学位論文要旨



No 214349
著者(漢字) 折井,亮
著者(英字)
著者(カナ) オリイ,リョウ
標題(和) アセチルコリン肺血管拡張作用におけるムスカリンレセプタサブタイプの同定とそのメカニズムの検討
標題(洋)
報告番号 214349
報告番号 乙14349
学位授与日 1999.05.26
学位種別 論文博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 第14349号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 高本,眞一
 東京大学 教授 井街,宏
 東京大学 助教授 森田,寛
 東京大学 助教授 田上,恵
 東京大学 講師 森山,信男
内容要旨 背景と目的

 アセチルコリン(ACh)とムスカリンレセプタ(M)は、刺激伝達物質とレセプタの存在が最初に明らかになった歴史的な物質であるが、その構造や機能には現在でも不明な点が残されている。1980年、Furchgottらはアセチルコリンによる兎の大動脈の弛緩反応が内皮依存性であることを発見し、血管内皮由来の弛緩因子(EDRF:endothelium derived relaxing fator)を放出することを示唆した。現在では、アセチルコリンによるムスカリンレセプタの活性化の結果、血管内皮より放出された一酸化窒素(NO)が血管平滑筋を弛緩すると考えられている。体血管に比較して血管収縮拡張の二相性の反応を有する肺循環に関してムスカリンレセプタに関する報告は限られており、アセチルコリンの肺血管拡張作用に関して肺灌流標本を使用したムスカリンレセプタの同定に関して評価は確立していない。

 本研究の目的は、第一に兎肺灌流実験モデルにおいてアセチルコリンの肺血管拡張作用に関して用量反応曲線を明確にし、さらに評価の定まっていない肺血管拡張作用を司るムスカリンレセプタのサブタイプを3種類の選択的拮抗薬を使用して薬理学的に同定した。第二にdouble vascular occlusion法を用いて肺毛細血管圧(Pc)の測定を行い、全肺血管抵抗を肺動脈側および肺静脈側に分割して評価し、レセプタの分布を検討した。第三にアセチルコリンの肺血管拡張作用とNOとの関係を検討した。本研究ではNO検出定量化のためにグリース法を使用し、灌流液中のNO代謝産物を直接定量化し肺血管拡張作用との関連を検討した。

研究方法1.兎肺灌流実験モデル

 本研究は、体重2.5〜3.5kgの雌雄の家兎(日本白兎)計55羽を使用した。肺の灌流は、3%牛アルブミン含有クレブス液を使用し、50ml/minの定常流再灌流方式とした(図1)。換気設定は、VT10ml/kg,RR5/min,Ppeak10〜12cmH2O,PEEP2.5cmH2Oで行い、95%空気と5%CO2の混合ガスで換気した。気道内圧(Paw)、肺動脈圧(Ppa)、左房圧(Pla)を常時測定し、また、double vascular occlusion法を使用して肺毛細血管圧(Pc)を測定した。データは、MacLab(ADinstruments社)を用いて解析を行った。左房圧(Pla)は常時4mmHgとなるように設定し、灌流肺をWestのzone IIIの状態(Ppa>Pla>Paw)に維持した。インドメタシン(30M)をAChの肺血管収縮作用を消失するために灌流液に添加した。

図1
2.U46619投与により作製した肺高血圧に対するアセチルコリンによる肺血管拡張作用

 全9羽の兎を50ml/minの灌流流量でPaw、Ppa、Pla、Pcのベースラインの圧測定を行った。次にトロンポキサンA2類似薬U-46619持続投与による安定した肺高血圧の状態(Ppa:25〜26mmHg)において圧測定(対照値)を行い、AChを5用量(10-8,3*10-8,10-7,3*10-7,10-6M)を順次投与し、各測定を行った。

3.アセチルコリンによる肺血管拡張作用に対する選択的ムスカリンレセプタ拮抗薬の影響

 全28羽の兎を4群に分け実験を行った。安定した肺高血圧の状態で圧測定(対照値)を行い、次にACh(2*10-7M)投与により生じた肺血管拡張作用に対して生埋食塩水もしくは3種類の選択的ムスカリンレセプタ拮抗薬を6分間隔で順次4回投与を行い、その拮抗作用を検討した。肺血管拡張作用に個体差が存在する為、肺動脈側に及ぼす影響に関しては拮抗薬投与による肺動脈側抵抗値の増加分(B2)をACh投与による減少分(B1)で除したB2/B1比を用いて評価した。肺静脈側においては抵抗値(mmHg/l/min)で評価した。

