学位論文要旨



No 214327
著者(漢字) 渋谷,一郎
著者(英字)
著者(カナ) シブヤ,イチロウ
標題(和) 白麹菌Aspergillus shirousamiiの糖化酵素遺伝子のクローニングと醸造への応用
標題(洋)
報告番号 214327
報告番号 乙14327
学位授与日 1999.05.10
学位種別 論文博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 第14327号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 高木,正道
 東京大学 教授 魚住,武司
 東京大学 教授 依田,幸司
 東京大学 教授 北本,勝ひこ
 東京大学 助教授 太田,明徳
内容要旨

 近年の遺伝子組換え技術の進展により,麹菌を中心に糸状菌由来のアミラーゼ,プロテアーゼ,セルラーゼ等産業上重要な酵素遺伝子が次々とクローン化されるようになってきた.また,クローン化された遺伝子の多くは,学問的な興味以外に実用面でもその応用が期待されている.

 一方,酒類製造業においてグルコアミラーゼは製造工程や最終製品の品質に与える影響が大きく,特に清酒醸造では高グルコアミラーゼ活性をもつ麹菌(Asperillus or yzae)が求められている.しかしながら,従来の麹菌育種技術では目的のものを得ることは困難で新しい育種技術が必要とされている.

 また,醸造用酵母はデンプン資化能をもたないため,米,麦,イモ等の原料は,あらかじめ麹,麦芽,市販の酵素剤等の-アミラーゼやグルコアミラーゼ用いて液化/糖化作業を行うことが必要である.従って,これらの酵素を生産する酵母はデンプンから直接アルコールを生産することが可能なことから,遺伝子工学技術を用いて他の生物由来のアミラーゼ遺伝子を導入し,デンプン資化能をもつ醸造用酵母を育種する試みもいくつか報告されているが,実際に試験醸造を行いこれらの菌株の評価を行った例は少ない.

 一方,醸造産業やブドウ糖工業において,-アミラーゼ,グルコアミラーゼ両方の酵素活性を併せもつ糖化酵素が使用できればデンプンを強力に分解することが可能で,液化/糖化工程の効率化,酵素剤の低減化等がはかれることや,デンプンから直接グルコースを得られることからその有用性は高いが,このような酵素は天然界からはまだ見出されていない.他方,近年の遺伝子工学技術を用いることにより,遺伝子を特定の部位で改変したり任意の位置で連結することが可能である.そこで,-アミラーゼ,グルコアミラーゼ両遺伝子を連結し,1ケのタンパク遺伝子として発現させることにより,両方の活性を併せ持つ新規な酵素の造成が可能である.また実用面だけでなくタンパク工学的にも興味深いものがある.

 一方,焼酎用白麹菌Aspergillus shirousamiiは他の麹菌同様-アミラーゼを生産する以外に,生デンプン分解活性の強いグルコアミラーゼを生産することから,これらの遺伝子の醸造分野への応用が期待されている.

 本研究は,以上述べた研究背景をもとに,A.shirousamiiの-アミラーゼおよびグルコアミラーゼ遺伝子をクローン化し,これらの遺伝子を導入した麹菌および酵母の育種を目指し,さらにはクローン化した両遺伝子を用いて新規な-アミラーゼ/グルコアミラーゼ融合酵素の造成を目的に行ったものである.

第1章グルコアミラーゼ高生産麹菌の分子育種1.グルコアミラーゼ遺伝子のクローニング

 A.shirousamii RIB2504株の染色体およびcDNAライブラリーより,グルコアミラーゼ染色体遺伝子(5.4kbp)およびcDNA(2.1kbp)をクローン化した.塩基配列を決定したところ,グルコアミラーゼは全部で629ケのアミノ酸から構成され,糖鎖を除いた分子量は約66,000と予想され,C末端付近には生デンプン分解活性に関与するTS領域が存在した.また,染色体遺伝子には4ケのイントロンが存在し,開始コドンの上流にはTATA-BOXやCAAT-BOX様配列が認められ,転写制御に必要な領域の存在が示唆された.

2.グルコアミラーゼ遺伝子のA.oryzaeにおける発現

 染色体遺伝子をA.oryzae用ベクターpRBM1に連結し,宿主A.oryzae M-2-3株に形質転換を行うことによりグルコアミラーゼ高発現株を得た.サザン,ノーザン解析により,導入したプラスミドが宿主染色体に複数組み込まれ,さらにグルコアミラーゼ遺伝子が宿主内で正常に転写されていることを確認した.また,培養上清のSDS-PAGEおよびウエスタン解析により,分子量約100,000のA.shirousamii由来のグルコアミラーゼの存在を確認した.次いで,液体培養により,グルコースを炭素源にするとグルコアミラーゼはほとんど生産されなかったが,マルトースを炭素源にするとグルコアミラーゼ活性や本グルコアミラーゼの特徴である生デンプン分解活性が宿主株の2-6倍に上昇しグルコアミラーゼの過剰生産が示され,米麹を用いた固体培養でも過剰生産が示された.以上,A.shirousamii由来のプロモーターや発現調節部位が,A.oryzae中でも正常に機能する興味ある結果が得られた.

