学位論文要旨



No 214382
著者(漢字) 後藤,文之
著者(英字)
著者(カナ) ゴトウ,フミユキ
標題(和) 形質転換植物におけるフェリチン遺伝子のエクトピック発現による鉄蓄積の評価
標題(洋) Evaluation of iron accumulation by ectopic expression of ferritin gene in transgenic plants
報告番号 214382
報告番号 乙14382
学位授与日 1999.07.12
学位種別 論文博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 第14382号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 森,敏
 東京大学 教授 平井,篤志
 東京大学 教授 内宮,博文
 東京大学 教授 西澤,直子
 東京大学 助教授 平野,博之
内容要旨

 鉄は人間にとって必須のミネラルであり、鉄の不足は,深刻な栄養上の問題を引き起こす。世界人口の約30%は鉄不足による貧血などの問題を抱えている。植物質を食物の基本としている場合は、特に問題となっている。鉄剤の投与により、鉄不足を防いだり制御することは可能であるが、途上国民にとってはコストや社会的な取り組みの不足等により難しいものとなっている。幾つかの作物、例えば、ホウレンソウや豆類では、鉄含有量が高いことが知られている。しかし、そのような植物は蓚酸や燐酸複合体という、人間が鉄を吸収する場合、それを阻害する物質を含んでいる。一方、植物中の鉄含有量を増加させるために、水耕栽培の溶液や、土の鉄濃度を上げる試みもなされている。しかし、そのような方法は、コストが高かったり、植物の特定の組織にのみ鉄分を蓄積させたりはできない。従って、生物学的に吸収されやすい鉄を多く含有する作物を作出するには、作物の遺伝的改良による方法が有用であると考えられる。特に、近年、発達してきた遺伝子工学的手法により、鉄貯蔵に直接関与するタンパク質の遺伝子を植物へ導入することができれば、効果的に目的を達成できるはずである。

 遺伝子工学的に植物の鉄含有量の向上を考える場合、生体の他の機能に関して影響を及ぼさないように留意せねばならないが、この問題はシンクとしての機能を持つ貯蔵分子を改良することで解決できる。鉄は、植物においてはフェレドキシン等の機能分子として利用されるほかにフェリチンと呼ばれる内部に鉄を貯蔵するタンパク質に存在することが知られている。すなわち植物体中のフェリチン含有量を高めることで、フェレドキシン等の機能分子に影響を与えることなく、鉄含有量だけを向上できると考えられる。フェリチンは分子量約540kDaの巨大なタンパク質であり、1分子に最高4500の鉄原子を蓄積することができる。

 本研究は、フェリチン遺伝子を用いることによる、高鉄含有植物の作出の可能性を示すことを目的におこなった。最初に、遺伝子工学的手法が高鉄含有植物の育種に適切であるかどうかを評価するために、植物へ導入した遺伝子の核ゲノムへの組み込み様式とその後代への遺伝を3世代にわたりサザンブロット法により解析した。2番目に、ダイズからクローニングしたフェリチン遺伝子をタバコへ導入し、その発現と鉄含有量との関係について解析した。3番目にタバコと同じ双子葉植物であり食用植物であるレタスへフェリチン遺伝子を導入し、フェリチン遺伝子の発現による他の一般形質への影響を検討した。最後に、日本人にとって最重要穀物であるイネを材料に、単子葉植物においてもフェリチン遺伝子が発現するか、発現した場合、組織特異的なプロモーターによる制御を受けているのかをmRNAおよびタンパク質レベルで解析した。さらに結果として、米に特異的に鉄を蓄積できるかどうかを検討した。

(1)外来遺伝子の形質転換体ゲノムへの組込み様式と後代への遺伝

 植物へ導入された外来遺伝子はメンデルの法則により後代へ遺伝することは知られているが、宿主のゲノムへの組み込みパターンと後代への遺伝についての詳細な研究はなされていない。遺伝子組換えを利用した育種をする場合には、これらの知見は必須であると考え、研究をおこなった。

