学位論文要旨



No 214342
著者(漢字) 中田,潮雄
著者(英字)
著者(カナ) ナカタ,ミチオ
標題(和) 塩害環境における建材用ステンレス鋼の耐銹性に関する研究
標題(洋)
報告番号 214342
報告番号 乙14342
学位授与日 1999.05.20
学位種別 論文博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 第14342号
研究科 工学系研究科
専攻 金属工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 辻川,茂男
 東京大学 教授 梅田,高照
 東京大学 教授 柴田,浩司
 東京大学 教授 前田,正史
 東京大学 助教授 篠原,正
内容要旨

 本研究は、「材料はステンレス鋼」、「環境は主に海洋性大気環境」における防食技術に関するものである。ステンレス鋼は建築用材料として有用な金属材料との認識の元に、適切に使用するための適材選定を目指した。そのため、発銹を支配するとみられた海塩の付着量に着目し、その実態解明のため建築物の実態調査を基本に進め、その事象を実験室試験によって再現や解析したことを特徴とする。

 第1章「序論」では、ステンレス鋼の耐銹性に関する研究経緯を概説し、本研究で取り上げた課題と特徴を述べた。

 本研究の視点と基本的立場は、建築物の部位による腐食環境の違いに注目し、発銹の支配因子は鋼表面の付着海塩量であるとの考えにある。

 第2章「国内各地におけるステンレス鋼屋根の耐銹性調査」では、これまで建築部材に多く使用されてきたSUS304の性能把握と留意すべき部位を抽出するため、体育館などの屋根の実態調査を初めて実施した。

 耐銹性の良否は、さびの有無とその程度に加え孔食深さであるが、これらは、地理的要因より、むしろ構造的部位の影響が極めて大きいことが明らかになった。すなわち、雨水により洗浄される部位はSUS304においても概ね良好な耐銹性を示していたが、雨水が当たり難い軒下部には顕著な発銹がみられた。また、雨水の当たる部位においても、雨水が溜まる平坦な形状の部位で、かつ、乾湿繰り返しが生じる境界にも目立った発銹が生じることが分かった。

 この腐食状況は、鋼表面の付着Cl-イオン量と対応しており、SUS304が目立った発銹となる量は約1mg/dm2以上であった。このほか、意外な実態として、避雷針などのCu製部材の溶出液が滞留する部位の腐食性が極めて高いことなどを解明した。これら建築物の実態を部位別に明らかにしたことが本章の最大の成果であり、部位に着目した耐銹性研究の重要性を喚起した。

 第3章「沖縄におけるSUS304,SUS316屋根の耐銹性調査」では、塩害地域の沖縄に絞り、建築物への付着海塩量の把握と、経験的に使用されてきたSUS316の耐銹性の実態を明らかにするため、SUS304を含む数ヶ所の屋根について、筑後約10年間にわたって孔食深さの変化などを追跡したことを特徴とし、以下の事実を明らかにした。

 その成果は、意外にもSUS304とSUS316で発銹程度に差がなく、SUS316は孔食深さが浅いことに優位性が認められたことである。両鋼ともに発銹が目立った部位は、平坦で雨水が乾湿繰り返しを生じる境界部であり、年々食孔の発生点数が増加することにより発銹が進んでいた。一方、雨水の溜まらない傾斜部では、海岸から10mの海直近を除けば発銹は軽微であり、数年経過後からは発銹が進む様子はなかった。孔食深さについて、約1ないし2年経過時点で発見された食孔の深さを以降追跡した結果、平坦部の乾湿繰り返し境界部の食孔は両鋼ともに約4年経過時点までは進展していたが、それ以降での進展はなく、約10年経過時点では板厚400mに対して、孔食深さはSUS316が約80m,SUS304が約120mであり、この孔食深さの経時変化も意外な事実であった。この他、屋根の傾斜角度と付着Cl-イオン量との関係が明らかになった。

 第4章「構造シミュレート体を用いる各種ステンレス鋼の建築物部位毎の耐銹性評価」では、沖縄などの塩害環境へ適用できるステンレス鋼の選定と、建築物の海岸からの距離による部位毎の付着海塩量との関係をより明確にするため、屋根や軒裏などの部位を有する構造シミュレート体を用いての暴露試験を沖縄ほか7ヶ所で行った。これに加え、他の金属建材(表面処理鋼板など)と変色や褪色特性を比較することにより、ステンレス鋼の建材としての総合性能を評価した。さらに、これらの結果から有望とみられた耐海水ステンレス鋼(20Cr-18Ni-6Mo-0.2N 鋼)について、実施工した屋根や試験用のテストハウスの軒裏および軒下(壁)部で、4〜5年間確証試験した。

