学位論文要旨



No 214333
著者(漢字) 飯田,真一郎
著者(英字)
著者(カナ) イイダ,シンイチロウ
標題(和) マクロファージレクチンによる腫瘍抗原の認識:糖鎖コード解読への試み
標題(洋)
報告番号 214333
報告番号 乙14333
学位授与日 1999.05.12
学位種別 論文博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 第14333号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 入村,達郎
 東京大学 教授 今井,一洋
 東京大学 教授 嶋田,一夫
 東京大学 助教授 久保,健雄
 東京大学 助教授 山本,一夫
内容要旨

 Ca2+要求性動物レクチン(C型レクチン)ファミリーに属するヒトマクロファージレクチン(HML)は、galactose(Gal)およびN-acetylgalactosamine(GalNAc)に親和性を示し、特にGalNAc-threonine構造、いわゆる腫瘍抗原であるTn抗原に結合することが明らかにされている。レクチンと糖鎖との相互作用は一般的に弱いものであり、マルチバレントとしての相互作用が機能的な役割を果たすものと推測される。Tn抗原はO-結合型糖鎖の最小の糖鎖構造であることから、この抗原をマルチバレントとして提示する分子としてserimne(Ser)/threonine(Thr)を多く含んだムチンが挙げられる。その一つのMUC2ムチンでは、23個のアミノ酸を1ユニットとしたタンデムリピートを有し、この1ユニットにはThrを14個含んでいる。そのThrの配置も、連続して並んだ部分あるいはproline(Pro)などを挟んで一つ置きに配置される部分と独特である。糖鎖はこれら全てのThrには付加せず、ある一定の位置に付加すると考えられる。プチド上における、糖鎖の決まった付加位置により造られる配列を<糖鎖コード>としてとらえてみると、異なる<糖鎖コード>は、バーコードの如く、異なった意味を持つことが想像される。この<糖鎖コード>を規定する一因として、Ser/ThrへのGalNAcの付加を担う酵素(O-GalNAc転移酵素)の基質特異性が考えられる。現在迄に、ヒトO-GalNAc転移酵素は3種類のisozyme(T1,T2,T3)が報告され、さらに十数種類程度の存在が示唆されている。このことは、O-結合型糖鎖の決まった付加位置により造られる配列<糖鎖コード>は、各酵素の基質特異性に加えて発現スペクトラムなどにより規定されることを想像させる。そこで、<糖鎖コード>を解読する試みとして、大腸癌細胞株により造られる<糖鎖コード>のライブラリーを作製した。第2に、いくつかの糖鎖コードに対するマクロファージレクチンの親和性を比較検討し、高い親和性を示す糖鎖コードの検出を試みた。最後に、糖鎖コードの合成機序の解明を、遺伝子組換え型GalNAc転移酵素isozyme T1,T2,T3を用いて検討した。

大腸癌細胞株LS174Tによる基質特異性と糖鎖コードライブラリーの作成

 糖鎖コードの鋳型として、MUC2ムチンのタンデムリピート部分の配列に基づく、オーバーラップする5種類の合成ペプチドを用いた。Thrが連続して並んだ部分のFM2-1ペプチドあるいはProを挟んで一つ置きにThrが配置された部分のFM2-3ペプチトなどの様な特徴的な部分を分割した。連続したThrを含むFM2-1ペプチド(PTTTPITTTTK)について、in vitro GalNAc付加反応を行った後、逆相HPLCにより糖ペプチドを分取したところ、早い溶出時間にpeak aからfが得られた。それぞれのpeakについてMALDI-TOF MSによる質量測定を行ったところ、各ピークは1個から7個のGalNAcの付加したペプチドであることが確認された。驚くべきことに、FM2-1ペプチドの7ケ所全てのThr残基にGalNAcが付加されることが明らかとなった。

 ペプチドシークエンサー分析によりGalNAcの付加位置を同定したところ、HPLCの各ピークは、それぞれの個数のGalNAcが一定の位置に付加したペプチドであった。一方、Proを挟んで一つ置きにThrを含むFM2-3ペプチドでは、酵素を追加し、反応時間を延長しても、全てのThr残基にGalNAcが付加することはなかった。

