学位論文要旨



No 214368
著者(漢字) 峰時,俊貴
著者(英字)
著者(カナ) ミネトキ,トシタカ
標題(和) 麹菌のアミラーゼ系遺伝子の発現制御機構の解析と分子育種システムの開発
標題(洋)
報告番号 214368
報告番号 乙14368
学位授与日 1999.06.21
学位種別 論文博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 第14368号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 北本,勝ひこ
 東京大学 教授 五十嵐,泰夫
 東京大学 教授 依田,幸司
 東京大学 教授 堀之内,末治
 東京大学 助教授 中島,春紫
内容要旨

 麹菌A.oryzaeは、清酒、味噌などの発酵食品産業において必要不可欠な微生物であり、-アミラーゼ(TAA)、グルコアミラーゼ(GLA)、-グルコシダーゼ(AGL)などの糖質加水分解酵素を分泌生産している。また、これらのアミラーゼ系酵素遺伝子は、デンプンやマルトースなどにより誘導され、グルコースで抑制される。このような有用酵素遺伝子の発現制御機構の解明は、単に遺伝子を利用するためだけでなく、麹菌の持つ有用な分子機能特性も利用できるようになる可能性を秘めている。本研究は、A.oryzaeのアミラーゼ系酵素遺伝子の発現制御機構の解明と、その過程で発見した、プロモーター領域に存在するシスーエレメントを高次利用することによる、糸状菌での有用タンパク質高生産システムの確立を目的として行ったものである。

 そこでまず、アミラーゼ系酵素の一種であるAGL遺伝子(agdA)を単離し、塩基配列を決定した。A.nigerのagdA遺伝子との比較から、4ヶ所のイントロンを含み、985アミノ酸をコードしていると推定される本遺伝子は、染色体上に1コピー存在していることが明らかとなった。また、形質転換体のAGL活性は6〜16倍上昇し、マルトースで誘導されることから、麹菌のアミラーゼ系遺伝子で共通した誘導機構の存在が示唆された。

 次に、野生株の麹菌のAGL遺伝子(agdA)、TAA遺伝子(amyB)、GLA遺伝子(glaA)の発現をノーザシ解析により調べた結果、いずれの遺伝子もマルトースにより転写レベルで誘導発現していることが明らかとなった。また興味深いことに、agdA遺伝子を多コピー導入したAGL高生産株のTAAとGLA活性は、親株と比べて10%前後にまで激減した。この現象は、マルトースによる誘導条件下でagdA遺伝子が高発現するとき、amyBとglaA遺伝子の発現が、転写レベルで抑制されたためであることが明らかとなった。以上の結果から、amyB、glaA、agdA遺伝子は、共通した発現誘導機構に制御されており、各遺伝子の発現には密接な相互関連があることが示唆された。

 アミラーゼ系3酵素のプロモーター領域の塩基配列を比較したところ、amyBとglaAプロモーターに存在する保存配列(Region I,II)をagdAプロモーター上にも見出した。さらに、新規な共通保存配列Region IIIa,bを発見した。これらの保存配列の機能を確認するために、硝酸還元酵素遺伝子(niaD)を選択マーカーとする相同的組換えシステムを用いて、-グルクロニダーゼ(GUS)遺伝子(uidA)をレポーターとしてagdAプロモーター(PagdA)のデレーション解析を行った。その結果、Region IIIaの欠失は、90%以上のGUS活性の減少と、マルトース誘導能の損失をもたらすことより、Region IIIaは、高発現と誘導に関与する非常に重要なシスーエレメントであることを示した。Region IとRegion IIIbの欠失は、共にGUS活性の著しい低下を生じるが、誘導能は保持されていることから、これらの領域はRegion IIIaと協調して、高発現に関与していることが示唆された。また、agdAの発現レベルはamyB、glaAに比べて低く、3ヶ所の保存領域もamyB、glaAよりかなり上流に存在している。そこで、PagdAのRegion IIIとTATA-boxの間の約340-bpを欠失させ、保存領域を下流にシフトさせたところ、プロモーター活性が増加することから、保存領域のプロモーター上での位置によっても発現レベルに影響を及ぼすことが示唆された。

