学位論文要旨



No 214398
著者(漢字) 鎮西,恒雄
著者(英字)
著者(カナ) チンゼイ,ツネオ
標題(和) 生体適合性材料表面へのタンパク吸着の実時間計測と制御
標題(洋)
報告番号 214398
報告番号 乙14398
学位授与日 1999.07.28
学位種別 論文博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 第14398号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 上野,照剛
 東京大学 助教授 安藤,譲二
 東京大学 教授 輕部,征夫
 東京大学 教授 柴田,洋一
 東京大学 教授 高本,眞一
内容要旨 1.目的

 生体内での人工材料表面へのタンパク吸着は、人工臓器に使用される生体適合性材料やセンサの性能、耐久性を決定する重要な因子である。これは、生体内に導入した人工材料はその素材の種類に関わらず、表面にアルブミン、-グロブリンなどの血漿タンパクが吸着し、この吸着したタンパクの種類、量、分布が凝固系、免疫系を通じて生体に認識されるためである。

 本研究では人工材料表面へのタンパク吸着を、表面プラズモン共鳴(Surface Plasmon Resonance:SPR)およびOptical Waveguide Microscope(OWM)を用いて実時間計測を行った。さらに材料の表面に電界を形成することで、タンパク吸着を制御する手法について検討した。具体的には、まずSPR、OWMの計測装置の製作から始めて、金表面への-グロブリン吸着をSPRで、ポリウレタン表面へのアルブミン、-グロブリンの吸着をOWMで観察した。またヘパリン加全血とポリウレタンとの反応をOWMで観察した。最後にポリウレタン表面へのアルブミン吸着に直流電界が及ぼす影響を計測した。

2.方法2.1表面プラズモン顕微鏡、OWM計測装置の製作、試料の作成

 図1に本研究で製作したSPR、OWMの光学系の構成を示す。SPR、OWMは試料の作成方法に相異があるのみで、計測装置の構成は全く同じであるため、同一の装置で計測することができる。図2にSPR、OWM計測で使用するキュベット部分の構成図を示す。

図1 製作したSPM、OWMの光学系の構成図2 SPM、OWM装置キュベット部の構成

 試料は、平行平面ガラス基板にクロムを10Å、さらに金を430Å重ねて真空蒸着し金属薄膜とした。SPRの構成では、この試料を金属薄膜を内面としてキュベットに装着した。OWMの構成では、金属薄膜にさらに重ねて10%ポリウレタン溶液をスピンコータで2mコーティングし、試料とした。

2.2タンパク吸着の計測法

 タンパク溶液として、アルプミンーリン酸パッファ(PBS)溶液(4g/dl)、-グロブリン-PBS溶液(1.2g/dl)を使用した。金表面への-グロブリン吸着の計測では、キュベット内に満たされた生理食塩水を急速に-グロブリン溶液に置換したときの反射率の経時変化を計測した。引き続いて反射率がほぼ一定になったのちに、キュベット内の-グロブリン溶液を生理食塩水で洗浄した。同時に入射角-反射率プロファイルを-グロブリン溶液への置換前、置換後、生理食塩水洗浄後の3点で計測した。ポリウレタン表面へのアルブミン、-グロブリン吸着の計測でも、前記と同様にタンパク溶液で急速置換、生理食塩水洗浄を行い、反射率の経時変化、入射角-反射率プロファイルを計測した。同様の計測をヘパリン加全血についても行った。

2.3電界の影響の計測法

 図3に材料表面に電界を形成するために製作したキュベットの構造を示す。ガラス基板に蒸着したクロム-金薄膜を一方の電極とし、さらにそれに対向する電極の間に電位を加える。溶液-蒸着膜間の電位は別に参照電極を設け計測した。このキュベットを用いて、直流電界下でのポリウレタン表面へのアルブミン吸着をOWMで計測した。

