学位論文要旨



No 214409
著者(漢字) 加藤,美雪
著者(英字)
著者(カナ) カトウ,ミユキ
標題(和) インスリン非依存性糖尿病における骨格筋のインスリン抵抗性に関する研究
標題(洋)
報告番号 214409
報告番号 乙14409
学位授与日 1999.09.06
学位種別 論文博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 第14409号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 清水,誠
 東京大学 教授 野口,忠
 東京大学 教授 上野川,修一
 東京大学 教授 宮本,有正
 東京大学 助教授 加藤,久典
内容要旨

 食生活の欧米化,運動不足に加え,ストレスの多い日常生活など,現代のライフスタイルは日本国内に約690万人にのぼる糖尿病患者をうみだした.糖尿病の95%以上を占めるインスリン非依存性糖尿病(NIDDM)では,一般に膵細胞からのインスリン分泌の低下と末梢組織でのインスリン抵抗性が認められる.特にNIDDMの骨格筋では,インスリン刺激時の糖取り込みが著しく低下しており,その原因となりうるインスリンのシグナル伝達の障害や,インスリン応答性糖輸送担体GLUT4の膜移行(トランスロケーション)の障害,また糖代謝関連因子の活性や発現量の低下などが報告されている.本論文では,NIDDMの骨格筋におけるインスリン抵抗性がどのような機構に基づいているのかについて,分子レベルでの知見を得ることを目的として解析を行った.

1.糖尿病マウス(KK/Ta,KKAy/Ta,db/db,ob/obマウス)の骨格筋における遺伝子発現レベル

 高カロリ-食の摂取により糖尿病を発症させたKK/Taマウス,KKAy/Taマウスの骨格筋ではGLUT1,GLUT4 mRNAレベルの低下が認められたほか,細胞内に取り込まれたグルコースをリン酸化するII型ヘキソキナーゼ(HK2)の遺伝子発現が著しく低下しており(図1),これが両KKマウスの糖尿病発症の原因となっていると推測された.また,骨格筋で発現しているミトコンドリアの脱共役蛋白UCP2,UCP3 mRNAレベルが血糖値と正の相関を示すことがわかった.さらに摂食抑制作用を有するレプチンを遺伝的にもたないob/obマウス,またレプチン受容体の欠損したdb/dbマウスの骨格筋では,GLUT4やUCP3の遺伝子発現の低下が認められた.これらの糖尿病マウスの骨格筋における遺伝子発現の異常はNIDDM患者の骨格筋で認められる知見と一致している部分も多く,これらが骨格筋のインスリン抵抗性における糖代謝やエネルギ-代謝の障害の一因となっていることが示唆された.

図1.肥満・糖尿病モデルマウスの骨格筋(Gastrocnemius,Soleus)における遺伝子発現レベル.KKAy/Ta,KK/TaマウスはC57BLマウスと,またdb/db,ob/obマウスはm+/m+マウスと比較した.Means±SE.n=7.*P<0.05,**P<0.01,***P<0.001(Dunnett検定).HK2:II型ヘキソキナーゼ,GS:グリコーゲン合成酵素
2.チアゾリジンンオン誘導体を投与したKK/Taマウス骨格筋における遺伝子発現レベルの変動

 KK/Taマウスにチアゾリジンジオン誘導体(TZD)を2週間投与し,高血糖やインスリン抵抗性を改善させた後,骨格筋における遺伝子発現レベルを調べた.TZD投与によりHK2,UCP2の遺伝子発現増加が認められたが,GLUT4 mRNAレベルは変化しなかった.一方,UCP3遺伝子発現の顕著な低下が認められた.また,筋特異的転写因子MyoD,MyogeninのmRNAレベルの変動が認められ,TZDが骨格筋の筋線維の構成に何らかの影響を与えている可能性が示唆された.TZD投与により,KK/Taマウスの高血糖は正常化されるものの,骨格筋のGLUT1やHK2遺伝子発現レベルの低下は,正常血糖マウスの骨格筋における発現レベルにまで改善されないことが明らかになった.