 3.1.生理食塩水群(生食)(n=7)

 生理食塩水(3ml)を6分間隔で4回投与を行った。

 3.2.選択的M1拮抗薬群(ピレンゼピン)(n=7)

 ピレンゼピン4用量(20nM,100nM,500nM,1000nM)を順次投与した。

 3.3.選択的M2拮抗薬群(メトクトラミン)(n=7)

 メトクトラミン4用量(100nM,500nM,2500nM,4000nM)を順次投与した。

 3.4.選択的M3拮抗薬群(4-DAMP)(n=7)

 4-DAMP4用量(0.2nM,1nM,5nM,10nM)を順次投与した。

4.肺灌流圧および灌流液中のNO代謝産物に対する影響

 全14羽の兎を3群に分け実験を行った。ペースラインの圧測定、及び、検体(灌流液1ml)採取を行った。次にU46619投与による安定した肺高血圧の状態で対照の圧測定及び検体採取を行い、続いて生埋食塩水(3mlを3回)ないしACh2用量(10-7M及び10-6M)を6分間隔で投与し、各測定を薬物投与5分後に行った。4-DAMP投与群では、肺高血圧の状態において4-DAMP10nMを投与5分後にACh2用量(10-7M及び10-6M)の投与を行った。

 4.1.生食群(n=3)

 4.2.ACh投与群(n=5)

 4.3.4-DAMP(10nM)前処置群(n=8)

5.NOアッセイ

 灌流液のnitrate及びnitrite測定は、グリース反応後に540nmの吸光度波長において比色検定を行った。グリース反応には、Cayman Chemical社製のnitrate/mitriteアッセイキットを使用した。

6.統計学的検定

 統計学的検討はstudent’s t検定、及び、分散分析を使用し、P<0.05を有意とした。Stat view4.0(Abacus Concepts社製)を使用し、統計及び計算処理を行った。

実験結果1.U46619投与による肺高血圧状態下でのアセチルコリンの肺血管拡張作用

 U46619投与により総肺血管抵抗は有意に上昇した。肺動脈側抵抗値及び肺静脈側抵抗値のいずれも有意に上昇した。さらにACh投与により用量依存性に総肺血管抵抗値の低下を認め10-7Mで最大拡張効果を認め以後変化は認められなかった。総肺血管抵抗値の低下において肺動脈側抵抗値の有意な減少を認めたが肺静脈側抵抗値には認められなかった。AChによる肺血管拡張作用は主に肺動脈側を拡張し、肺静脈側には影響を及ぼさないことが判明した。

2.アセチルコリンによる肺血管拡張作用に対する選択的ムスカリンレセプタ拮抗薬の影響i)選択的ムスカリンレセプタ拮抗薬の肺動脈側に対する影響

 いずれの拮抗薬もACh(2*10-7M)による肺動脈側における肺血管拡張作用を用量依存的に拮抗した。AChによる肺血管拡張反応を50%抑制する選択的ムスカリンレセプタ拮抗薬の濃度(EC50)は、ピレンゼピン:2.51*10-7M,メトクトラミン:1.25*10-6M,4-DAMP:1.58*10-9Mであった。

ii)選択的ムスカリンレセプタ拮抗薬の肺静脈側に対する影響

 いずれの拮抗薬も肺静脈抵抗値に対し影響を及ぼさないことが判明した。

3.肺灌流圧および灌流液中のNO代謝産物に対するアセチルコリン投与の及ぼす影響

 ACh(10-7,10-6M)投与による肺灌流圧減少にともないNO代謝産物の灌流液中濃度は有意に増加した。一方、4-DAMP(10nM)による前処置を行った場合には、ACh投与により肺灌流圧は有意な変化を認めず、NO代謝産物の灌流液中濃度も同様に変化を生じていない。また、生埋食塩水群においては肺灌流圧およびNO代謝産物の灌流液中濃度に関していずれも変化を認めなかった。

