脳梗塞,深部静脈血栓症など動脈硬化性,血栓塞栓性疾患の独立した危険因子であることが明らかにされてきた.特にここ2〜3年間は大規模研究の報告が相次いでおり,またホモシステイン代謝の補因子である葉酸,ビタミンB6,B12等の投与により血中ホモシステイン値を下げることが動脈硬化性疾患予防への臨床応用として検討され始めている. MTHFR(メチレンテトラヒドロ葉酸還元酵素)〜ホモシステインの再メチル化に関与する酵素〜の異常も血中ホモシステイン値上昇の原因となる.Kangは活性低下と熱耐性低下をきたす変異MTHFRが血中ホモシステイン高値を介して冠動脈疾患と有意に相関することを報告した.次いでFrosstによりこの変異MTHFRは点突然変異677C→Tによるアラニン残基(A)からバリン残基(V)への一アミノ酸置換によることが示された. 本論文ではMTHFRの遺伝子多型に関して本邦の動脈硬化性疾患患者を対象に検討し,ホモシステインと動脈硬化性疾患との関連について考察した.さらにホモシステイン降下作用を有する葉酸との関係を評価することにより,この遺伝子型判定が疾病予防にどの様に寄与しうるか併せて検討した. 方法 対象にした冠疾患患者362名は冠動脈造影,脳梗塞患者256名は頭部CT検査で診断を確定している.MTHFR遺伝子型の判別は末梢血白血球から抽出したDNAからPCR(Polymerase Chain Reaction)法により198bpの産物を増幅,そのPCR産物を677C→Tの置換を認識する制限酵素HinfIによって処理することによりおこないうる.この677C→Tの置換はMTHFRのアラニン残基からバリン残基への置換をきたすので,2つの異なるアレルをA(アラニン),V(バリン)と呼んだ.Aアレルから得られた198bpのPCR産物はHinfIによって切断されないが,Vアレルから得られた同じ長さのPCR産物はHinfIにより175bpと23bpの断片に切断される.HinfI処理されたPCR産物を9.6%ポリアクリルアミドゲルで電気泳動し遺伝子型判別をおこなった. 結果 日本人健常男性778名における検討ではこの変異(V)アレル頻度は0.33,変異のホモ型であるVV型は10.2%と、本邦においてもCommon mutationであり,またアレル頻度には年齢による偏りはない. 冠疾患患者362名においては変異(V)アレル頻度は0.42,変異のホモ型であるVV型は15.7%と健常者に比べて有意に高いこと,冠動脈造影上の血管病変の重症度とも相関がみられることを明らかにした. さらに脳梗塞患者256名においても変異(V)アレル頻度は0.45とコントロール群に比べて有意に高いことが明らかになった.多変量解析の結果,このMTHFR変異は他の危険因子と独立した脳梗塞の危険因子であることがわかった. 256名の脳梗塞患者のうち141名で血中ホモシステインと葉酸を測定した.血中ホモシステインはAA10.3±3.7,AV11.5±3.7,VV14.1±5.3mol/L.VV遺伝子型の患者はAAあるいはAV遺伝子型の患者に比べ有意に血中ホモシステイン値が高い.(各々P=0.0036,P=0.044)一方,血中葉酸はVV遺伝子型の患者で他遺伝子型に比べて低い傾向にはあったが統計学的に有意ではなかった 加えて遺伝子型とホモシステイン値との関係に与える葉酸の影響について検討した.葉酸値が4.0より低い患者だけをみるとVV遺伝子型の患者ではAAあるいはAV遺伝子型の患者に比べ有意に血中ホモシステイン値が高い一方で,葉酸値が4.0以上の患者だけをみるとMTHFR遺伝子型による血中ホモシステイン値の差を認めなかった. 結論および考察 欧米では数多くの大規模臨床検討によりホモシステイン高値が動脈硬化性疾患発症に強く関与していることが明らかにされてきた.今回の検討では血中ホモシステイン値を規定するMTHFR変異が本邦においてもCommon mutationであること,冠動脈疾患,脳梗塞と有意な相関があることを明らかにした.動脈硬化性疾患のような多因子疾患においては加齢,高血圧,耐糖能異常等のいわゆるConventional risk factorに加え,遺伝的背景が示唆されている.単一の遺伝子異常がその発症を規定することもあるが多因子疾患ではそのようなケースはむしろ稀であり,その遺伝子単独では大きな表現型の変化をきたさないが特定の環境因子曝露に反応して疾病発症を規定する遺伝因子の存在が想定される.本論文で示した結果によりホモシステインの高値をきたすMTHFR遺伝子のVアレルもそのような遺伝因子のひとつであることが示唆される. さらに本論文では以前の報告にもあるように,MTHFR VV遺伝子型の患者では他の遺伝子型の患者に比べて血中ホモシステイン値が高いことを示した(他の危険因子補正後,VV遺伝子型の患者ではAA遺伝子型の患者に比して2.7mol/Lのホモシステイン高値を呈する).特に葉酸低値群でこの遺伝子型の影響が強くみられた.言いかえるとVV遺伝子型の患者では葉酸欠乏という環境因子に対してより強く反応しホモシステイン値上昇を招いているといえる.これに関してはMTHFRの活性中心に葉酸結合部位が多く存在するため,本来葉酸によって酵素が安定化し活性を高めるのであるがVV遺伝子型では活性中心の変異ゆえに安定化するのにより多くの葉酸が必要とされるという機序が推定されている. ホモシステインは血管内皮細胞傷害と平滑筋細胞増殖,血管壁での凝固活性促進により動脈硬化性,血栓性の病変形成に関与すると考えられるがその機序の詳細は解明されていない部分が多い. 本研究の限界と今後の展望 欧米での検討でもこのMTHFR V変異と動脈硬化性疾患との相関については賛否両論があり人種差や環境要因の差異がその原因とされるが明らかではない.このような多因子疾患と遺伝子多型との連関分析(いわゆるAssociation study)は研究デザイン,対象症例数によるバイアスを常に念頭において慎重に評価する必要がある.対象を生存者に限った後ろ向き(retrospective)研究であることにも注意しなくてはならない.これらの問題点を克服するために罹患同胞対解析(affected sib-pair analysis)などの特別な連鎖解析の手法が工夫されるがいずれにせよ症例の蓄積と,できるならば前向き(prospective)研究が必要であると考える. 葉酸,ビタミンB6,B12が血中ホモシステイン値と負相関があるということ,これらの摂取増加は血中ホモシステイン値を低下させることが示されている.しかしビタミン類投与によりホモシステインを下げることが血管病変の発症,進展を阻止できるか,あるいは発症を予防できるかについての確立した結論はない.本研究により動脈硬化性疾患とMTHFR遺伝子多型との相関が明らかとなり,さらにはこの多型と葉酸欠乏による影響の受けやすさ(Susceptibility)との関連も示唆された.治療(あるいは予防)の有効性が遺伝子型に依拠するものであるとするならば,臨床の場で治療の選択を行う際に,この遺伝子型同定は大いに貢献するものと考えられる. ホモシスチン尿症患者の病態,病理像の記載に始まったホモシステイン研究は臨床研究としてその遺伝子解析もふまえて発展してきた.しかしホモシステインが疾患発症をきたす機序そのものについては未知の部分が多い.この解明は動脈硬化性疾患の病態生理の理解や予防,治療戦略に多大な情報を与えると思われる. 今回本論文で報告したこの知見が,今後のホモシステイン研究の一助となることを期待したい. |