哺乳動物の成熟卵は、精子の侵入や類似の刺激により、いわゆる卵の活性化を起こすまでは、第二減数分裂中期で減数分裂は静止している。この間卵の細胞質は徐々に変化しており、生存性や受精能力の低下、卵の活性化能の上昇、無核小割球を含む不等分裂であるフラグメンテーション発生率の上昇などの変化が報告されている。この現象は卵のエイジングとよばれ、このような卵はエイジング卵と定義されている。しかし現在までエイジングがいかなる卵細胞内の変化に起因しているのかは不明である。 本論文はブタ卵を材料に用い、エイジングを引き起こす卵細胞質内の分子機構の一端を明らかにするとともに、得られた結果をもとに人為的にエイジングを制御し得るかどうかを検討したものである。本論文は序論、3章からなる本論、および総括から構成されており、要約すると以下の通りである。 第一章では、用いた体外成熟培養系においてエイジングに伴ってブタ卵にどのような生物学的変化が起こるかを確認している。先ず、培養開始後36時間から72時間まで成熟卵の割合は一定(約70%)であること、この間、成熟卵は細胞周期の進行をとめ、退行性の変化も見られないことを確認し、卵細胞質内に起こる変化がエイジングの変化であることを示している。つぎに、36から72時間培養後の成熟卵に活性化を誘起し、活性化率が36時間培養卵では低く培養時間が長引くにつれ有意に上昇すること、72時間培養卵では高い割合でフラグメンテーションが観察されることを示し、本培養系でも従来知られているエイジングの変化を確認している。さらに、卵の活性化を細胞周期のM期からの脱出ととらえ、全ての真核細胞においてM期を制御する因子であるMPF活性に注目し、これをヒストンHlリン酸化活性(Hlk活性)として測定している。その結果、エイジング卵においては核相は第二減数分裂中期に静止しているにもかかわらず、培養時間の経過とともに徐々にその活性が低下することを初めて明らかにし、これがエイジング卵の活性化の起こり易さの原因であることを示唆している。 第二章では、エイジング卵にみられたMPF活性低下のメカニズムを、精子侵入後の活性化卵のMPF不活化の場合と比較している。その結果、精子侵入後の卵活性化は,MPFの活性制御サブユニットであるサイクリンBの分解に起因していることがブタ卵においても確認した。一方、エイジング卵では、卵の活性化の場合と異なり,培養時間の経過に伴いHlk活性が低下し、リン酸化型の不活性MPFであるpre-MPF量が次第に増加していることを認めた。この結果は、MPF活性の低下がp34cdc2の抑制性リン酸化の亢進に起因していることを示唆している。 第三章では、p4cdc2のリン酸化状態に影響する試薬でブタ卵のMPF活性を人為的に制御することによりエイジングの発現を制御し得るかを検討している。先ずp34cdc2のリン酸化状態を変化させる試薬として、チロシン脱リン酸化阻害剤のバナデイト、およびpre-MPFの脱リン酸化を促進するとされるカフェインを用いて卵子を処理している。その結果、前者により若齢卵のP34cdc2のリン酸化の亢進とHlk活性の減少というエイジング卵と類似の現象が再現された。後者では、p34cdc2が脱リン酸化されHlk活性が高値に維持されるというエイジングを解消する変化を示し、これらの処理により人為的にMPF活性を制御し得ることを示唆している。つぎに、MPF活性を制御することでこれらの卵のエイジング状態を変化させ得るかを調べている。バナデイト処理では自発的活性化率およびフラグメンテーション率が増加し,エイジング卵に近い状態にあること,一方、カフェイン処理では、自発的活性化率およびフラグメンテーション率が有意に減少し、より若齢卵に近い状態にあることを示唆している。以上より、エイジング卵に起こるMPF活性の低下は、卵の活性化の起こりやすさに加え、フラグメンテーション率の上昇にも関与し、エイジングを引き起こす原因の1つであることを明確に示している。さらに本章の結果から、エイジングの一部が人為的にある程度制御可能であることを示唆している。 以上、本論文は哺乳動物卵のエイジングに伴う細胞質における分子レベルの変化を調べ、MPF活性が変化していることを初めて明らかにした。また、エイジングの一部は、MPF活性の人為的操作によりある程度の制御が可能であることを示し、農学学術上貢献するところが少なくない。 よって審査委員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。 |