日本のブドウ生産量は244,000t、栽培面積は21,900ha(1996年)であるが、生産量の約90%が生食用ブドウであり醸造用は7%程度でしかない。ヨーロッパの主なワイン生産国におけるブドウ生産量と栽培面積は、日本よりはるかに多く、しかも、その生産量のほとんどが醸造用である。 我が国のワイン生産は、1877年に山梨勧業試験所および民間のワイン醸造会社で始まったが、栽培や醸造の技術が未熟であったため産業として定着しなかった。1970年代に入り、食生活の洋風化とともにワインの消費量が増加し始めた。1973年は、ワイン消費量が14,545kLとなり、「ワイン元年」と呼ばれ、ワイン消費量は、その後着実に増加を続け、1996年には159,422kLにまでなった。国産ワインのシェアは、1993年以降50%を割り、輸入ワインのシェアが増加する傾向にある。このような状況の中で,国産ワインのアイデンティティーの確立が必要とされている。 わが国では、山梨県が、ブドウ生産、ワイン醸造の主要な産地であり、’デラウェア’(Vitislabrusca,L.-V.aestivalis,M.-V.vinifera,L.交配種)、’甲州’(V.vinifera)、’マスカット・ベリ-A’[Muacat Hamburg(V.vinifera)×Bailey(V.lincecumii,B.)]等の生食とワイン醸造の兼用品種を中心に栽培されている。中でも、’甲州’は生食用としても栽培されているが、ワイン醸造原料としても国内生産量の約3分の1を占めるほど重要な品種である。’甲州’から作られるワインは爽やかであるが、味や香りにあまり特徴がないと言われている。そのため、近年ではわが国でも、ワイン消費の増加とともにヨーロッパ系醸造専用品種の栽培が各地で増加しつつある。しかし、生育期間中の降水量が多いことや無機塩類の不足しがちな酸性土壌など、わが国の気象・土壌条件は、醸造専用ブドウの栽培において問題点が多い。本研究は、こうしたわが国における醸造用ブドウ栽培の現状をふまえ、ワイン醸造用ブドウの高品質化を目標に行われたものである。 山梨県の代表的ブドウ品種は、’甲州’である。’甲州’から醸造されるワインに、より特徴的な香りと厚みのある味を付加するため、ブドウの着果数をほぼ半分の1新梢1房とする摘房栽培を行った。摘房区の収量は対照区の3分の2となったが、摘房区の果汁糖度、総アミノ酸含量、ポリフェノール含量は対照区より増加し、リンゴ酸含量の減少、プロリン含量の増加から、摘房によりブドウ果実で成熟が促進されることが示された。摘房区のブドウから醸造したワインは、対照区のブドウから醸造したワインより総窒素含量、ポリフェノール含量、総アミノ酸含量が多く、官能検査でも対照区のワインが香り、味ともに線が細いという評価に対し、摘房区のワインはブドウの熟成香と厚みがあって滑らかであるという評価を得た。 醸造専用品種は、生食用品種に比べて果粒が小さく、房が密着している場合が多い。日本の栽培条件では生育期間中の降水量が多く、湿度が高いため、密着した果房に病害が発生しやすい。特に、冷涼な地域で栽培されている’Riesling’は、成熟後期の果粒が軟化した時期に、雨に当たって灰色カビ病が発生しやすく、果実品質低下や減収を招き、しばしば問題となる。いくつかの品種では、ジベレリン溶液散布による果穂伸長が利用されている。’Rieslig’においても果穂が伸長することにより、果粒の密着度が緩和され、房回りの環境が改善されれば、病害の程度も軽減されると推測した。そこで、1〜10ppmのジベレリン溶液を新梢の展葉枚数2〜3枚、3〜4枚、5枚以上の時期に散布した。ジベレリン溶液を散布した試験区の果穂長は対照区を上回り、展葉3〜4枚の時期に散布した試験区で顕著であった。また、散布濃度については5ppm、10ppmともほぼ同程度の効果があった。成熟期における果汁糖度・酸度に試験区間の差はなかった。