学位論文要旨



No 214361
著者(漢字) 露木,義
著者(英字) Tsuyuki,Tadashi
著者(カナ) ツユキ,タダシ
標題(和) 降水量データを用いた熱帯大気の4次元変分法によるデータ同化
標題(洋) Four-dimensional Variational Assimilation for the Tropical Atmosphere Using Precipitation Data
報告番号 214361
報告番号 乙14361
学位授与日 1999.06.14
学位種別 論文博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 第14361号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 木本,昌秀
 東京大学 教授 住,明正
 東京大学 助教授 新野,宏
 東京大学 助教授 松田,佳久
 東京大学 助教授 安田,一郎
内容要旨 1.はじめに

 データ同化は数値天気予報の初期値を作成する方法として1960年代末に導入されたもので、ある系の現在の状態を推定するのに、現在の観測データを用いるだけでなく、数値モデルを用いて過去の観測データの持つ情報を現在に伝え、それによって精度の高い推定値を得る方法である。最近注目されている高度なデータ同化法として4次元変分法があり、最適内挿法などの従来の方法と比べて様々な優秀性を持つことが明らかにされてきた。4次元変分法は、地衡風平衡などの簡単な力学バランスが存在しない熱帯大気の解析に特に有効であるが、実際に熱帯に適用することはほとんど行われてこなかった。これは、熱帯の大気循環に本質的な積雲対流などの湿潤過程のパラメタリゼーションが不連続などの強い非線形性を持つため、熱帯における4次元変分法は容易ではないと考えられてきたためである。

 そこで本研究では、湿潤過程のパラメタリゼーションから不連続を除去することや、重力波のレベルを適切に調節するすることなどによって、熱帯大気に対する4次元変分法の可能性を検討した。また、湿潤過程と密接に関連する熱帯の降水量データを4次元変分法で同化する効果も調べた。

2.方法

 用いた数値モデルは、フロリダ州立大学の全球スペクトルモデルである。最小値を探索する評価関数は、モデルのトラジェクトリと観測データとの距離を測る観測項と、重力波のレベルを調節するペナルティ項のみからなり、簡単のため第一推定値からの距離を測る背景項は含めなかった。評価関数の勾配ベクトルの計算に必要なアジョイントモデルの物理過程のパラメタリゼーションは、湿潤過程と水平拡散と簡単化された地表摩擦のみからなる。

 4次元変分法による3つの同化実験を行った。まず数値モデルの湿潤過程のパラメタリゼーションから不連続を除去し、その4次元変分法の収束性へのインパクトを、渦度と発散を与えて水平移流を無視した鉛直1次元モデルによる同化実験で調べた。次に、ペナルティ項のインパクトを、全球に分布する疑似観測データを用いた同化実験で調べた。この実験では、すべての物理過程を含む数値モデルのシミュレーションの結果を真値とし、観測データは真値にノイズを与えて生成した。同化モデルの物理過程は、アジョイントモデルと同じく湿潤過程と水平拡散と簡単化された地表摩擦のみからなる。疑似観測データの空間分布は、現実の観測データの分布を反映させて、熱帯と南半球でまばらとした。最後に、熱帯大気に対する4次元変分法の可能性を総合的に評価するために、実際の観測データを用いて同化実験を行った。1992年8月22日0〜12UTCにおける全球のラジオゾンデ・データと、2機の極軌道衛星に搭載されたマイクロ波放射計SSM/Iによって観測された熱帯海上の降水量データを同化した。この実験では、すべての物理過程を含む同化モデルを用いた。

3.結果

 同化実験の結果の例として、3番目の実験で得られた4次元変分法による熱帯の降水量の推定値を観測データと比較したものを図1に示す。図(a)は、同化に用いた衛星のマイクロ波観測による降水量データを、1992年8月22日0〜12UTCの同化期間全体にわたって合成したものである。約3分の1の海上でデータがないうえ、同じ領域は同化期間中せいぜい2回しか観測されていない。同化期間の初め(8月22日0UTC)における第一推定値には、アメリカ環境予測センター(NCEP)の解析値を用いたが、これを初期値とする12時間積分から得られた積算降水量を図(b)に示した。この図を図(a)の観測データを比べると、インド洋や西太平洋などで大きな違いが見られる。