図3 材料表面に電界を形成する対向電極構造

 まず、電極間の電位を変化させたときのアルブミン吸着の変化を調べた。PBSで満たされた電極間に金薄膜側を正として0.6Vの電位を加え、PBSをアルブミン溶液で急速に置換する。6分の経過観察後、電極間の電圧を0Vとした。さらに、20分後に電極間の電圧を0.6Vに戻した。この間の反射率の経時変化、入射角-反射率プロファイルをOWMで計測した。次に、双方の電極間の初期電位を-1000mVから+1000mVまで変化させながら、OWMでアルブミン吸着量の変化を計測した。

3.結果

 表1に金--グロブリン、ポリウレタン-アルブミン、ポリウレタン--グロブリン、ポリウレタン-ヘパリン加全血について、吸着反応の立ち上がり、吸着膜厚、入射角-反射率ディップ形状についてまとめた。-グロブリン分子はその大きさが12nmであり、計測された膜厚から-グロブリンは金、ポリウレタン表面に単層で吸着していると推定された。ディップの形状も整っており、均一に吸着していることが示唆される。また、洗浄後も-グロプリンはほとんど解離せず、強く吸着していることが示唆される。

表1 吸着計測のまとめ

 アルブミン分子の大きさは、4×8nmなので、アルブミンのポリウレタンへの吸着膜厚は、洗浄前で5層程の多層吸着に、洗浄後で単層に相当する。しかし、洗浄前、洗浄後ともにディップ形状は理論値に比べて幅広くかつ浅い。これは、表面の不均一性を表していると考えられた。これらのことから、アルブミンは材料表面に単分子膜を形成し、さらにその上に可逆的吸着し、多層膜となっていると思われた。また、洗浄後も均一な単分子膜とはならず、不均一な多層膜となっていると推定された。

 次に、電極間の電位を変化させたときのアルブミン吸着の変化を図4に示す。反射率は、アルブミン溶液への置換前後においては全く変化していない。しかし、印加電圧を0Vとすると反射率は増加を始め、約6分後に定値に達する。その後、再び印加電圧を0.6Vとすると、反射率はやや減少する。しかし、30分経過した後も基線へは到達していない。

図4 直流電界下でのポリウレタン表面へのアルブミン吸着

 双方の電極間の初期電位を変化させながら、アルブミン吸着量の変化を計測した結果を図5に示す。電極間に300mV-1000mVの電圧を印加した状態で、アルブミンの吸着が著明に抑制された。300mV以下の正電圧では、吸着量の時間変化の立ち上がりがやや遅れた。0Vあるいは、負電圧を印加した状態では、吸着の抑制は見られず、また電圧による吸着量の立ち上がりの変化は見られなかった。

図5 初期印加電圧とアルブミン吸着
4.考察4.1人工材料への血漿タンパク吸着の計測手法

 人工材料への血漿タンパク吸着を計測する手法としては,吸着前後の試料の微小重量変化を計る方法に始まり、Ellipsometry法、放射性同位元素抗原抗体法、金コロイド標識抗体法など数々の手法が試みられてきた。しかしそのいづれも吸着タンパクに何らかの処理を施したり、タンパク吸着面を露出して計測しなければならないなど、吸着反応を実時間で観察できなかった。このような理由で、吸着反応を実時間で計測できる手法としてSPR法が注目されるようになり、ポリスチレンへのアルブミン、-グロブリンの吸着をSPR法で計測した結果が最近報告されている。

 しかし、表面プラズモン共鳴法による計測は反応の前後におけるディップ位置の相対的変化として表され、何らかの別の手法で角度変化量を校正しなければ絶対量を計測できないという欠点がある。そこで本研究では、単独で吸着の絶対量が計測できる手法として新たにOWM法について検討を行った。

 SPR法とOWM法とを比較すると、計測装置の構成はほとんど同じであるが、以下のような相異がある。

 1)SPR法は表面プラズモン共鳴により金属薄膜表面近傍の変化を検出する。これに対し、OWM法は金属薄膜を透過したevanescent光の定在波により媒質界面の変化を検出する。