 エレクトロポーレーション法によりハイグロマイシン(hph)耐性遺伝子とグルクロニターゼ(GUS)遺伝子を別々のベクターを介して同時にイネへ導入した。得られた12系統の形質転換体と非形質転換体の当代から3代目までのゲノムDNAを抽出し、プローブと制限酵素の18の組み合わせでサザンブロット分析した。同時に、ハイグロマイシン耐性について分離比検定を行った。

 その結果、ゲノムへは完全なhphの他に機能しないDNAフラグメントが組込まれることがわかった。ただし、プラスミドが切断される場所は個体により異なっていた。また、遺伝子の発現が強い場合にはメンデルの法則による遺伝を示したが、発現が弱い系統では、はっきりしたメンデル遺伝が見られない場合があった。さらに、GUSとhphは同じローカスに組込まれるため、後代において両者が分離しない場合と、別のローカスに組込まれることにより、両者を分離できる場合が観察された。以上のことから、外来遺伝子は宿主ゲノムに組込まれ、数世代にわたり安定してメンデルの遺伝法則に従うことが分かった。

(2)形質転換体における鉄含有量とフェリチン含有量の相関

 本研究の根本の命題であるフェリチン遺伝子による鉄の蓄積が起こり得るのか、また、蓄積する場合において遺伝子発現と鉄含有量の関係がどのようになっているかを実験植物であるタバコを用いて検討した。

 アグロバクテリウム法によりタバコへフェリチン遺伝子を導入した。フェリチン遺伝子はカリフラワーモザイクウイルス(CaMV)35Sプロモーターで制御されている。形質転換体の葉からタンパク質を抽出し、ウエスタンブロット法によりフェリチンの発現量と修飾について解析するとともに、鉄の含有量を測定した。

 その結果、個体により差はあるもののフェリチンは発現されており、葉緑体への輸送シグナルであるトランジット・ペプチド(TP)が切断され成熟型のサブユニットになることが確かめられた。そして、各個体の鉄含有量とフェリチンの発現量との間に、相関関係(R=0.87)が認められた。最も鉄含有量が多い個体の鉄含有量はコントロールの1.3倍であった。さらに、免疫組織的な観察によりフェリチンが植物体全体で発現していることが分かった。以上のことから、植物中の鉄含有量を増加させるためにはフェリチン遺伝子の利用が有効であるということが示された。

(3)フェリチンを発現する形質転換体における鉄の蓄積と生育量の増加

 前述のようにフェリチン遺伝子の有用性が認められたので、商品作物であるレタスを対象にして同様な実験を行った。この場合、鉄の蓄積以外の表現型が極端に母品種と異なると問題となるため、実際に栽培して、母品種であるコントロールと形質転換体の表現型を観察した。

 その結果、レタスでもタバコの場合と同様にフェリチンの発現と鉄の蓄積が認められた。コントロールと比較して形質転換体では、最大1.7倍の鉄含有量の増加があった。一方、他の重金属の動向を探るため、鉄と生体内での挙動が類似しているマンガンの含有量を測定したが、コントロール植物と差は認められなかった。次に成長量を調べるために、発芽時の幼植物体の生重量、播種後3ヶ月後の高さ、及び種子重量を指標にしてコントロールと比較した。その結果、形質転換体の方がコントロールより全ての指標で上回っていた。また、形質転換体の光合成速度はコントロールの1.5〜1.8倍になっていた。しかし、外見に関して奇形を呈することはなかった。以上のことから、フェリチン遺伝子導入作物は鉄のみを蓄積し、他の重金属を蓄積しないことが示唆された。また、外来フェリチン遺伝子の発現により、特に問題となるような表現型は出現せず、むしろ旺盛な生育を新たに付与できることが明らかとなった。

(4)種子特異的にフェリチンを発現させた場合の鉄含有量の増加

 フェリチン遺伝子が単子葉植物でも機能するか、また、フェリチンを組織特異的に発現させた場合に、鉄を蓄積できるかどうかをイネを用いて検討した。

 イネの種子貯蔵タンパク質グルテリンのプロモーター(GluB-1)で制御されるフェリチン遺伝子をアグロバクテリウム法でジャポニカ米に導入した。遺伝子の発現をmRNAレベルで解析するために逆転写PCR法を適用した。また、フェリチンの存在をウエスタンブロット法で確認するとともに免疫組織学的観察をおこなった。次に、米全体にに含まれる鉄分を測定した。また、組織毎(胚、胚乳、葉、茎、根)に鉄含有量を測定した。

