学位論文要旨



No 214404
著者(漢字) 折口,信人
著者(英字)
著者(カナ) オリグチ,ノブト
標題(和) 動脈瘤の発生・進展に関する実験的検討
標題(洋)
報告番号 214404
報告番号 乙14404
学位授与日 1999.07.28
学位種別 論文博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 第14404号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 高本,眞一
 東京大学 教授 波利井,清紀
 東京大学 教授 藤田,敏郎
 東京大学 助教授 小塚,裕
 東京大学 講師 丹下,剛
内容要旨 1.緒言

 動脈硬化性瘤は、瘤壁内のエラスターゼや各種マトリックスメタロプロテアーゼ濃度の上昇により中膜弾性線維が破壊されて内径が拡張すると考えられているが、その詳細な機序は不明である。

 そこで、本研究では,瘤の発生・進展機序の解明を目的として、瘤壁中にMMPの存在を確認した後、外膜側からのエラスターゼ投与による動物モデルを開発して、内腔側からのエラスターゼ投与モデルと比較・検討した。

2.動脈硬化性動脈瘤壁におけるMMPの発現2-(1)対象

 平成7年5・6月に東京大学第一外科において手術された通常の動脈硬化性腹部大動脈瘤3例(それぞれ74歳、67歳、70歳の男性)を対象として、瘤の最大拡張部および起始部近傍より動脈壁を採取し、以下の検討を行った。

2-(2)方法(A)ゼラチンザイモグラフィー

 採取した瘤壁をトリスの緩衝液で洗浄して瘤壁周囲に付着した血液を除去した後、液体窒素により瞬間冷凍し、マイナス80℃に保存した。これをホモジナイズした後、ゼラチンゲル上に電気泳動(105V・56mA・2時間)してゼラチンザイモグラフィーを施行した。

(B)病理組織学的・免疫組織学的検討

 採取した動脈壁を酢酸アルコール固定・パラフィン包埋した後、Hematoxylin and eosin染色・Elastic van Gieson染色・Azan染色を施行した。

 さらに、各標本をRetrieval solution(DAKO)中で煮沸処理した後LSAB Kit(DAKO)を用いてMMP-1・2・3・9のモノクローナル抗体(富士薬品)に対する免疫染色を施行し、Hematoxylinにより核染色を行った。この他、HAM-56(抗マクロファージ・モノクローナル抗体)を用いて免疫染色を施行し、MMP陽性細胞の同定に役立てた。

2-(3)結果(A)ゼラチンザイモグラフィー

 拡張部と起始部近傍のいずれにおいても66kDaと83kDaにMMP-9と考えられるバンドが認められた。

(B)病理組織学的・免疫組織学的検討

 3症例とも、最大拡張部では中膜弾性線維の高度な破壊を認め、一方、起始部近傍にも中膜弾性線維の断裂・消失が認められた。

 免疫染色の結果、MMP-1は菲薄化した中膜を中心として瘤壁全体の間葉系細胞やマクロファージに陽性であったが、MMP-2,3は陰性であった。MMP-9は、外膜に散在する好中球やマクロファージ等の小円形炎症細胞に陽性であった。

3.動物モデルを用いた検討3-(1)予備実験(A)外膜モデルにおける至適投与濃度の決定

 ウサギの腹部大動脈にエラスターゼを外膜側より3時間投与し、その最大横径を実測した。エラスターゼ濃度が1.0mg/mlでは動脈径の拡張は不十分で、5.0mg/mlでは3例中2例が破裂、10.0mg/mlでは2例とも破裂したため、3.0mg/mlが最適と判断した。

(B)内腔モデルにおけるエラスターゼ投与速度・時間の決定

 ウサギの腹部大動脈にエラスターゼ(3.0mg/ml)を内腔側より投与し、その最大横径を実測した。エラスターゼが1.0ml/hr・2時間では2匹とも大動脈は破裂し、2.0ml/hr・1時間では3匹中1匹に大動脈破裂、残る2匹には両下肢の麻痺が発症したことより、1.0ml/hr.1時間が最適と判断した。

3-(2)対象と方法(A)外膜モデル

 実験当日、3日後、2週後、4週後、6週後、3ヶ月後に瘤径を実測し、光顕的・電顕的に観察した。

(B)内腔モデル

 実験当日、6週後、3ヶ月後に瘤径を実測し、光顕的・電顕的に観察した。

3-(3)結果(A)外膜モデル

 大動脈は約1時間後より発赤・拡張を始め、瘤径は、当日2.06倍、3日後2.01倍、2週後1.71倍、4週後1.93倍、6週後1.23倍、3ヶ月後1.07倍となった。

