学位論文要旨



No 214348
著者(漢字) 稲森,英明
著者(英字)
著者(カナ) イナモリ,ヒデアキ
標題(和) ヒト散発性大腸がんにおける高頻度かつ複数のミニサテライト変異
標題(洋) Frequent and Multiple Minisatellite Mutations in Sporadic Human Colorectal Cancers
報告番号 214348
報告番号 乙14348
学位授与日 1999.05.26
学位種別 論文博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 第14348号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 小俣,政男
 東京大学 教授 徳永,勝士
 東京大学 助教授 小池,和彦
 東京大学 講師 真船,健一
 東京大学 講師 白鳥,康史
内容要旨

 ミニサテライト(以下MN)は5-100ヌクレオチドを繰り返し単位とし、0.5-30kbpの長さを持つサテライト配列で、脊椎動物のゲノム中に広く分布し、別名VNTR(Variable Number of Tandem Repeat)とも呼ばれる。一部のMNは生殖細胞での変異率が高く、減数分裂時に繰り返し単位の個数が変化することにより個体間で高い多型性を保っている。またMNの一部は組み換えタンパクの認識部位であり、recombination hot spotとなっている。繰り返しの個数変化及び組み換えによる変異はいずれもSouthern blot法にて効率よく検出される。種々のヒト腫瘍においてMN変異が報告されているが、いずれも少数例であり、またそれぞれの腫瘍における変異の個数及び変異の個数と腫瘍のstage或いは分化度との関連については十分に検索されていない。一方MNより短い繰り返し単位(1-4ヌクレオチド)と200bp以下の長さを持つマイクロサテライトに関しては、その変異がHNPCC(Hereditary Nonpolyposis Colorectal Cancer)のみならず散発性大腸腫瘍においても遺伝子不安定性をもたらし、発がんに関与していると考えられており、またマイクロサテライト変異を生じる機構はミスマッチ修復遺伝子の変異であることが明らかになっている。しかし腫瘍でのMN変異誘発機構とマイクロサテライト不安定性(MSI)との関連については十分に検討されていない。

 本研究ではヒト散発性大腸がん34例および散発性胃がん24例の手術サンプルにおけるMN変異頻度を3種類のMNプローブ(図1)を用いたDNAフィンガープリント法にて解析した。代表例を図2に、各プローブで検出されたMN変異頻度及び合計変異頻度を表1に示す。大腸がんの19例(56%)、胃がんの6例(25%)においてMN変異が認められ、大腸がんにおいて有意に高頻度であった。次に各腫瘍における変異の個数を解析した。図3に示すように同一の変異が2種類以上のプローブで認識されている場合は1個の変異とみなし、各サンプルでの変異の個数を決定し、その分布を図4に示した。大腸がんでは0個と4個を中心とした2つのピークが見られたが、胃がんでは0個を中心とした1つのピークのみが見られた。変異の個数を1個以下と複数個に分類したところ(表2)、複数個のMN変異を有する例が大腸がんでは11例(32%)、胃がんでは2例(8%)と大腸がんで有意に高頻度であった。さらに変異の個数と腫瘍のstage及び分化度との関連を解析したが、相関は見られなかった(データは示さず)。

 さらに大腸がんサンプルを用いてマイクロサテライト変異の解析を行い、MN変異との関連について検討した。マイクロサテライト12lociをPCRにて増幅し9-12lociを検索したところ32例中2例においてMSIが認められたが、1例はMN変異を有さず、他の1例は4個のMN変異を有していた(表3)。またMSI(+)の大腸がん症例2例はともに右側結腸がんであったのに対しMSI(-)の大腸がん29例中右側がんは4例のみで、MSI(+)の大腸がん症例においては右側がんが有意に高頻度であった。しかし複数のMN変異を有する症例と0または1個のMN変異を有する症例との間では右側がんの頻度に差はなかった。

図表図1 MNプローブの塩基配列 MN配列の両側にはlocus特異的配列が近接する。 / 図2 ヒト手術サンプルのDNAフィンガープリント解析 1,2,4:大腸がん 3:胃がん T:がん部 N:非がん部1:MN変異なし MN変異は以下の3種類に分類した。new band(),band deletion(),shifted band() / 表1 ヒト大腸がん・胃がんにおけるMN変異頻度 Pe-1,33.15及び3種類のプローブの合計においてMN変異頻度は大腸がん症例において胃がん症例よりも有意に高かった。大腸がん症例の7例は2種類のプローブで変異が検出され、2例は3種類のプローブで変異が検出されたため、大腸がんにおいてはそれぞれのプローブで検出された変異頻度の単純合計は3種類のプローブの合計変異頻度に一致していない。図表図3 複数のMN変異を有する大腸がん症例での3種類のプローブを用いたフィンガープリント解析 Pc-1及び33.6で検出される2kbより短いnew band()は同一塩基長のため1個の変異とみなした。この例では独立したMN変異は4個である。即ち1個のshifted band()と3個のnew band()である。 / 図4 大腸がん及び胃がんにおけるMN変異の分布 各症例における独立したMN変異の個数を決定した。大腸がん症例では0個と4個の付近にそれぞれピークが見られる。 / 表2 ヒト大腸がん・胃がんにおける複数のMN変異 大腸がんでは2個以上のMN変異を有する頻度が胃がんに比して有意に高かった。 / 表3 マイクロサテライト変異及びMN変異と症例の臨床病理学的背景