 結果として、まず、フェリチンmRNAが形質転換体の種子にのみ存在することが分かった。また、タンパク質レベルでは、双子葉植物と同様にTPが切断された成熟型のサブユニットになることが確かめられた。さらに、フェリチンの胚乳への局在が、免疫組織染色により明らかになった。一方、形質転換体の米における鉄含有量はコントロールと比較して最大3倍程度となった。しかし、葉、茎、根においては両者の鉄含有量には差がなかった。米の中で鉄分は、フェリチンの分布と一致して胚ではなく胚乳に特異的に蓄積されていることが分かった。以上のことから、フェリチン遺伝子は単子葉植物でも機能すること、GluB-1プロモーターにより胚乳特異的に鉄を蓄積することが示された。

 以上の研究によって、フェリチン遺伝子を導入した植物では、鉄の含有量が増加し、その形質が安定して後代へ遺伝することが想定された。また、ダイズフェリチンは、形質転換した双子葉植物と単子葉植物の両方で差がなく、機能することがわかった。さらに、プロモーターを選択することで植物全体に、または、組織特異的にフェリチン遺伝子を発現させ、その組織にのみ、鉄を蓄積できることが示された。また、フェリチン遺伝子を恒常的に発現させると旺盛な生育を示すことがわかった。これらの知見は、外来フェリチン遺伝子を用いて、鉄含有量が高い作物の分子育種が可能なことを示しただけでなく、生長の早い植物を作出する可能性を明らかにしたと言える。

審査要旨

 世界人口の約30%は鉄不足による貧血などの問題を抱えている.植物質のみを食物の基本としている地帯では,特に問題となっている.

 第1章は総論で,その解決策として,生物的に吸収されやすい鉄を多く含有する作物を遺伝子工学的に作出する事を考え,植物体中の鉄貯蔵タンパクであるフェリチン含有量を高めることで,フェレドキシンなどの機能分子に影響を与えることなく,鉄含有量だけを向上できるはずである,と考えた本論文の研究方針について述べている.

 フェリチンは分子量的540kDaの巨大なタンパクであり,1分子に最高4500の鉄原子を蓄積することが出来る.

 第2章では,遺伝子工学的手法が高鉄含有植物の育種に適切であるかどうかを評価するために,植物へ導入した遺伝子の核ゲノムへの組み込み様式と,その後代への遺伝を3世代にわたりサザンブロット法により解析した.

 つぎに第3章ではダイズからクローニングしたフェリチン遺伝子をタバコへ導入し,その発現と鉄含有量との関係について解析した.

 第4章では,タバコと同じ双子葉植物であり食用植物であるレタスヘフェリチン遺伝子を導入し,フェリチン遺伝子の発現による他の一般形質への影響を検討した.

 最後に,第5章では,日本人にとって最重要穀物であるイネを材料に,単子葉植物においても,フェリチン遺伝子が発現するか,発現した場合,組織特異的なプロモーターによる制御を受けているのかを,mRNAおよびタンパク質レベルで解析した.更に結果として,コメに特異的に鉄を蓄積できるかどうかを検討した.

 以上の結果,フェリチンを遺伝し導入した植物では,鉄の含有量が増加し,その形質が安定して後代へ遺伝することが想定された.またダイズフェリチンは,形質転換した双子葉植物と単子葉植物の両方で差が無く,機能することが分かった.さらに,プロモーターを選択することで,植物全体に(35Sプロモーターの場合),または.組織特異的(イネグルテリンのプロモーター,GluB-1,の場合)にフェリチン遺伝子を発現させ,その組織にのみ,鉄を蓄積できることが示された.また,フェリチン遺伝子を恒常的に発現させると,旺盛な生育を示すことが分かった.

 これらの知見は,外来フェリチン遺伝子を用いて,鉄含有量が高い作物の分子育種が可能なことを示しただけでなく,成長の早い植物を作出する可能性を明らかにしたもので,学術上,ならびに,応用上貢献するところが少なくなく,よって審査委員一同は,本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた.

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