学位論文要旨



No 214380
著者(漢字) 道田,豊
著者(英字)
著者(カナ) ミチダ,ユタカ
標題(和) 船舶搭載型ADCPデータの解析による黒潮及び表層エクマン層の構造
標題(洋) Structure of the Kuroshio and the surface Ekman layer by current data analysis of shipborne ADCP
報告番号 214380
報告番号 乙14380
学位授与日 1999.07.12
学位種別 論文博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 第14380号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 杉ノ原,伸夫
 東京大学 教授 平,啓介
 東京大学 教授 住,明正
 東京大学 助教授 川辺,正樹
 東京大学 助教授 安田,一郎
内容要旨

 1985年から1995年にかけて海上保安庁水路部が日本近海において観測した、船舶搭載型音響ドップラー流速計(Acoustic Doppler Current Profiler、以下ADCPという)による海流データを解析し、日本南岸を流れる黒潮の流速構造及び日本近海における表層エクマン層の構造を明らかにした。ADCPは、海洋表層の複数層の流速を、搭載船舶の航跡に沿って他に類のない時空間密度で観測することが可能であり、この特徴を利用して前述の構造を解析した。

 本研究で用いたADCPは、その特性等についてこれまでに詳細な記述や報告が行われている4本の音波ビームを用いるものとは異なり、音波ビームを3本使用するものであることから、まず、その原理、誤差要因とその補正の手法について記述した。また、海上保安庁が構築し維持している日本近海におけるADCPによる海流観測網の現状、ADCPの観測技術としての長所について例を挙げて記述した。その後、黒潮の流速構造、表層エクマン層の構造について議論した。

 黒潮のような強勢な海流の流速や渦度の分布は、そうした海流の力学を議論する際の鍵となる問題の一つであることから、空間的に密な海流データを取得できるというADCPの長所を生かした解析が期待される。また、海上を吹く風によって引き起こされる海流は、表層エクマン層を通して風から運動量やエネルギーを獲得するため、その構造の理解は海洋物理学における重要課題の一つであり、Ekmanの理論以来、多くの研究が行われてきた。しかし、これまで、海洋表層の複数層の海流を効率的に観測する手段は極めて限られていたことから、現実の海におけるエクマン層の実態(エクマン深度の時空間変化など)や渦動粘性係数の典型的な値に関して、多くの観測事実に基づいた研究成果は得られていない。そのため、海洋表層の複数層の流速を効率的に観測できるというADCPのもう一つの長所を生かし、蓄積されたADCPデータを解析して、日本近海におけるエクマン層及び渦動粘性係数の特性を明らかにすることが期待される。

 黒潮の流速構造に関しては、日本南岸の黒潮を南北に(流れを横断する方向に)横切る観測線2本に沿って6年間の間に12回繰り返して観測されたADCPデータを解析した。その結果、これらの観測線上の黒潮流速の東西方向成分の南北分布は、黒潮が岸寄りを流れている場合(接岸時:coastal mode)と沖合いを流れている場合(離岸時:offshore mode)とで異なっていることがわかった。すなわち、接岸時の流速分布は黒潮の主流をはさんで非対称で、岸側では沖側に比べて急速に流速が減少するのに対して、離岸時の流速分布は黒潮の主流をはさんでほぼ対称的である。そしてこのことを反映して、流速分布から得られた相対渦度は、離岸時に黒潮主流の両側で約0.2x10-4 sec-1という同程度の値を示す一方で、接岸時には、沖側の相対渦度は約0.2x10-4 sec-1という離岸時とほぼ同じ値であるのに対して岸側では0.4〜0.6x10-4 sec-1と沖側の二〜三倍の値となり、惑星渦度に匹敵する大きさとなっている。接岸時の流速分布や相対渦度の値は、過去の報告を支持する結果である。しかし、多くの観測結果をもとに、黒潮の流速分布が接岸時と離岸時で異なっていることを示し、平均的な渦度の値を評価したのは本研究が初めてであり、黒潮の力学を理解するうえで重要な観測事実を示したものである。