3.グルコアミラーゼ高生産麹菌を用いた清酒の試験醸造

 宿主M-2-3株を対照株として清酒の試験醸造を行ったところ,もろみ中の高グルコアミラーゼ活性により蒸米の溶解が促進し,発酵が速まり,香気成分も多く推移した.また,最終製成酒のアルコール分は2%上回り,粕歩合の減少や製成酒量が多くなった結果,アルコール収率も対照株に比べて大きく上回り,形質転換株の優位性が示された.また,品質的にもグルコース濃度が高く,やや甘口の香気成分に富んだ酒となった.

第2章-アミラーゼ,グルコアミラーゼ生産酵母の分子育種1.-アミラーゼcDNAのクローニング

 A.shirousamii RIB2504株のcDNAライブラリーより-アミラーゼcDNA(1.7kbp)をクローン化した.全塩基配列を決定したところ,-アミラーゼは全部で499ケのアミノ酸から構成され,糖鎖を除いた分子量は約52,000と予想された.

2.-アミラーゼ,グルコアミラーゼ遺伝子の酵母における分泌発現

 -アミラーゼ,グルコアミラーゼ両cDNAを酵母発現ベクターpYcDE1に連結し,Saccharomyces cerevisiae YNN27株に形質転換を行い,デンプンプレートにて発現を確認した.次いで,培養上清から各酵素を精製し,SDS-PAGEおよびウエスタン解析によりA.shirousamii由来の分子量約54,000の-アミラーゼ,および分子量約94,000のグルコアミラーゼの存在を確認した.N末端部分のアミノ酸配列を決定したところ両酵素ともA.shirousamii由来のものと同一で,麹菌と同様のプロセシングが推察された.

3.-アミラーゼ,グルコアミラーゼ同時発現酵母の分子育種

 次に,酵母染色組み込み型プラスミドを用いて長期間にわたる発酵や継代培養に耐えられる安定な菌株の育種を行った.また,-アミラーゼやグルコアミラーゼを単独に発現する菌株に加え,-アミラーゼおよびグルコアミラーゼ遺伝子を同時に組み込みこれらの酵素を同時に発現する菌株を得た.次いで,これらの菌株を用いてデンプン培地での増殖試験および発酵試験を行ったところ,特に同時発現株が優れた特性を示した.また,清酒の試験醸造を行ったところ,同じく同時発現株が良好な発酵経過を示し,さらに生成酒量,収率の上昇,粕歩合の減少等の優位性が示され,-アミラーゼおよびグルコアミラーゼを同時に発現させた効果が確認された.

第3章-アミラーゼ/グルコアミラーゼ融合酵素の造成1.-アミラーゼ/グルコアミラーゼ融合遺伝子の作成と酵母における分泌発現

 -アミラーゼ領域をN末端側にグルコアミラーゼ領域をC末端側に配置しin frameで連結することにより,全部で1116ケのアミノ酸からなる融合酵素遺伝子を作成し,S.cerevisiae YNN27株に形質転換を行ったところ-アミラーゼおよびグルコアミラーゼ両活性を併せ持つ分子量約145,000の融合酵素が培地中に分泌された.

2.-アミラーゼ/グルコアミラーゼ融合酵素の性質

 融合酵素1分子あたりの-アミラーゼおよびグルコアミラーゼの活性は元の酵素と変化なく,融合によっても両方の酵素領域は元通りに機能していることが示された.また,グルコアミラーゼ領域に存在する生デンプン吸着部位が-アミラーゼ領域にも機能したことにより,生デンプン分解活性が飛躍的に上昇し,両酵素を融合した利点が認められた.

3.A.oryzae用発現ベクターの構築と融合酵素の大量生産

 プラスミドpU118をもとにargB遺伝子,タカアミラーゼA遺伝子のプロモーター,ターミネーター領域を組み込んだA.oryzae用発現ベクターを作成し,融合遺伝子とともに宿主A.oryzae M-2-3株に形質転換を行い,融合酵素高発現株を得た.これらの株を用いて液体培養を行ったところ,マルトースで培養を行うと分子量約140,000の融合酵素が著量生産され,グルコースで培養を行うと融合酵素はほとんど生産されず,タカアミラーゼA遺伝子の制御が有効に行われていたことがわかった.また,融合酵素の生産量はタカアミラーゼAと同程度の培地1Lあたり約0.5gと推定され,酵母での生産量の約200倍に相当した.また,本融合酵素も酵母で生産された融合酵素と同様の優れた特徴を備えていた.

