昆虫ポックスウイルス(Entomopoxvirus(EPV))は、ポックスウイルス科(Poxviridae)、エントモポックスウイルス亜科(Entomopoxvirinae)に含まれる3属(Entomopoxvirus A、Entomopoxvirus B、Entomopoxvirus C)の総称である。ゲノムは線状の2重鎖DNAで、そのサイズは200kbから300kbの範囲にある。すべてのEPV種はウイルス粒子を包埋したspheroidと呼ばれる封入体を形成し、また過半数の種はウイルス粒子を包埋しないspindleと呼ばれる封入体も形成する。EPVは同じく昆虫寄生性ウイルスである核多角体病ウイルス(Nucleopolyhedrovirus(NPV))と比較してその研究が世界的に立ち遅れており、特に遺伝子の塩基配列解読はGenus Entomopoxvirus Aに属する1種、Genus Entomopoxvirus Bに属する5種類で行われているにすぎない。 わが国固有でGenus Entomopoxvirus Aに属するドウガネブイブイ昆虫ポックスウイルス(Anomala cuprea entomopoxvirus(AcEPV))についても、片桐ら(1975)の形態学的、生態学的研究があるのみである。一方、AcEPVの発見当初、ドウガネブイブイの高密度の集団でこのウイルスによる流行病が観察されたことから、AcEPVのspheroidは農林業の重要害虫であるドウガネブイブイ幼虫に対する微生物農薬としての利用の可能性を有するものと考えられる。さらにまた、AcEPVはspindleとspheroidという2種類の封入体の、それぞれの構成タンパク質であるfusolinとspheroidinを多量に発現させることから、両タンパク質をコードする遺伝子のプロモーター活性が強力であることが推察され、有用な外来遺伝子発現のためのベクター構築にこのプロモーターを利用することが考えられる。したがって、これらの課題の達成のためには、AcEPVの分子生物学的および病理学的な基礎的データを得る必要がある。一方、研究途上でAcEPVのspindleが鱗翅目寄生の核多角体病ウイルスの感染力を著しく増進することを発見したことは、spindleをEPVの寄生しない害虫由来の核多角体病ウイルスをその害虫の防除に利用する際等の補助剤として利用できる可能性を示すものと思われる。 以上のことから、本研究では、AcEPVの2種類の封入体の分子生物学的、病理学的研究を行った。第一に、2種封入体タンパク質をコードする遺伝子の全塩基配列を決定し、それらの遺伝子がコードするタンパク質の生化学的性質を調査した。また、ウイルス研究のためのドウガネブイブイおよびクワゴマダラヒトリの連続継代性細胞系の樹立を試みる一方、ドウガネブイブイに対するspheroidの病原力の解明を行った。さらに、鱗翅目寄生の2種類の核多角体病ウイルスの感染力に対するspindleの著しい増進作用を発見する等した。 ウイルスDNAおよび封入体タンパク質の解析 spheroidの溶解のためには、Genus Entomopoxvirus Bで用いられている方法は不適であったが、spheroid 1.7×104個/ml、0.8M Na2CO3、0.1M sodium thioglycolateの溶解条件が有効であることを明らかにした。 つぎに、得られたゲノムDNAをBam H I、Pst I、Sac Iの制限酵素で切断し、AcEPV特有の切断パターンを解明した。Bam H I、Pst IおよびSac Iによる切断では、順に13本、9本および5本の切断片が生じた。それらの切断片のサイズの合計はBam H IおよびPst I切断においては順に242.4kbおよび231.6kbであったが、一般に50kb以上のサイズの切断片はサイズの推定誤差が大きいとされるのでAcEPVのゲノムサイズの決定には至らなかった。 spindleおよびspheroidの構成タンパク質であるfusolinおよびspheroidinをSDS-PAGEで分離した結果、タンパク質分子量は順に48kDa、107kDaと推定された。また、fusolinはAcid-Schiff染色の結果、糖タンパク質であることが判明した。さらに、fusolinのN末端20残基およびspheroidin内部の20残基のアミノ酸配列を解明した。 つづいて、fusolinおよびspheroidinをコードする遺伝子をクローニングし全塩基配列を決定した。fusolin遺伝子は、1119個のヌクレオチドのopen reading frame(ORF)からなり、43.3kDaかつ等電点5.57のタンパク質をコードすることが想定された。この遺伝子と現在まで塩基配列の知られているGenus Entomopoxvirus AのMelolontha melolontha EPV(MmEPV)(Gauthier et al.,1995)、Genus Entomopoxvirus BのChoristoneura biennis EPV(Yuen et al.,1990)、Heliothis armigera EPV(HaEPV)(Dall et al.,1993)およびアワヨトウ昆虫ポックスウイルス(Pseudaletia separata EPV(PsEPV))(Hayakawa et al.,1996)のfusolin遺伝子の対応領域との相同性は、アミノ酸レベルで順に53%、51%、52%および49%であった。