 Table 1に示す様に、FM2-1ペプチドを鋳型としたとき、個数が異なり、付加位置の同定された、いくつかの<糖鎖コード>を示す糖ペプチドが得られた。また、大腸癌細胞株LS174TのMUC2に対する基質特異性は、一つ置きに配置されたThr全てにはGalNAcを付加しないが、連続したThrの全そにGalNAcを付加すること、すなわち、trimeric-Tn抗原(TGalNAc-TGalNAc-TGalNAc)が合成されていることが明らかとなった。

 得られた<糖鎖コード>に対するマクロファージレクチンの結合親和性を検討した。

<糖鎖コード>に対するマクロファージレクチンの親和性

 膜貫通ドメインを欠いた遺伝子組換え型ヒトマクロファージレクチン(rHML)を作製し、親和性の測定実験に用いた。C型レクチンスーパーファミリーは多量体を形成するものが多いことから、同rHMLについても化学架橋剤(DSSあるいはEGS)により多量体の検出を試みた。rHMLは化学架橋処理により、主に三量体の位置にバンドが認められ、三量体の形成が示唆された。またrHMLからトリプシン消化によりstalk部分を消化して得た糖認識部位(CRD)を同様に化学架橋処理したが、多量体のバンドは検出されなかったことより、rHMLはstalk部分を介して三量体化していることが示唆された。

 GalNAcが1、3、5、6個付加した糖ペプチド(G1,G3,G5,G6)に対するHMLの親和性を表面プラズモン共鳴測定装置および蛍光偏向度測定装置を用いて比較検討した。

 表面プラズモン共鳴測定装置では、各糖ペプチドを固定化したセンサーチップに、種々の濃度のrHMLを流し、real timeで結合及び解離を観察した。何れの個数のGalNAcが付加したペプチドに対してもCa2+依存性、レクチン濃度依存性の結合が観察され、糖鎖が付加していないペプチドへの結合は観られなかった。反応速度論の解析から算出した解離定数(KD)を比較すると、糖鎖の個数に応じて親和性の増大が観察され、G1で1.0x10-6、G3で4.4x10-7,G5で1.9x10-7,そしてG6で1.5x10-7(M)であった(Table 1)。興味深いことに、過剰量(100pmol)の糖ペプチドをセンサーチップ上に固定化すると、何れの個数の糖ペプチドでも解離速度定数(Kdiss)の低下に起因した親和性の増大が観察された。また、高い親和性が観察される場合、いずれも抗trimeric-Tn抗体の結合が観られたことより、<糖鎮コード>としてtrimeric-Tn抗原(TGalNAc-TGalNAc-TGalNAc)が重要であることが示唆ざれた。固相化の影響を考慮して、糖ベプチド、レクチン共に液相における相互作用を蛍光偏光度測定装置により、再度同様の糖ペプチドに対する親和性を測定した(Table 1)。蛍光標識されている糖ペプチドと種々の濃度のrHMLを反応させた後、蛍光偏光度を測定し、Scatchard解析により親和定数を求めた。この方法においても、糖鎖個数の増加に伴った親和性の増大が観察され、解離定数は固相化ペプチドとの相互作用から得られた値とほぼ同様であった。一方、単量体で存在すると思われるCRDでは糖鎮個数の増加に伴った顕著な親和性の増大は認められなかった。従って糖鎖個数の増加に伴う親和性の増大には、rHMLの三量体形成が寄与することが示唆された。

Table 1 KD determined from interaction of glycopeptides with rHML or CRD.

 マクロファージレクチンの三量体形成の寄与により、GalNAc個数の増加に伴う親和性の増大が観察され、<糖鎖コード>としてtrimeric-Tn抗原が高い親和性には重要であることが示唆された。

 このtrimeric-Tn抗原の合成機序解明に焦点をあて、連続したThr残基に対するO-GalNAc転移酵素アイソザイムの基質特異性を次に検討した。

三連続したThr残基に対するO-GalNAc転移酵素T1,T2,T3の基質特異性

 大腸癌細胞株LS174T出来酵素は、三連続したThrを含むペプチド(FM2-12,PTTTPLK)に対しても、全てのThrにGalNAcを付加し、trimeric Tn抗原を合成したことより、このペプチドをtrimeric-Tn抗原の合成機序を解明するためのモデルとして解析した。

