学位論文要旨



No 214320
著者(漢字) 栗原,伸公
著者(英字)
著者(カナ) クリハラ,ノブタカ
標題(和) 内皮型一酸化窒素合成酵素遺伝子欠如マウスにおける、神経型一酸化窒素合成酵素の血圧制御に関する役割
標題(洋) Role of neuronal nitric oxide synthase in blood pressure regulation in mice lacking the gene for endothelial nitric oxide synthase
報告番号 214320
報告番号 乙14320
学位授与日 1999.04.28
学位種別 論文博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 第14320号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 飯野,正光
 東京大学 教授 大内,尉義
 東京大学 助教授 和泉,孝志
 東京大学 助教授 岡崎,具樹
 東京大学 講師 小室,一成
内容要旨 序論

 一酸化窒素(NO)は、血圧調節に重要な働きをしている。一酸化窒素合成酵素(nitric oxide synthase;以下、NOSと略す)には、3つのサブタイプが知られており、神経型(neuronal;以下、nNOSと略す)、誘導型(inducible;iNOS)、内皮型(endothelial;eNOS)と呼ばれている。このうち、eNOS由来のNOは血管拡張因子として血圧調節を行っていることは、広く知られているが、nNOSの血圧調節における役割は未だ不明である。最近の報告によると、eNOS遺伝子が欠如したマウスに、非選択的NOS阻害剤であるL-ニトロアルギニンを投与すると血圧の低下が見られたとのことであるが、これは、非eNOSタイプのNOS由来のNOが血圧を上昇させていることを示唆している。もう一つのiNOSは誘導型であり、低血圧の原因となるとされているので、我々は、nNOS由来のNOが、少なくともeNOSの非存在下では、血圧を上昇させているという仮説を持つに至った。この仮説を実証するために、eNOS遺伝子欠如ホモ接合体(-/-)、ヘテロ接合体(+/-)、対照(+/+)、そして、腎血管性高血圧を持った対照(2K1C+/+)マウスにおける、選択的および非選択的nNOS阻害剤の血圧および小脳NOS活性に対する急性的効果を調べた。さらに、慢性的NOS阻害の血圧および小脳NOS活性に対する効果についても観察した。

方法

 eNOS遺伝子欠如マウスは、遺伝子操作によって得られたF1マウスを掛け合わせたF2マウスを、サザン・プロッティング法により、+/+,+/-,-/-群に分類して用いた。腎血管性高血圧マウスは、左腎動脈を内径0.102mmのクリップで止めた後4週間経過したもののうち、平均血圧が120mmHgのもののみを用いた。なおこのモデルのマウスでは、除外した者も含めて、手術後3週間の時点で収縮期血圧が平均137±5mmHg(シャム群は114±4mmHg)までの上昇を認めた。

 平均血圧は、チオブタバルビタール麻酔下で、恒温台上でPE-10チューブを右頸動脈に挿入して測定した。挿入後20分を経て、5分間測定を行い、その後、薬剤の投与を行った。薬剤投与後は15分から5分間の平均血圧を測定した。一方、収縮期血圧および心拍数の測定は、テイル・カフ方式により非観血的に行った。nNOS活性を調べるために、nNOSが多く含まれている小脳のNOS活性を、トリチウムでラベルしたL-アルギニンからL-シトルリンへの変換能により測定した。これらの方法を用いて以下のブロトコールにより、実験を行った。

 [1A]選択的nNOS阻害剤7-二トロインダソル(7-NI:50mg/kg)の小脳NOS活性に対する急性効果(投与後15分から120分)。

 [1B]7-NIの+/+,+/-,-/-eNOS及び+/+2K1Cマウスの平均血圧に対する急性効果(投与後15分から20分の平均値)。

 [2]非選択的NOS阻害剤L-ニトロアルギニン・メチルエステル(L-NAME:100mg/kg)の+/+,+/-,-/-eNOSマウスの平均血圧(投与後15分から20分の平均値)および小脳NOS活性に対する急性効果(25分後)。

 [3]7-NIの小脳NOS活性に対する慢性効果(1週および4週間後)。

 [4A]L-NAMEの小脳NOS活性に対する慢性効果(4週間後)。

 [4B]L-NAMEの+/+,+/-,-/-eNOSマウスの平均血圧に対する慢性効果(4週間後)。

結果

 [1A]7-NI投与後15分および60分にて、小脳NOS活性は50-60%の有意な低下を認めた。投与後120分では、この低下は25%まで減少した。

 [1B]7-NI急性投与後、+/+群、+/-群、及び+/+2K1C群では、平均血圧はそれぞれ5、4、4mmHgと統計学的に有意でない上昇が見られたのに対し、-/-群では14mmHgの有意な低下が認められた。