 以上,A.shirousamiiの-アミラーゼおよびグルコアミラーゼを導入した麹菌,酵母,ならびに融合酵素の有用性が確認され,実地へ応用が期待された.

審査要旨

 酒類製造業において,-アミラーゼやグルコアミラーゼは製造工程や最終製品の品質に与える影響が大きく,これらの糖化酵素を多く生産する麹菌や酵母が求められている.また,-アミラーゼおよびグルコアミラーゼ両方の活性を持つ酵素は,原料デンプンを効率よく分解し,液化/糖化作業が同時に行えることから産業上非常に有用であるが,自然界からは見いだされていない.本論文に記載の研究は,Aspergillus shirousamiiの-アミラーゼおよびグルコアミラーゼ遺伝子をクローン化し,これらの遺伝子を導入した麹菌および酵母の育種を目指し,さらには両遺伝子を用いて新規な-アミラーゼ/グルコアミラーゼ融合酵素の造成を目的に行ったものである.

1.グルコアミラーゼ高生産麹菌の分子育種

 A.shirousamii RIB2504株の染色体およびcDNAライブラリーよりグルコアミラーゼ遺伝子をクローン化した.塩基配列からグルコアミラーゼは全部で629のアミノ酸から構成され,分子量は約66,000と予想された.また,染色体遺伝子には4つのイントロンが存在し,開始コドンの上流には転写制御に必要な領域の存在が示唆された.

 染色体遺伝子をAspergillus oryzaeに導入することによりグルコアミラーゼ高発現株が得られた.また,液体培養によりグルコアミラーゼ活性が宿主株の2-6倍に上昇しグルコアミラーゼの過剰生産が示され,固体培養でも同様の過剰生産が示された.

 次いで,宿主株を対照株として清酒の試験醸造を行ったところ,もろみ中の高グルコアミラーゼ活性により蒸米の溶解が促進し醗酵が速まり,香気成分も多く推移した.また,粕歩合の大幅な減少や,アルコール収率の改善等が認められ,形質転換株の優位性が示された.

2.-アミラーゼ,グルコアミラーゼ生産酵母の分子育種

 cDNAライブラリーより-アミラーゼcDNAをクローン化した.塩基配列から-アミラーゼは全部で499のアミノ酸から構成され分子量は約52,000と予想された.

 次いで,-アミラーゼ,グルコアミラーゼ両cDNAをSaccharomyces cerevisiaeに導入しデンプンプレートにてその発現を確認した.また,SDS-PAGEおよびウエスタン解析によりA.shirousamii由来の-アミラーゼおよびグルコアミラーゼの存在を確認した.

 次に,両cDNAを酵母染色体に組み込み長期間にわたる醗酵や継代培養に耐えられる菌株の育種を行った.これらの菌株を用いてデンプン培地での増殖試験および醗酵試験を行ったところ,-アミラーゼおよびグルコアミラーゼ遺伝子を同時に発現する菌株が優れた特性を示した.また,清酒の試験醸造を行ったところ,同じく同時発現株が良好な醗酵経過を示し,さらに生成酒量,収率の上昇,粕歩合の減少等,形質転換株の優位性が示された.

3.-アミラーゼ/グルコアミラーゼ融合酵素の造成

 -アミラーゼ領域をN末端側にグルコアミラーゼ領域をC末端側に配置しこれを連結することにより,全部で1116のアミノ酸からなる融合酵素遺伝子を作成した.次いで,本遺伝子をS.cerevisiaeに導入したところ-アミラーゼおよびグルコアミラーゼ両活性を併せ持つ分子量約145,000の融合酵素が分泌された.

 融合酵素の1分子あたりの-アミラーゼおよびグルコアミラーゼの比活性は,元の酵素と変化なく両方の酵素領域は元通りに機能していることが示された.また,グルコアミラーゼ領域に存在する生デンプン吸着部位が-アミラーゼ領域にも機能したことにより,生デンプン分解活性が飛躍的に上昇した.

 次いで,大腸菌プラスミドをもとにargB遺伝子,タカアミラーゼA遺伝子のプロモーター,ターミネーター領域を組み込んだ発現ベクターを作成し,融合遺伝子とともにA.oryzaeに形質転換を行うことにより融合酵素高発現株を得た.これらの株を用いて液体培養を行ったところ,培地1Lあたり約0.5gの融合酵素が生産され実地への応用が期待された.

 以上本研究は,A.shirousamiiの糖化酵素遺伝子に着目し,それらを麹菌や酵母に導入することにより有用な醸造微生物の育種を行うと同時に,タンパク工学的な見地から-アミラーゼ/グルコアミラーゼ融合酵素の造成に成功したものである.また,本研究の過程で,微生物における異種タンパクの発現に関する種々の有用な知見が得られた.これら本研究で得られた知見は,学術上ならびに応用上貢献するところが少なくなく,よって審査委員一同は,本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた.

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