学位論文要旨



No 214339
著者(漢字) 山島,哲夫
著者(英字)
著者(カナ) ヤマシマ,テツオ
標題(和) 民間賃貸住宅市場の構造に関する研究 : 東京圏における市場特性の分析
標題(洋)
報告番号 214339
報告番号 乙14339
学位授与日 1999.05.20
学位種別 論文博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 第14339号
研究科 工学系研究科
専攻 都市工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 岡部,篤行
 東京大学 教授 小出,治
 東京大学 助教授 大方,潤一郎
 東京大学 助教授 浅見,泰司
 東京大学 講師 小泉,秀樹
内容要旨

 本研究の目的は、東京圏を対象に、ファミリー世帯向けの規模を有する民営借家の供給が少なく、民営借家の規模が持家と比べて極めて小さいものにとどまっている要因を、民間賃貸住宅市場の構造の分析を通じて明らかにすることである。そのため、東京圏における民営借家の状況を把握するとともに、市場構造に影響を与えていると思われる事項の分析、市場を支えている背景の整理分析を行った。

 民営借家の規模が小さいものにとどまっている理由として、借家法の供給抑制効果が働いた結果であるとする見解がある。この見解は、「借家法の下では、借家人の居住権が過度に保護される結果、継続家賃は新規家賃より低くならざるを得ず、回転率が高く継続家賃の制約を受けることの少ない小規模借家に供給がシフトする。そのため、定住率の高いファミリー向けの借家は供給されない」というものである。

 ところが、民営借家の定住率は、住戸面積が大きくなるに従い高くなるという傾向は認められず、住戸面積に関わらず民営借家の定住率は低いのである。本研究において、住宅統計調査データを用い東京圏の中高層民営借家における定住率を測定することにより、住戸面積によらず民営借家の定住率は低いこと、また、定住率は住戸面積ではなく居住世帯の世帯型に影響されることを明らかにした。

 民営借家の規模は、借家法による制約で小さいものにとどまっているのではないことを確認した上で、本研究では民営借家の規模が小さいものにとどまっている理由として以下の要因を取り上げ分析した。

1)小規模な借家に対する膨大な需要の存在

 民営借家居住世帯のうち単身世帯は半数以上を占め、2人世帯まで入れると7割を超える。また、若年世帯の比率が高くなっている。東京圏には、小規模な民営借家の主要な需要層と考えられる若年層が継続的に流入してきており、こうした需要に応える形で小規模な民営借家が大量に供給されてきた。

2)家賃額からの制約

 借家居住者が支払いうる家賃額は、当該世帯の収入に左右されることは当然である。しかし、収入が高ければ高い家賃支出を続けうるかというと、そうではなく、収入の多少に関わらず持家を取得しうる程の高額の家賃(ローン支払額に匹敵する家賃)を支払い続ける場合は多くないと考えられる。本研究ではこの点を明らかにするため、特定優良賃貸住宅の契約家賃(市場家賃を規準として定められる)に関するデータを活用し、家賃単価は規模が大きくなると低下する傾向があり、家賃総額は規模に関わらず頭打ちの傾向があることを示した。

 規模の大きな借家は、貸家経営サイドから見た場合にも魅力的な存在ではない。固定費用等を考慮したとしても規模が小さいほど家賃単価は上がり、投資効率からは小規模な借家の方が有利である。

3)給与住宅等の存在

 規模の大きな民営借家の需要に対し影響を与えるものとして、給与住宅の存在について分析した。世帯人員が多く、かつ、高額の家賃を支払いうる層のかなりの部分が給与住宅に居住していること、また、給与住宅から他の所有形態の住宅に移るときは、民営借家へと向かわず持家取得へと向かっていることを明らかにした。給与住宅等の存在が規模の大きな民営借家の供給を抑える効果があるのである。