また、これはヌクレオチドレベルでは順に66%、64%、62%および60%であった。N末端のmicrosequencingと塩基配列から想定されるアミノ酸配列の照合から、遺伝子の5’端48個のヌクレオチドに対応する16個のアミノ酸残基はシグナルペプチド(signal peptide)であることが判明した。また、Genus Entomopoxvirus Bの3種ウイルスのfusolinにはいずれも存在するがAcEPVと同属のMmEPV fusolinには存在しない潜在的N-glycosylation siteが、ヌクレオチド配列から想定されるAcEPV fusolinアミノ酸配列中にも存在することが判明した。Acid-Schiff染色の結果によると、この部位に糖鎖が実際に付加しているものと考えられた。また、3’側約330ntの部分は他種EPVのfusolin遺伝子の該当部分との相同性がその上流部分での相同性と比較してきわめて低いという特徴を有していた。一方、spheroidin遺伝子は、2826個のヌクレオチドのORFからなり、109.0kDaかつ等電点5.98のタンパク質をコードすることが想定された。AcEPV spheroidin遺伝子と、現在まで遺伝子全体の塩基配列が知られているGenus Entomopoxvirus AのMmEPV(Sanz et al.,1994)、Genus Entomopoxvirus BのAmsacta moorei EPV(Hall and Moyer,1991;Banville et al.,1992)、Choristoneura fumiferana EPV(Li et al.,1997)およびHaEPV(Sriskantha et al.,1997)のspheroidin遺伝子の対応領域との相同性は、アミノ酸レベルで順に94%、40%、41%および39%であった。これはヌクレオチドレベルでは順に89%、53%、54%および52%であった。spheroidinの想定アミノ酸配列中のシステイン残基および潜在的なN-glycosylation siteの個数は順に44個、7個でMmEPVでの個数に近く、Genus Entomopoxvirus BのEPVのspheroidinでの個数と明瞭な差が見られた。これら2種の遺伝子の相同性解析の結果から、fusolin遺伝子は同属のMmEPVとの相同性は比較的低いが、Genus Entomopoxvirus AとGenus Entomopoxvirus Bとの間ではspheroidin遺伝子の場合より高い保存性が示された。一方、spheroidin遺伝子はMmEPVと極めて高い相同性を有したことから、Genus Entomopoxvirus Aのspheroidin遺伝子は属内での保存性が高い可能性が示唆された。このことは両遺伝子の機能の相違と重要性の程度の相違が反映された結果である可能性があるが、fusolin遺伝子の機能が不明であるので今後はこの研究が必要である。 病理学的研究 ドウガネブイブイ胚子細胞の細胞培養を行った結果、初代培養とそれに続く約10回の継代に成功したものの、連続継代性細胞系(細胞株)の樹立までには至らなかった。しかし、本結果から、胚子培養において血球になる可能性を有する細胞から細胞株が樹立できる可能性が示された。また、クワゴマダラヒトリ幼虫脂肪体細胞から核多角体病ウイルスの増殖がきわめて良好な細胞株を樹立し、本研究に供試した。 ドウガネブイブイ2齢幼虫に対するspheroidの病原力を解明した。spheroidを経口接種した場合のLD50は1.3×104個(95%信頼区間;8.4×103-2.1×104)で、感染が成立する閾値は8×102個付近であることが判明した。これらのことによってAcEPVを大量増殖するためとspheroidをドウガネブイブイ幼虫防除に利用するための基礎的知見が得られた。 AcEPV spindleは、2種のNPV(カイコ核多角体病ウイルスおよびクワゴマダラヒトリ核多角体病ウイルス)多角体の経口接種によるそれぞれの宿主に対する感染力を著しく増進することを発見した。増進の程度はカイコ核多角体病ウイルスで最大一万倍程度、クワゴマダラヒトリ核多角体病ウイルスでは数千倍以上であって、現在までNPVの感染増進物質として認められている顆粒病ウイルス封入体や種々の化学物質による増進の程度より格段に高いものであった。これらはEPV封入体によるNPVの感染力増進の発見としてはPsEPV封入体によるものにつぐ2例目と3例目になるが、今回の発見の大きな特徴は、EPVの寄生しない昆虫におけるその昆虫由来のNPVの感染に対してspindleが増進作用を有することを明らかにした点であり、顆粒病ウイルス封入体の極めて狭い適用範囲とは対照的にspindleの広範囲な適用の可能性が示唆された。これらの発見はspindleが種々のNPVを害虫防除等に利用する際の強力な補助剤として利用できる可能性を示すものである。 |