 そこで、Region IIIa、bをPagdAに導入することにより、高発現型への改良を試みたところ、導入個数に応じたプロモーター活性の増加が観察され、特に、炭素源グルコースの時の増加は著しく、12個導入した改良プロモーター(PagdA142)は、構成的な発現を示した。この活性上昇(5〜18倍)は転写レベルで生じていることから、Region IIIa、bは、1つあるいはそれ以上のシスーエレメントから構成されていることを示唆している。改良プロモーターにagdAを連結して得られたAGL高生産株は、3〜4コピー導入されるだけで100倍以上生産性が向上した。このとき、TAA、GLA活性は、20〜数%にまで顕著に減少しており、これは、転写レベルでのmRNA発現量の減少に起因していることが確認された。agdA遺伝子多コピー導入時(10〜60コピー)にも見られたこの現象は、以下に述べるアミラーゼ系遺伝子の発現制御機構によるものであると思われる(図1)。

図1 アミラーゼ系遺伝子の発現制御機構のモデル図

 すなわち、多コピー導入された改良プロモーターに多数存在するRegion IIIa、bに、それぞれ正の転写調節因子が多量に結合するため、AGLは非常に高生産される。しかし、このときamyB、glaAプロモーターのRegion IIIに結合する共通の転写調節因子は、多コピーとなった改良プロモーターのRegion IIIa、bに奪われるため、結合量が減少するという、いわゆるタイトレーション現象を引き起こすため、転写レベルで発現量が減少した結果、TAA、GLA生産が強く抑制されるものと推察された。この現象は結果として、AGLの比活性のさらなる上昇をもたらし、高純度高生産が可能となった。これは、Region IIIを用いた改良プロモーターによる遺伝子発現の有効性を証明するものである。

 次に、Region IIIを用いた改良が、他のプロモーターでも有効かどうかを確認するために、Region IIIをA.oryzae由来のglaAプロモーター(PglaA)とA.niger由来のNo8プロモーター(P-No8)に導入した結果、両プロモーター活性は、共に4〜6倍上昇した。さらに、Region IIIの導入方向による影響もないことから、Region IIIは、アミラーゼ系プロモーターのみならず、広く糸状菌由来のプロモーター活性の改良に有効なシスエレメントであることが示唆された。A.oryzae以外のAspergillus属においてもRegion IIIを導入した改良プロモーターは、有効に機能することが確認されたことから、少なくともAspergillus属において、Region IIIに結合する共通の転写活性化因子の存在が示唆された。そこで、3種類の改良プロモーターとagdAターミネーターの間にマルチクローニングサイトを有する発現ベクターを構築した。これを利用することにより、Aspergillus属を宿主とする非常に有効な分子育種システムの開発に成功した。本システムを利用して、A.oryzae由来のヌクレアーゼS1遺伝子(nucS)を高発現させた結果、1000倍以上のヌクレアーゼS1(NUC)高生産株が取得できた。さらに、Region IIIの関与するタイトレーションにより、-アミラーゼなどの夾雑酵素の生産を抑制できることから、高純度の酵素生産が期待できる。また、AGL高生産株のときの生産性試験の結果と同様に、NUC高生産株の固体培養(フスマ)の生産性は、液体培養(DP)の生産性より約20倍優れており、固体培養は、麹菌での酵素生産に適した培養法であることも確認された。

審査要旨

 麹菌は清酒、味噌、醤油などの醸造に古くから使用されている産業上重要な微生物である。その中でも、Aspergillus oryzaeは蛋白質を多量に分泌する能力があり、近年、異種蛋白質生産のための宿主としても注目を集めている。本研究は、A.oryzaeのアミラーゼ系酵素遺伝子の発現制御機構の解明と、その過程で見出したプロモーター領域に存在するシスエレメントを高次利用することによる、糸状菌での有用蛋白質高生産システムの確立を目的として行ったものであり、4章よりなっている。

