学位論文要旨



No 214401
著者(漢字) 松浪,克文
著者(英字)
著者(カナ) マツナミ,カツフミ
標題(和) 精神分裂病における聴覚体験構造の変容 : 「無音体験」について
標題(洋)
報告番号 214401
報告番号 乙14401
学位授与日 1999.07.28
学位種別 論文博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 第14401号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 栗田,廣
 東京大学 助教授 中安,信夫
 東京大学 助教授 天野,直二
 東京大学 講師 磯田,雄二郎
 東京大学 助教授 郭,伸
内容要旨

 本論文の課題は以下の4点である.1)聴覚体験についての現象学的構造仮説を提示すること.2)5例の精神分裂病患者が「(周囲が)シーンとする」などの表現で陳述した異常な静寂の体験(「無音体験」と命名した)を記述報告すること.さらに,上記の聴覚体験の構造仮説から,3)「無音体験」がどのような構造病理として理解できるかを示すこと 4)「無音体験」下の意味世界の構造病理を論じること 5)「無音体験」下の両価的な悩みの構造病理を論じること、である.以下に,各論点を順次,要約する.

 1)筆者はまず、聴覚体験を現象学的に考察し、聴覚体験が日常音群,生活音群,象徴音群の三群からなる背景音層-徴候音層-象徴音層として層状に構造化されているという聴覚体験構造仮説を提示した.日常音は’聞いているが対象化していない’音(「背景音」)であり,したがって何ら意識的な意味を生しない音群である.一方,生活音の聴取は明確な意味体験であるが,しかし、その際の意味とは発音体の属性か,事実的意味である.したがって、生活音は,物理的条件や身体生理的状態によって、あるいは特定の状況や文脈の中で民族文化的規約によって,あらかじめ定められた「制度的」な意味群の中で意味定位がなされる.日常音はわれわれの生活(棲息)の状況を雰囲気として告げる,いわば「縄張りの音」であるのに対し,生活音は生活の具体的事実を報せる「微候音」である.生活音は、いったん制度的意味が与えられてしまうと,背景化し非対象化されうる(「聴かないでいることができる」).すなわち、日常音層=背景音層へ解消してしまう。このことはわれわれの生存にとって重要である.というのは,聴覚体験は視覚体験にくらべてはるかに受動的であって,われわれは常に否が応でも何らかの音にさらされているのだが,われわれはこの日常音層という背景的体験層を持っていることで,音の持続的な対象化を免れているからである.これらとちがって,象徴音とはあらゆる制度的意味以外の意味可能性を胚胎する音である.象徴音に対しては,われわれは音を主体的に聴きとろうとする姿勢にある.この時,われわれが把捉しようとしている音の意味はあくまで象徴的内容であって,言語化できない.われわれは音から直達する情動的衝撃を意味可能性として受け取り,前言語的な表象として体験の中に含め持つことになる.これを「表象的前意味」と呼ぶことにすると,われわれは象徴的に音を聴くときには,聴覚的な「表象的前意味」を、「制度的意味」によって把捉可能な「表象」に変換することを要請された不安定な意味世界にある,ということができる.ちなみに、ここでいう音群の区別は、個別的な音の性質についての識別という意味ではなく、三層の聴覚体験層に対応する音群の構造的性質についてのものである。すなわち、個別の音は体験の様相によって日常(背景)音、生活(徴候)音、象徴音のいずれの音としても体験されうる。

 ところで、聴覚は,視覚に比べて,知覚的意味の成立に「表象的前意味」が関与する度合いが大きく,知覚の両義的性質(音の情動的影響によって喚起される前言語的な表象が体験に固有な意味可能性の潜勢的契機を与えていながら、これと同時にその当の音に対して、体験の客観的性格を与える制度的な意味定位が成立している、という両義性)が顕在化しやすい.

 2)次に,5例の精神分裂病症例において陳述された「シーンとする」体験(仮に「無音体験」と呼んだ)を記述した.具体的には,「(職場の)明るい賑やかさが遠いもののように感じられ,耳に入らなくなった」「自分の家の周りがシーンとしています」「周りがしーんとして・・・・頭が真っ白になって,ただぼんやりテレビを観ていた」「少しシーンとすると幻聴があったよ」と母に漏らす,「はじめはシーンとしていたのに突然コンコンと音がした」などの表現で陳述される聴覚体験である.多くの場合,これらは幻聴に前後して体験されるようであった.筆者は,この種の体験を「無音体験」と名付けた.

 3)次に,「無音体験」がどのような構造的病理として理解されるかを上記の聴覚体験構造仮説から検討した.「無音体験」について,(1)「無音体験」は日常音群の喪失である(2)「ぼーっとしている」時に多く聴覚態勢としては自然的態勢にいる(3)「無音体験」下で病者が敢えて音を聴取しようとするとき,その音は「不全型の生活音」となっている.「不全型の生活音」とは聴覚体験の「地」-「図」構造が喪失された状態で聴取される病理的な生活音体験である.「無音体験」における「不全型の生活音」は背景音層に回帰することがないため,常に生活音が「意味可能性」をはらんだものとして病者に突きつけられている.(4)「無音体験」下では,生活音と日常音の交代可能性が失われているが,このことは「自明性の喪失」として論じられる体験構造の変質の知覚面での病理として理解できる(5)病者にとっては「無音体験」は聴覚の生理的機能の陳述であるなどの諸点を指摘した.