秋田県大森町で棚栽培されている’Riesling’でも、散布区の果穂長が対照区を上回ったが、100粒重、果汁糖度・酸度については差はみられず、ジベレリン散布は、果穂伸長のみを誘起し、ブドウ果汁の品質には影響しないと考えられた。 北海道を除くわが国の気候条件をみると、ブドウの生育期間全体を通じてみれば気温、日射量は、ともに十分であるが、降水量が多すぎる。特に、果実品質を左右する重要な時期である成熟期の降水量が多く、日射量が少ない。こうした気象条件下では、赤ワイン用品種の場合、収穫期の果汁糖度が十分に高くても、果皮色素が不足し、着色不良の果実になりやすい。そこで、アブシジン酸による果皮着色の可能性を検証した。’Cabernet Sauvignon’の果房に200ppmのABA溶液を散布したところ、果汁中の糖度が上昇し成熟を促進する効果がみられた。さらに果汁中の総窒素含量、全ポリフェノール含量、総アミノ酸含量、果皮のOD520値の全てにおいてABA散布区が対照区を上回っていた。果汁のみでなく、醸造したワインにおいても、果皮色素、全ポリフェノール含量、総窒素含量のいずれもが、ABA散布区で対照区より多くなっていた。官能検査でもABA散布区のワインは対照区のワインより赤色が濃く、味に厚みもあるという評価を得、ABA散布によりワインとしての品質も向上した。 日本におけるヨーロッパ系の醸造専用品種の栽培は、生育期間の高温多湿という気象条件の他に、栽培土壌が無機塩類の少ない酸性の火山灰土壌や粘土質土壌であるということから困難とされてきた。ヨーロッパのワイン産地の土壌はカルシウム等の無機塩類に富んでいる所が多い。赤ワイン用品種である’Cabernet Sauvignon’や’Merlot’の栽培土壌に無機塩類を豊富に含む石灰礫およびカキ殻を施用し、それらの土壌処理が果汁成分に及ぼす影響とブドウ果皮色素に及ぼす影響を調査した。石灰礫およびカキ殻処理区のカルシウム、カリウム含量が対照区より多くなり、pHが上昇した。また、石灰礫処理区で対照区より本葉数、葉面積、収量が有意に大きくなった。果汁糖度・滴定酸度の変化から、特に’Merlot’において処理区の成熟が進むことが判った。しかし、’Cabernet Sauvignon’ではその効果は顕著ではなく品種によってその反応が異なった。各試験区で栽培されたブドウから醸造されたワインについて、その陽イオン含量に差が認められた。石灰礫およびカキ殻処理区は、ブドウ果皮に含まれるフェノール化合物(全アントシアニン、全フェノール)含量を高める効果があった。アントシニンモノマーではMalvidin-3-glucoside(Mv-3G)が最も多く含まれているアントシアニンであり、Mv-3G系のアントシアニンが約半分を占めた。アントシアニンの種類としては、Mv-3G系のアントシアニンモノマーが石灰礫およびカキ殻を施用した土壌で生育したブドウ果皮中でより多く生産されていた。このことにより、いくつかの品種において、その土壌に何らかの有効な資材を施用することで、赤ワイン作りにより適したブドウを生産できる可能性が示唆された。 高品質の醸造用ブドウを得るには,ブドウを十分に成熟させることが必要である。つまり、ブドウが完熟の状態で、糖や酸をはじめとする果汁成分が最良のバランスとなった時に収穫すること、赤ワイン用の品種であれば果皮の着色を十分進めることが重要である。ブドウの成熟を進めるには、ブドウ樹を健全に保ち、適正な着果数を維持し、房回り環境を改善するとともに、根の活力を高め、ブドウのポテンシャルを十分に引き出してやることが大切である。気象条件は変えられないが、その他の条件は栽培方法で改善される余地があることが、本研究で示された。日本におけるブドウ栽培は、生食用ブドウ主体であり、醸造専用ブドウの栽培は、規模も小さく、試行錯誤の段階である。しかし、ワインは、その土地で栽培されたブドウから醸造されることで、個性が現れる。世界のワイン市場の中で、国産ワインのアイデンティティーを確立させるため、優れた醸造用ブドウを栽培していくことが必要である。 |