本研究は、血圧調節に重要な役割を演じていると考えられている一酸化窒素合成酵素(NOS)のうち、神経型(nNOS)の役割について明らかにするために、内皮型一酸化窒素合成酵素(eNOS)を遺伝的に持っていないマウス(eNOS-/-マウス)を用いて、選択的あるいは非選択的nNOS阻害剤を急性あるいは慢性投与したときの、血圧および小脳NOS活性の変化について調べたものであり、下記の結果を得ている。 1.選択的nNOS阻害剤7-二トロインダゾル(7-NI:50mg/kg)のマウス小脳NOS活性に対する急性効果を投与後15分、60分、120分について調べたところ、7-NI投与後15分および60分にて、小脳NOS活性は50-60%の有意な低下を認めた。投与後120分では、この低下は25%まで減少した。小脳NOS活性は、主としてnNOS活性を示していると考えられることから、このことは、7-NI投与後15分から60分の間には、マウスにおいてnNOS活性がある程度阻害される可能性を示唆するものと考えられた。 2.eNOS遺伝子についてのワイルド型(+/+),ヘテロ型(+/-),ホモ型(-/-)マウス及びワイルド型2kidney,1 clip高血圧マウス(+/+2K1C)における、7-NIの平均血圧に対する急性効果を投与後15分から20分について調べたところ、+/+群、+/-群、及び+/+2K1C群では、平均血圧はそれぞれ5、4、4mmHgと統計学的に有意でない上昇が見られたのに対し、-/-群では14mmHgの有意な低下が認められた。1,2の結果を併せて考えると、eNOS-/-マウスでは、nNOSが急性的に阻害されると、血圧が低下するものと考えられた。この効果は2K1Cマウスでは見られず、高血圧自体によるものではないことから、nNOSが血圧上昇に関与している可能性が示唆された。 3.非選択的NOS阻害剤L-ニトロアルギニン・メチルエステル(L-NAME:100mg/kg)の+/+,+/-,-/-eNOSマウスの平均血圧(投与後15分から20分の平均値)および小脳NOS活性に対する急性効果(25分後)を調べたところ、L-NAMEの急性投与により、+/+,+/-群では平均血圧はそれぞれ37、32mmHgだけ有意に上昇したが、-/-群では、平均血圧は18mmHgの有意な低下を認め、L-NAME急性投与後の小脳NOS活性は、+/+、+/-、-/-、いずれのマウスでも対照投与群に比し、有意な低下を示した。このことからも、eNOS-/-マウスでは、nNOSが急性的に阻害されると、血圧が低下するものと考えられ、nNOSが血圧上昇に関与している可能性が示唆された。 4.L-NAMEの小脳NOS活性に対する慢性効果を調べるために、マウスにL-NAME(0.2g/l)を4週間飲水中にて与えたところ、小脳NOS活性は、対照群に比し有意な低下を認めた。また、L-NAMEを4週間与えた後、3週間L-NAME抜きの水を与えた場合には、小脳NOS活性は、ほぼ対照群に匹敵するまでに回復した。このことから、L-NAMEの慢性投与は、マウスのnNOS活性を可逆的に阻害することが示唆された。 5.+/+,+/-,-/-eNOSマウスの平均血圧に対するL-NAMEの慢性効果を調べたところ、4週間のL-NAME投与により、収縮期血圧は、+/+、+/-群では、それぞれ16、13mmHgの有意な上昇を示したのに対し、-/-群では、14mmHgの有意な低下を示した。L-NAME中止後は3週目以降で、収縮期血圧は3群とも投与前の水準に戻った。また、心拍数は、+/+,+/-,-/-群でともに低下傾向を示し、L-NAME中止後は、投与前の水準に戻った。4と5の結果から、eNOS-/-マウスにおいて、nNOSが慢性的に阻害されると、血圧と心拍数の低下をもたらすものと考えられ、nNOSが慢性的にも血圧上昇に関与している可能性が示唆された。 以上、本論文は、eNOS-/-マウスにおいて、nNOSが急性的・慢性的に、血圧を上昇させる働きをしている可能性を指摘している。nNOSの血圧調節における役割は、これまで議論の的となっており、結論が出ていない問題であった。これは、一つには従来のどの実験においてもeNOSの影響を取り除けなかったことによるが、本研究では、eNOSの影響を完全に取り除いた上で、nNOSの役割を示唆している。したがって、本研究は、血圧調節におけるnNOSの役割に関する従来の議論に強い方向性を与えるものと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。 |