第I章研究の背景と目的 侵襲の大きな手術後や蛋白代謝障害併存患者の術後には、全身の蛋白崩壊が亢進する。このような術後の異化亢進が、縫合不全や敗血症などの重篤な合併症の発症・悪化に結び付く可能性が指摘されている。なかでも肝硬変などの蛋白代謝障害を呈する肝障害併存患者では、外科手術後の合併症発生率や手術死亡率が高いことは周知の事実である。このような肝障害併存患者での術後の重症合併症の予防や治療には、蛋白代謝の改善が役立つと考えられる。しかし、従来の高カロリー輸液などの栄養管理法では術後蛋白代謝の改善が困難な症例も増加しており、これらの症例では蛋白代謝を改善する何らかの別の方法が必要となる。 その方法のひとつに、蛋白同化促進作用をもつ成長ホルモン(GH)やそのメジエータで主に肝臓で合成・分泌されるインスリン様成長因子-1(Insulin-like Growth Factor 1、IGF-1)の投与が考えられる。肝障害患者では非侵襲下でもGH/IGF-1 axisが健常生体とは異なっていることが報告されている。しかし、肝障害患者の周術期のGH/IGF-1 axisの変動については、これまでに報告がなくその詳細は未だ不明である。肝障害患者ではGHの蛋白代謝改善作用を媒介する肝IGF-1の合成障害があるため、肝障害が高度になるにつれ、GH投与では十分な術後蛋白代謝改善効果が得難くなると予想される。一方、IGF-1投与なら肝障害患者でも十分な術後蛋白代謝改善効果が得られることが期待される。しかし、GHやIGF-1の投与による肝障害併存動物・患者での術後蛋白代謝改善効果の検討は、これまで実験的にも臨床的にも行われていない。 そこで本研究は、1)肝障害併存患者での術後蛋白代謝とGH/IGF-1 axisの関係を明らかにし、2)肝障害併存動物へのGH・IGF-1投与の術後蛋白代謝改善効果を検討する目的で、以下の臨床的・実験的研究を行った。 第II章肝硬変併存肝切除術におけるGH/IGF-1 axisと術後蛋白代謝の検討 目的:肝障害併存患者での、周術期GH/IGF-1 axisの特徴およびGH/IGF-1 axisと術後蛋白代謝の関係を明らかにする。 方法:肝硬変併存肝切除患者と肝硬変非併存肝切除患者を対象に、周術期のGH値・IGF-1値の変動を測定した。また、肝機能、術後累積尿中窒素排泄量、15Nグリシン法による全身蛋白回転を測定し、IGF-1値との関連を検討した。さらに術後合併症発生とIGF-1値との関連も検討した。 結果:肝硬変併存症例では周術期の血中GHが高値であるにもかかわらず血中IGF-1値は低値であった。肝硬変併存症例は術後累積窒素排泄量が多く、術後全身蛋白代謝回転は低値であった。また、血中IGF-1値はICG-15分停滞値とは負の相関が、術後全身蛋白回転とは正の相関があった。さらに、術後合併症発生例の血中IGF-1値は非発生例より低値だった、などの結束が得られた。 小括:肝硬変併存症例では周術期のGH/IGF-1 axisが肝硬変非併存症例と異なっているおり、とくに肝硬変併存症例では周術期の血中IGF-1の低値が特徴的であること、また血中IGF-1の低値は術前の肝機能低下、術後蛋白代謝悪化、さらには術後合併症発生に密接に関連していることなどが示唆された。 第III章正常肝動物での術後GH、IGF-1投与の効果検討 目的:正常肝ラットでの術後蛋白代謝改善効果を発揮するGHとIGF-1それぞれの投与量を決定する。 方法:正常肝ラットでの胃切除術後にさまざまな濃度のGHまたはIGF-1を投与し、血中IGF-1値、術後累積尿中窒素排泄量、15Nグリシン法による全身蛋白回転、肝IGF-1 mRNAの発現量を測定した。 