学位論文要旨



No 214376
著者(漢字) 中津留,誠
著者(英字)
著者(カナ) ナカツル,マコト
標題(和) ラット全胚培養法を用いた耳介発生とレチノイン酸投与によるラット耳介形成異常に関する実験的研究
標題(洋)
報告番号 214376
報告番号 乙14376
学位授与日 1999.06.23
学位種別 論文博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 第14376号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 波利井,清紀
 東京大学 助教授 上妻,志郎
 東京大学 助教授 朝戸,裕貴
 東京大学 講師 石田,剛
 東京大学 講師 山岨,達也
内容要旨

 耳介は顎顔面の上顎と下顎の前駆体であり、咀嚼筋等を形成して三叉神経支配を受ける第1鰓弓と、中耳のアブミ骨から舌骨までの一連の骨格や表情筋等を形成し、顔面神経支配を受ける第2鰓弓から発生する。そのために耳介形成と顎顔面形成の間には密接な関係があり、顎顔面奇形の第1、第2鰓弓症候群(first and second branchial arch syndrome)のように、耳介形成不全は上顎や下顎の形成不全を同時に伴うことが多いとされている。このことから顎顔面の一部である耳介の発生過程を明らかにすることは、顎顔面奇形発生研究の一つの重要な手掛かりになると考えられる。

 ヒト耳介発生研究は、19世紀末既に顎顔面発生研究の一部として始められていた。そして、現在ではHisとWood-Jones & I-Chuneの2説が主に広く認められているようである。Hisの説ではヒト胎生6週目に第1鰓弓と第2鰓弓にそれぞれ3個ずつ、計6個の耳介結節(ear hillocks)が生じ、これらの結節から耳介が発生する。そして右耳では左廻り、左耳では右廻りに結節が回転しながら耳介は形成され、その形成の割合は第1鰓弓と第2鰓弓それぞれ半々であると述べている。

 それに対してWood-Jones & I-Chuneは、耳介の大部分は第2鰓弓から発生し、僅かに耳珠のみが第1鰓弓から生じてHisの説とは逆に右耳では右廻り、左耳では左廻りに回転移動しながら耳介が形成されると述べている。

 しかし、いずれも今までに述べられてきた耳介発生説では、その発生過程を十分明らかにするまでには至っていない。この原因の一つは連続的にヒト胎児の観察を行うことが不可能なためである。また実験動物胎仔の顎顔面形成期間は短く、胎仔の成長発育が微妙に母獣により異なるため胎仔を単に採取し、その耳介発生過程を連続的に観察することが困難なものと考えられた。さらに従来の耳介発生説では、耳介の回転移動についても明確に述べられていないようである。これは耳介発生中の顎顔面の基準平面が設定されにくいために、耳介の位置を正確に把握することが出来ないためと考えられる。そのため本実験では、発育条件が同じ耳介形成期のラット胎仔を取り出して培養し、耳介形成過程を詳細に観察することを試みた。さらにラット胎仔の顎顔面に基準平面を設定し、胎仔の耳介形成に伴い耳介がどのように移動するのか考察を行った。

 本実験ではNewらが開発した全胚培養法と、Cockroftのopen yolksac methodを用いて、耳介が形成される胎齢12.5日目のラット胎仔を48時間培養した。そして、その間の耳介の形成過程を走査型電子顕微鏡で経時的に観察を行った。さらに耳介の回転移動が、ラット胎仔でも同じように観察できるのか確認するために、催奇形成を持つレチノイン酸(チョコラA(R))を妊娠ラットに過剰投与した。本実験ではレチノイン酸を過剰投与した胎齢12.5日目、胎齢13.5日と胎齢19.5日目のラット胎仔と、正常な胎仔に顎顔面の基準平面を設定し、耳介に形成障害が生じたレチノイン酸過剰投与胎仔と正常胎仔の耳介形成過程、特に耳介が形成される位置の違いを比較することでラット胎仔の耳介移動について考察を行った。

 以上のように本実験では、耳介発生過程を明らかするために、

 (1)ラット全胚培養法を用いてラット胎仔の耳介形成過程を明らかにする。そして従来のヒト耳介発生説と比較し、それらの説について考察を行う。

 (2)レチノイン酸を過剰投与されて耳介発生に障害を受けたラット胎仔と、正常な胎仔の耳介発生の違いを明らかにする。そしてラット胎仔の耳介の移動や、ヒト耳介発生説で述べられている耳介回転移動について考察を行う。