考察

 肺灌流標本は摘出肺血管の切離標本に比較して生理的血圧に近い灌流圧で血管を長時間灌流できる安定した実験系である。また、標本採取時の血管の損傷も少なく、血管の内膜側からの薬物作用を選択的に観察が可能である利点がある。しかし、灌流系であるため投薬した薬物の影響を完全に除去することが困難であり、繰り返し実験を行うことには適していない。従って使用される作動薬および拮抗薬の種類の選択が不十分になりやすく、投薬の用量設定が限られてしまうため用量反応曲線を示しにくい。本研究においては、用量反応曲線を明確にしたうえで使用可能な3種類の選択的拮抗薬を用いてサブタイプを薬理学的に同定した。

 選択的M1及びM2拮杭薬に比較して選択的M3拮抗薬の4-DAMPが非常に低濃度でアセチルコリンの肺血管拡張作用を拮抗したことから、M3レセプタを介していると考えられる。同時にアセチルコリンによる肺血管拡張作用は肺動脈側のみ生じていることが判明した。兎肺灌流標本においてアセチルコリンの肺血管拡張作用を生じるM3レセプタは肺動脈側に優位に存在することが想定できる。更に、NO合成酵素阻害薬を使用して間接的に示唆されているアセチルコリンのNOによる肺血管拡張作用に関して、グリース法を利用してNO代謝産物を直接定量化し検討した。アセチルコリン投与による肺血管拡張作用に伴い灌流液中のNO代謝産物濃度は有意に増加していることが判明した。また、4-DAMP前処置群においては、肺灌流圧及びNO代謝産物の灌流液中濃度の変化を認めなかった。従って、アセチルコリンによる肺血管拡張作用はM3レセプタを介して産生された一酸化窒素(NO)により生じていると考えられる。

 レセプタの研究は、対象となる疾患を選択的に治療する副作用の少ない薬物の開発へつながる。本研究でのアセチルコリンによる肺血管拡張がM3を介しているという新知見が副作用の少ないM3受容体の特異的活性薬の開発につながる可能性があり、NO吸入療法以外に有効な治療法のない種々の病態の肺高血圧症の治療においての応用が期待できる。

まとめ

 兎肺灌流標本におけるアセチルコリンによる肺血管拡張作用は、肺血管の肺動脈側に存在するM3レセプタを介して産生された一酸化窒素(NO)により生じることが判明した。

審査要旨

 本研究は、副交感神経系のコリン作動性ニューロンの神経伝達物質であるアセチルコリンの肺血管トーヌスの調節における役割を明らかにするため、兎肺灌流実験系にて、アセチルコリン肺血管拡張作用におけるムスカリンレセプタサブタイプの同定とそのメカニズムの検討を行ったものであり、下記の結果を得ている。

 1.兎肺灌流実験モデルを用いてアセチルコリンの肺血管拡張作用をつかさどるムスカリンレセプタのサブタイプを3種類の選択的拮抗薬を使用して薬理学的に同定をした。選択的M1及びM2拮抗薬に比較して選択的M3拮抗薬の4-DAMPが低濃度でアセチルコリンの肺血管拡張作用を拮抗したことから、この反応はムスカリンレセプタサブタイプ3(M3)を介していると考えられる。同時に肺毛細血管圧の測定により肺動静脈の各セグメントで肺血管抵抗を評価した結果、アセチルコリンによる肺血管拡張作用は肺動脈側のみに生じ、さらにこの肺動脈拡張反応は4-DAMP投与により拮抗されることが判明した。従って、アセチルコリンによる肺血管拡張作用に関与するM3レセプタは肺動脈を中心に分布していると考えられる。

 2.従来NOの作用によると考えられているアセチルコリンの肺血管拡張作用について灌流液中のNO代謝産物をグリース法にて直接定量化し検討した。この結果、アセチルコリンによる肺血管拡張作用に伴いNO代謝産物の灌流液中濃度は有意に増加していることが判明した。4-DAMPを使用して前処置した場合には肺血管拡張作用は認められず、同時にNO代謝産物の灌流液中濃度も変化を認めなかった。アセチルコリンによる肺血管拡張作用は肺動脈を中心に分布するM3レセプタを介して産生された一酸化窒素(NO)により生じていると考えられる。

 以上、本論文は兎肺灌流標本におけるアセチルコリンによる肺血管拡張作用は、肺血管の肺動脈側に存在するM3レセプタを介して産生された一酸化窒素により生じることを明らかにした。本研究は不明の点の多い肺血管内圧のトーヌスの調節機序の解明に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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