 これらの結果からヒト大腸がんにおいてはMNの繰り返しの個数変化及びMN座位での組み換えが高頻度かつ多重に生じているが、ヒト胃がんではこれらのMN変異が多重に見られる症例はまれであると言える。MNのいくつかは遺伝子の上流または下流にあってその発現を調節していることが知られており、大腸がんにおける複数のMN変異とそれに近接した遺伝子の発現異常が発がんに関与している可能性が示唆される。今井らはDNA-dependent protein kinase catalytic subunit(DNA-PKcs)の欠損したScidマウス由来の線維芽細胞は著しいMN不安定性を呈することを示しており、このScidマウスは大腸発がん物質のazoxymethaneに対し高感受性を有する。木南らはメチルコラントレンにより誘発されたマウス肉腫がMN不安定性を呈し、これがc-myc amplificationおよびK-ras mutationと相関していたと報告している。本研究で明らかになった複数のMN変異を有する大腸がん症例のうち多数の変異を持つ例ではMN不安定性の獲得が発がんに関与している可能性がある。また複数個のMN変異を誘発する機構はMSIを生じる機構とは別であると考えられ、複数個のMN変異を有する症例とMSIの症例とでは腫瘍の局在が異なっていた。今後変異を生じているMNの特定と複数のMN変異を生じる機構の解明を行っていく予定である。

審査要旨

 ミニサテライト(MN)は5-100ヌクレオチドを繰り返し単位とし、0.5-30kbpの長さをもつサテライト配列であるが、ヒト腫瘍におけるMN変異すなわちMNの繰り返しの個数変化及びMN座位での組み換えの役割については未だ不明であり、MN変異誘発機構とマイクロサテライト不安定性(MSI)との関連についても十分に検討されていない。本研究は(1)ヒト散発性大腸がん・胃がんにおけるMN変異の個数・頻度及び変異の個数と腫瘍のstage或いは分化度との関連について検討すること、(2)MN変異とMSIの関連を検討すること、を目的とし、下記の結果を得ている。

 1.ヒト散発性大腸がん34例および散発性胃がん24例の手術サンプルにおけるMN変異頻度を3種類のMNプローブを用いたDNAフィンガープリント法にて解析した。大腸がんの19例(56%)、胃がんの6例(25%)においてMN変異が認められ、大腸がんにおいて有意に高頻度であった。

 2.各腫瘍における変異の個数を決定しその分布を調べたところ、大腸がんでは0個と4個を中心とした2つのピークが見られたが、胃がんでは0個を中心とした1つのピークのみが見られた。変異の個数を1個以下と複数個に分類すると、複数個のMN変異を有する例が大腸がんでは11例(32%)、胃がんでは2例(8%)と大腸がんで有意に高頻度であった。

 3.変異の個数と腫瘍のstage及び分化度との関連を解析したが、相関は見られなかった。

 4.大腸がんサンプルを用いてマイクロサテライト変異の解析を行い、MN変異との関連について検討した。マイクロサテライト12lociをPCRにて増幅し9-12lociを検索したところ32例中2例においてMSIが認められたが、1例はMN変異を有さず、他の1例は4個のMN変異を有していた。またMSI(+)の大腸がん症例2例はともに右側結腸がんであったのに対しMSI(-)の大腸がん29例中右側がんは4例のみで、MSI(+)の大腸がん症例においては右側がんが有意に高頻度であった。しかし複数のMN変異を有する症例と0または1個のMN変異を有する症例との間では右側がんの頻度に差はなかった。

 以上、本論文はヒト大腸がんにおいてはMNの繰り返しの個数変化及びMN座位での組み換えが高頻度かつ多重に生じているが、ヒト胃がんではこれらのMN変異が多重に見られる症例はまれであること、MNの個数は腫瘍のstage及び分化度とは関連がないことを明らかにした。これらのことから多数のMN変異を有するヒト大腸がん症例ではMN不安定性の獲得が発がんに関与している可能性が示唆された。また本論文は複数個のMN変異を誘発する機構はMSIを生じる機構とは別であると考えられることを明らかにした。

 本研究の成果がヒト腫瘍におけるMN変異の意義解明に果たした役割は重要であり、学位の授与に値するものと考えられる。

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