 [2]L-NAMEの急性投与により、+/+,+/-群では平均血圧はそれぞれ37、32mmHgだけ有意に上昇したが、-/-群では、平均血圧は18mmHgの有意な低下を認めた。L-NAME急性投与後の小脳NOS活性は、+/+、+/-、-/-、いずれのマウスでも対照投与群に比し、有意な低下を示した。

 [3]7-NIの小脳NOS活性に対する慢性効果を調べたところ、7-NIを4週間飲水中(50mg/l)にて与えた場合でも、また、7日間連続で1日2回ずつ腹腔内投与(1回につき20mg/kg)にて与えた場合でも、いずれも、小脳NOS活性に有意な変化は見られなかった。そのため本研究では、7-NIの血圧に対する慢性効果を調べることを断念した。

 [4A]一方、L-NAMEの小脳NOS活性に対する慢性効果については、有意な結果が得られた。すなわち、マウスにL-NAME(0.2g/l)を4週間飲水中にて与えたところ、小脳NOS活性は、対照群に比し有意な低下を認めた。また、L-NAMEを4週間与えた後、3週間L-NAME抜きの水を与えた場合には、小脳NOS活性は、ほぼ対照群に匹敵するまでに回復した。

 [4B]L-NAMEの+/+,+/-,-/-eNOSマウスの平均血圧に対する慢性効果を下図に示す。4週間のL-NAME投与により、収縮期血圧は、+/+、+/-群では、それぞれ16、13mmHgの有意な上昇を示したのに対し、-/-群では、14mmHgの有意な低下を示した。L-NAME中止後は3週目以降で、収縮期血圧は3群とも投与前の水準に戻った。また、心拍数は、+/+,+/-,-/-群でともに低下傾向を示し、L-NAME中止後は、投与前の水準に戻った。

 本実験において、薬剤を投与されていない+/+,+/-,-/-eNOSマウスの、麻酔下での平均血圧、非麻酔下での収縮期血圧及び心拍数を集計すると、以下のようになった。すなわち、平均血圧は、104±3mmHg(+/+)、115±4(+/-)、145±7(-/-)、収縮期血圧は、109±1(+/+)、110±3(+/-)、131±2(-/-)であり、いずれも-/-群が+/+,+/-群に比し有意に高かった。また、心拍数は、617±15bpm(+/+)、636±14(+/-)、573±17(-/-)であり、-/-群力が他群に比し有意に低いことが認められた。

考察

 選択型nNOS阻害剤7-NI及ひ非選択型NOS阻害剤L-NAMEは、eNOS-/-マウスの平均血圧を有意に低下させた。また、それらは主としてnNOS活性を反映していると思われる小脳NOS活性を低下させた。iNOSは、腎や肺などの例外を除いて一般的には誘導型であること、腎尿細管に存在するiNOSは、ナトリウムと水の再吸収を妨げるとされているので、これを阻害すると血圧は上がることが考えられること、また、通常iNOSが誘導されるときには多量のNOにより血圧が下がることなどから、L-NAMEによる血圧低下はiNOSの阻害によるとは考えにくい。こうしたことから、少なくともeNOS-/-マウスでは、nNOS由来のNOが血圧を上昇させている可能性が示唆された。さらに、L-NAMEの慢性投与によっても、-/-マウスの収縮期血圧は低下し(図)、小脳NOS活性は抑制され、しかも、これらの変化は可逆的であった。+/+、+/-群ではL-NAMEによって血圧が上昇したが、心拍数は減少した。これは、圧反射によるものとも考えられたが、一方、血圧が減少した-/-群でも、心拍数は上昇せず、むしろ低下傾向を示した。このことから、-/-群では、L-NAMEによって交感神経系が抑制される可能性が示唆された。これまでの報告では、中枢におけるnNOS由来のNOの交感神経系に対する役割については、刺激するという説と抑制するという説とがあり、意見が対立している。本研究におけるeNOS-/-マウスについての観察結果は、nNOS由来のNOが交感神経を刺激するという説を支持している。nNOS由来のNOは、その結果、血圧を上昇させているのかもしれない。

図.eNOS遺伝子欠如ホモ接合(-/-)、ヘテロ接合(+/-)、対照(+/+)マウスにおける、L-NAME長期投与の収縮期血圧(sBP)及び心拍数(HR)に対する影響(’,p<0.05,",p<0.001)
結語

 L-NAMEの急性・慢性投与と、7-NIの急性投与が、eNOS-/-マウスにおいて、その血圧を低下させるとともに、小脳のNOS活性を抑制した。このことから、少なくともeNOS-/-マウスにおいては、nNOS由来のNOが、急性・慢性両方の状態において、血圧を上昇させる働きをしていることが示唆された。

