学位論文要旨



No 214371
著者(漢字) 福井,尚志
著者(英字)
著者(カナ) フクイ,ナオシ
標題(和) Transforming Growth Factor-1の活性阻害による関節内癒着の抑制に関する研究
標題(洋)
報告番号 214371
報告番号 乙14371
学位授与日 1999.06.23
学位種別 論文博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 第14371号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 高戸,毅
 東京大学 教授 大友,邦
 東京大学 助教授 高取,吉雄
 東京大学 助教授 須佐美,隆史
 東京大学 講師 石田,剛
内容要旨 I.緒言

 外傷あるいは手術に伴って生じる癒着は、外科領域における大きな問題の一つである。運動器の領域においても癒着は関節の自由な運動を妨げ、腱や筋肉の円滑な滑動を制限する結果、しばしば大きな機能障害をもたらす。

 癒着の形成過程は、腹膜の癒着に関してもっとも詳細に検討されている。腹腔内に侵襲が加わると、その直後から出血に伴うフィブリンの析出が始まる。侵襲が加わってからおよそ12時間で、析出したフィブリンの内部に好中球が現れる。24-36時間経過すると好中球は徐々に減少し、これにかわってmacrophageの増加が観察される。フィブリン塊の内部には徐々に血管侵入が始まり、これに伴って組織は4-5日までに肉芽組織に置換される。肉芽内の細胞はmacrophageと未分化な線維芽細胞が主体である。線維芽細胞は徐々にコラーゲンを産生するようになるため7-14日にかけてコラーゲンの蓄積が進行し、これと同時に血管内皮細胞の増生を伴った血管形成も観察される。受傷後2週以降は組織内の細胞はほとんどが線維芽細胞となり、またその密度も低下する。1-2カ月経過すると線維芽細胞は紡錘状のより成熟した形態を示すようになり、産生されたコラーゲンも明瞭な線維束を形成するようになる。

 整形外科領域域において癒着の形成過程を詳細に検討した報告は少ないが、少なくとも腱については癒着の形成は腹腔内の場合と組織学的にはほとんど同一の経過をとることが報告されており、癒着形成の機序は器官によって異なるのではなく、基本的にはいずれの組織においても共通であると考えられる。またこのような癒着形成の一連の経過は、創傷治癒の際に観察される組織修復の一般的な過程に近似しており、その生物学的プロセスは通常の組織修復過程と本質的に同等であることが推察される。

 近年の研究の結果、組織修復には成長因子をはじめとする種々のサイトカインが大きく関与していることが明らかとなっている。このようなサイトカインの一つトランスフォーミング増殖因子(transforminggrowth factor-、以下TGF-)は線維芽細胞に対して細胞外基質の産生を促進する作用を有し、in vivoにおいて実際に線雑形成を誘導することが報告されている。さらに哺乳類に存在するTGF-の3つのisoformの中ではTGF-1がin vivoで最も強い線維形成能があり、また生体内での発現量も豊富であることが知られている。

 癒着の形成過程は本質的には線維性組織の過形成であることから、その形成にもTGF-が大きく関与している可能性がある。さらにこれを事実とすれば、TGF-の活性を阻害することによって癒着の形成が軽減されることが期待しうる。本研究の目的は、TGF-のisoformのなかで線維形成能が最も強く、生体内での発現も豊富なTGF-1について、この仮説を検証することである。

II.対象および方法1.癒着モデルの作製

 本研究では独自に確立した関節内癒着モデルを用いて実験を行った。関節内骨折に関する臨床的な知見をもとに、成熟家兎の大腿骨顆部両側の骨皮質の10×5mmの範囲を深さ3mmにわたって削切して海綿骨を露出させ、術後4週間にわたって膝関節を最大屈曲位で固定するという方法によって、外傷性の関節内癒着を近似するモデルを作製した。

