本研究では、近年、新たな脂質性の細胞内シグナル伝達分子として大変注目されているセラミドに焦点を当て、様々な刺激時に活性化してスフィンゴミエリンからセラミドを生成する、中性スフィンゴミエリナーゼの阻害剤の探索を主に微生物の二次代謝産物より行った。本研究を開始した時点までに、中性スフィンゴミエリナーゼに対してはガングリオシドGM3が弱いながら阻害活性を有するとのListerらの報告があるのみで、この酵素の特異的かつ強力な阻害剤は天然からも合成化合物からも見い出されていなかった。この点からも本酵素は天然物スクリーニングの魅力的なターゲットと考えられた。 土壌分離菌約10,000株の培養液抽出エキスについて、中性スフィンゴミエリナーゼ阻害物質のスクリーニングを行った結果、Acremonium sp.のカビより新規ハイドロキノン誘導体であるF-11334類、Micromonospora sp.の放線菌よりA-76341a(macquarimicin A)、盤菌綱に属する糸状菌Trichopeziza mollissimaよりセラミド様のN-アシルアミノアルコールユニットを有する新規物質scyphostatinといった興味ある(新規)化合物を見出し、これらの化合物について構造解析、生物活性研究を行った。 第一章の要旨 スクリーニング用の中性スフィンゴミエリナーゼの酵素源として、ラット大脳からミクロソーム画分を調製して使用した。基質であるスフィンゴミエリンを混合ミセルとして用い、一般的に難しいリン脂質分解酵素の活性検出を安定して行えるようにするとともに、生成物であるセラミドを未反応のスフィンゴミエリンと分離する方法として液液分配を採用することで、簡便で1回に多数の試料の検定が可能で感度も高い優れたアッセイ系を構築することができた。 土壌分離菌約10,000株の培養液抽出エキスについて、中性スフィンゴミエリナーゼ阻害物質のスクリーニングを行った結果、数種類の検体に強い酵素阻害活性を見出した。 第二章の要旨 第一章で述べたスクリーニングにより、海砂から単離されたカビであるAcremonium murorum(Corda)W.Gams SANK20793の培養液抽出物に目的の酵素阻害活性を見出した。そこで、各種クロマトグラフィーを行い本菌菌体抽出物中の活性物質、F-11334類の単離に成功した。これらの構造はNMRなどの各種スペクトルデータを解析することにより決定した。その結果、単離された5つの化合物は皆類縁のもので、イソプレンユニットがハイドロキノンの2位に置換した骨格を基本とする一群の化合物であることが示された。文献検索の結果、これらは皆新規化合物であることが判明した。F-11334類の中性スフィンゴミエリナーゼ阻害活性は様々で、特にハイドロキノンの片方の水酸基とイソプレンに置換した水酸基との間で脱水が起こり環化したF-11334A2およびA3には活性が認められなかった。このことから本化合物群においてはハイドロキノンの遊離の水酸基が活性発現に重要であると考えられた。 第三章の要旨 第一章で述べたスクリーニングにより、放線菌Micromonospora sp.SANK60294の培養液抽出物に目的の酵素阻害活性を見出した。そこで、各種クロマトグラフィーを行い本菌培養液上清抽出物中の活性物質、A-76341aの単離に成功した。本物質の構造は各種スペクトルデータを解析することにより決定した。その結果、本化合物は三環性の炭素骨格(トリシクロ[12,3,0,02,11]ヘプタデカン)がラクトンを形成した、複雑な環構造を有する化合物であることが判明した。 A-76341aと類似の構造を有する物質として報告されているcochleamycin AはStreptomyces sp.の代謝産物より発見された抗腫瘍物質であるが、その作用機序は明かにされていない。また、A-76341aはmacquarimicinAとしてAbbott社から抗嫌気性菌活性が報告されているが、やはりその作用機序は明かにされていない。こうした生物活性と中性スフィンゴミエリナーゼとの間に何らかの関係があるかどうかには興味が持たれる。 A-76341aの詳細な生物活性試験の結果、本物質はヒト単球およびヒト白血病細胞U937を用いた細胞レベルでの評価において、スフィンゴミエリン経路を介したシグナル伝達を遮断し細胞外刺激に対する応答を抑制するという予想通りの結果を与えた。このことは本スクリーニング系の妥当性を示唆しており、中性スフィンゴミエリナーゼという新しい炎症に対する標的を提示した意味は大きいと考える。