4)持家志向の存在

 持家志向については、持家志向が極めて強いこと並びに持家志向が形成された背景を明らかにした。我が国の強い持家志向の存在が民営借家に対する家賃支払い額を抑制し、規模の大きな民営借家の供給を抑えている原因の一つとなっているのである。

5)小規模零細な貸家経営者

 本研究では、貸家経営者の状況を分析し、貸家経営者は自己の所有地を活用して生計費維持、節税対策等を目的に貸家経営に参入するのであり、小規模零細なものが大部分であることを明らかにした。このような貸家経営者の状況を前提にすると、規模の大きな借家供給へ向かうインセンティブは多くない。また、貸家経営は、土地をあらかじめ所有していることが前提であり、新たに土地を取得して企業として貸家経営を行うことは困難で、企業の投資としでも規模の大きな借家供給のインセンティブは少ないのである。

6)政策的な位置づけが弱かったこと

 民間賃貸住宅に対する政策的な位置づけについては、住宅宅地審議会の答申を手がかりに整理分析した。その結果、民営借家は政策的には長い間、改善すべき対象として考えられており、政策の重点は、公的賃貸住宅の適切な供給と持家取得へ向けた施策の整備に置かれてきたことが分かった。また、民間賃貸住宅が公的賃貸住宅に代わって賃貸住宅政策の中心として取り上げられるようになったのは、規制緩和の動き、財政制約の顕在化等により住宅政策に市場重視の傾向がはっきりした段階以降であることも明らかになった。特に、大量に若年層が東京圏に流入してきた昭和40年代に、民営借家は政策的にはむしろ否定的な評価が与えられており、民営借家の供給により居住水準を向上させようという姿勢は強くなかった。

 東京圏に大量の人口が流入し、膨大な住宅需要を背景に住宅市場全体の基本的構造が形成される段階で、民間賃貸住宅に対しては政策的な力点が置かれないまま、単身世帯等の小規模世帯の膨大な需要に民営借家が対応してきたのである。そのことが、現在の市場の構造にも強く影響していると考えられる。

 本研究は、以上の側面から民間賃貸住宅市場の構造を分析し、規模の大きな民営借家の供給が少なかった理由は、借家法の制約というような単一の要因によるのではなく、これまでに形成されてきた多様な民間賃貸住宅市場の構造にあることを解明した。

審査要旨

 本研究の論文は、東京圏を対象に、ファミリーサ帯向けの規模を有する民営借家の供給が少なく、民営借家の規模が持家と比べて極めて小さいものにとどまっている要因を、民間賃貸住宅市場の構造の分析を通じて明らかにすることを目的として、東京圏における民営借家の状況を把握するとともに、市場構造に影響を与えていると思われる事項の分析、市場を支えている背景について、以下に示すように多様な観点から分析を行ったものである。

 (1)民営借家の規模が小さいものにとどまっている理由として、借家法の供給抑制効果が働いた結果であるとする見解がある。この見解は、「借家法の下では、借家人の居住権が過度に保護される結果、継続家賃は新規家賃より低くならざるを得ず、回転率が高く継続家賃の制約を受けることの少ない小規模借家に供給がシフトする。そのため、定住率の高いファミリー向けの借家は供給されない」というものである。ところが、民営借家の定住率は、住戸面積が大きくなるに従い高くなるという傾向は認められず、住戸面積に関わらず民営借家の定住率は低く、民営借家の定住率は居住世帯の世帯型に影響されている。本研究では、住宅統計調査を用いて、東京圏の中高層民営借家における定住率を測定することにより、この点を明らかにした。借家法の存在を理由として、民営借家の規模が小さいものにとどまっているのではないことを確認した上で、本研究では、民営借家の規模を小さいものにとどめている主要な要因を明らかにした。

 (2)需要者側から民営借家を見ると、東京圏には小規模な民営借家に対し膨大な需要量が存在したこと、規模の大きな借家に対して支払いうる家賃額に制約があること、給与住宅等規模の大きな借家が民営借家以外に存在したこと、強い持家志向が存在したことなどがあげられる。

