学位論文要旨



No 214346
著者(漢字) 石川,史人
著者(英字)
著者(カナ) イシカワ,フミト
標題(和) 聴覚オドボール課題におけるP300の研究
標題(洋)
報告番号 214346
報告番号 乙14346
学位授与日 1999.05.26
学位種別 論文博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 第14346号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 新家,真
 東京大学 教授 宮下,保司
 東京大学 教授 上野,照剛
 東京大学 教授 中村,耕三
 東京大学 助教授 関根,義夫
内容要旨 1研究目的

 現在事象関連電位P300は、認知機能の生理学的指標としてその単純加算波形を基に、潜時と振幅を中心として論じられることが多いが、単一反応から論じた研究は少ない。P300単一反応は時々刻々と変化する大脳高次機能を電気生理学的にモニターすることを可能とするが、単一反応がどのような振る舞いをするか明らかでない。本研究の目的は健常成人に聴覚オドボール課題を用いて得られた覚醒時のP300単一反応及び加算波形に対し適応型相関フィルタ(adaptive correlation filter以下ACF)を原法とする相関フィルタを(以下CF)用いて高振幅単一反応の選択加算を行い、各加算波形の検討からP300単一波形特性の解明を目標とした。

 以下上記目的のため三つの実験を行った。

 実験1:同一条件でオドボール課題を複数回連続して行い、P300単一波形の特徴及びピーク潜時ジッターを求め、聴性誘発長潜時成分とP300との相関が求められるか検討した。更に波除去フィルタ(10Hz共振フィルタ)処理前後の比較を行い、その適否を調べ、併せてP300加算波形及び単一反応レベルの振幅再現性について調べた。

 実験2:CFで得られた単一反応ごとの相関値を基に頭皮上4部位の部位間相関を求め部位ごとのP300特性を調べた。更に青年群と中高年群を比較しP300の加齢変化を調べた。

 実験3:非標的P300(NT-P300)を従来の加算法に加えCFによる選択加算を行い、標的P300(T-P300)と比較しNT-P300の特性を検討した。

2研究方法

 対象はそれぞれ精神神経疾患の無い健常成人6名、15名、7名(年齢17-63歳)を対象とした。本研究のオドボール課題としては1kHz、80dBnHLを非標的音刺激、2kHz、80dBnHLを標的音刺激とし、呈示頻度を非標的80%標的20%としてランダムに与えた時のボタン押し反応を非標的一標的刺激の組み合わせで25回以上加算して調べた。記録には日本光電製ニューロパック8を用い、併せて実験中の全脳波は500Hzのサンプリング周波数でDRF-1によりAD変換され記録された。

 電極は国際10-20法により両耳朶連結を基準電極としてFz、Cz、Pz、Ozの4部位から単極導出し,併せて眼球運動電位(EOG)とボタン押し筋電図(EMG)も記録した。

 単一反応の解析法はCFを用い、単純加算波形と単一反応との相関値を求め、単一反応毎の潜時と振幅を推定した。加算波形の解析は頂点同定法により、刺激開始後50-150msの最大陰性成分ををN1、250-400msの最大陽性成分をP300、N1とP300間の最大陽性成分をP2、最大陰性成分をN2とした。NT-P300は末だ潜時が確立されていないため潜時200-400msの最大陽性成分とした。

3結果

 全被験者、全実験記録の覚醒水準について少なくとも睡眠stage1が連続して10秒以上続かず、頭蓋項鋭波も認めず、各記録中90%以上が覚醒段階と判定された。全記録において標的刺激への応答率は100%、誤答率は3%以内であり、アーチファクトの混入も少なく除外すべき反応は少数であった。三つの実験により以下の結果が得られた。

実験1:

 1)T-P300単一波形の特徴は、下降脚が急峻な陽性の非対象波形で持続時間約200ms、ジッター絶対値平均は27ms、S.D.14ms、であった。

 2)聴性誘発長潜時成分とP300との成分間相関は、波のみ除去することができず、解析困難であった。

 3)除去フィルタのP300への影響は聴性誘発長潜時成分に比べ少ないものの、単一波形上では振幅及び波形の非対象性の減少、ジッターの短縮、相関値の上昇が見られた。

 4)加算波形上の振幅では有意差の認められない被験者群においても、CFを用いた単一反応毎の解析により有意なP300相関値の低下を示す例が2/6例見られた。

実験2:

