高齢化が進展し、脳血管障害、脳神経変性疾患、老年期痴呆の罹患患者が増加し、脳病変の進行による知的機能の低下と共に、情緒障害、意欲低下、注意障害、睡眠障害、問題行動等の様々な精神神経症状が発現する。この内、せん妄、徘徊、攻撃的行為、精神興奮などの問題行動は、看護や介護を著しく困難にするため、問題行動に有効な薬物は極めて有用性が高い。 脳血管障害後遺症性精神症候の治療薬の一つに、aniracetamがある(図1)。Placeboを対照とした二重盲検比較試験において、情緒障害(不安・焦燥、抑うつ気分)、睡眠障害、問題行動(せん妄、夜間徘徊)に対するその有用性が証明されている。適切な動物病態モデルが不在なため、その作用機序の解明や臨床効果を支持する動物実験成績は至って乏しい。 図1 Aniracetam(1-p-anisoyl-2-pyrrolidinone)の化学構造 本研究では、初めにせん妄の病態動物モデルの開発を試み、次に開発したせん妄モデルと既存の幻覚モデルに対するaniracetamの有効性を、行動薬理学的に検討した。さらに、acetylcholine(ACh)神経系の異常を呈する脳卒中易発症性高血圧自然発症ラット(SHRSP)を用い、臨床効果と関連した中枢ACh神経系への作用部位を特定するため、神経化学的検討を行った。当薬物は生体内で速かに加水分解されるため、脳内活性成分はこれまで不明であった。それ故、本研究は、主要代謝物(N-anisoyl-GABA,p-anisic acid,2-pyrrolidinone)に対しても行動薬理学的・神経化学的評価を行い、活性責任成分の解明を目指した。 Scopolamine(0.3mg/kg i.p.)による中枢ムスカリン性ACh受容体の遮断やapomorphine(0.1mg/kg s.c.)によるdopamine(DA)D2自己受容体の刺激は、初老期ラットによる選択反応遂行課題において、選択反応時間を延長し(反応速度の低下)、正反応率を減少し(正確性の低下)、無反応率を増加した(表1)。これら行動指標の悪化は、食欲や運動能力の変化ならびに記憶機能の低下を伴わず、行動心理学的には覚醒度や清明度の低下と注意能力(選択性、保続)の欠損を示唆し、脳血管障害や脳神経変性疾患を伴った老齢患者に多発するせん妄症状や精神錯乱と類似していた。それ故、scopolamine,apomorphine両モデルは、せん妄や意識変容状態の有用な動物病態モデルとみなされると共に、せん妄の発症に中枢ムスカリン性ACh神経系やDA神経系の機能異常が深く関与していることが推定された。 精神機能障害改善薬aniracetam(10,30mg/kg p.o.)の急性投与は、これらせん妄モデル(注意・覚醒障害)におけるせん妄類似症状を効果的に改善した(表1)。本結果は、痴呆を伴った慢性期脳血管障害やアルツハイマー病、パーキンソン病、進行性核上性麻痺患者の問題行動(せん妄、夜間徘徊)や認知障害に対するaniracetamの臨床的有用性を、初めて実験的に証明したと言える。その効果は注意・覚醒機能の亢進作用や視覚情報処理の促進作用を含んでいると考えられる。代謝物のN-anisoyl-GABAとp-anisic acidはscopolamineモデルで(表1)、一方、2-pyrrolidinoneとN-anisoyl-GABAはapomorphineモデルで各々改善作用を示した。 表1 せん妄のscopolamineモデルにおける各種薬物の作用 Serotonin(5-HT)前駆体の5-hydroxytryptophan(5-HTP)や5-HT2A/2C受容体作動薬のDOIによって誘発される齧歯類の首振り行動(HTR)は、ヒトの幻覚モデルとみなされている。Aniracetamの急性投与は、これらHTRを用量依存的(10-300mg/kg p.o.)に抑制し、その抑制作用は代謝物のp-anisic acidにより模倣された。Scopolamineは最小有効用量の5-HTPによるHTRを中枢性に増強し、aniracetam,tacrine,ritanserinは、効果的にこの増強反応を抑制した。本研究結果は、せん妄症状(幻覚、幻視)の発現に5-HT神経系の過剰興奮(5-HT2A受容体の活性化)が存在し、ACh神経系が抑制的に関与していること、aniracetamはこの抑制性ACh神経系を賦活し、5-HT神経系を間接的に調節していることを示唆している。 