 4)さらに,個々の症例において,病初期の病者が職場の同僚の話し声や近隣の家の物音,クラスメートの話し声などの周囲の特定の物音を気にとめて耳を澄ましている傾向(このような生活音を「特異的聴覚対象」と呼んだ)が認められたが,患者がこの聴取態勢を身につけた経緯は対人関係における葛藤や就職問題,進路への不安などの生活における諸事情から成る心理的分脈にあり、その経緯自体はかろうじて了解性を失っていなかった.したがって、「無音体験」下では,いわば病者の聴覚の癖となった「特異的聴覚対象」の聴取(心理的事態の記述文脈にある)と「不全型の生活音」の聴取(生理的変化の記述文脈にある)とが入り交じり,音の被強制的対象化に至るものと思われる.

 5)次に,このような時期の病者の悩みの性質についての構造的理解を試みた.当初の病者の悩みは生活史を背景とした心理的文脈においてなお了解可能性を失っていないが,早晩,善/悪,被害/他害などのより根元的,あるいは原理的な一対の対立する意味の間の相克の様相を呈するようになり、そのように二極性化した意味世界が物音の大/小,発音と静寂などの(知覚的)意味と密接に連動して変化するようになって,了解文脈から完全に逸脱する.このような意味世界の二極性化は両価性として記述されてきた.この悩み方の変質は,音の「表象的前意味」にさらされ「意味可能性」を押しつけられている病者の心理学的/生理学的な防衛の所産である.一般にわれわれは,固有な意味可能性にさらされ続けることは不可能で,それを封じうる固定性をもつ意味を得るために知覚に内在する制度的意味群に依拠する傾向を持っている.Jaspers,K.が知覚を外部空間にある実物についての受動的な体験としたのは,このような見解に照らせば妥当な考えである.過剰な「固有性」にさらされた病者の行う対処もこの意味では健常者と同様の方略である。すなわち,病理的に二極性化した意味世界下にある病者は,「外部」由来の客観的と体験しうる知覚的意味のもっとも基底的な意味群すなわち事物の属性的意味群に頼る傾向を持つと理解することができる.事物の諸性質あるいは諸関係の二性質,長-短,後-先,強弱,大小などの意味群を「表象的前意味」に形を与えるときの規範とするのである.しかし,これらの知覚的意味としての’第一性質’(Lock,J.)は,知覚対象との関係において一意的に決定できない相対的なものである.すなわち,長い,大きい,強いなどの性質は特定の対象の性質として決定できず,他のものとの比較相対化によって常に反対の性質,短い,小さい,弱いという意味に変化しうる.したがって,病者の人生の悩みは本来の人生の多様な意味の中でのものではなく,二極性化され,一対の知覚の基底的意味の間での選択という両価的様相を呈するために,それは無機的な問いとなるばかりでなく,論理的に解決不能な問いに変質すると言うことができる.

 本論で注目したような特殊な病理的聴覚体験が分裂病一般の病理とどれほど密接な関係をもつのか,あるいは分裂病の経過のどの局面と特に関係あるのか,などの諸点についてはまだ明確な主張はできない.また,「無音体験」そのものへの治療的アプローチについても,現段階では模索中である.例数を集めてこれらの諸点を詳細に論じることは今後の課題とした.

審査要旨

 本論文は,聴覚体験の構造仮説を提示して,精神分裂病における聴覚体験の病理を説明しようとするものであり,以下の諸点が論じられた.

 1)まず聴覚体験について現象学的考察が行われ,聴覚体験が日常音群,生活音群,象徴音群の三群からなる背景音層-徴候音層-象徴音層として層状に構造化されていることが示された.日常音は’聞いているが対象化していない’音(「背景音」)であり,何ら意識的な意味を生じない音群である.一方,生活音の聴取は明確な意味体験であるが,しかし,その際の意味とは発音体の属性か,事実的意味であり,物理的条件や身体生理的状態,あるいは特定の状況や文脈の中で民族文化的規約によってあらかじめ定められた,「制度的」な意味群の中で意味定位がなされている.生活音は制度的意味が与えられると背景化し非対象化され,日常音層=背景音層へ解消してしまう。われわれはこの日常音層という背景的体験層を持っていることで,音の持続的な対象化を免れている.象徴音はあらゆる制度的意味以外の意味可能性を胚胎する音であり,われわれはこの音群を主体的に聴きとろうとするが,その音の意味はあくまで象徴的内容であるから言語化できない.われわれは音から直達する情動的衝撃を意味可能性として受け取り,前言語的な表象として体験の中に含め持つことになる.これを「表象的前意味」と呼ぶことにすると,われわれは象徴的に音を聴くときには,聴覚的な「表象的前意味」を,「制度的意味」によって把捉可能な「表象」に変換することを要請された不安定な意味世界にある,ということができる.