審査要旨

 本研究は、血圧調節に重要な役割を演じていると考えられている一酸化窒素合成酵素(NOS)のうち、神経型(nNOS)の役割について明らかにするために、内皮型一酸化窒素合成酵素(eNOS)を遺伝的に持っていないマウス(eNOS-/-マウス)を用いて、選択的あるいは非選択的nNOS阻害剤を急性あるいは慢性投与したときの、血圧および小脳NOS活性の変化について調べたものであり、下記の結果を得ている。

 1.選択的nNOS阻害剤7-二トロインダゾル(7-NI:50mg/kg)のマウス小脳NOS活性に対する急性効果を投与後15分、60分、120分について調べたところ、7-NI投与後15分および60分にて、小脳NOS活性は50-60%の有意な低下を認めた。投与後120分では、この低下は25%まで減少した。小脳NOS活性は、主としてnNOS活性を示していると考えられることから、このことは、7-NI投与後15分から60分の間には、マウスにおいてnNOS活性がある程度阻害される可能性を示唆するものと考えられた。

 2.eNOS遺伝子についてのワイルド型(+/+),ヘテロ型(+/-),ホモ型(-/-)マウス及びワイルド型2kidney,1 clip高血圧マウス(+/+2K1C)における、7-NIの平均血圧に対する急性効果を投与後15分から20分について調べたところ、+/+群、+/-群、及び+/+2K1C群では、平均血圧はそれぞれ5、4、4mmHgと統計学的に有意でない上昇が見られたのに対し、-/-群では14mmHgの有意な低下が認められた。1,2の結果を併せて考えると、eNOS-/-マウスでは、nNOSが急性的に阻害されると、血圧が低下するものと考えられた。この効果は2K1Cマウスでは見られず、高血圧自体によるものではないことから、nNOSが血圧上昇に関与している可能性が示唆された。

 3.非選択的NOS阻害剤L-ニトロアルギニン・メチルエステル(L-NAME:100mg/kg)の+/+,+/-,-/-eNOSマウスの平均血圧(投与後15分から20分の平均値)および小脳NOS活性に対する急性効果(25分後)を調べたところ、L-NAMEの急性投与により、+/+,+/-群では平均血圧はそれぞれ37、32mmHgだけ有意に上昇したが、-/-群では、平均血圧は18mmHgの有意な低下を認め、L-NAME急性投与後の小脳NOS活性は、+/+、+/-、-/-、いずれのマウスでも対照投与群に比し、有意な低下を示した。このことからも、eNOS-/-マウスでは、nNOSが急性的に阻害されると、血圧が低下するものと考えられ、nNOSが血圧上昇に関与している可能性が示唆された。

 4.L-NAMEの小脳NOS活性に対する慢性効果を調べるために、マウスにL-NAME(0.2g/l)を4週間飲水中にて与えたところ、小脳NOS活性は、対照群に比し有意な低下を認めた。また、L-NAMEを4週間与えた後、3週間L-NAME抜きの水を与えた場合には、小脳NOS活性は、ほぼ対照群に匹敵するまでに回復した。このことから、L-NAMEの慢性投与は、マウスのnNOS活性を可逆的に阻害することが示唆された。

 5.+/+,+/-,-/-eNOSマウスの平均血圧に対するL-NAMEの慢性効果を調べたところ、4週間のL-NAME投与により、収縮期血圧は、+/+、+/-群では、それぞれ16、13mmHgの有意な上昇を示したのに対し、-/-群では、14mmHgの有意な低下を示した。L-NAME中止後は3週目以降で、収縮期血圧は3群とも投与前の水準に戻った。また、心拍数は、+/+,+/-,-/-群でともに低下傾向を示し、L-NAME中止後は、投与前の水準に戻った。4と5の結果から、eNOS-/-マウスにおいて、nNOSが慢性的に阻害されると、血圧と心拍数の低下をもたらすものと考えられ、nNOSが慢性的にも血圧上昇に関与している可能性が示唆された。

 以上、本論文は、eNOS-/-マウスにおいて、nNOSが急性的・慢性的に、血圧を上昇させる働きをしている可能性を指摘している。nNOSの血圧調節における役割は、これまで議論の的となっており、結論が出ていない問題であった。これは、一つには従来のどの実験においてもeNOSの影響を取り除けなかったことによるが、本研究では、eNOSの影響を完全に取り除いた上で、nNOSの役割を示唆している。したがって、本研究は、血圧調節におけるnNOSの役割に関する従来の議論に強い方向性を与えるものと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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