多発性脳梗塞や注意欠陥障害の病態動物モデルであるSHRSPは、同週齢の正常血圧対照詳(WKY)と比較して視床網様核のACh基礎遊離量が約1/3に著減し、橋・中脳、視床ならびに海馬のcholine acetyltransferase(ChAT)活性も減少していた(表2)。これら中枢ACh神経系の欠損は、脳血管性痴呆や脳神経変性疾患患者の脳内の神経化学的変化と一致しており、精神症候(注意、集中、意欲等の障害)や睡眠障害、問題行動との強い関連性が推定された。Aniracetam代謝物のN-anisoyl-GABAとp-anisic acidのin vivoマイクロダイアリシス法による脳内局所潅流(0.1,1M)は、SHRSPの視床網様核(図2)、背側海馬、皮質前頭前野のACh遊離を遅発性に亢進した。しかし、aniracetam原薬や2-pyrrolidinoneは、亢進作用を全く示さなかった。一方、ACh神経細胞体(Ch5)が局在する中脳脚橋被蓋核へのN-anisoyl-GABAの微量注入(1 nmol)は、神経終末部の視床網様核でのACh遊離を遅発性に亢進し、その神経経路の細胞体と終末部の双方に作用点を有していた。本結果は、aniracetamがN-anisoyl-GABAとp-anisic acidを介して広汎に中枢ACh神経系に作用し得ること、その作用機序にACh遊離亢進進作用があることを証明した。遊離亢進機序として、イオン調節型もしくは代謝調節型glutamate受容体の関与が推定された。また、生体内動態や行動学的結果から、N-anisoyl-GABAがaniracetamの臨床効果に貢献する主要な脳内活性成分であることが示唆された。 図2 N-Anisoyl-GABA,p-anisic acidによる視床網様核のACh遊離亢進作用Means±S.E.★P<0.05 vs vehicle control. SHRSPへのaniracetamの反復投与(50mg/kg p.o.x11)は、WKYより低値であった橋・中脳、視床ならびに海馬のChAT活性を増加し、特に視床で優先的賦活化作用を認めた。一方、線状体のChAT活性は、逆に抑制された(表2)。WXYへの反復投与は、いずれの部位にも影響しなかった。中脳脚橋被蓋核(Ch5)と橋背外側被蓋核(Ch6)に起始するACh作動性の中脳橋網様核一視床経路と非ACh作動性の視床-新皮質経路は、意識・覚醒水準や注意機能、モティベーションの調節、レム睡眠の誘導・維持に重要な役割を担っている。それ故、この上行性網様体賦活経路の障害が覚醒・睡眠機構を撹乱し、意識水準や認知機能を変化させ、せん妄をもたらす可能性は高い。本研究結果は、aniracetamの反復投与が神経活性の減弱したACh作動性の中脳橋網様核-視床経路を、選択的に賦活することを示した。本結果はまた、パーキンソン病にも有用なaniracetamの抗パーキンソン作用機序への実験的根拠も示唆している。 表2 SHRSPの脳内ChAT活性(pmol ACh/min/mg protein)とaniracetamによる増加作用 初老期ラットを使用して、臨床症状(注意・覚醒障害)を摸倣する有用なせん妄モデルを確立した。また、各種精神機能障害モデルを用いた行動薬理学的、神経化学的評価より、aniracetamの抗せん妄作用は、その主要代謝物が相加的もしくは協同的に担っていると推定された。すなわち、N-anisoyl-GABAとp-anisic acidはACh遊離を介して抗scopolamine作用と抗5-HT作用に、また、2-pyrrolidinoneとN-anisoyl-GABAはACh神経系の賦活化作用とは独立した、おそらく線状体でのDA遊離を介して、抗apomorphine作用に貢献していると考えられる。Aniracetamは臨床的に長期服用を必要とすることから、ACh作動性中脳橋網様核-視床経路がその主要な中枢作用部位と示唆された。機能的には、患者の意識・覚醒水準を高め、視覚情報処理や認知機能を向上し、注意寿命を延長することにより、以って脳血管障害性精神機能障害(せん妄、夜間徘徊等の問題行動ならびに睡眠障害)を有効に治療し得ると推察される。 |