 ヒトO-GalNAc転移酵素isozyme T1,T2およびT3によるGalNAc付加実験を行った後、逆相HPLCにより付加反応をモニターし、各ピークについてMALDI-TOF MS解析によりGalNAc付加個数を求めた。その結果、O-GalNAc転移酵素T1によるGalNAcの最大付加数は2個であり、T2は1個であった。T2でも酵素の増量および反応時間の延長により2個の付加が観られたが、全てのThrへは付加しなかった。一方、O-GalNAc転移酵素T3は、12時間迄に3個のGalNAcを付加した。すなわち、3ヶ所全てのThrへのGalNAc付加を達成し、trimeric-Tn抗原を合成した。また、各個数の糖ペプチドのGalNAc付加位置をベプチドシークエンサーにより同定し付加順序を推測したところ、T3ではC末端側のThrから順にGalNAcを付加し、T1やT2とは明らかに異なることが示された(Table 2)。

Table 2 Preferential Order of the GalNAc attachement

 O-GalNAc転移酵素isozyme T1,T2,T3のうち、T3のみがtrimeric-Tn抗原を合成する酵素であることが明らかとなった。

総括

 1.ヒト大腸癌細胞株LS174T由来O-GalNAc転移酵素により、付加したGalNAc個数の異なり、付加位置が同定された<糖鎖コード>のライブラリーが得られた。

 2.GalNAc付加ペプチドに対するマクロファージレクチンの親和性は、ペプチド上のGalNAc個数の増加に応じて増大した。高い親和性において、<糖鎖コード>としてtrimeric-Tn抗原の重要性が示唆された。

 3.O-GalNAc転移酵素T1,T2,T3のうち、唯一T3は、三連続したthreonine残基全てにGalNAcを付加し、trimeric-Tn抗原を合成した。

審査要旨

 「マクロファージレクチンによる腫瘍抗原の認識:糖鎖コード解読への試み」と題する本論文には、糖鎖生物学の領域に重要な貢献をする二つの重要な発見が述べられている。第一は、連続するスレオニン及びひとつおきに存在するスレオニンを両方とも含むMUC2ムチンのタンデムリピート部への、O-結合型糖鎖の取り込みの最大数及び順序に関して、厳密な制御機構が存在することを明らかにしたことである。第二は、マクロファージの表面に発現するカルシウム型内在性レクチンが、このような制御のもとに形成されたMC2ムチンのペプチド上に提示されたN-アセチルガラクトサミン(Tn抗原)の特定のクラスターに特異的に結合することを示したことである。細胞表面や細胞外マトリクスに存在している糖鎖は、その多様性から暗号分子(糖鎖コード)であると考えられてきた。しかし、そのような暗号を認識し解読している内在性分子と考えられるレクチンは糖鎖の種類に対応するほど多様でなくまた認識特異性が厳密でないことが謎とされてきた。本研究では、糖鎖コードを解読する試みとして、MUC2ムチンコアペプチド上に大腸癌細胞株により形成される糖ペプチドのライブラリーを作製し、これらに対するマクロファージレクチンの親和性を比較検討した。さらに、糖鎖コードの生合成における制御機構を、遺伝子組換え型のペプチドのスレオニンにN-アセチルガラクトサミン(GalNAc)を転移するN-アセチルガラクトサミン転移酵素(pp-GalNAc-T)のアイソザイムであるpp-GalNAc-T1、T2、及びT3を用いて検討した。

 本論文は三つの主要部分から成る。第一の部分はMUC2ムチンコアペプチを基質として、ヒト大腸癌細胞株LS174Tのミクロソーム画分を酵素原として用いて、糖鎖コードライブラリーの作成を目指した結果である。MUC2ムチンのタンデムリピート部分の配列に基づく、オーバーラップする5種類の合成プペチドが用いられた。スレオニンが連続して並んだ部分のFM2-1プペチドあるいはプロリンを挟んで一つ置きにスレオニンが配置された部分のFM2-3ペプチドなどの様な特徴的な部分を分割した。連続したスレオニンを含むFM2-1ペプチド(PTTTPITTTTK)について、in vitroでGalNAc付加反応を行った後、逆相HPLCにより糖ペプチドを分取したところ、7つのピークが得られた。それぞれのピークについてMALDI-TOF MSによる質量測定を行ったところ、各ピークは1個から7個のGalNAcの付加したペプチドであることが確認された。即ちFM2-1ベプチドの7か所の全てのスレオニン残基にGalNAcが付加されることが明らかとなった。エドマン分解によるペプチド配列分析法で、GalNAc-Thrの溶出位置が明らかにされたので、各ペプチドのGalNAcの付加位置を決定した。その結果、逆相HPLCの各ピークは、それぞれの個数のGalNAcが一定の位置に付加したペプチドであった。すなわち、複数のpp-GalNAC-Tが発現していると考えられるLS174T細胞のミクロソーム画分を酵素原として用いたにもかかわらず、7個のスレオニンにGalNAcが取り込まれる順序がほぼ一義的に定まっているという予想外の結果を得た。また、GalNAc 5個以上を含むものは、必ずTn抗原が3残基連続している部分があることが明らかとなった。一方、プロリンを挟んで一つ置きにThrを含むFM2-3ペプチド(TVTPTPTPTGK)では、酵素を追加し、反応時間を延長しても、全てのスレオニンにGalNAcが付加することはなかった。すなわち、GalNAcのスレオニンへの最大付加数は、ペプチド配列によって強い影響を受けることが明らかにされた。