 以上の2点を目的に実験を行い、以下のような興味深い知見が得られた。

1.ラット胎仔全胚培養法による耳介発生の観察(1)耳介隆起の形成について

 胎齢12、5日目のラット胎仔を12時間培養すると、Hisが述べている6個の耳介結節に対応すると考えられる隆起が、第1鰓弓の下顎突起と第2鰓弓それぞれに3個ずつ計6個、認められた。しかし本実験では、これら6個の耳介の隆起以外に2つの新たな隆起が観察された。

 従来の耳介発生説では、耳介の形態形成と耳介の回転移動について述べられており、3次元的にどの様に耳介が立ち上がるか詳細に記載しているものは無いようである。しかし新たに観察された2つ隆起は、走査型電子顕微鏡観察から耳介の立ち上がりに関与しているのが確かめられた。

(2)耳介形成における鰓弓の関与について

 ラット胎仔では、第2鰓弓の方が耳介形成に関与する割合が大きく、耳介の大部分は第2鰓弓から生じているとしたWood-Jones & I-Chuneの説に類似した結果が得られた。

(3)第2鰓弓陥凹部と耳珠間切痕の関係について

 従来のヒト耳介発生説では、耳珠間切痕は上顎突起と第2鰓弓の間にある第1鰓溝の前方癒合部から発生するとされている。そして耳珠間切痕は耳介結節と共に回転し、その位置を変えていくものと考えられている。しかし本実験においてラット胎仔の耳介では、ヒトの耳珠間切痕に相当するもは第2鰓弓の陥凹部から形成されているのが確かめられた。そのためラットの耳介は従来のヒト耳介発生説のように耳介隆起の回転運動と、それに伴う耳珠間の陥凹部の回転移動は生じていないものと考えられた。そしてヒト胎児においても従来の観察方法が必ずしも十分でなく、第2鰓弓陥凹部の急速な変化を見落としていた可能性が考えられる。そのためヒト胎児の耳珠間切痕は、第1鰓溝の癒合部ではなく第2鰓弓の陥凹部から発生し、耳介結節の回転運動は生じていないものと推測された。

(4)耳介発生に関する推論

 ラットの耳介は、His説のように第1鰓弓の下顎突起と第2鰓弓の隆起から形成されている。しかし従来のヒト耳介発生説とは異なり、ラットの耳珠間の陥凹部は第2鰓弓の陥凹部に由来しているものと考えられた。またラット耳介の対耳輪は耳介隆起から発生しているのではなく、第1鰓溝部分が盛り上がることで形成されるものと推測された。そのためそれぞれの隆起から発生するラット耳介の各部位は、従来のヒト耳介発生説とは多少異るものと考えられた。

(5)ラット全胚培養法の限界について

 胎齢12.5日目胎仔を48時間培養した胎仔に発育の遅れが生じていた。しかし培養胎仔の発育が遅れることは耳介形成期間が通常より長くなり、胎仔の耳介発生過程を観察するのには有利になるとものと考えられた。

2.レチノイン酸過剰投与ラット胎仔の耳介発生の観察(1)レチノイン酸過剰投与胎仔の第1鰓弓と第2鰓弓の形態変化について

 レチノイン酸を過剰投与した胎齢12.5日目と胎齢13.5日目胎仔の上顎突起は、対照群の下顎突起と第2鰓弓と比較して著しく縮小しており、レチノイン酸による発育障害が特に強く認められた。

 顔面を形成する神経堤細胞は上顎と下顎ではその由来が異なり、より頭側に存在している神経堤細胞が上顎を、より尾側由来の神経堤細胞が下顎を形成すると言われている。そのためレチノイン酸の効果は頭側の神経堤細胞により大きな影響を与えるものと考えられた。

(2)レチノイン酸過剰投与胎仔の顎顔面形態について

 レチノイン酸を過剰投与された胎齢19.5日目ラット胎仔の顎顔面において口蓋裂や小口症が認められたが、これは前頭鼻突起と上顎突起の骨の形成が部分的に障害されるためといわれている。そして、この原因の多くは細胞死によるとされており、顎顔面に移動してくる神経堤細胞の移動や増殖が阻害されるためと考えられている。