 宜野湾市の海岸から50mにおける暴露試験では、SUS304とSUS316との発銹挙動を明らかにした。同一試験体による結果でも両鋼のさびの発生程度は同じであり、その原因はSUS316には浅くかつ小口径の食孔が多く発生することにより発銹点数が多くなるためであった。また、上記耐海水ステンレス鋼は、約5年経過後に海塩の結晶が生じていた構造シミュレート体の軒裏部においても発銹なく、浦添市(海岸から約3km)での試験による変色や褪色特性の調査でも、素材の中でもTi,AlおよびCuより優れることを確認した。

 この他、7ヶ所での暴露試験によって、雨水の当たる屋根部の付着Cl-イオン量は海岸からの距離によらず約0.1mg/dm2であること、一方、軒裏部は海岸からの距離が同じ50mの沖縄と鹿児島での比較においても、付着Cl-イオン量は沖縄が3倍近く高いこと、それは飛来Cl-イオン(海塩粒子)量に応じていることを解明した。また、これらの結果から、構造シミュレート体によって建築物の部位毎の耐銹性が適切に評価できることを確証した。

 第5章「滅菌処理水気相環境におけるステンレス鋼の耐銹性と腐食因子」では、発銹問題が深刻な屋内プールなどの塩素系薬剤による滅菌処理水の気相環境における適材選定と腐食因子の解析を行った。

 滅菌薬剤が次亜塩素酸ナトリウム(NaCl0)の場合、気相部に生じた結露水中にはCl-イオンの濃縮が、塩素(Cl2)の場合にはこれに加えpHの低下が生じ、滅菌剤の種類によって異なる実態を明らかにした。また、極めて重要な成果は、貯水槽による調査で塩素滅菌処理水の気相部結露水は、経過時間と共に、pH=-1.09-2.19 log[Cl-](mol/L)なる関係によってpHの低下とCl-イオンの濃縮が進み、これにCl0-やHCl0の酸化性種の存在と、水膜厚さの減少による電位貴化が関与しているなどを明らかにしたことである。このような環境には、上記耐海水ステンレス鋼が適用できることも明らかにした。

 第6章「高耐銹性フェライト系ステンレス鋼におけるTi添加による耐銹性向上機構」では、C,Nを低減した高純度フェライト系ステンレス鋼の靭性や溶接部の品質確保などに必須な安定化元素のうちTiについて、過去研究事例の無い工業生産規模の溶製材により、非金属介在物の溶解性や素地の不動態皮膜組成および電気化学的特性などを解析した。

 容量120トンの工業生産規模で溶製した17Cr鋼を用いてTi添加量の影響を調査した結果、Ti添加量とともに耐銹性が向上するのではなく、固溶Ti量が0.15%以上で耐銹性が向上し、これ未満の添加はむしろ耐銹性が劣化した。耐銹性が向上するTi添加量では介在物が不溶性となることに加え、Tiが不動態皮膜中に酸化物として存在することを突き止めた。この機構解明によりTiを活用し開発したYUS220M(新日本製鐵(株)鋼種名称)は工業的価値が認められ、沖縄を除く主に臨海地区の屋根や壁への適用が進んでいる。

 第7章「塩害環境における建築物への海塩付着量と推奨ステンレス鋼」では、第2〜4章までの結果に加え、建築物の特に軒裏や軒下の付着海塩量について詳細な調査を加えた。その内容は、同じ形状物の陸橋や地上からの高さが異なる軒裏部について付着海塩量を測定し、沿岸別の海岸からの距離との関係を解析した。この他、軒裏部の軒下(壁)部への影響範囲を降雨角度と関係づけて解析するなどによって、本研究の最大の目的でもある適材選定指針(案)を策定した。この成果は、建築関係者に適材選定指針として活用されるものである。