2.TGF-1の活性抑制

 本研究では内因性のTGF-1の活性を阻害する方法として中和活性を有するモノクローナル抗体をリン酸緩衝生理食塩水(以下PBS)溶液として局所的に投与した。実際の投与には浸透圧を利用した体内埋込み式の小型ポンプ(Alzet 2ML4、Alza、Palo Alto、California、U.S.A.、以下浸透圧ポンプ)を用いた。このポンプは内部に蓄えた薬液を、生体内に埋め込んだ直後から4週間にわたって一定の流量で持続的に供給することができる。実験では1羽当たり2個のポンプを家兎の腹部皮下に埋入し、抗体溶液はこの浸透圧ポンプにそれぞれ接続した2本のポリエチレン製チューブを通じて大腿骨顆部内側および外側の骨皮質開窓部周囲に供給されるようにした。抗体溶液の濃度は予備実験の結果から、40、200、500g/mlの3通りに設定し、これらの群をそれぞれ低濃度抗体群、中濃度抗体群、高濃度抗体群と定義した(表1)。

3.癒着の評価

 本研究では癒着の評価を肉眼所見、組織所見、力学的評価および癒着組織のコラーゲンに関する生化学的分析によって行った。

 肉眼所見では骨皮質開窓部周囲に形成された癒着組織を0から4までの評価点を与えることによって半定量的に評価した。

 組織所見では骨皮質開窓部に形成された癒着組織について光学顕微鏡によりヘマトキシリン・エオジン染色による組織像を検討した。

 力学的評価では癒着の形成にともなう伸展制限の程度を検討することとし、膝関節に一定の伸展トルクを加えて伸展させた際の膝関節の角度を術前と4週間の固定後に計測した。この2回の計測値の差を拘縮角と定義し、癒着の程度はこの値によって評価した。角度の実際の計測は、伸展トルクを加えた状態で膝関節側面のレントゲン写真を撮影して、このレントゲン上で行った。

 生化学的分析ではhydroxyprolineの定量による総コラーゲン含有量の定量とCNBr peptideの分析によるI型およびIII型コラーゲンの比率を検討した。

4.対照群の設定(表1)

 骨皮質開窓以外の操作による癒着の形成と癒着以外の要因による関節の伸展制限を評価するため、骨皮質開窓の操作のみを行わずにこれ以外の手術操作と術後固定は抗体群と同様に行った群を非開窓群として設定し、また溶液投与による影響を評価するために、すべての手術操作と術後固定を抗体群と同様に行ったが浸透圧ポンプ内に溶液を全く注入しなかった群を非投与群として設定した。さらに、抗体投与に伴う中和活性以外の影響を評価するために、500g/mlの濃度の非特異的マウスIgG1・PBS溶解液を投与した群を非中和活性群として設定した。

5.実験系の設定

 本実験には合計60羽の成熟日本白色雄性家兎を用いた。これらを無作為に10羽ずつの6群に分け、3群を抗体群とし、残る3群を対照群とした。各群において無作為に選んだ4羽を肉眼的評価および組織学的評価に用い、残る6羽を力学的評価および生化学的分析に用いた。各群に属する家兎が死亡などの理由で評価から除外された場合には、肉眼および組織学的評価に用いる家兎の数を減じることで対応することとした。

6.統計学的手法

 得られたデータは、一元配置分散分析によって有意性の検定を行い、群間に有意の差があると判断された場合には、さらにDunnettの多重比較法を用いて事後検定を行った。有意水準は5%に設定した。

III.結果

 実験に供した60羽の家兎のうち3羽が実験期間中に死亡、1羽が骨折を生じたため、残る56羽について評価を行った。実験期間中の体重減少、手術創や関節包の治癒については、各群間で差がみられなかった。

1.肉眼所見

 非開窓群では癒着組織の形成がほとんど観察されなかったのに対し、非投与群、非中和活性群ではともに骨皮質開窓部周囲に密な線維性組織の形成が観察された。低濃度抗体群の線維性癒着組織の形成は非投与群とほぼ同等であったが、中濃度抗体群および高濃度抗体群では癒着の形成量が少なく、また生じた組織は柔らかであった。