(3)レチノイン酸過剰投与胎仔の耳介の位置変化について

 胎齢19.5日目胎仔のレチノイン酸投与群と対照群胎児の耳介の位置を比較したところ、レチノイン酸過剰投与胎仔の耳介は後方への位置移動が強く障害されていることが示された。

 これはレチノイン酸過剰投与胎仔の上顎突起に著明な形成障害が認められることから、その胎仔の中顔面の多くの部分に発育障害が生じ、そのため耳介の発生する位置が後方に移動することを阻害しているものと考えられた。このことから正常なラット胎仔の耳介では、第1鰓弓の上顎突起の発育成長に伴い次第にその位置を後方へ変えていくと考えられた。またヒト胎児の耳介でも同様に、上顎突起の成長発育に伴い後方にその位置を変えていくものと推測された。

 以下にこれらの結果を示す。

 1.ラット胎仔の第1鰓弓の下顎突起と第2鰓弓に3個ずつ、計6個の耳介隆起が観察され、その他に耳介の立ち上がりに関与している2つの隆起が新たに確認された。ヒト耳介の形態はラット耳介よりも複雑なことから、6個の耳介結節以外に新たに結節が存在する可能性が考えられる。

 2.ラット耳介の耳珠間の陥凹部は、第1鰓溝前方癒合部ではなく第2鰓弓から生じ、その位置の変化は認められなかった。そのためラット胎仔の耳介に回転移動は生じていないものと考えられる。ヒト胎児の耳珠間切痕も第2鰓弓から生じて同様に回転移動していないものと推測される。

 3.ラット耳介の対耳輪は耳介隆起から発生するのではなく、第1鰓溝部の一部分が盛り上がることで形成されているものと考えられた。

 4.レチノイン酸投与ラット胎仔の上顎突起に著明な発育障害が認められ、レチノイン酸は頭側にある神経堤細胞に強く影響を与えることが示唆される。

 5.ラットの耳介は主に上顎突起の発育成長に伴い、その位置を次第に後方に変えていくものと考えられた。

審査要旨

 本研究はいまだ十分に解明されていない耳介発生過程を明らかするために、ラット全胚培養法を用いてラットの耳介形成観察を行い、その発生過程を明らかにすることを先ず試みている。さらにヒト耳介で述べられている耳介発生に伴う耳介回転移動を明らかにするため、レチノイン酸を過剰投与したラット胎仔と正常胎仔の耳介が形成される位置の違いを観察し、胎仔の耳介移動について明らかにすることを試みたものであり、下記の結果を得ている。

 1.ラット胎仔の第1鰓弓の下顎突起と第2鰓弓に3個ずつ、計6個の耳介隆起が観察され、その他に耳介の立ち上がりに関与している2つの隆起が新たに確認された。ヒト耳介の形態はラット耳介よりも複雑なことから、6個の耳介結節以外に新たに結節が存在する可能性が考えられる。

 2.ラット耳介の耳珠間の陥凹部は、第1鰓溝前方癒合部ではなく第2鰓弓から生じ、その位置の変化は認められなかった。そのためラット胎仔の耳介に回転移動は生じていないものと考えられる。ヒト胎児の耳珠間切痕も第2鰓弓から生じて同様に回転移動していないものと推測される。

 3.ラット耳介の対耳輪は耳介隆起から発生するのではなく、第1鰓溝部の一部分が盛り上がることで形成されているものと考えられた。

 4.レチノイン酸投与ラット胎仔の上顎突起に著明な発育障害が認められ、レチノイン酸は頭側にある神経堤細胞に強く影響を与えることが示唆される。

 5.ラットの耳介は主に上顎突起の発育成長に伴い、その位置を次第に後方に変えていくものと考えられた。

 以上、本論文ではラット全胚培養法を用いて培養したラット胎仔の耳介観察と、レチノイン酸過剰投与ラット胎仔と対照胎仔の耳介形成の違いを比較検討することで、従来のヒト耳介発生説とは異なる幾つかの新しい知見がラット胎仔で得られた。

 本研究は従来から述べられているヒト耳介発生説とは異なる耳介の発生過程がヒト胎児においても生じている可能性を示唆するものであり、今後の顎顔面発生研究に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

UTokyo Repositoryリンク