 第二部では、このようにして作製された糖鎖コード(GalNAcを種々のアレンジで含むMUC2ペプチド)の代表的なものに対するC型マクロファージレクチンの親和性を比較検討した結果が述べられている。この実験には、膜貫通ドメインを欠いた遺伝子組換え型のヒトマクロファージレクチン(rhMGL)が用いられた。rhMGLからトリプシン消化により糖認識部位(CRD)断片を得てこの親和性に関しても言及されている。C型レクチンスーパーファミリーに属する分子は多量体を形成するものが多く、これがレクチン分子の中間部の幹部分の相互作用によることが予想されたので、水溶液中での化学架橋実験が行った。その結果、rhMGLでは3量体の形成が、またCRDは単量体であることが明らかとなった。GalNAcが1、3、5、または6個付加した糖ペプチド(G1、G3、G5、及びG6)に対するrhMGLの親和性を表面プラズモン共鳴測定装置および蛍光偏向度測定装置を用いて比較検討した。解離定数を比較すると、糖鎖の個数に応じて親和性の増大が観察され、G1で1.0x10-6(M)、G3で4.4x10-7(M)、G5で1.9x10-7(M)、G6で1.5x10-7(M)であった。高い親和性が観察される場合、いずれもTn抗原が3残基連続している構造に対する特異的な抗体の結合がみもれ、rhMGLに親和性の高い糖鎖コードとしてこのtrimeric-Tn抗原(TGalNAc-TGalNAc-TGalNAc)が重要であることが示唆された。一方、単量体で存在するCRDでは糖鎖個数の増加に伴った顕著な親和性の増大は認められなかった。

 第三部では、trimeric-Tn抗原の生合成メカニズムの解明に焦点をあて、連続したスレオニン残基に対するpp-GalNAc-Tのアイソザイムの基質特異性を検討した結果が述べられている。3個の連続したスレオニンを含むペプチド(FM2-12;PTTTPLK)、リコンビナント型の酵素、及び供与体基質を混合してこのペプチドに対する各アインザイムがどのように働くかを比較した。pp-GalNAc-T1ではGalNAcの最大付加数は2個、T2は1個、T3は3個であった。各酵素との反応生成物を逆相HPLCで分画の後GalNAcの付加位置をペプチド配列解析によって決定した。T1はThr-1、Thr-3の順に、T2はThr-1に、T3はThr-3、Thr-2、Thr-1の順にGalNAc付加することが明らかとなった。上に述べたtrimeric-Tn抗原は、ここで比べたアイソザイムの中ではpp-GalNAc-T3のみによって生成した。

 以上の結果は、ムチンのグリコシレーションの最大数と順序がコアペプチドの配列とpp-GalNAc-Tの種類によって厳密に制御されていることを明瞭に示した。またこのようにして生じたGalNAc付加ペプチドに対するマクロファージレクチンの親和性が、ペプチド上のGalNAc個数の増加に応じて増大することを示した。ここで重要性が示されたtrimeric-Tn抗原は、上皮系の腫瘍にしばしば発現するものであり、この構造が如何になるメカニズムで腫瘍細胞に生じるか、マクロファージはこれを認識した後にいかなる防御系を発動するかなど、腫瘍細胞と宿主との関係を知る上で重要な分子機構の解明のための重要な鍵となることが明かとなった。これらの研究成果は糖鎖生物学、腫瘍学、及び免疫学に資するところが大であり、本論文の提出者飯田真一郎は博士(薬学)の学位を受けるに十分であると判断した。

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