 光顕的に、当日の大動脈壁は著明に菲薄化して中膜弾性線維はほぼ完全に消失し、部位により赤血球が外膜に浸潤していた。外膜に好中球やリンパ球の浸潤はほとんど認められなかった。3日後の大動脈壁は依然として菲薄で、弾性線維の消失が認められた。2週後には中膜の厚さは漸増し、中膜弾性板の再生が認められた。また、著明な内膜肥厚の形成が認められた。3ヶ月後には中膜の厚さは実験前のレベルまでほぼ回復し、中膜弾性板の再生もすすんでいた。内膜肥厚は著明に減少していた。

 電顕的に、当日の弾性線維はほとんど存在しなかった。中膜平滑筋細胞は著明に変性し、外形は不規則で、核濃縮・ミトコンドリアの腫大・細胞質内の小空泡形成等が認められた。また、内皮細胞の破壊により緻密帯は解離し、血漿成分の透過性は亢進していた。膠原線維は平滑筋細胞の周囲に散在していた。3日後には、依然として中膜弾性板はまだほとんど存在せず、中膜平滑筋細胞は、粗面小胞体が増加して筋線維は減少し、合成型の像を呈していた。また、中には、細胞突起を認め可動性を示す平滑筋細胞も認められた。3ヶ月後には、成熟した弾性板の再生が認められた。中膜平滑筋細胞内の筋線維は増加して細胞内小器官は減少し、収縮型の像に回復していた。

(B)内腔モデル

 瘤径は、当日1.91倍、6週後1.93倍、3ヶ月後2.73倍となった。

 光顕的に、当日の大動脈壁は著明に菲薄化し、中膜弾性線維は高度に断裂・消失していた。6週後から3ヶ月後まで、当日ほど高度ではないが大動脈壁は菲薄化して中膜弾性板の減少が認められた。なお、内膜肥厚はいずれの時期にも認められなかった。

 電顕的に、当日には中膜弾性板の消失と中膜平滑筋の変性が認められた。6週後も中膜弾性板はあまり存在せず、中膜平滑筋は合成型を呈していた。3ヶ月後、拡張部の弾性線維はまばらで中膜弾性板の形成は認められなかった。また、中膜平滑筋は依然として合成型を呈していた。これに対し、移行部(3ヶ月後)の中膜弾性板は軽度に再生し、平滑筋も再度収縮型に形質変換していた。

4.考察

 弾性線維はエラスチンとマイクロフィブリルから構成されており、弾性型動脈の中膜では、エラスチンは層状をなして弾性板を形成して動脈壁に弾性を与える役割を担っている。動脈瘤は弾性線維の高度な破壊を最大の病理組織学的特徴としており、瘤壁中に高濃度のエラスターゼや各種マトリックスメタロプロテアーゼの存在が報告されている。

 これまでに動脈瘤に対する実験的動物モデルの報告は少なく、生理的な薬剤を使用した動物モデルとしては、エラスターゼをラットの腹部大動脈内腔に投与して瘤の作製に成功したAnidjar らのモデルのみであった。しかし、彼らのモデルは手技が煩雑で、また、ウサギでは大動脈阻血により下肢麻痺を生じる欠点が存在した。そこで、私は腹部大動脈の外膜側からエラスターゼを投与することにより、彼らのモデルよりもはるかに容易に合併症も少なく瘤を作製することに成功した。そして、今回、彼らのモデルと私のモデルを比較することにより、内膜側と外膜側のどちらの変性が瘤の発生・進展により重要となるかを検討した。

 その結果、実験当日には外膜モデルも内腔モデルもともに動脈壁の高度破壊により瘤の形成が可能であった。しかし、外膜モデルでは大動脈径は4週後まで拡張していたが、6週以降退縮し、3ヶ月後にはほぼ実験前のレベルにまで回復したのに対し、内腔モデルでは3ヶ月後も瘤は進展した。また、実験当日には両モデルとも中膜平滑筋の高度変性を認めたのに対し、外膜モデルの3ヶ月後には、中膜弾性板および中膜平滑筋の再生が認められた。弾性線維はそれ自身により再生することはなく平滑筋細胞によって産生されることを考慮すると、本実験における瘤の退縮は中膜平滑筋細胞の再生とともに中膜弾性板も再生したためであると考えられる。すなわち、瘤の進展には弾性線維だけでなく、中膜内側の平滑筋の不可逆的な変性が必要であると考えられた。なお、これまでの実験的動脈硬化病変では弾性線維は形成されるが層状を呈する(弾性板を形成する)ことはなく、今回の外膜モデルにおける弾性板の再生は新しい発見であると思われる。

5.まとめ

 外膜側からのエラスターゼ投与により、手技的に非常に容易な瘤の動物モデルの確立に成功した。すなわち、外膜モデル・内腔モデルの両者とも実験当日には瘤を形成し、内膜側からであれ外膜側からであれ、血管壁の障害が高度な場合には、瘤の発生は可能であった。

 実験3ヶ月後には、外膜モデルでは中膜弾性板および平滑筋細胞の再生とともに瘤は退縮したが、内腔モデルでは瘤の継続が認められたことから、瘤の進展には、弾性線維の破壊だけでなく、中膜内側の平滑筋の変性が重要であると考えられた。