 1)頭皮上4部位のP300は潜時で有意差を認めず、振幅はPzが他の3部位より有意に大きかった。CFによる頭皮上部位間相関によると、FzとCzがPzとOzよりも有意に相関が高かった。

 3)青年群と中高年群の比較では潜時、振幅、振幅相関とも有意差は見られなかったが、総単純加算波形上ではN2、NSWに、Fz,OzではP300の潜時と振幅に異なった傾向が見られた。

実験3:

 1)非標的P300波形の特徴は、Fzで上昇脚が急峻、Pz,Ozでは下降脚が急峻な陽性の非対象波形で持続時間約200ms、ジッター絶対値平均は30ms、S.D.35ms、でT-P300との有意差は見られなかった。優位部位はT-P300と異なりPz、Cz、Ozでほぼ同振幅で、Czの平均潜時は約290msであった。

 2)CFを用いた選択加算法による非標的P300は標的P300よりその振幅が大きく、潜時は短縮していた。加算法による差として、SN比では総単純加算法が優れ、高振幅の波形を得るにはCFによる選択加算法が有効であった。従来から用いられている非漂的-標的刺激の組み合わせによる選択加算はT-P300には有効であるが、NT-P300では十分な振幅を得られない例が多かった。

 3)高振幅非標的P300の出現様態は呈示確率に従い、T-P300との関連は見られなかった。

4考察実験1:

 複数回の試行によるP300振幅変化は従来の研究結果と同様に個人差による相関値低下を示す例が見られた。しかし従来の手法である加算波形の振幅では有意さが見られなかったことより、単一反応ごとの解析はより微細な変化を捉えうる方法と考えられた。ACFをP300に用いた従来の研究では1次テンプレイトと各単一反応との相関係数が全体的に高く、除外すべき反応が少ないという報告が多数を占める。これは窓の設定が広く、かつ窓ずらし幅が大きいためP300以外の成分との相関を取っているか、除去フィルタ処理後波形のみの解析のため等と考えられる。またACFは膨大な解析時間を要するので、P300単一反応解析には原波形及び背景脳波の観察、除去フィルタの改善及びその特性を考慮した相関フィルタ法による高相関反応の選択加算法が妥当と思われた。

実験2:

 頭皮上4部位の部位間相関により、従来から提唱されているP3a、P3b等の部位別P300の特性を推定する手法が提案された。今後はP300の分類において加算波形の振幅、潜時、優位部位に加え部位間の相関値を比較することも重要と考えられる。

実験3:

 非標的P300は単一反応振幅の変動がT-P300のそれよりも大きく、選択する反応によっては振幅に有意差が見られた。よってCFによる高相関反応の選択加算はT-P300よりも重要と考えられる。潜時に関してはT-P300に比べ短潜時化が見られ、被験者によっては220msの場合もあり頂点同定は少なくとも200ms以降とすべきと考えられた。一方振幅に関しては標的P300よりも大きい反応が見られたことより、呈示確立と振幅の関係について従来の研究結果を再検討する必要があると考えられた。非標的P300の解釈については、FalkensteinらによるCz優位のP-SR(positivity in simple reactions)とPz優位のP-CR(positivity in choice reactions)の二つの成分の重なりと考えられ、T-P300はP-CR優位、NT-P300はP-SR優位によると考えられた。

全体の考察:

 P300単一反応同定に於いて最も問題となる点は単一反応振幅が背景脳波成分(波20〜50v等)より小さい点である。ACFではSN比が無限大(背景雑音が0)でないと推定波形は収束しない。またACFの原法では潜時補正を行って加算するので、P300を含まない脳波成分のみの記録でもP300加算波形をテンプレイトとすれば一見"P300"様の波形が得られ、高い相関の反応のみを潜時補正して選択加算すれば1次テンプレイトよりも高い振幅の波形が得られる可能性がある。従来のP300研究のACFでは原波形の観察をせずに除去フィルタを使用した為、誘発電位にとって本質的な特徴である波形の非対象性が失われており、また窓ずらし幅が広い為潜時変動も大きくなり、結果として相関値のみを基礎とした加算波形解析が主となり、単一反応解析は不十分であった。