 東京圏には、小規模な民営借家の主要な需要層と考えられる若年層が継続的に流入している。こうした需要に応える形で小規模な民営借家が大量に供給されてきた。

 借家居住者が支払いうる家賃額は、当該世帯の収入に左右されることは当然である。しかし、収入が高ければ高い家賃支出を続けうるかというと、そうではなく、収入の多少に関わらず持家を取得しうる程の高額の家賃(ローン支払額に匹敵する家賃)を支払い続ける場合は多くないと考えられる。本研究ではこの点を明らかにするなめ、特定優良賃貸住宅の契約家賃(市場家賃を規準として定められる)に関するデータを活用し、家賃単価は規模が大きくなると低下する傾向があり、家賃総額は規模に関わらず頭打ちの傾向があることを示した。

 また、規模の大きな民営借家の需要に対し影響を与えるものとして、給与住宅の存在について分析した。世帯人員が多く、かつ、高額の家賃を支払いうる層のがなりの部分が給与住宅に居住していること、また、給与住宅から他の所有形態の住宅に移るときは、民営借家へと向かわず持家取得へと向かっていることを明らかにした。

 持家志向については、持家志向が極めて強いこと並びに持家志向が形成された背景を明らかにした。我が国の強い持家志向の存在が民営借家に対する家賃支払い額を抑制し、規模の大きな民営借家の供給を抑えている原因の一つとなっていることを示した。

 規模の大きな借家は、借家経営者にとっても魅力的な存在ではない。市場家賃は住戸の規模が大きくなるに従い単価が下がり、家賃総額は頭打ちの傾向がみられる。固定費用等を考慮したとしても規模が小さいほど家賃単価は上がり、投資効率からは小規模な借家の方が有利であることを明らかにした。

 (3)さらに、本研究では、貸家経営者の状況を分析し、貸家経営者は自己の所有地を活用して生計費維持、節税対策等を目的に貸家経営に参入するのであり、小規模零細なものが大部分であることを明らかにした。このような貸家経営者の状況を前提にすると、規模の大きな借家供給へ向かうインセンティブは多くない。また、貸家経営は、土地をあらかじめ所有していることが前提であり、新たに土地を取得して企業として貸家経営を行うことは困難で、企業の投資としても規模の大きな借家供給のインセンティブは少ない。

 (4)民間賃貸住宅に対する政策的な位置づけについては、住宅宅地審議会の答申を手がかりに整理分析した。その結果、民営借家は政策的には長い間、改善すべき対象として考えられており、政策の重点は、公的賃貸住宅の適切な供給と持家取得へ向けた施策の整備に置かれてきたことが分かった。また、民間賃貸住宅が公的賃貸住宅に代わって賃貸住宅政策の中心として取り上げられるようになったのは、規制緩和の動き、財政制約の顕在化等により住宅政策に市場重視の傾向がはっきりした段階以降であることも明らかになった。特に、大量に若年層が東京圏に流入してきた昭和40年代に、民営借家は政策的にはむしろ否定的な評価が与えられており、民営借家の供給により居住水準を向上させようという姿勢は強くなかった。

 東京圏に大量の人口が流入し、膨大な住宅需要を背景に住宅市場全体の基本的構造が形成される段階で、民間賃貸住宅に対しては政策的な力点が置かれないまま、単身世帯等の小規模世帯の膨大な需要に民営借家が対応してきたのである。そのことが、現在の市場の構造にも強く影響している。

 本研究は、以上のように、多様な側面から民間賃貸住宅市場の構造を分析し、規模の大きな民営借家の供給が少ない理由は、単一の要因によるのではなく、これまで形成されてきた民間賃貸住宅市場の構造に起因していたことを解明した。このように総合的に、賃貸住宅市場について分析を深め、構造的に整理したことは都市住宅学上の重要な学問的貢献となっている。よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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