 この12時間の同化期間内のラジオゾンデと降水量データを4次元変分法で同化した結果が図(c)で、非定時に観測された降水量データが自然に同化されていることがわかる。また降水量データがない領域では、ラジオゾンデ・データが降水量の推定に有効に使われている。このことを示すために、別の2機の極軌道衛星による観測から得られた外向き長波放射量の合成図を図(d)に掲げた。この図は地方時に基づいて合成されているため、直接比較できる西太平洋付近に限って比較すると、降水量データがない領域で第一推定値と4次元変分法による推定値が異なる140°E付近やインドシナ半島で、4次元変分法は少なくとも定性的にもっともらしい推定値を与えていることがわかる。

図1 4次元変分法による1992年8月22日0〜12UTCの積算降水量の推定。(a)衛星のマイクロ波観測による降水量データの合成図。等値線の間隔は0.25、0.5、1、2、4mm/hで、陰はデータのない領域。(b)第一推定値からの数値モデルの時間積分の結果。等値線の間隔は2.5mm/hで、陰は0.25mm以下の領域。(c)4次元変分法による推定値。等値線の間隔などは(b)と同じ。(d)外向き長波放射量の合成図。200W/m2以下の等値線を25W/m2間隔で示し、275W/m2以上の領域には薄い陰、欠測には濃い陰。地方時に基づく合成図のため、他の図と比較できるのは100°E〜180°の領域に限られる。
4.結論

 本研究の結論は以下の通りである。

 (1)湿潤過程を含むアジョイントモデルを用いる熱帯大気に対する4次元変分法は、以下の3つの措置を講ずれば実用的な収束が得られる。

 ・重力波のレベルを適切に調節する。

 ・湿潤過程のパラメタリゼーションから0次の不連続を除去する。

 ・降水量データを同化する場合には、高次の内挿式によってモデルの降水量を観測点に内挿する。

 (2)湿潤過程を含まないアジョイントモデルを用いると、同化モデルが湿潤過程を含んでいても熱帯の推定値の精度が著しく低下する。したがって熱帯の4次元変分法のためには、湿潤過程を含むアジョイントモデルを用いる必要がある。

 (3)湿潤過程を含むアジョイントモデルを用いると収束がやや遅くなるが、降水量データを同化しなくても降水量の推定値の精度が向上する。その効果は、特にラジオゾンデなどの通常観測データがある領域で顕著に現れる。

 (4)マイクロ波放射計SSM/Iによる降水量データを4次元変分法で同化すると、その効果はSSM/Iの観測時刻付近だけでなく、同化期間全体に広がる。また、その推定値を初期値として数値予報を行うと、熱帯の数日先までの熱帯海上の降水量予報の精度が向上する。しかし、熱帯の水蒸気場の推定へのインパクトは小さいため、その高精度の推定のためには、SSM/Iによる鉛直積算水蒸気量も同化する必要がある。

審査要旨

 データ同化とは大気や海洋の数値モデルに観測データの情報を取り込んで,より精度良い大気・海洋の3次元構造とその時間発展を記述しようという手法である。データ同化は,数値天気予報の初期値を作成する方法として導入され,最初は,規則的なモデル格子へ不規則な分布の観測データを内挿する初歩的な手法から始まったが,間もなく観測データと予測モデルの誤差統計を考慮した統計的内挿法が導入され,また,解析(内挿)の際の第一推定値として6時間または12時間前から始めた数値モデルの予報結果を用いる,いわゆる,予報-解析サイクルが広く用いられるようになった。大気モデルの高分解能化,精度向上,及び,衛星やウィンドプロファイラー等新しい観測システムの充実によって,数値天気予報の精度も向上してきた現在,データ同化手法にも一層の高度化が望まれている。とくに,衛星などの新しい観測データをいかに合理的にモデルヘ同化させるかが大きな課題の一つである。そこでは,降水量など,いわゆるモデルの予報変数そのものではない(一般にそれらの複雑な関数である)観測値をモデルの力学に合わせて合理的に取り込むこと,そして,軌道衛星のように時間的には連続的だが,瞬間毎の観測範囲は限定されているようなデータの同化手法の確立が必要である。