 以上より本研究ではまず相関値の高い反応のみをジッター補正を行わずに選択加算してP300近似波形とし、検査者が各単一反応と比較してP300単一反応同定を行った。ただしこの手法によっても相関の低いあるいは振幅の低い反応は多分に恣意的な同定となる可能性があり、客観的な指標として相関係数の閾値(本研究では0.4以上)を設定し、単一反応同定基準を明確化すべきと考える。この基準について検査者が単一反応を視察する際、波が重なった原波形でも持続時間と頂点潜時は同定し易く検査者間の不一致も少ない。一方波形は波の影響が強く、従来のような帯域フィルタで波を除去すると変形が生ずる。またP300波形は隣り合うN2やSWの影響を受ける。本研究結果に照らすと標的刺激ではFz,Cz優位の高振幅なN2のためP300波形は下降脚が急峻な波形となるが、非標的刺激では逆に上昇脚が急峻な波形を呈する。つまりP300とその他の誘発成分の波形の変形の少ない除去フィルタの開発が必要である。また分離された波を解析することによりP300では捉えきれない微細な脳電気活動変化を捕らえうる可能性がある。将来このようなフィルタ処理が可能となれば、目的に掲げた大脳高次機能のモニタリングが可能となると思われる。

 本研究ではオドボール課題の標的刺激に対するT-P300と非標的刺激に対するNT-P300とを別々に解析し、各部位のP300の特性を検討した。Cz及びPzのP300は標的刺激と非標的刺激ともにPz優位のP-CR及びCz優位のP-SRとの重なりと考えられる。FzのT-P300は実験2の考察でP3aとの解釈を示したが、P3aの潜時は220-280msと短く、実験3の結果呈示確率の大きい(80%)N-TP300においても認められることからP-SR優位のCz-P300の波及と考えた。一方少なくとも標的刺激のOz-P300はP-CR優位のPz-P300の波及とすると明らかにFz-Cz間より部位間相関が低い。過去の研究ではOz-P300の報告が少なく比較検討は困難であるが、我々の結果によれば二つの仮説が考えられる。一つは波の影響である。Ozは波の優位部位であり単一反応はもとより、25回加算波形、更にそれらの総加算波形上でも波の残存が潜時と振幅に影饗を及ぼす可能性がある。もう一つはOz-P300がP3a,P3bあるいはPSWのような特異な下位成分を顕わしている可能性である。これら二つの仮説について本研究結果のみでは不充分であり、今後波除去フィルタの改善、課題の変更(無視条件等)、被検者の拡大(小児群、老年群)等が必要と思われる。

 単一反応解析を主眼とした本研究の纏めとして最も重要な点は、単一反応振幅の変動の問題である。即ち全刺激(非標的も含む)に対し認知及び運動応答(ボタン押ししないという反応も含めて)は正確に遂行されているにも関わらず、何故単一反応振幅のばらつきが生ずるのか。これは高振幅単一反応は如何なる条件で出現するのかという問題に帰着する。

 過去の研究によればT-P300の加算波形に関して刺激呈示確率が一定(20%)で刺激間隔が長い程(0.25-4S)振幅が大きく、刺激間隔が一定(1.5S)で呈示確率が低い程振幅が大きく、刺激間隔が充分長い場合(4S以上)は呈示確率によって影響を受けない。また局所確率効果の観点からは標的刺激に先行する非標的刺激が多い程T-P300振幅は大きくなる。以上を勘案するとT-P300単一反応は各標的刺激間隔が長い程(先行する非標的刺激数も多い程)高振幅となると考えられる。一方NT-P300単一反応は実験3で示した如くT-P300に比べ総刺激数に占める比率は低いものの高振幅な単一反応が存在し、その出現様態はT-P300と異なる。即ち先行する標的刺激直後のNT-P300は必ずしも高振幅とならず、相関上位20回の標的刺激に対する出現度数と全非標的刺激の標的刺激に対する出現分布の間で有意差は認められなかった。