審査要旨

 本研究は動脈瘤の発生・進展機序において重要な役割を演じていると考えられるエラスターゼ(マトリックスメタロプロテアーゼ)の働きを明らかにするため、臨床例において動脈瘤壁におけるマトリックスメタロプロテアーゼの存在を確認した後、ウサギの動脈瘤モデルを用いてエラスターゼの影響について検討したものであり、下記の結果を得ている。

 1.東京大学旧第一外科において手術された動脈硬化性腹部大動脈瘤3例を対象として、瘤の最大拡張部および起始部近傍より動脈壁を採取し、ゼラチンザイモグラフィーおよび病理組織学的・免疫組織学的検討を行った。その結果、ゼラチンザイモグラフィーでは、動脈瘤の拡張部と起始部近傍のいずれにおいてもMMP-9と考えられるバンドが認められた。また、病理組織学的には、最大拡張部では中膜弾性線維の高度な破壊を認め、一方、起始部近傍にも中膜弾性線維の断裂・消失が認められた。免疫染色では、MMP-1は菲薄化した中膜を中心として瘤壁全体の間葉系細胞やマクロファージに陽性であったが、MMP-2,3は陰性であった。MMP-9は、外膜に散在する好中球やマクロファージ等の小円形炎症細胞に陽性であった。

 2.ウサギの腹部大動脈に外膜側からと内腔側からエラスターゼを投与して動脈瘤を作製したが、予備実験により、外膜モデルでは、至適投与濃度は3.0mg/mlで、内腔モデルでは、至適投与方法は1.0ml/hr・1時間であった。

 3.外膜モデルの大動脈は約1時間後より発赤・拡張を始め、瘤径は、当日2.06倍、3日後2.01倍、2週後1.71倍、4週後1.93倍、6週後1.23倍、3ヶ月後1.07倍となった。光顕的に、当日の大動脈壁は著明に菲薄化して中膜弾性線維はほぼ完全に消失し、部位により赤血球が外膜に浸潤していた。外膜に好中球やリンパ球の浸潤はほとんど認められなかった。3日後の大動脈壁は依然として菲薄で、弾性線維の消失が認められた。2週後には中膜の厚さは漸増し、中膜弾性板の再生が認められた。また、著明な内膜肥厚の形成が認められた。3ヶ月後には中膜の厚さは実験前のレベルまでほぼ回復し、中膜弾性板の再生もすすんでいた。内膜肥厚は著明に減少していた。電顕的に、当日の弾性線維はほとんど存在しなかった。中膜平滑筋細胞は著明に変性し、外形は不規則で、核の濃縮・ミトコンドリアの腫大・細胞質内の小空泡形成等が認められた。また、内皮細胞の破壊により緻密帯は解離し、血漿成分の透過性は亢進していた。膠原線維は平滑筋細胞の周囲に散在していた。3日後には、依然として中膜弾性板はまだほとんど存在せず、中膜平滑筋細胞は、粗面小胞体が増加して筋線維は減少し、合成型の像を呈していた。また、中には、細胞突起を認め可動性を示す平滑筋細胞も認められた。3ヶ月後には、成熟した弾性板の再生が認められた。中膜平滑筋細胞内の筋線維は増加して細胞内小器官は減少し、収縮型の像に回復していた。

 4.内腔モデルの瘤径は、当日1.91倍、6週後1.93倍、3ヶ月後2.73倍となった。光顕的に、当日の大動脈壁は著明に菲薄化し、中膜弾性線維は高度に断裂・消失していた。6週後から3ヶ月後まで、当日ほど高度ではないが大動脈壁は菲薄化して中膜弾性板の減少が認められた。なお、内膜肥厚はいずれの時期にも認められなかった。電顕的に、当日には中膜弾性板の消失と中膜平滑筋の変性が認められた。6週後も中膜弾性板はあまり存在せず、中膜平滑筋は合成型を呈していた。3ヶ月後、拡張部の弾性線雑はまばらで中膜弾性板の形成は認められなかった。また、中膜平滑筋は依然として合成型を呈していた。これに対し、移行部(3ヶ月後)の中膜弾性板は軽度に再生し、平滑筋も再度収縮型に形質変換していた。

 以上、本論分はヒトの動脈瘤壁にマトリックスメタロプロテアーゼが存在することを確認するとともに、ウサギにおける動脈瘤モデルを確立し、外膜モデル・内腔モデルの両者とも実験当日には瘤を形成が可能であること、さらに、実験3ヶ月後には、外膜モデルでは中膜弾性板および平滑筋細胞の再生とともに瘤は退縮したが、内腔モデルでは瘤の継続が認められることを明らかにした。本研究は、これまで未知に等しかった、動脈瘤の発生・進展機序における弾性線維の破壊の意義の解明に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/51127