 申請者は,本論文において,4次元変分法と呼ばれる高度なデータ同化手法を用いて,衛星による降水量データを大気モデルに同化させることによって熱帯での解析精度を著しく向上させることができることを示した。4次元変分法は,6〜24時間程度の時間範囲内で,モデルの時間発展がその期間内に空間的に散在する観測データになるべく近くなるような最適の初期値を求めるもので,将来きわめて有望な手法として先進数値予報センターのいくつかで開発が行われている。しかしながら,変分の評価関数を最小化する際の計算負荷が著しく大きく,また,大気モデルの複雑な物理過程をいかに扱うかなど問題が山積している。4次元変分法は,地衡風平衡の成り立たない熱帯大気の解析に有利とされてきたが,逆に熱帯で重要な積雲対流など湿潤過程が不連続を含めた強い非線型性をもつため,熱帯での4次元変分法の適用は容易でないと考えられてきた。

 本研究は,湿潤過程の計算過程から不連続を除去し,また,大規模大気循環にとってのノイズである重力波のレベルを適切に調節することなどによって,熱帯でも4次元変分法を有効に適用することが可能であることを,実際の観測データを用いることによって示したものである。

 第1章で問題の背景を論じ,第2章で4次元変分法の定式化,第3章で用いた大気数値モデルの紹介をおこなった後,本論文の第4,5,6章において,申請者は,熱帯での4次元変分法適用の際の課題を系統的に考察している。

 第4章においては,熱帯で問題となる湿潤物理過程の不連続性について,大気の流体力学部分を除いた1次元モデルで考察している。その結果,湿潤過程から0次の不連続を除くことによって評価関数最小化計算が加速され,よりよい結果が得られることが示された。また,時間的に連続的な降水量観測の導入によって風の発散成分にも正のインパクトが得られることもわかった。

 第5章においては,流体力学部分も含む3次元大気モデルに4次元変分法を適用し,仮想データを用いて重力波レベルの制御の効果が調べられた。本研究で用いられた方法は,評価関数に風の発散成分の時間変化率を抑えるような制御項を加える比較的簡単なものであるが,最小値探索において局所的に大きな勾配が現れることが避けられ,湿潤過程を含むモデルでの求解を効率化する。また,得られた解も現実的になる。

 第6章では,軌道衛星による降水量およびラジオゾンデデータの同化実験を行い,実際の観測データを用いて本研究の提案する4次元データ同化スキームが有効であることが示された。また,予報実験によって,初期値の改善が予報の改善につながることも示されている。最小値探索の際の勾配計算に湿潤過程を省略したモデルは用いるべきでないこと,重力波制御項の大きさに適性値があること,モデル格子点から観測点への内挿法が最小値探索の収束性に大きな影響を与えること,モデルの力学・物理過程をすべて取り込んだ4次元変分法を用いると,ラジオゾンデ観測からも降水量情報の抽出が有効に行えること,水蒸気情報の向上のためには降水量データに加えて衛星による可降水量データも加えるべきであろうこと,など4次元変分法を適用する際の種々の留意点,課題等が明解に示されている。

 本研究は,4次元変分法を熱帯域で有効に適用できることを明解に示したものである。その結果は,世界の気象機関による開発にも大きなインパクトを与え,研究のさらなる発展に著しい貢献をしたものと評価できる。

 よって,博士(理学)の学位を授与できると認める。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/50711