 第1章では、麹菌(A.oryzae)からアミラーゼ系酵素の一つである-グルコシダーゼ遺伝子(agdA)を単離し、塩基配列を決定し、4ヶ所のイントロンを含み、985アミノ酸をコードしていることを明らかにしている。またサザン解析の結果から、本遺伝子は染色体上に1コピー存在していること、多コピーのagdA遺伝子を導入した形質転換体の-グルコシダーゼ活性は親株の6〜16倍に上昇することを述べている。

 第2章では、野生株の麹菌の-グルコシダーゼ遺伝子(agdA)、-アミラーゼ遺伝子(amyB)、グルコアミラーゼ遺伝子(glaA)の発現をノーザン解析により調べ、いずれの遺伝子もマルトースにより誘導され、グルコースにより抑制されること、これらの発現制御が転写レベルで行われることを明らかにしている。これらの結果より、amyB、glaA、agdA遺伝子は、共通した発現誘導機構に制御されていると想定されることから、これら3遺伝子のプロモーター領域の塩基配列を比較し、amyBとglaAプロモーターに存在すると報告されている保存配列(Region I,II)以外に、新規な共通保存配列Region IIIを見出した。これらの保存配列の機能を確認するために、硝酸還元酵素遺伝子(niaD)を選択マーカーとする相同的組換えシステムを用いて、-グルクロニダーゼ遺伝子(uidA)をレポーターとしてagdAプロモーターの解析を行った。その結果、Region IIIの欠失は、90%以上のGUS活性の減少と、マルトース誘導能の欠損をもたらすことを明らかにしている。

 第3章では、Region IIIをagdAプロモーターに導入することによる高発現型プロモーターへの改良を試み、導入個数に応じたプロモーター活性の増加が観察されることを示している。改良プロモーターにagdAを連結して得られた-グルコシダーゼ高生産株は、3〜4コピー導入されるだけで親株の100倍以上の生産性向上が見られた。このとき、-アミラーゼ、グルコアミラーゼ活性は、20〜数%にまで顕著に減少しており、これは転写レベルでのmRNA発現量の減少に起因していることを確認している。すなわち、多コピー導入された改良プロモーターに多数存在するRegion IIIに、正の転写調節因子が多量に結合するため、-グルコシダーゼは大量に生産される。しかし、このときamyB、glaAプロモーターのRegion IIIに結合する共通の転写調節因子の結合量が減少するため、転写レベルで発現量が減少した結果、-アミラーゼ、グルコアミラーゼ生産が強く抑制されるものと推察している。

 第4章では、Region IIIを用いた改良が、他のプロモーターでも有効かどうかを確認するために、Region IIIをA.oryzae由来のglaAプロモーターとA.niger由来のNo8プロモーターに導入し、両プロモーター活性とも約4〜6倍上昇することを明らかにしている。また、A.oryzae以外のA spergillus属においてもRegion IIIを導入した改良プロモーターは、有効に機能することを確認している。そこで、3種類の改良プロモーターとagdAターミネーターの間にマルチクローニングサイトを有する発現ベクターを構築し、これを利用することにより、A spergillus属を宿主とする有用蛋白質高発現のための分子育種システムの開発に成功している。本システムを利用して、A.oryzae由来のヌクレアーゼS1遺伝子を高発現させた結果、親株に比べ1000倍以上のヌクレアーゼS1高生産株が取得できた。さらに、Region IIIの関与するタイトレーションにより、-アミラーゼなどの夾雑酵素の生産を抑制できることから、高純度の酵素生産が期待できることを示している。

 以上、本論文は麹菌の-グルコシダーゼ遺伝子プロモーター上の新規シス配列の機能を解析し、それを用いて麹菌を宿主とした高発現システムを構築したものであり、学術上、応用上貢献するところが少なくない。よって審査委員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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