結果:術後GH 0.8IU/kg/day投与またはIGF-1 4mg/kg/day投与はいずれも、血中IGF-1濃度を高め、術後累積尿中窒素排泄量を減少させ、全身蛋白回転を上昇させた。また、GH投与で肝IGF-1 mRNAの発現が増強することが確認された。 小括:GH 0.8IU/kg/dayまたはIGF-1 4mg/kg/dayはいずれも正常肝ラットの術後全身蛋白代謝を改善する。 第IV章軽症肝障害モデルでの術後GH、IGF-1投与の効果検討 目的:軽症肝障害モデルラットでの術後GH投与、IGF-1投与の術後全身蛋白代謝効果を比較する。 方法:0.05%チオアセトアミドを6カ月間経口投与し軽症肝障害ラットを作成した。この軽症肝障害ラットでの胃切除術後にGH0.8IU/kg/dayまたはIGF-1 4mg/kg/dayを投与し、正常肝ラットと同様に血中IGF-1濃度、術後蛋白代謝、肝IGF-1 mRNAの発現量などを測定した。 結果:GH投与は血中IGF-1濃度を高め、術後累積尿中窒素排泄量を減少させたが、正常肝ラットと異なり全身蛋白合成率の改善は認められなかった。一方、IGF-1投与は正常肝ラットと同様に血中IGF-1濃度を高め、術後累積尿中窒素排泄量を減少させ、さらに全身蛋白合成率も高めていた。肝IGF-1 mRNA量は正常肝ラットと同様に、GH投与で増加したがIGF-1投与では変化しなかった。 小括:軽症肝障害では、術後GH投与では十分な蛋白代謝改善効果は得られなかったが、IGF-1投与は十分な蛋白代謝改善効果を発揮した。 第V章重症肝障害(肝硬変)モデルでの術後GH、IGF-1投与の効果検討 目的:重症肝障害モデルラットでの術後GH投与、IGF-1投与の術後全身蛋白代謝効果を比較する。 方法:0.05%チオアセトアミドを10カ月間経口投与し重症肝障害(肝硬変)ラットを作成した。この重症肝障害ラットでの胃切除術後にGH 0.8IU/kg/dayまたはIGF-1 4mg/kg/dayを投与し、正常肝ラットと同様に血中IGF-1濃度、術後蛋白代謝、肝IGF-1 mRNAの発現量などを測定した。 結果:GH投与は術後累積尿中窒素排泄量を減少させたが、血中IGF-1濃度を高めず、全身蛋白合成率も改善しなかった。また、IGF-1投与は血中IGF-1濃度を高め術後累積尿中窒素排泄量を減少させたが、正常肝ラットや軽症肝障害ラットと異なり全身蛋白合成率の改善は認められなかった。また、IGF-1投与のみならず、GH投与でも肝IGF-1 mRNA量は増加しなかった。 小括:重症肝障害ラットでは術後GH投与、IGF-1投与のいずれでも十分な術後蛋白代謝改善効果は得られなかった。 第VI章結論 以上の臨床的、実験的検討から、以下の結論が得られた。 1)肝硬変症例では周術期のGH/IGF-1 axisに異常がみられ、とくに術後血中IGF-1低値が特徴的である。これが術後蛋白代謝異常や術後合併症頻発に関与していると考えられ、このため肝硬変症例では術後血中IGF-1値を上昇させ術後蛋白代謝を改善させる必要がある。 2)軽症肝障害ではIGF-1投与の方がGH投与より術後全身蛋白代謝改善効果が優れており、IGF-1投与は軽症肝障害生体の術後蛋白代謝改善法としてGH投与より有望である。 3)重症肝障害ではGH投与、IGF-1投与の術後全身蛋白代謝改善効果は、正常肝生体の場合より同程度に劣っている。したがって、重症肝障害生体でのGH投与やIGF-1投与による術後蛋白代謝改善については、投与量・投与方法などのさらなる工夫が必要である。 |