 2)SPR法で、吸着厚みを算出するには吸着物の屈折率を知る必要がある。OWMでは入射角-反射率プロファイルの解析のみで試料の屈折率と厚みが算出できる。

 3)計測に最適な高分子膜の膜厚はSPR法で30nm、OWM法で2mであり、OWM法では高分子膜試料の作成が容易である。

 4)OWM法ではSPR法に比べて小さい入射角で計測が可能であり、試料の照射範囲が狭くできる。

 5)OWM法ではSPR法に比べて計測すべき角度範囲が広く、測定精度が要求される。

 SPR法、OWM法はともに厚み方向はナノメータの分解能を持つが、面方向の分解能はこれに比べて劣る。面方向分解能はSPR法でほぼ10m、OWM法では通常の光学顕微鏡と同程度である。吸着物の不均一性がこの限界を超えるとき、入射角-反射率プロファイルの形状が理論値から外れてくる。これを利用して、計測した入射角-反射率プロファイルの形状を理論値と比較し、吸着の不均一性を評価した。

4.2人工材料へのタンパク吸着の実時間計測

 本研究で計測した金、ポリウレタンへの-グロブリン、アルブミンの吸着速度は他の報告によるSPR法で計測された銀、ポリスチレンへの-グロブリン、アルブミンの吸着反応とほぼ同様な傾向を示した。また、金、ポリウレタンへの-グロブリン吸着厚みも銀、ポリスチレンへの-グロブリン吸着と同様に単層でほぼ全面に吸着していることが示唆された。一方、ポリスチレンへのアルブミン吸着は-グロブリンと同様に単層でほぼ全面に吸着するとされているが、本研究で得られたポリウレタンへのアルブミシの吸着は多層で不均一に吸着していることが示唆されている。このポリスチレンとポリウレタンでのアルブミン吸着の相違は、金コロイド標識抗体法による報告でも確認されている。

 全血でのポリウレタン表面への吸着反応では,-グロブリン、アルブミン、フィブリノゲンが混合して吸着することを放射性同位元素抗原抗体法、金コロイド標識抗体法で計測し、以前に報告した。従って、本実験でもこれらの血漿タンパクが混合して吸着していると思われるが、SPR法、OWM法では双方とも吸着タンパクの種類、組成を知ることはできない。吸着の立ち上がりの速さから-グロブリンが、洗浄による解離と吸着の不均一性からアルブミンが類推されるが、フイブリノゲンなどの未計測のタンパクが存在すること、タンパク間の相互作用が想定されることから、断定はできなかった。

4.3タンパク吸着に及ぼす電界の影響

 本研究では、電界下のポリウレタンへのアルブミン吸着は正極において抑制され、負極において促進されるという結果が得られたが、これは従来の知見と矛盾しているように思われた。従来の知見では、アルブミンは溶液中で負に帯電し、正極においてポリウレタンの溶液側表面には正の電荷が励起されると考えられる。さらに、白金、カーボンを電極としてアルブミンの電極への吸着を計測した実験では、アルブミンの吸着は陽極において促進されることが報告されている。そこでこの結果を説明する仮説として、溶液中の陰イオンとアルブミンとの競合吸着が考えられた。

 タンパクの高分子膜への吸着反応は、拡散過程が律速となる。そして、溶液中に含まれる塩素イオン、リン酸イオンなどの小さく質量の軽い陰イオンの方がアルブミンよりも移動度が高い。このためこれらの陰イオンがアルブミンよりも先に高分子表面に吸着され、アルブミンの吸着が阻害されると考えられた。なお、溶液中の陰イオンとアルブミンとの競合吸着については、カーボン電極で本実験と同様に正極での拡散過程での抑制が起こることが報告されている。以上、本実験の結果からポリウレタン表面へのアルブミンの吸着は、初期に直流電圧を印加することで制御できる可能性があることが示された。

