学位論文要旨



No 214335
著者(漢字) 中山,知信
著者(英字)
著者(カナ) ナカヤマ,トモノブ
標題(和) シリコン表面上の単原子・単分子層ヘテロ膜の成長と欠陥導入機構の実空間顕微法による研究
標題(洋)
報告番号 214335
報告番号 乙14335
学位授与日 1999.05.17
学位種別 論文博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 第14335号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 長谷川,修司
 東京大学 教授 塚田,捷
 東京大学 助教授 小森,文夫
 東京大学 助教授 吉信,淳
 東京大学 助教授 福山,寛
内容要旨

 Si表面の構造、Si表面上でのヘテロ膜成長の初期過程、そして成長膜中に見られる欠陥の生成過程およびその振る舞いを原子尺度で理解することは、Siを基盤とした既存半導体技術を原子尺度の技術へと高める上で避けて通ることのできない事柄である。本論文では、超高真空電子顕微法や超高真空走査トンネル顕微法といった実空間顕微法を用いて、Si表面上の様々なヘテロ膜を観察し、ヘテロ膜の成長過程やヘテロ膜中の欠陥の生成過程に関する原子・分子尺度での研究を行った。具体的に取り扱ったヘテロ膜系は(1)Si(001)2×1表面上のGeのヘテロエピタキシャル膜、(2)Si(111)表面上のAg単層膜、(3)Si(111)表面上のCaF単層膜、そして(4)Si(111)√3×√3R30゜-Ag表面上のC60単層膜の4つである。

 まず、(1)のSi(001)2×1表面上でのGeのヘテロ成長に関して、基板温度600〜650℃、蒸着速度0.1〜0.2ML/minの条件下での、表面ステップからの層状成長および単原子層高さの島成長を、反射電子顕微法によってその場観察した。その結果、Si(001)2×1表面上のSA、ステップへ優先的にGeが吸着することが分かった。また、広いテラス上に成長したGeの島と島との間、または島とステップとの間に生じた位相境界が明瞭に観察され、その位相境界が優先的な核形成サイトとして重要な役割を果たすことが明らかとなった。これらは、成長温度におけるその場観察では、初めて得られた結果である。

 次に、Si(111)表面上のAg単層膜中の位相境界に関して、走査トンネル顕微法による詳細な観察を行い、観察された位相境界の構造を提案した。提案した構造は、Si(111)表面上のAg単層膜中での最安定な位相境界構造に対応する。Si(111)表面上でのAgのランダムな核形成を考えれば、位相境界として種々の構造が生成され得るが、エネルギー的に安定な位相境界が表面上に残る。これは、不安定な位相境界を適宜排除するため、Si(111)√3×√3R30゜-Ag表面構造内での原子再配置が行われることを意味する。位相境界密度の決定因子として、Si(111)7×7下地表面上での核形成密度が重要である。しかし、これにに加えて、Si(111)√3×√3R30゜-Ag表面ステップの密度が重要であり、成長における原子過程が重要な役割を果たすことを指摘した。

 さらに、Si(111)7×7表面上でのCaF単層膜に関して、Si(111)7×7構造領域とCaF単層膜領域を同時に、走査トンネル顕微鏡によって観察することに世界で初めて成功した。CaF単層膜中に多くの欠陥が存在することを確認し、それらのうち60%は、特徴的な要素欠陥であることを見いだした。実験結果の詳細な解析から、CaF単層膜の成長では、Si(111)7×7構造からSi(111)1×1バルク構造への構造再構築が行われ、これに伴って生成された余剰Si原子が膜中の欠陥の原因となっていることを突き止めた。これは、界面形成前後における基板原子数の不整合が欠陥密度の決定因子であることを意味する。また、CaF単層膜中の要素欠陥の分布を調べ、成長前の下地Si(111)7×7構造との相関を得た。この相関は、7×7単位構造内の領域によってバルク構造への再構築の容易さが異なることとよく対応した。この結果から、CaF単層膜の成長速度はSi(111)7×7構造に起因して変化し、欠陥分布の下地構造依存性を与えるのみならず、CaF単層膜の二次元島の形状を決定していることを提案した。

 最後に、Si(111)√3×√3R30゜-Ag表面上のC60単層膜に関して、走査トンネル顕微法による観察を行い、C60単層膜の成長と欠陥の生成についての研究を行った。C60分子は、Si(111)√3×√3R30°-Ag基板表面上のステップには強く結合するのに対し、テラス上の√3×√3R30゜-Ag構造には弱く結合し、後者の弱い結合は、ファン・デル・ワールス結合ではなく電荷の移動を伴った弱い化学結合であることが分かった。√3×√3R30゜-Ag構造へのC60分子の結合エネルギー(吸着エネルギー)はおよそ0.8〜0.9eVと推定した。C60単層膜中には様々な構造をもつドメインが共存し、ドメインによって分子間距離も様々に変化する。また、C60単層膜中のドメインによって点欠陥密度に違いがあり、分子間距離から期待される応力が高いドメインでは点欠陥密度が大きくなることが分かった。点欠陥の発生頻度が20.7%に達するドメインでは、点欠陥の周期的に配列が観察された。点欠陥の周期的配列は、応力によるエネルギー増加を効果的に緩和するものと考えられる。周期的な点欠陥配列を走査トンネル顕微鏡によって誘起することを試みたところ、探針直下で誘起された構造変化(分子の凝集)とその周辺での周期的な点欠陥配列とが同時に観測された。