実際、代表的な炎症の薬理試験であるカラゲニン足浮腫抑制試験においてA-76341aは弱いながらも抗炎症活性を示しており、化学的な手法による化合物デザインや更なる天然物スクリーニングによってより活性の強い化合物を発見することで有効な抗炎症剤を開発できる可能性が示された。 第四章の要旨 第一章で述べたスクリーニングにより、これまで二次代謝産物の報告がほとんどなされていない、子嚢菌亜門、盤菌綱に所属するTrichopeziza mollissima(Lasch)Fuckel SANK 13892の培養液抽出物に目的の酵素阻害活性を見出した。そこで、各種クロマトグラフィーを行い本菌菌体抽出物中の活性物質、scyphostatinの単離に成功した。本物質の平面構造は各種スペクトルデータを解析することにより決定した。その結果、本化合物はスフィンゴミエリナーゼの基質であるスフィンゴミエリンあるいは生成物であるセラミドに類似した構造を有する新規N-アシルアミノアルコール誘導体であることが判明した。 現在スフィンゴミエリナーゼ阻害活性を有するいくつかのセラミドアナログが知られており、それらの作用はアミノ基および水酸基の立体化学により異なることが報告されている。これと同様に、本論文でターゲットとしている炎症に関与する中性スフィンゴミエリナーゼも基質の立体化学を厳しく認識している可能性があり、scyphostatinにおいてスフィンゴミエリンの2位のアミノ基および3位の水酸基に相当する不斉中心の絶対配置を決定することは意味のあることであった。そこで、scyphostatinを固定されたコンフォメーションをとると予想される二環性の誘導体に導いた。この誘導体に対してNOESYスペクトルの解析により相対配置を、改良Mosher法により絶対配置を決定した。誘導体の各不斉炭素の絶対配置を考察することにより、scyphostatinのエポキシシクロヘキセノン環を含む極性の高い部分の絶対配置を決定した。この解析によりこのエポキシシクロヘキセノン環部分は、基質であるD-erythro-スフィンゴミエリンのコリンリン酸基に相当することが示唆された。この結果は今後の本酵素阻害剤のデザインなどに役立つものと考えられる。Scyphostatinの構造をD-erythro-スフィンゴミエリンの構造と比較すると、本物質にはスフィンゴイド塩基部分のアルキル基およびコリン部分のプラス電荷が欠けていると見ることができる。そういった官能基を化学修飾などにより補うことができれば、標的酵素により強い結合能を有するアナログを得ることができる可能性が考えられる。 活性面では、A-76341aと同様に、scyphostatinもヒト単球をLPSで刺激した時の細胞レベルでの評価において、スフィンゴミエリン経路を介したシグナル伝達を遮断し細胞外刺激に対する応答を抑制するという予想通りの結果を与えた。しかし、ヒト白血病細胞U937を用いたアポトーシスに関する実験ではTNFS-のシグナルを見かけ上抑制できなかったばかりか、scyphostatin単独で強いアポトーシス誘導活性を示すことが判明した。このことは、本物質がスフィンゴミエリナーゼの阻害物質であると同時に、生産物であるセラミド様の活性も併せ持つ二面性の有る化合物であることを示唆している。この各々の性質を切り離すことが本物質をリードとした薬剤開発における大きな課題となることが予想される。このような問題を含みながらも、scyphostatinは抗炎症の薬埋試験であるカラゲニン足浮腫抑制試験において抗炎症活性を示したことから、本研究が新しい抗炎症の標的として提示した中性スフィンゴミエリナーゼ阻害物質という探索目標はここにおいても支持された。 一方、最近、抗癌剤として臨床にも用いられているdaunorubicin等の化学療法剤の作用メカニズムとして、細胞内のセラミドレベルを上昇させることによりアポトーシスを誘導するというモデルが報告された。本研究におけるscyphostatinのセラミド様のアポトーシス誘導活性は予想外のものであったが、本化合物が新たな抗癌剤のリード化合物になり得る可能性を見出したと捉えることもできる。 現在、セラミドの標的蛋白質については、リン酸化酵素や脱リン酸化酵素をはじめ、多くの説が出されている段階であり、まだ明らかになっていないことも多い。今後scyphostatinは、セラミドが介在する炎症や免疫性の疾患あるいは癌等の病態を改善する医薬のリード化合物としてだけでなく、セラミドを介した細胞内シグナル伝達系を研究する上での有効なプローブとしても注目されることが期待される。 |