本論文は、シリコン表面上に種々の原子層・分子層(ヘテロ膜)を成長させたときの構造について、原子分解能の顕微鏡法を用いて実験的に明らかにした研究である。反射型電子顕微鏡法と走査トンネル顕微鏡法を利用した超高真空中での「その場」観察により、ゲルマニウム原子層、銀原子層、フッ化カルシウム原子層、およびフラーレン分子層の成長を研究し、これらヘテロ膜の成長途中で生成される位相境界や点欠陥などの構造欠陥を明らかにし、さらにそれらの生成機構を考察・解明した。この研究によって、原子・分子尺度で構造を制御して人工物質を作製する際に考慮すべき重要な知見を得ることができ、物性物理学としての興味だけでなく、原子尺度の極微構造を利用した将来のナノメータスケールデバイスへの応用研究にとっても重要な知見を与える研究となっている。 本論文は七つの章から構成されている。第1章では本研究の背景、特に、すでに明らかになっているシリコン表面研究についてまとめ、さらに、その表面上でのヘテロ膜成長についての従来研究を概観し、その中から生まれた問題意識および本研究の目的が述べられている。第2章では本研究で用いた実験的手法(電子顕微鏡法および走査トンネル顕微鏡法)について述べられている。以下の章ではそれぞれのヘテロ膜原子・分子層についての研究結果が述べられている(第3章;ゲルマニウム原子層、第4章;銀原子層、第5章;フッ化カルシウム原子層、第6章;フラーレン分子層)。最後に、第7章で本論文で明らかにされた結果および今後の研究の展望をまとめている。 最近の表面物理の分野での研究の進展は目ざましく、表面近傍での特殊な原子配列構造や個々の原子の結合状態などの電子構造が明らかにされつつある。特に、1原子(分子)層レベルでの結晶成長を制御して、バルク結晶には見られない原子配列構造と電子状態を実現できるようになり、新規な物性の発現が期待されている。本論文は、そのような1原子(分子)層のヘテロ膜に特有な構造および欠陥の生成過程を詳細に解明した研究である。 実験に用いられた装置は、コールドトラップによって試料周辺を超高真空化し、さらに「その場」で物質の蒸着が可能な反射型電子顕微鏡、および、やはり「その場」で物質の蒸着可能な超高真空走査トンネル顕微鏡である。 観察・解析の結果、以下のことが明かとなった。 (1)Si(100)2×1表面上のGe原子層の成長: □SAステップと呼ばれる原子ステップにGe原子が優先的に吸着してGe原子層の成長が開始されることを明らかにした。 □成長したGeの2次元島と他の島の間に生じる位相境界が、次のGe原子層の成長の優先的な核形成サイトとしてはたらくことを見いだした。 (2)Si(111)表面上のAg原子層; □単一Ag原子層が作る√3×√3超構造ドメイン間の位相境界のうち、最も安定な原子配列構造を明らかにした。 □不安定な構造の位相境界が最安定な構造に変換される過程を明らかにした。 □位相境界の存在密度は、Agの蒸着によってSi(111)7×7清浄表面構造から√3×√3超構造に変換される際の表面ステップ密度の増加に依存することを明らかにした。 (3)Si(111)表面上のCaF原子層; □CaF単層膜中に特有な点欠陥が存在することを見いだした。 □その点欠陥は、Si(111)7×7清浄表面上にCaF単層膜が成長する際に、基板Si原子の再配列が起こり、余剰なSi原子が放出されるために形成されることを明らかにした。 □その点欠陥の分布を調べ、成長前のSi(111)7×7清浄表面構造との相関を得、7×7単位胞内の場所によって1×1構造へ最構築する容易さが異なることとよく対応することがわかった。 □以上から、CaF単層膜の成長は、7×7清浄表面が1×1構造に変換する過程で律速されており、さらにこの構造変換によって点欠陥密度やCaF単層膜の2次元島の形状も決定されることが明かとなった。 (4)Si(111)-√3×√3-Ag表面上のC60フラーレン単分子層; □C60分子は、ステップ端では基板と強く結合し、テラス上では比較的弱く結合していることがわかった。これは、√3×√3-Ag基板表面のテラス上ではダングリングボンドが全く存在しないことによる。 □しかし、テラス上でのC60分子と基板との間の結合は、純粋なファン・デル・ワールス結合ではなく、僅かな電荷の移動を伴った弱い化学結合であることがトンネル分光による測定から明らかになった。 □C60単層膜には、C60分子が、下地Siに対して√21×√21の周期で配列するドメインや、その他の周期性を持つドメインが存在し、それらの周期性に依存して分子間距離が異なることを見いだした。 □それらのドメインの内部には、点欠陥が存在し、分子間距離から期待される応力が高い配列のドメインほど、その点欠陥密度が高くなることがわかった。 以上のように、論文提出者は、シリコン表面上に成長させた様々な原子層・分子層について、原子(分子)配列構造および種々の欠陥構造について詳細に研究し、それらの形成過程とメカニズムを明らかにした。このように本研究は、最先端の実験技術を駆使して初めてなされたものであり、その独創性が認められたため、博士(理学)の学位論文として十分の内容をもつものと認定し、審査員全員で合格と判定した。なお、本論文は、共同研究者らとの共同研究であるが、論文提出者が主体となって実験および解析を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。 |