3.甲状腺ホルモンを投与したKK/Taマウスの骨格筋における遺伝子発現レベルの変動

 KK/Taマウスへの甲状腺ホルモン(T3)投与により高血糖は有意に改善し,骨格筋でのGLUT4,およびMyoDの遺伝子発現の増加が認められた.これまでの報告から,筋組織にGLUT4を過剰発現させたトランスジェニックマウスでは顕著にインスリン抵抗性が改善されることが知られている.また,脂肪細胞の分化を促進するTZDが脂肪組織のインスリン抵抗性を改善することから,筋細胞の分化を促進すれば骨格筋のインスリン抵抗性が改善できる可能性も考えられる.これらの情報と仮説から,T3の骨格筋におけるGLUT4の発現亢進作用,および筋分化を正に制御している転写因子MyoDの発現亢進作用はインスリン抵抗性改善効果として望ましいものであると考えた.しかしながら,T3そのものは肝臓に対る糖新生亢進作用や,心臓に対する心拍数の上昇など,副作用になりうる効果も併せもっており,現在,甲状腺ホルモン受容体アイソフォームの組織分布の違いから筋組織に対する作用と肝臓に対する作用を分離する試みがなされている.そこで本研究では,T3の作用のうち骨格筋に対する作用に着目し検討した.

4.骨格筋の糖代謝に与える甲状腺ホルモンの影響

 培養筋細胞C2C12を筋管に分化させた後,T3で処理したところ,GLUT4,GLUT1の遺伝子発現はそれぞれ約3倍,約2倍に誘導された(図2).また,UCP2,UCP3,HK2,グリコーゲン合成酵素(GS)の遺伝子発現も顕著に誘導された,T3を投与したマウスの骨格筋でも同様の発現誘導が認められた.これらの結果はT3の骨格筋における糖取り込み亢進作用や糖代謝・エネルギー代謝亢進作用を示唆するものであった.

図2.T3による培養筋細胞の遺伝子発現誘導.筋管に分化したC2C12細胞をT3で36時間処理し,T3による遺伝子発現誘導の濃度依存性を調べた.Means±SE.n=3.*P<0.05,**P<0.01,***P<0.001(Dunnett検定).
5.骨格筋の筋分化に与える甲状腺ホルモンの影響

 細胞周期の進行を負に制御しているCDKインヒビターp21/CIP1ファミリーのメンバ-[p21,p27,p57]の遺伝子発現が筋分化に伴ってどのように変動するか,またこれらの遺伝子発現に与える甲状腺ホルモンの影響について検討した.筋細胞の分化に伴いp21の遺伝子発現レベルは約8倍に増加した.T3は分化前の筋芽細胞,および筋管に分化した細胞においてp21の遺伝子発現を誘導した.また,T3を投与したマウスの骨格筋においても同様にP21の遺伝子発現誘導が認められた.T3は細胞周期の停止を促進することで増殖から分化への移行を早め,また筋管細胞における増殖停止の維持にも機能していることが示唆された.筋芽細胞でのp21の遺伝子発現誘導がMyoDやMyogeninの遺伝子発現誘導よりも遅れて起こることから,p21はT3により誘導されたMyoDやMyogeninによって間接的に誘導されていると考えられた.

6.甲状腺ホルモンによるGLUT4遺伝子発現調節部位の解析

 T3によるGLUT4遺伝子プロモーターの発現調節部位の同定を試みた.5’側の長さを変えたプロモーターを含むGLUT4ミニジーンを導入したトランスジェニックマウスにT3を投与し,骨格筋におけるGLUT4ミニジーンの発現変動を調べたところ,-442から-700の領域にT3応答性が認められた.T3はこの領域内に位置する3か所のTREのhalf site,およびEボックスのいずれかを介してGLUT4の発現調節に関与していることが示唆された.

 以上の結果より,インスリン抵抗性を起こしている骨格筋では糖代謝関連因子の遺伝子発現レベルが,正常な骨格筋と比べて,また成因の異なる糖尿病マウス間で,明らかに異なっていることがわかった.TZD投与により糖尿病マウスのインスリン抵抗性を改善しても,骨格筋における遺伝子発現の異常が正常レベルに回復せず,インスリン抵抗性を惹起している複雑な要因の存在が示唆された.甲状腺ホルモンは培養筋細胞と骨格筋の両方においてGLUT4やHK2,GSおよびUCP2,UCP3といった糖代謝の主要な因子の遺伝子発現を著しく誘導したことから,糖代謝が低下している骨格筋の什スリン抵抗性改善に有効に作用する可能性が示された.本研究で得られた成果は,NIDDMにおける骨格筋のインスリン抵抗性の成因機序,ならびにTZDや甲状腺ホルモンのインスリン抵抗性に対する作用機序を分子レベルで解明するのに役立つものと期待される.