 第8章「総括」では、本研究で得られた結果をまとめ、その意義を総括した。

 本研究は、疑問点すべてに明確な回答を与えるものではないが、有用なステンレス鋼や新しい知見を多々提示し、建材分野での腐食損失抑制に大きく寄与し得た。

審査要旨

 本論文は、建材用ステンレス鋼が発銹することなく長期の耐久性を発揮する条件を、海塩などの付着物・建築物部位に着目して調査し、適正材料の選定法を提案したもので、全8章からなる。

 第1章「序論」では、ステンレス鋼の大気環境における耐銹性に関する内外の研究を調査した。従来の研究には、発銹の主因が鋼表面に現に付着している海塩などの付着物であるという基本的認識が欠けていたことを指摘している。

 第2章「国内各地におけるステンレス鋼屋根の耐銹性調査」では、汎用の304鋼で作られた北海道から沖縄までの17施設の屋根を調査し、地理的要因よりは構造的部位の影響が大きいことを指摘した。すなわち雨水による洗浄作用が働く屋根上は良好な耐銹性を示すが、それが期待できない軒下部は顕著に発銹することが多く、これらは鋼表面の付着Cl-量と対応することを示した。

 第3章「沖縄におけるSUS304・316屋根の耐銹性調査」では、316鋼製3施設と304鋼製1施設との屋根について、築後約10年間にわたって発銹の進行を調べ、また目印をつけた同一の食孔の深さを追跡した。304鋼とその上位鋼種とされてきた316鋼とで発銹程度には差がなく、また食孔深さは当初成長するが約4年以降はほぼ一定値にとどまる。316鋼は、この深さが304鋼の約2分の1であるという優位性は認められるが、沖縄での適材とはしえないと述べている。

 第4章「構造シミュレート体を用いる各種ステンレス鋼の建築物部位毎の耐銹性評価」では、屋根・軒先・軒裏(天)・軒下からなる構造シミュレート体を6鋼種で作成して沖縄ほか全国7ヶ所に暴露し、各鋼の部位毎の耐銹性と海塩付着量との関係を調べた。304・316鋼と22Cr-0.8Mo鋼は約1mg/dm2以上の付着Cl-量下に発銹するが、20Cr-18Ni-6Mo(YUS270)鋼は同100mg/dm2まで発銹しないことを明らかにした。さらに実施行屋根/テストハウスでそれぞれ約5/4年間の確証試験を実施して上述6Mo鋼が沖縄での使用に耐え、Tiより変色が少ないことを実証した。

 第5章「滅菌処理水気相環境におけるステンレス鋼の耐銹性と腐食因子」では、屋内プール・貯水槽における塩素系薬剤、次亜塩素酸ナトリウムNaClOおよび塩素Cl2、の影饗を調べた。気相部のステンレス鋼上に生じる結露水において、前者ではCl-の濃縮が、後者ではこれにpH低下が加わり、酸化性種(ClO-)の存在と水膜厚さの減少とがもたらす高酸化性条件下に発銹が進むことを明らかにした。

 第6章「高耐銹性フェライト系ステンレス鋼におけるTi添加による耐銹性向上機構」では、C,Nを低減した高純度フェライト系ステンレス鋼の靭性・溶接性改善に必要な合金元素Tiの耐銹性向上機構を、120トンの工業規模大型鋼塊において調査した。必要なTi添加量0.2mass%(固溶量として0.15%)は介在物をMnSからTiSへ、不動態皮膜組成をCr酸化物から(Cr,Ti)酸化物へ変えるに必要な値であることを明らかにし、22Cr-1.5Mo-0.2Ti-0.3Nb鋼(YUS220M)を開発した。

 第7章「塩害環境における建築物への海塩付着量と推奨ステンレス鋼」では、まず日本海・太平洋・瀬戸内海の沿岸と沖縄について、軒下(裏)での海塩付着量と海岸からの距離との関係を求め、ついで合目的的な陸橋を対象として沖縄での実地調査を重ねて地上高さとの関係を補完して、建築物への海塩付着量をおおよそ推測しうる線図にまとめた。これらと、各種ステンレス鋼の発銹下限界海塩付着量の実測値とを対比することで建築物の立地地域・部位毎の可使用鋼種の選定を可能にした。

 第8章は「総括」である。

 以上のように本論文は大気環境におけるステンレス鋼の発銹挙動を海塩付着量と建築物部位とに着目した手法により精力的に調査し、材料選定の有効な指針を明らかにした。これらの成果は材料環境工学の発展に寄与するところが大きい。

 よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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