 よってNT-P300は標的刺激との関連が少なく、非標的刺激それ自体に対する反応(P-SR)が主と考えられる。今後は標的、非標的を含む全刺激に対する高振幅反応の分布を調べP300単一反応の統一的な解釈を発展させたいと考える。

5まとめ

 本研究で得られた"P300"は基本的にオドボール課題のP300であり2秒以上の刺激間隔で標的、非標的ともにCFを用いた選択加算法により10v以上の陽性波が記録された。このP300には、反応選択に関わるPz優位のP-CRあるいはP3b、単純反応が主と考えられるCz優位のP-SR、FzではP-SRの波及ないしP3a、陽性slow waveや波の重なりが問題となるOz-P300等様々な下位成分が含まれていると考えられる。P300単一反応振幅は変動が大きく高振幅の反応は必ずしも多くないが、オドボール課題と従来の加算法は少なくとも標的刺激に対する反応には有効であった。しかし非標的刺激に関しては加算法によって有意な振幅差が見られた。これらを踏まえ今後は全刺激時系列解析、除去フィルタの改良、P300単一反応同定基準の設定により単一反応解析の発展が期待される。

審査要旨

 本研究は認知機能の生理学的指標として重要な事象関連電位P300のオドボール課題に焦点を当て、P300単一波形の特性を明らかにするため、適応型相関フィルタを原法とする相関フィルタによる解析を試みたものであり、下記の結果を得ている。

 1.P300単一波形の特徴は下降脚が急峻な陽性の非対称波形で持続時間約200ms、ピーク潜時変動〔ジッター〕絶対値平均は27ms、S.D.14msであった。波除去のために用いた10Hz共振フィルタは聴性長潜時成分も減衰させ、P300との成分間相関解析は困難であった。また共振フィルタのP300への影響については振幅及び波形の非対称性の減少、単一反応潜時ジッターの短縮、相関値の上昇という点が示された。また従来から行われてきた単純加算波形の振幅では有意差の認められない被検者群においても、相関フィルタを用いた単一反応ごとの解析により有意な相関値の低下を示す例が示された。

 2.記録部位によるP300の特性について、潜時で有意差を認めず、振幅ではPzが他の3部位より有意に大きかった。相関フィルタ法による頭皮上部位間相関の解析結果では、FzとCzがPzとOzよりも有意に相関が高かった。青年群と中高年群の比較では、潜時、振幅、部位間相関とも有意差は見られなかったが、総単純加算波形上ではN2,NSWに、Fz,Ozでは、P300の潜時と振幅に異なった傾向が示された。

 3.非標的P300波形の特徴は、Fzで上昇脚が、Pz,Ozで下降脚が急峻な陽性の非対称波形で、持続時間200ms、ジッター絶対値平均は30ms、S.D.35ms、で標的P300ジッターと有意差は認められなかった。優位部位は標的P300と異なりPz,Cz,Ozでほぼ同振幅であることが示された。相関フィルタによる高い相関値を示す単一反応を選択加算した非標的P300は単純加算の標的P300よりその振幅が大きく、潜時は短縮していた。同一データでも加算法により潜時と振幅で有意差が認められ、SN比では総単純加算法が、高振幅な波形を得るには相関フィルタによる選択加算法が優れていることが示された。高い相関を示す非標的P300単一反応の出現様態は刺激呈示確率に従い、標的刺激との関連は認められなかった。従って標的P300と非標的P300とは別々の機構により出現し、それぞれ異なる生理学的意味を持つ誘発反応と考えられた。

 以上、本論文は聴覚オドボール課題におけるP300において、相関フィルタを用いた単一反応levelの解析からP300単一反応波形の特徴を明らかにした。本研究はこれまで未知に等しかった、非標的P300の特徴も明らかにし、併せて単純加算法のみによる解析の問題点も指摘した。よって今後のP300単一反応解明に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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