 表層エクマン層の構造に関しては、ADCPによって観測された複数層の流速データを用い、Ekmanの理論に基づいてエクマン層の深度(エクマン深度:エクマン流速が海面における大きさの1/eになる深さ。eは自然対数の底)を見積もった。得られたADCP流速データのうち、観測層の組み合わせとして最も多いもの(10m,50m,及び100m)を選び出し、最下層(100m層)の流速を基準として上部2層の相対流速を計算した。それら相対流速を用いて、エクマン深度を二つの方法で求めた。すなわち、相対流速の大きさの比から求め、かつ二つの相対流速ベクトルのなす角度からも求めた。二つの方法で求めたエクマン深度が、適当に定めた基準の範囲内で近い値を示す場合、これをエクマン層が観測された場合と考えた。このようにして見積もった日本近海のエクマン深度は、約40mで、エクマン深度から評価した鉛直渦動粘性係数は、約0.09m2/secという値を得た。これは、限られた海域・期間の流速データをもとにした従来の見積もり(0.001m2/secのオーダーから0.53m2/secの範囲)と比較して、中間的な値である。得られたエクマン深度は、夏季に浅く冬季に深いという季節変化を示し、鉛直渦動粘性係数もエクマン深度と同様の季節変化を示した。また、夏季及び冬季とも、日本海における鉛直渦動粘性係数が、太平洋に比べて大きくなっていることがわかった。本研究による見積もりは、従来のものに比べ、広い海域における長期間のデータに基づいていることから、日本近海におけるエクマン深度及び鉛直渦動粘性係数の典型的な値が得られたものと考えられる。

審査要旨

 1980年代に実用化された船舶搭載型音響ドップラー流速計(Acoustic Doppler Current Profiler,ADCP)は、海洋上層の複数層の流速を空間的に非常に高密度で測定出来る利点があり、特に海洋上層循環の研究にとって画期的な変革をもたらす可能性を秘めている。

 本論文は、1985年から1995年にかけて海上保安庁水路部が日本近海において取得した船舶搭載型ADCPによる流速データを解析し、日本南岸を流れる黒潮の流速構造そして日本近海における表層エクマン層の特性を明らかにしたものである。内容は3つの部分よりなっている。

 まず、第1部(第2節に対応)では、論文提出者がシステムの導入から稼動まで中心的に関わってきた海上保安庁のADCPシステムについて、測定原理及び誤差要因とその補正の手法を記述している。また、海上保安庁が構築し維持している日本近海における船舶搭載型ADCPによる海流観測網の現況を説明し、船舶搭載型ADCPの観測手法としての長所について例を挙げて議論している。

 第2部(第3節)では、日本南岸の黒潮を南北(流れを横断する方向)に横切る観測線2本に沿って繰り返して観測して取得されたADCPデータを解析した。その結果、これらの観測線における黒潮流速の東西成分分布は、黒潮流路が接岸している場合と離岸している場合とでは異なることを見い出した。すなわち、接岸時の流速分布は黒潮主軸に関して非対称で岸側では沖側に比べて急激に流速が減少するのに対し、離岸時には黒潮主軸に関してほぼ対称である。それに伴って、流速分布から得た相対渦度は、離岸時に黒潮主軸の両側で約0.2×10-4 sec-1という値を示すが、接岸時には沖側の相対渦度は約0.2×10-4 sec-1という離岸時とほぼ同じ値であるのに対して、岸側では0.4〜0.6×10-4 sec-1と沖側の2〜3倍の値となることを示した。この接岸時の岸側の相対渦度は惑星渦度に匹敵する大きさである。このように多くの観測データを基にして、黒潮構造の接岸時と離岸時の違いを、初めて定量的に把握した。これは黒潮の力学を理解する上で重要な情報となる観測事実である。

 第3部(第4節)では、日本近海における表層エクマン層の特性を明らかにした。蓄積されたADCPによる複数層の流速データから、観測層の組み合わせとして最も数の多いもの(海面下10m、50m、100m)を選び出し、100m層の流速を基準として上部2層の相対流速を計算した。次にそれらの相対流速を用いて、エクマンの理論に基づいて相対流速のなす角度及び大きさの比からそれぞれエクマン深度を見積もった。2つの方法によるエクマン深度が適当に定めた基準の範囲内で一致する場合を、エクマン層が観測されたものとした。この基準を満たすデータは総データの約5%である。その結果、日本近海におけるエクマン深度は約40m、これから導かれる鉛直渦動粘性係数は0.09m2/secという値を求めた。また、得られたエクマン深度は夏季に浅く冬期に深いという季節変動を示した。それに伴って鉛直渦動粘性係数も同様の季節変動の傾向を示す。この見積りは、広い海域と長期間に渡って取得された莫大な数のデータに基づいており、日本近海における値として信頼すべきものが得られたものと評価できる。これは、洋上を卓越する風から海洋への運動量やエネルギー輸送の理解を一歩進めたことになる。

 本論文は、空間的に密な流速データの取得が可能な船舶搭載型ADCPの長所を生かし、長期間に渡って蓄積された莫大なADCPデータを解析して、黒潮構造の接岸時と離岸時の相違を定量的に把握し、日本近海における信頼に足る表層エクマン層の厚さとそれから導かれる鉛直渦動粘性係数を求めたものである。この研究成果は、海洋物理学の発展に貢献すると共に海洋上層循環の解明に対する船舶搭載型ADCPの画期的な利用法を提案したことになる。

 よって、本論文は博士(理学)の学位論文として合格と認める。

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