 2)次に,5例の精神分裂病患者が「(周囲が)シーンとする」などの表現で陳述した異常な静寂の体験(「無音体験」と命名された),が記述報告された.「無音体験」とは,「(職場の)明るい賑やかさが遠いもののように感じられ,耳に入らなくなった」「自分の家の周りがシーンとする」「周りがシーンとして・・・・頭が真っ白になって,ただぼんやりテレビを観ていた」「少しシーンとすると幻聴があった」「はじめはシーンとしていたのに突然コンコンと音がした」などの表現で陳述される聴覚体験である.

 3)次に,上記の聴覚構造仮説によれば「無音体験」はどのような体験病理として説明されうるかが検討され,以下の諸点が明らかになった.(1)「無音体験」は日常音群の喪失である(2)「ぼーっとしている」時に多く聴覚態勢としては自然的態勢にいる(3)「無音体験」下で病者が敢えて音を聴取しようとするとき,その音は「不全型の生活音」となっている.「不全型の生活音」とは聴覚体験の「地」-「図」構造が喪失された状態で聴取される病理的な生活音体験である.「無音体験」における「不全型の生活音」は背景音層に回帰することがないため,常に生活音が「意味可能性」をはらんでいる.(4)「無音体験」下では,生活音と日常音の交代可能性が失われているが,このことは「自明性の喪失」として論じられる体験構造の変質の知覚面での病理として理解できる(5)病者にとっては「無音体験」は聴覚の生理的機能の陳述である.

 4)次に,「無音体験」下の意味世界の構造病理が論じられた.患者が職場の同僚の話し声や近隣の家の物音,クラスメートの話し声などの周囲の特定の物音を気にとめて耳をすます傾向が認められた(このときに,聴取対象として選ばれる生活音は「特異的聴覚対象」とされた).患者が「無音体験」における聴取態勢を身につけた経緯は対人関係における葛藤や就職問題,進路への不安などの生活における諸事情から成る心理的分脈にあり,その経緯自体はかろうじて了解性を失っていなかった.したがって,「無音体験」下では,いわば病者の聴覚の癖となった「特異的聴覚対象」の聴取(心理的事態の記述文脈にある)と「不全型の生活音」の聴取(生理的変化の記述文脈にある)とが入り交じり,音の被強制的対象化に至るものと思われた.

 5)「無音体験」下の両価的な悩みの構造病理が論じられた.この体験下にある患者の悩みは生活史を背景とした心理的文脈においてなお了解可能性を失っていなかったが,早晩,善/悪,被害/他害などのより根元的,あるいは原理的な一対の対立する意味の間の相克の様相を呈するようになり,そのように二極性化した意味世界が物音の大/小,発音と静寂などの(知覚的)意味と密接に連動して変化するようになって,了解文脈から完全に逸脱するものと理解された.このような意味世界の二極性化は両価性として記述されてきたが,これは音の「表象的前意味」にさらされ「意味可能性」を押しつけられている病者の心理学的/生理学的な防衛の所産である.一般にわれわれは,固有な意味可能性にさらされ続けることは不可能で,それを終結しうる固定性をもった意味を得るために知覚に内在する制度的意味群に依拠する傾向を持っている.Jaspers,K.が知覚を外部空間にある実物についての受動的な体験としたのは,このような見解に照らせば妥当な考えである.過剰な「固有性」にさらされた病者の行う対処もこの意味では健常者と同様の方略である。すなわち,病理的に二極性化した意味世界下にある病者は,「外部」由来の客観的と体験しうる知覚的意味のもっとも基底的な意味群すなわち事物の属性的意味群に頼る傾向を持つと理解することができる.事物の諸性質あるいは諸関係の二性質,長-短,後-先,強弱,大小などの意味群を「表象的前意味」に形を与えるときの規範とするのである.しかし,これらの知覚的意味としての’第一性質’(Lock,J.)は,知覚対象との関係において一意的に決定できない相対的なものである.すなわち,長い,大きい,強いなどの性質は特定の対象の性質として決定できず,他のものとの比較相対化によって常に反対の性質,短い,小さい,弱いという意味に変化しうる.したがって,病者の人生の悩みは本来の人生の多様な意味の中でのものではなく,二極性化され,一対の知覚の基底的意味の間での選択という両価的様相を呈するために,それは無機的な問いとなるばかりでなく,論理的に解決不能な問いに変質すると言うことができる.

 以上,本論文は聴覚体験の構造仮説を現象学的に導き出した点,精神分裂病症例における特異な聴覚体験である「無音体験」を記述した点,「無音体験」における意味世界の構造的変質を論じた点で,この聴覚体験下での精神分裂病患者の両価的な悩みの構造を明らかにした点で,精神分裂病患者の聴覚体験の病理の解明に重要な貢献をなすと考えられ,学位の授与に値する者と考えられる.

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/54137