学位論文要旨



No 214399
著者(漢字) 岡野,憲一郎
著者(英字)
著者(カナ) オカノ,ケンイチロウ
標題(和) 恥と自己愛の精神力動学的考察
標題(洋)
報告番号 214399
報告番号 乙14399
学位授与日 1999.07.28
学位種別 論文博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 第14399号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 栗田,廣
 東京大学 教授 久保木,富房
 東京大学 助教授 関根,義夫
 東京大学 講師 磯田,雄二郎
 東京大学 講師 松浪,克文
内容要旨

 本論文では、恥についての精神力動学的な考察を、症例を検討しつつ行なった。全体は序章及び、三つの章(1〜3章)に分けられている。序章では研究の目的、背景について述べ、恥と自己愛についてのフロイトに始まる精神分析な考察の歴史を論じた上で、恥を「恥ずべき自己」と「理想自己」との葛藤の産物として捉える英国の分析家ジョーゼフ・サンドラーの視点を本論文の論理的な基盤とした。第1章ではこのような自己の分極化が顕著な場合に恥の病理が明らかになるものとして捉え、それを自己愛性人格障害の中でもいわゆる「過敏型」(米国の分析家グレン・ギャバードの分類による)に相当するものとした。さらに症例を提示した上で、そのような患者についての治療指針について論じた。そこでは特に、患者が自分の恥をことさらに語る態度が、両「自己」感の葛藤に結びついたものとして示され、それに対する介入の仕方が検討された。

 それに続く第2章では、自己愛性人格障害(そのうちでも上述の「過敏型」)における罪悪感の問題について論じた。「過敏型」については、第1章でそれを恥の病理として位置づけたが、その背後に罪悪感も複雑な形でかかわりあうことが示された。そして恥の病理と罪の病理の関係のダイナミズムを考慮することが患者の病理をより深く理解することにつながるという主張がなされた。次に提示した過敏型の二つの症例は、同人格障害に見られる二種類の罪悪感(エディプス的、前エディプス的)を示していると考えられた。すなわち第一は父親と同等の自立した一人前の大人として決断を下すことへのエディプス的な罪悪感であり、第二には旅立ちや分離に関する罪悪感である。この両者は「恥ずべき自己」から「理想自己」へと上昇する際に体験される。さらに「恥ずべき自己」から生じる第三の罪悪感についても簡単に考察した。

 第3章では、恥の病理の発生論として、患者の病理の原因となる幼少時の親とのかかわり合いを考察した。そしてアンドリュー・モリソン,フランシス・ブルーチェック(いずれも米国の分析家)等の議論をもとに、(1)親から植えつけられた恥の病理、(2)恥ずべき親に由来する恥の病理、の二種類に分けた。このうち特に(1)に関しては、投影性同一化の機制が、(2)については、取り入れ性同一化の機制が深く関与している。上記の議論は、米国の分析家ハインツ・コフートの概念とも関連づけられ、(1)は自己対象のいわゆる「ミラーリング」の機能不全、(2)は理想化されるべき自己対象の機能不全と関連しているとした。最後にこれらの恥の発生論と治療論との関連についても述べた。そこではこれらの恥の発生機序が、治療中に患者が治療者に向ける転移として繰り返し再現されることが示された。

 以上の三つの章では、恥というテーマの別々の側面が論じられたが、そこにはいくつかの基本的な共通認識があった。それは、恥という感覚は自らが劣っているという自己イメージと深く関連していること、そしてそれは自己愛性人格障害(その中でも「過敏型」)に顕著に現われるものの、私たち人間一般がある程度共通して体験するということである。さらにその恥の感覚は大きな精神的苦痛を呼び起こすため、私たちは様々な形で防衛し、否認する事で日常生活を営むことが多い。自己愛の病理一般も、この恥とそれに対する防衛という観点から捉えられるべきである。

審査要旨

 本研究は、恥についての精神力動学的な考察を、症例を検討しつつ行なったものであり、下記の結果を得ている。

 1.恥を「恥ずべき自己]と「理想自己」との葛藤の産物として捉える英国の分析家ジョーゼフ・サンドラーの視点は十分な臨床的基盤となりえ、このような自己の分極化が顕著な場合に恥の病理が明らかになるものと考えることができる。そしてそのような病理は自己愛性人格障害の中でもいわゆる「過敏型」に相当するものと考えられた。そしてそのような病理を有する患者については、患者が自分の恥をことさらに語る態度を、これらの両「自己」感の葛藤に結びついたものとして患者に示しつつ、同時に解釈が患者の恥の感情を惹起しないように留意しつつ介入を行うことの有効性が示された。

 2.自己愛性人格障害においては、罪悪感の問題も非常に重要な意義を持ち、恥の病理と罪の病理の関係のダイナミズムを考慮することが患者の病理をより深く理解することにつながるという見解が示された。また「過敏型」においては二種類の罪悪感(エディプス的、前エディプス的)が見られることが症例を通して示された。そして第一のエディプス的罪悪感は父親と同等の自立した一人前の大人として決断を下すことへのエディプス的な罪悪感として捉えることができ、第二の前エディプス的罪悪感は、旅立ちや分離に関する罪悪感として理解できるという点が指摘された。

 3.恥の病理が生じる原因としては、患者の幼少時の親とのかかわり合いが深く関係している点が示された。そしてアンドリュー・モリソン,フランシス・ブルーチェック等の議論をもとに、(1)親から植えつけられた恥の病理、(2)恥ずべき親に由来する恥の病理、の二種類に分けることの意義が強調された。そして(1)に関しては、投影性同一化の機制が、(2)については、取り入れ性同一化の機制が深く関与している点が示された。またこの図式はハインツ・コフートの概念とも関連づけることが可能であり、(1)は自己対象のいわゆる「ミラーリング」の機能不全、(2)は理想化されるべき自己対象の機能不全と関連しているとした。またこれらの恥の発生機序が、治療中に患者が治療者に向ける転移として繰り返し再現されることが示された。

 以上、本論文は恥と自己愛の病理の精神病理学的考察と治療論について幅広く論じた。本研究は従来力動精神医学において論じられることの少なかった恥の病理について、それを近年関心を集めつつある自己愛の病理との深い係わり合いを示しつつ論じ、またそれらの議論が示す臨床上の留意点についていくつかの新しい視点を示した点が、臨床精神医学に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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