審査要旨

 食生活の欧米化、運動不足に加えストレスの多い日常生活など、現代のライフスタイルは日本国内の糖尿病患者を急増させた。塘尿病の大部分を占めるインスリン非依存性糖尿病(NIDDM)では、骨格筋でのインスリン刺激時の糖取り込みの低下が著しく、その原因としてインスリンのシグナル伝達の障害や、インスリン応答性糖輸送担体GLUT4の膜移行のn害、まだ糖代謝関連因子の活性や発現量の低下などが報告されている。本研究は、NIDDM患者における骨格筋でのインスリン抵抗性の機横や、インスリン抵抗性改善効果が期待される甲状腺ホルモンの骨格筋に対する作用について分子レベルでの知見を得ることを目的として行ったもので、4章より構成されている。

 第1章はNIDDMの病態・成因や現行の治療法、本研究の意義と目的を記したもので、全体の導入部である。

 第2章では、糖尿病マウスのインスリン抵抗性、およびその改善が骨格筋における主要な糖代謝関連遺伝子の発現レベルに与える影響について述べている.インスリン抵抗性を起こしている4種類の糖尿病マウスの骨格筋を解析した結果、糖代謝に重要な役割を果たしている機能的タンパク質、例えば糖輸送担体GLUT1,4、II型ヘキソキナーゼ(HK2)、ミトコンドリアの脱共役タンパク質UCP2、UCP3などの遺伝子発現レベルが正常マウスと比較して著しく異なっていることを見いだした。ついで、チアゾリジンジオン誘導体(TZD)を投与して高血糖やインスリン抵抗性を改善させた糖尿病マウスの骨格筋についても解析し、糖尿病マウスの骨格筋で認められる遺伝子発現レベルの異常がTZD投与により正常なレベルに必ずしも近づいていないことを明らかにした。

 第3章では甲状腺ホルモン(T3)の骨格筋に与える影響について述べている。まず、糖尿病マウスにT3を投与することによって血糖値が有意に低下し、さらに骨格筋におけるGLUT4および筋特異的転写因子MyoDの遺伝子発現が増加していることを示した。このT3による血糖低下は、T3の末梢組織での糖取り込み亢進が肝臓での糖新生亢進を上回っていることを示唆しており、それにGLUT4の発現亢進が寄与していると考えられた。そこで、骨格筋の糖代謝に対するT3の作用をさらに詳しく調べるため、培養筋細胞を用いて検討した。筋管に分化させた筋細胞C2C12をT3で処理して遺伝子発現の変動を調べた結果、T3がGLUTl、4、HK2、UCP2、3などの遺伝子の発現を濃度依存的に誘導することを明らかにした。またT3を投与したマウスの骨格筋についても解析し.同様の発現誘導が認められることを示した。このように、T3の糖代謝・エネルギー代諏の亢進を遺伝子発現レベルがらも説明することができた。次に、T3が筋分化の進行にどのような影響を与えるか検討した。細胞周期の進行を負に制迎しているCDKイシヒビター(p21、p27、p57)、筋分化マーカー、筋特異的転写因子の遺伝子発現に与えるT3の影響を筋芽細胞、筋管細胞、骨格筋を用いて調べた。その結果、T3がp21の遺伝子発現を誘導することを初めて明らかにし、筋細胞の増殖から分化への移行のタイミングにも影響を与えうることを示した。最後に、T3によるGLUT4遺伝子プロモーターの発現調節部位の同定を試みた。GLUT4遺伝子の5’側プロモーター領域の700bp、442bp、423bpと全てのエクソンを含むGLUT4ミニジーンを導入した3種類のトランスジェニックマウス(-700Tg、-442Tg、-423Tgマウス)にT3を投与し,骨格筋における外来性、内在性GLUT4の発現を調べた。-700Tgマウスの骨格筋ではT3の投与により外来性GLUT4の発現が増加したが、-442Tgマウス、-423Tgマウスの骨洛筋では変化していなかったことから,プロモーターの-442から-700の領域にT3応答性があることが明らかになった。さらに、この領域内に位置する3か所のTREのhalf site、およびEボックスがGLUT4の発現調節に関与している可能性が示された.

 第4章は本研究で得られた結果のまとめとその意義について述べた全体の総括である。

 以上、本論文はNIDDMにおける骨格筋のインスリン抵抗性、ならびにTZDや甲状腺ホルモンのインスリン抵抗性に対する作用機序の分子レベルでの解明を試みたものであり、本研究の過程でNIDDMにおける脱共役蛋白UCP2、UCP3の役割など種々の新しい知見が得られた。これらの知見は、学術上、応用上貢献するところが少なくない。よって審査委員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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