2.組織所見

 非投与群と非中和活性群の癒着組織はともに未成熟な線維芽細胞を含む線維性組織であった。低濃度抗体群の癒着組織は非投与群、非中和活性群と同様であった。一方、中濃度抗体群および高濃度抗体群の癒着組織は、骨皮質開窓部の底部では他の群と同様の密な線雄性組織であったが、表面に近い部分では比較的疎な組織となる傾向があった。非開窓群は癒着組織の形成がわずかであったため、組織学的評価から除外した。

3.力学的評価

 非開窓群の拘縮角は平均2.1度であったのに対し、非投与群と非中和活性群の拘縮角はそれぞれ平均67.1度、63.8度であった。3つの抗体群では拘縮角は抗体投与量に依存して減少した。3群の拘縮角はいずれも非投与群より有意に小さく(低濃度抗体群、p<0.05;中濃度抗体群および高濃度抗体群、p<0.01)、とくに中濃度抗体群と高濃度抗体群の拘縮角は、癒着組織の形成がほとんどなかった非開窓群のデータと有意差がないまでに減少していた(図1)。

図表表1.実験群の構成 / 図1.各群の拘縮角 グラフは平均値および標準偏差を表す。 *:非投与群に対してp<0.05 **:非投与群に対してp<0.01
4.生化学的評価

 非投与群および非中和活性群の癒着組織はほぼ同量の総コラーゲンを含有し、I型およびIII型コラーゲンの比率にも大きな差はなかった。一方抗体群では総コラーゲン含有量が投与量依存的に減少し、3群をはいずれも非投与群より有意に総コラーゲン含有量が少なかった(低濃度抗体群、p<0.05;中濃度抗体群および高濃度抗体群、ともにp<0.01)。一方、癒着組織中のIII型コラーゲンの比率は抗体投与により投与量依存性に増加する傾向を示し、中濃度抗体群および高濃度抗体群の比率は非投与群より有意に高値であった(ともにp<0.05)。非開窓群は癒着組織の形成量が少なかったため、生化学的評価から除外した。

IV.考察

 代表的な成長因子の一つであるTGF-は、組織修復の過程で重要な働きをする一方、肝硬変症、肺線維症、腎糸球体硬化症など組織の線維化を伴う種々の病態においてその進行と深く関連しており、このような疾患ではTGF-の活性抑制が新たな治療手段となりうることが報告されている。癒着もその本態が線維性組織の過形成であることから、TGF-の活性抑制によってその形成が抑制されることが期待された。本研究で検討した仮説はこのような背景に基づくものであった。

 本研究において確立した関節内癒着モデルは、比較的良好な再現性を有すること以外に、形成される癒着組織が一定の体積を有しているためこれのみを他の組織と区別して採取することが可能であるという特徴を有する。本研究で行った癒着組織の生化学的検討は、モデルのこのような特徴に基づいたものである。

 今回の研究においてTGF-1に対する中和抗体は、癒着組織の形成を量的に軽減しただけでなく、癒着組織中の総コラーゲン量およびI型コラーゲンの比率を低下させ、III型コラーゲンの比率を相対的に増加させた。一般に修復組織の強度は組織中のコラーゲン含有量が少ないほど、またIII型コラーゲンの比率が高いほど低下する傾向があることを考慮すると、今回の研究で示された膝関節の伸展制限の軽減は、癒着組織の形成量の減少と質的な変化という2通りの機序によってもたらされたことが考察された。