5.まとめ

 1)金表面への-グロブリン吸着を表面プラズモン共鳴法で、ポリウレタン表面へのアルブミン、-グロブリン、全血の吸着反応をOWM法で観察した。

 2)アルブミンと-グロブリンで、ポリウレタンへの吸着による反射率プロファイルの形状の相違が観察された。これは、アルブミン吸着の不均一性によるものと考えられた。

 3)OWM法は

 1)吸着層の屈折率と厚みを決定できる

 2)高分子膜試料の作成が容易である

 という2点で従来の表面プラズモン共鳴法に比較して優れている。

 4)ポリウレタンへのアルブミン吸着は、材料表面に初期に電界を形成することで制御できることが示唆された。この成因としてアルブミンの陰イオンとの競合吸着が想定された。

審査要旨

 本研究は、人工臓器における血栓形成において重要な役割を演じていると考えられる人工材料表面へのタンパク吸着の動態を明らかにするため、血漿タンパクの金、ポリウレタンへの吸着を表面プラズモン共鳴(Surface Plasmon Resonance:SPR)法およびOptical Waveguide Microscope(OWM)法により実時間計測し、さらにアルブミンのポリウレタンへの吸着を電界により制御することを試みたものであり、下記の結果を得ている。

 1.金表面への-グロブリン吸着を表面プラズモン共鳴法で、ポリウレタン表面へのアルブミン、-グロブリン、全血の吸着反応をOWM法で観察した。その結果、吸着反応の立ち上がり時間と吸着厚みはそろぞれ、金-グロブリン界面で0.5分、12.3nm、ポリウレタン-アルブミン界面で100分、4.9nm、ポリウレタン-グロブリン界面で5分、10.8nm、ポリウレタン-全血界面で5分、10.9nmであった。入射角-反射率プロファイル形状は、金-グロブリン界面、ポリウレタン-グロブリン界面はよく理論値に一致したが、ポリウレタン-アルブミン界面、ポリウレタン-全血界面は理論値に比べて幅広く浅かった。

 2.SPR法、OWM法はともに人工材料へのタンパク吸着を実時間で計測することが可能であったが、以下のような相異があった。

 1)SPR法は表面プラズモン共鳴により金属薄膜表面近傍の変化を検出する。これに対し、OWM法は金属薄膜を透過したevanescent光の定在波により媒質界面の変化を検出する。

 2)SPR法で、吸着厚みを算出するには吸着物の屈折率を知る必要がある。OWMでは入射角-反射率プロファイルの解析のみで試料の屈折率と厚みが算出できる。

 3)計測に最適な高分子膜の膜厚はSPR法で30nm、OWM法で2mであり、OWM法では高分子膜試料の作成が容易である。

 4)OWM法ではSPR法に比べて小さい入射角で計測が可能であり、試料の照射範囲が狭くできる。

 5)OWM法ではSPR法に比べて計測すべき角度範囲が広く、測定精度が要求される。

 3.タンパク吸着の不均一性は、不均一性の面方向の分布が表面プラズモン法で10m以上、OWM法で光源として用いているレーザー光の半波長以上であれば、計測した入射角-反射率プロファイル形状に反映される。そこで、SPR法、OWM法で計測したタンパク吸着試料の入射角-反射率プロファイル形状を吸着の不均一性が正規分布をとると仮定したモデルにあてはめることで、吸着の不均一性を数値化した。その結果、アルブミンのポリウレタンへの吸着厚みは、22±7.2nmと計算された。

 4.タンパク吸着に及ぼす電界の影響をポリウレタンへのアルブミン吸着について観察を行った。その結果、電界下のポリウレタンへのアルブミン吸着は正極において抑制され、負極において促進されるという結果が得られた。この成因としてアルブミンの陰イオンとの競合吸着が想定された。本実験の結果からポリウレタン表面へのアルブミンの吸着は、初期に直流電圧を印加することで制御できる可能性があることが示された。

 以上、本論文は表面プラズモン共鳴法およびOWM法を用いた実時間計測により、人工材料表面へのタンパク吸着の動態を明らかにし、さらにアルブミンのポリウレタンへの吸着を電界によって制御する可能性を示したものである。本研究は、生体における血栓形成の第一段階であるタンパク吸着の動態の解明と制御法の開発を通じて、人工臓器における血栓形成の抑制に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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