審査要旨

 本論文は、シリコン表面上に種々の原子層・分子層(ヘテロ膜)を成長させたときの構造について、原子分解能の顕微鏡法を用いて実験的に明らかにした研究である。反射型電子顕微鏡法と走査トンネル顕微鏡法を利用した超高真空中での「その場」観察により、ゲルマニウム原子層、銀原子層、フッ化カルシウム原子層、およびフラーレン分子層の成長を研究し、これらヘテロ膜の成長途中で生成される位相境界や点欠陥などの構造欠陥を明らかにし、さらにそれらの生成機構を考察・解明した。この研究によって、原子・分子尺度で構造を制御して人工物質を作製する際に考慮すべき重要な知見を得ることができ、物性物理学としての興味だけでなく、原子尺度の極微構造を利用した将来のナノメータスケールデバイスへの応用研究にとっても重要な知見を与える研究となっている。

 本論文は七つの章から構成されている。第1章では本研究の背景、特に、すでに明らかになっているシリコン表面研究についてまとめ、さらに、その表面上でのヘテロ膜成長についての従来研究を概観し、その中から生まれた問題意識および本研究の目的が述べられている。第2章では本研究で用いた実験的手法(電子顕微鏡法および走査トンネル顕微鏡法)について述べられている。以下の章ではそれぞれのヘテロ膜原子・分子層についての研究結果が述べられている(第3章;ゲルマニウム原子層、第4章;銀原子層、第5章;フッ化カルシウム原子層、第6章;フラーレン分子層)。最後に、第7章で本論文で明らかにされた結果および今後の研究の展望をまとめている。

 最近の表面物理の分野での研究の進展は目ざましく、表面近傍での特殊な原子配列構造や個々の原子の結合状態などの電子構造が明らかにされつつある。特に、1原子(分子)層レベルでの結晶成長を制御して、バルク結晶には見られない原子配列構造と電子状態を実現できるようになり、新規な物性の発現が期待されている。本論文は、そのような1原子(分子)層のヘテロ膜に特有な構造および欠陥の生成過程を詳細に解明した研究である。

 実験に用いられた装置は、コールドトラップによって試料周辺を超高真空化し、さらに「その場」で物質の蒸着が可能な反射型電子顕微鏡、および、やはり「その場」で物質の蒸着可能な超高真空走査トンネル顕微鏡である。

 観察・解析の結果、以下のことが明かとなった。

(1)Si(100)2×1表面上のGe原子層の成長:

 □SAステップと呼ばれる原子ステップにGe原子が優先的に吸着してGe原子層の成長が開始されることを明らかにした。

 □成長したGeの2次元島と他の島の間に生じる位相境界が、次のGe原子層の成長の優先的な核形成サイトとしてはたらくことを見いだした。

(2)Si(111)表面上のAg原子層;

 □単一Ag原子層が作る√3×√3超構造ドメイン間の位相境界のうち、最も安定な原子配列構造を明らかにした。

 □不安定な構造の位相境界が最安定な構造に変換される過程を明らかにした。

 □位相境界の存在密度は、Agの蒸着によってSi(111)7×7清浄表面構造から√3×√3超構造に変換される際の表面ステップ密度の増加に依存することを明らかにした。

(3)Si(111)表面上のCaF原子層;

 □CaF単層膜中に特有な点欠陥が存在することを見いだした。

 □その点欠陥は、Si(111)7×7清浄表面上にCaF単層膜が成長する際に、基板Si原子の再配列が起こり、余剰なSi原子が放出されるために形成されることを明らかにした。

 □その点欠陥の分布を調べ、成長前のSi(111)7×7清浄表面構造との相関を得、7×7単位胞内の場所によって1×1構造へ最構築する容易さが異なることとよく対応することがわかった。

 □以上から、CaF単層膜の成長は、7×7清浄表面が1×1構造に変換する過程で律速されており、さらにこの構造変換によって点欠陥密度やCaF単層膜の2次元島の形状も決定されることが明かとなった。

(4)Si(111)-√3×√3-Ag表面上のC60フラーレン単分子層;

 □C60分子は、ステップ端では基板と強く結合し、テラス上では比較的弱く結合していることがわかった。これは、√3×√3-Ag基板表面のテラス上ではダングリングボンドが全く存在しないことによる。

 □しかし、テラス上でのC60分子と基板との間の結合は、純粋なファン・デル・ワールス結合ではなく、僅かな電荷の移動を伴った弱い化学結合であることがトンネル分光による測定から明らかになった。

 □C60単層膜には、C60分子が、下地Siに対して√21×√21の周期で配列するドメインや、その他の周期性を持つドメインが存在し、それらの周期性に依存して分子間距離が異なることを見いだした。

 □それらのドメインの内部には、点欠陥が存在し、分子間距離から期待される応力が高い配列のドメインほど、その点欠陥密度が高くなることがわかった。

 以上のように、論文提出者は、シリコン表面上に成長させた様々な原子層・分子層について、原子(分子)配列構造および種々の欠陥構造について詳細に研究し、それらの形成過程とメカニズムを明らかにした。このように本研究は、最先端の実験技術を駆使して初めてなされたものであり、その独創性が認められたため、博士(理学)の学位論文として十分の内容をもつものと認定し、審査員全員で合格と判定した。なお、本論文は、共同研究者らとの共同研究であるが、論文提出者が主体となって実験および解析を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

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