 本研究ではTGF-1の活性を中和抗体の投与によって抑制した。しかしTGF-の活性は中和抗体以外にも、種々のリガンド、あるいは小型プロテオグリカンであるデコリンやビグリカンの投与によっても抑制しうることが知られている。また一般にサイトカインの産生は、antisense oligonucleotideやribozymeの導入、転写調節因子に対するdecoyの導入などによって遺伝子レベルで制御することが可能である。TGF-の活性がこのように多彩な方法によって制御可能であることを考慮すれば、TGF-の活性阻害は、たとえば遺伝子導入などの手法と組み合わせることで、汎用性の高い癒着抑制の手法となりうるものと考えられる。

V.結語

 外傷性の関節内癒着の病態を近似するモデルを家兎膝関節において確立し、このモデルを用いて関節内癒着の形成に対するTGF-1の活性阻害の影響を検討した。中和抗体の局所投与により内因性TGF-1の活性阻害を持続的に行ったところ、癒着の形成は効果的に抑制された。本研究の結果からTGF-1の活性阻害は、運動器における外傷性癒着を抑制する新たな手法となりうるものと考えられた。

審査要旨

 本研究は外傷あるいは手術侵襲に伴う主要な合併症である癒着について、その形成に成長因子の一つTGF-が関与することを仮定し、この仮定に基づいて癒着の形成過程における内因性TGF-の活性を抑制することで癒着の軽減が可能かを動物実験によって検討したものであり、以下の結論を得ている。

 1.癒着を検討するための動物モデルとして、家兎膝関節内において大腿骨顆部側壁の骨皮質を10mm×5mmの矩形の範囲切削したのち関節を合成樹脂製ギプスにより4週間にわたり固定するという方法により、関節内に外傷性癒着を近似する癒着を一定の再現性をもって誘導するモデルを確立した。

 2.このモデルにおいて、中和活性を有する抗体溶液を浸透圧を利用した体内埋め込み式の小型ポンプによって持続投与するという方法により、癒着形成部位における内因性TGF-1の活性を癒着形成期間中継続的に抑制する手法を確立した。

 3.本研究では中和抗体溶液の濃度を3通りに設定して投与しており、これらの個体では対照に比して以下のような変化を観察した。

 (1)肉眼的に観察した癒着組織は、中および高濃度の中和抗体溶液を投与した場合、その形成量が軽減し、また癒着組織自体も柔らかになる傾向があった。

 (2)癒着組織の組織像では、対照が未成熟な線維芽細胞を含む密な線維性組織であったのに対し、中および高濃度の抗体溶液を投与した個体では癒着組織は本質的には同等な線維性組織ではあるがその密度が低下し、疎な組織となる傾向がみられた。

 (3)本研究で確立したモデルでは、癒着の形成に伴って関節の伸展制限が生じる。これを生体力学的手法により検討したところ、伸展制限の程度は抗体の投与量に応じて軽減する傾向があり、中および高濃度の抗体溶液投与を行った個体では対照に比して伸展制限の程度は統計学的に有意に軽度であった。

 (4)癒着組織についてその力学的特性と密接に関連すると考えられる組織中の総コラーゲン含有量とI型およびIII型コラーゲンの比率を検討した。中和抗体を投与した個体において総コラーゲン含有量は投与量依存性に低下する傾向があり、中および高濃度の抗体溶液を投与した個体ではこの低下は統計学的に有意であった。また抗体投与に伴ってコラーゲンの比率にも変化が生じ、投与量が増加するにつれIII型コラーゲンの比率が増加する傾向があった。高濃度の抗体を投与した場合のIII型コラーゲンの比率の上昇は対照に比して統計学的に有意であった。

 4.本研究で観察された関節可動域の制限の改善は、肉眼的に観察された癒着組織の形成量の低下と組織所見および生化学的分析によって示された癒着組織自体の質的な変化の2つの機序によってもたらされたものであることが考察された。

 以上、この研究は癒着の形成に内因性TGF-1が中心的な役割を果たしていること、さらにその活性を抑制することによって癒着の形成が軽減されうることを運動器の領域において初めて実証したものである。その成果は臨床において活用されることが十分期待されるものであって、本研究は学位の授与に値すると考えられる。

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